倶楽部メモ(613)
平成22年 7月15日〜 7月18日

タイの客車車内 ・ 「余部鉄橋」が使命を終えて


投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2010年 7月15日(木)10時50分23秒
タイトル この客車に乗るのです
 じつは、自分の乗る列車の始発はこのハジャイのだいぶ南なのですが、自分の車輌はこの駅で増設になるものでした。
それでも、旅には全く問題ありません。

 日本式に言えば2番線ということになるのでしょうか、
駅の入り口から少し離れた場所に入っていたものが、機関車に曳かれて一旦駅を出て、
今度は1番線とでも言うべき、駅の入り口に近い場所に戻ってきて、機関車が外されました。

 結局、本体がハジャイに着く前に、増設になる2両だけがぽつんと置かれた状況です。
画像は、その状態を2つの方向から撮ったものです。

 いつも困るのは、タイ語だけの構内アナウンスがあっても掲示が無いので、
どれが自分の乗るのか、外人にはちと分かり難いこと。
車体の側面に号車番号、走行区間の表示板は入っていますが、列車番号は無いんですね。
 もっとも本数が少ないので、出発時間が近づくと地元の人の動きもありますし、概ね分かります。
制服の人に切符を見せて、「これでっかいな?」

 とゆーことで、この状態で乗り込みました。

 客車ですが、床下に発電機を備えているようで、クーラーは効いていました。

 既に数人、乗り込んでいました。2等は全席指定ですし、場所取りのトラブルはありません。




投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2010年 7月16日(金)01時31分51秒
タイトル 座席などはこんな感じ
 乗り込むと、こんな感じです。まだ寝床ではなく、座席です。
開放2段とも言うべき様式でしょうか。座席の幅は、広いです。上段の寝床が跳ね上げられています。

 上段に登る梯子が固定されているので、いささか無骨な印象があります。

 外はまだ明るいのですが、写真では窓の外が真っ暗になってしまいました。

 3枚目の画像は、洗面所です。鏡にストロボの光が反射してしまいましたが、とにかく鏡もあります。
今までの例ですと、ほぼ最後までちゃんと水は出ます。タイでこれは、まあちゃんとしてる方です。
ピンクで変な感じですが、液体洗剤もあります。

 でもやっぱ、歯磨きなどのために、大きめの水のボトルを前もって購入しておいた方が良いと思います。

========================

雑魚さま

 タイの長距離鉄道については、確かに電化率0%です。
しかし、それぞれの路線は短いのですが、数年前から首都バンコク中心部には地下鉄と高架鉄道があり、それは電車です。
また、最近バンコク国際空港とバンコク中心部を結ぶ高速電車が出来ました。
 厳密には、これら新型電車の運営主体の一部はタイ国鉄とは別組織なのかもしれませんが、
短いながら首都圏には電車もあります。

 国鉄本体の電化計画については、、、、詳しく知りませんので。。。。

 タイとマレーは、お互いに乗り入れていますが、国境から比較的短い区間のみです。
マレー鉄道は、ハジャイまで。タイ鉄道は、バターワースまで。
もちろん、乗り換えて先に進むことも可能です。


[バンコク] タイの首都
  |
  |
[ハジャイ] タイ南部交通の要衝
  |
[パタンブザール] 国境の小さ町
  |
[バターワース] マレーではまあ大きな町、ペナン島の近く
  |
  |
[クアラルンプル] マレーの首都





投稿者 仙コリ
投稿日 2010年 7月16日(金)08時00分33秒
タイトル 「北斗星」もEF510−500牽引に
先日の「カシオペア」へのEF510運用投入に続いて、「北斗星」にも7月14日上野発下り「北斗星」、
7月16日上野着上り「北斗星」にてEF510が運用投入されました。

下り「北斗星」EF510牽引初日の列車には「カシオペア」初日と同じ501号機が投入されましたが、
上り「北斗星」EF510牽引初日の列車には、青森方面での試運転を担当していた503号機が投入
されました。

「カシオペア」塗装のEF510(509・510号機)も本日で2両揃う予定ですので、
新「カシ釜」と「カシオペア」との組み合わせが見られる日も近いと思われます。

画像は本日(7月16日)朝、郡山駅で撮影した上り「北斗星」EF510牽引初日の列車です。




投稿者 雑魚
投稿日 2010年 7月16日(金)10時54分45秒
タイトル マレー半島版 オリエント急行
▼XD1 at Phuket 様:
> 数年前から首都バンコク中心部には地下鉄と高架鉄道があり、それは電車です。

設立区分は、国鉄とは異なる様です。地下鉄が2004年、高架鉄道が1999年と、開業は
新しいのですね。一千万人近い人口を抱えるバンコクにあって、恩恵を受ける地域は、
まだまだ限定的と見受けますが、極端な道路渋滞(市街の路地は、抜け道が効かない
袋小路が多く「ドツボに嵌り易い」とも聞きます)が慢性化している同地にとっては、
福音の大きな第一歩なのでしょう。

> 国鉄本体の電化計画については....詳しく知りませんので

上記の都市型路線と直通運転を行うなら、電化もあり得ますが、軌間が異なりますし、
踏切を伴うであろう路線を第三軌条方式で電化するのは無理がありそうですね。なお、
地下鉄と高架鉄道は、直通を想定して、車両規格を統一しているとの事です。

同じアセアンの首都圏でも、日本の私鉄から転入した電車が多数行き交うジャカルタ
首都圏の「KRLジャボタベック」とは様相が大きく異なりますね。昨日発売された
DJ誌最新号で詳しく特集されていますが、現地固有の塗装感覚は、見ているだけで
熱帯モンスーン気候を感じ、汗ばんでしまうのでした(^^)

> タイとマレーは、お互いに乗り入れていますが、国境から比較的短い区間のみです。

一般乗合とは趣旨が大きく異なりますが、現地版「オリエント急行」が、バンコク〜
シンガポールに設定されているそうです。NZ国鉄から転入した日本製車両との事で、
画像検索すると、展望室仕様の最後部から、気動車ではなく客車と見受けられますが、
牽引機の状況が良く判りません。

この列車の運営元は、欧州でもかなり魅力的な便を運行しており、遠からず、所用で
沿線近所を訪れる予定があるのですが、然るべき金も暇も語学力も無い哀しき庶民は、
TV朝日「世界の車窓から」で御茶を濁すのでした(滂沱)



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 7月16日(金)22時36分9秒
タイトル 永遠なれ!余部鉄橋!!
 おばんでございます。「ED76109」であります。

 ついに、「余部鉄橋」が使命を終えて、本日、「98年間の歴史」に幕を閉じようとしております。
高さ41m、長さ310mで、鋼鉄製のやぐらの橋脚が11組で橋桁を支えていた構造。
明治45年の開通でありましたが、昭和61年の12月に「みやび」の転落事故が発生し、
強風に対応できるコンクリート橋へ掛け替えられるとのことであります。
小生、「山陰鈍行紀行」の折、通算5度の「渡り」を経験しておりますが、「出雲3号」や「DCまつかぜ」、
さらに「PCの浜田行や出雲市行の旧客鈍行」で渡った壮大な日本海の眺めが強く印象に残ります。
「ユーラシア鉄道」様や「雑魚」様を始めとする、様々な先達の方々の「撮り鉄」の晴れ舞台であった「余部鉄橋」。
橋脚3本の区間を保存した「空の駅」が平成24年度に完成した暁には、
日本海の海原が一望できる展望台へと姿を変えるようであり、新たな歴史への期待を待ちたいところであります。

 長々と失礼致しました。
昭和の遺産がまた1つ、姿を消すことに一抹の淋しさが感じられてならない「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2010年 7月17日(土)01時07分13秒
タイトル Re:永遠なれ!余部鉄橋!!
昨日が、「余部鉄橋」運用最後の日だったのですね。
(正式名称がどうであれ鉄橋という言葉がもっとも似合いますよね)
私も学生時代を中心に何度か列車で渡っていますが、確かに壮大な眺めでしたね。
悔やまれるのは、下車して外から眺めずじまいだった事ですが、鉄道誌の写真等で
見ても、日本で最も美しい鉄橋であると思っています。
写真は撮っていないのですが、渡った際のサウンドは録っており、当サイトの
「サウンドコレクション」→「普通列車3」に旧型客車使用の普通列車で録音した
サウンドを掲載しておりますので、在りし日の「余部鉄橋」を思い出すお手伝いが
出来れば幸いです。



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2010年 7月17日(土)08時54分53秒
タイトル やっとこさ発車
 座席の一つ一つに番号を彫り込んだ小さなプラスチック板が取り付けられているので、座るべき場所は直ぐに分かります。
あとはもう、ぼーーーっとしているしかないんですね。

 出発前の車窓を。
  1枚目。少し離れて、下半分が青色の客車列車も見えます。
  2枚目。窓には小さいマークが入っています。鉄道の車輪と翼でしょう。

 切符では18:05出発のこの列車、実際には、
  18:00 本体が到着。
       同時に増設となるこの2両が動き出し。
  18:05 増設の連結終了
  18:14 特に車内アナウンス等は無く、出発。
でした。この程度なら定刻です、タイでは。


 しばらくすると切符の改札。一旦ここで改札を受ければ、後は終わりまでありません。
例によって車内販売や食堂車からの注文取りの人も来ますが、この日は昼から食い過ぎ状態だったので、パス。

 午後7時ごろから、早々と車掌さんが座席から寝床へ変換。結構力を使いそうな作業です。お疲れ様です。

==========================

雑魚さま

 そうなんです。数年前からある高架電車と地下鉄は、タイ国鉄とは別の公団(なのかな?)の運営らしのです。
ところで、今年になってやっと空港線電車が出来ました。これはタイ国鉄なのかもしれません。
今回試乗しましたので、この寝台客車の話がもしも無事に終わりましたら(終わるんかいな、こんな書き方で?)、
画像をUPできるかもしれません。

 あっ「オリエント急行」、ありましたね。ネットではバンコクの画像を見たことあったような。
今回も現物を見かけませんでしたし、失念していました。
 自分のような人間には、高級すぎて、却って落ち着かなかったりして(汗)。




投稿者 雑魚
投稿日 2010年 7月17日(土)09時21分33秒
タイトル 余部橋梁
▼ED76 109様:
>「余部鉄橋」が使命を終えて本日「98年間の歴史」に幕を閉じようとしております。

余部橋梁(所在地区名も「余部」で、駅名の「餘部」は、姫新線「余部/よべ」駅と
区別する為の便宜的措置だそうですね)の新橋梁移行が本日である事は「成田スカイ・
アクセス」の開業に気を取られ、全く失念していました(恥)

御指摘の「空の駅」については、餘部駅を、大井川鉄道「奥大井湖上駅」風に改める
措置かと思いきや、駅に隣接する橋脚三本分の旧橋梁を、展望台として残す、という
内容なのですね。旧橋梁の処遇については、愛好家などから観光資源としての保存を
求める意見が多かった様ですが、長期的な朽廃の問題を考えると、これがせめてもの
落とし処なのでしょう。

一方、橋梁直下の地元にとっては、1986年の「みやび」転落事故や、列車通過に伴う
降錆・騒音など、旧橋梁に対する心証は必ずしも良くなかった様で(上記転落事故の
半年前に現地を訪れた際、地元の方から同様の話を伺った記憶があります)世間一般・
愛好家の情緒論だけで済む話ではないと、改めて感じます。

かくして導線が補強された山陰線ですが、通過する定期列車は、一日二往復の特急と
1〜2時間に一本の普通列車のみ。城崎温泉以南の電化区間と、沿線人口が比較的多く
智頭急行からの区間乗り入れを含む複数の特急が、比較的、高頻度で設定されている
鳥取以西に挟まれる中、幹線としての山陰本線の一体性が途切れた格好の当該区間が
今後、どうなるのか。沿線の地形に基く人口分布から、地元利用者の需要伸張は殆ど
期待できないでしょうし、難しい処ですね。



投稿者 きむたお
投稿日 2010年 7月17日(土)09時40分43秒
タイトル 上海南站にて、改札を過ぎると・・・
▼ 雑魚様
修学旅行生が事故に遭ったのは現在、工事中の上海西站のあたりらしいですね。
南站からの列車はそのまま南西方向に走りますから西站は通りませんが、
いずれにせよ、杭州−上海南は列車本数の多い区間です。
実際、南站を発車すると約15分のあいだに7〜8本の列車と離合しました。いずれも客車列車でしたが(萌)
一方、西站を通過する、蘇州・無錫方面の本数は多いのですが、
動車(CRH・新幹線タイプの電車)の比率が多かったような印象です。
現在では外国の技術も導入されて、安全に運行されていると信じて乗るしかないですね(汗)

▼ XD1様
こんにちは。私も来月ころにはタイへ出張の見込みです。
私の勤める会社のタイ事業所はバンコクよりはるか南のほうにあり、鉄路はつながっていないところのようですが、
魅力的な鉄道がある国であるのは間違いないようですね(^^)
*気動車マニアの友人によるとタイは実にすばらしいところと伺っております。
XD1さんご乗車の客車、内装はオロネ10・サロネ581などに極めて似た構造ですね。
写真の解説が無かったら日本のプルマン式ロネと言われてもすぐに気づかないかもしれません(^^;)

1枚目の写真は、6/30、上海南站にて改札を受けてエスカレータからホームに降りる際の光景です。
手前のE2もどきが私の乗車した列車ですが、向こうに見える新潟の気動車みたいな色をしたナロ20っぽい外観の客車が
魅力的に思えるのは客車好きな皆さん共通の思いでしょう(^^)

2枚目は7/12、乗車したYZ25G351259の妻面表記です。日本式に書けば「カハ25G 351259」と云ったところでしょうか??




投稿者 雑魚
投稿日 2010年 7月17日(土)11時41分4秒
タイトル DJ誌 最新号より
既述の様に、本日は「成田スカイ・アクセス」こと、京成・成田空港線の開業日です。
日暮里〜空港第二ビルが 最短で36分という謳い文句を前に、新型「NEX」を導入した
JRがどの様に独自色を打ち出すか、注目されます。京浜東北線の日中快速停車駅に
浜松町が追加されたのも、京急・都営浅草線を介し羽田〜成田の連絡強化を意図する
京成を 間接的に意識した措置とも思えます。旧型「NEX」の転出先は長野電鉄との事、
昨今の同電鉄は、宛ら「第二の大井川鉄道」といった趣すら感じますね。

新規開業区間は成田湯川で成田線(我孫子支線)と接続しますが、成田市街は度外視。
当面、主に空港利用者用の路線という位置付けですが、成田線と空港支線が分岐する
土屋地区は、新駅設置の可能性を勘案したと思しきSCを擁する事から、近い将来に
現成田駅の拠点性に大きく影響する程の要衝として整備されるものと予想しています。

京成電鉄の初代AE型が運転を開始したのは、1973年。肝心の成田空港の開業時期が、
1978年にずれ込んだ為、当初は成田山参拝列車と云う、新型車両を投入するには少し
物足りない動機での運用でしたが、当時の児童向け漫画雑誌に、列車愛称を公募する
広告が掲載され「上野と成田を結ぶ」という文言に、後日「国鉄」上野駅でAE車を
必死に探した雑魚でした(^^)

=======================================================================

この辺りは、一昨日発売のDJ誌で詳細な特集があります。同誌で、他に気になった
内容としては、先月一杯、定期検査で運休中だった「SLもおか」の50系客車 3両が、
従前の「白帯」を「黒帯」もとい「赤帯」に締め直して、大宮車セを出場、本日から
運用復帰した記事が挙げられます。数年前に水郡線で、半ば晩秋の定番となっていた
DL+旧客の「奥久慈レトロ」を想起させる赤帯は、茶色地では、意外に映えますね。

また、五月末から六月初頭にかけて運転された「SLやまなし」「DLやまなし」の
返却回送として EF64+DE10+D51+12系 という、実に素晴らしい編成(^^)が
中央線を走行する様子も紹介され「無節操系属性」の雑魚は「萌え萌え」なのでした。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 7月17日(土)17時02分10秒
タイトル 対不起三連投
▼きむたお様:

当看上海南駅的画像的時候、感到作為鉄道王国的中国的風格。

> 現在では外国の技術も導入されて、安全に運行されていると信じて乗るしかない

事故当時は、改革開放政策の下、恐らくは国内移動制限の自由化で、新たに発生した
旅客需要の極端な伸張に対し、ATSなどの安全対策が殆ど講じられていないという、
ある意味、原始的な状況だった様ですから、その後の同国の経済進捗状況を考えれば、
少なくともハード面では、天地ほどの差異があるでしょうね。

一方、被害に遭った高校生は、今や「アラフォー」働き盛り。国立大学に附属高校を
併設する構想が転じた経緯を持つ進学校だけに、専門職能を以て地域を背負って立つ
可能性があった有意層の受難は、地元にとっても、大きな損失に映った事でしょうね。

ところで、御掲出画像にある御乗車の「E2 モドキ」が「中国鉄路高速」でしょうか。
中国の鉄道事情は、詳しく存じませんが、韓国や台湾の高速鉄道とは異なり、既存の
軌道を強化、活用する方式と見受けます。結構な人気を博する様ですが、経済格差の
顕在化もあって「潜在需要層」の少なからぬ割合にとっては、まだまだ「敷居の高い
乗り物」との報道を、最近、仄聞しました。さすがに、こちらでは「何でもかんでも
新幹線に誘導」といった施策は無いでしょうね。



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2010年 7月18日(日)00時42分55秒
タイトル 寝床の準備
 跳ね上げられている上段寝台をカパッと降ろすと、1枚目の画像です。
ここにカーテンやクッションなどが収納されています。
数年前、初めてこれを見た時、驚いたと言いますか、感心したと言いますか。

 下段のセットアップは、2枚目、3枚目の写真のようです。
引きずり出した座席の上に、もう1枚の布団と白いシーツ。さらに白いカバーの枕。
それと、青い印刷のある袋に入っているのは、毛布です。

 青いカーテンがあり、一応はプライバシーは守られます。でも、個室ではありません。

 寝た感じ、充分にフカフカです。寝床としては、わりと良い感じです。

===========================

きむたおさま

 とにかくバンコクでは電車がごくわずかなんです。
タイ国鉄でも、バンコクに比較的近いエリアでは、気動車が多いです。
 ハジャイまで遥々来ている気動車は、数日前にご紹介したあの1本だけかもしれません。
あれは日本式に言うとキロになるのでしょうか?

 客車については、日本の東急が製造して新品でタイへ販売した2等寝台もあるとのこと。
当方の知識不足で、見たことあるのかもしれませんが、はっきりと識別できませんでした。
昔の日本のグリーン寝台、2等寝台と類似の様式というのは、確かにそうかもしれません。

 バンコクに来ることがありましたら、真新しい空港電車に乗り、
それからバンコク駅(ファランポー)へ行って、たとえその時は乗らなくとも3等客車をご覧ください。
一挙に数十年のタイムスリップ感覚。
 今のところ空港線は別として、旧来からのタイ国鉄には入場券は無く、
何も無くともそのまま構内に入れます(変わるかもしれませんが)。
列車が動き出すと直ぐに、検札があります。




投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 7月18日(日)09時18分27秒
タイトル タイ国のオロネ10?
なんだかオロネ10みたいな感じですね?
私がBangkokへ出張したのが昭和57年でしたが鉄道利用の機会が無くて----でもパヤタイ
ロード沿いのホテルから南下したところに踏み切りがあって複線(実は単線2本)の踏み
切りに、ローカル用の乗降乗があって、2両連結のステンレスDC(東急製らしい)?や
雑多な客車を連結したDL牽引列車を撮影しました。帰途大雨で高速道路も水浸し、
多分チェンマイからの夜行らしい、寝台車や食堂車連結の急行列車らしいのが、立ち往生
していました。私は何とか飛行機には間に合いましたけれど---



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 7月18日(日)21時12分29秒
タイトル 狩勝峠に行って参りました
 おばんでごさいます。「ED76109」でございます。

 小生、この連休中に「新得時代の同僚」と再会する所用が急遽発生いたしまして、
「新得」を訪問することに相成りました。
そこで、当掲示板の先達のお一人でございます「旧狩勝線を楽しむ会」様にひと目会いたいと、
「旧新内駅」に立ち寄らせていただきました(突然の訪問でしたが、ありがとうございました)。
当日は、快晴でカンカン照りの十勝晴れ。
「暑い!」の一言でしたが、「トロッコ」を楽しむご家族連れも散見されて、
日高山脈の麓でのんびりと、貴重なお写真も拝見できて楽しいひと時を過ごすことができました。
短い時間でしたが、懇談させていただき貴重なお話もお伺いでき・・・。
今日はそんな折の「こぼれ話」をご披露申し上げます。

 1 当初、「ナロネ20等のロネ」を「客室」として、
  前任の方がこの地に「列車ホテル」を開設されていたそうなのでありますが、
  不人気が災いして稼働率は良くなかったそうでございます。
  と申しますのは「ホテル」という名称から、完全に個室化された部屋をイメージされていた方が大部分だったとのこと。
  その方々が「プルマン式のカーテン一枚」のベッドを一見されて、「えっ?」という印象を持たれた方
  (女性の方はそうかもしれません)が多かったようでございます。
  そういえば、各地に「列車ホテル」が開設されておりますが、大部分は「解放式のハネ」であったはずであります。
  「車掌の制服を着て、車内に走行音を流し車体を揺すれば良かったのだろうか。」
  というスタッフの方のお話に、小生大笑いしてしまいました。

 2 スタッフの方には、「元狩勝峠越えの機関士」氏もいらっしゃり、修学旅行の思い出話を聞かせていただきました。
  「ボックスにべニア板を渡してね、一人がその上に寝るべさ。
  後は座席に一人ずつ横になって、床に一人横になれば・・・。」という想ひ出を楽しそうにお話くだざいました。
  以前、小生も当掲示板に書き込ませていただきましたが、昭和20年代後半〜30年代前半は、
  「青森発大阪行の鈍行レ」でいかに座席を確保するかが重大事。
  座席を生徒に譲って「青森から新津まで立ちっぱなし」だった先輩教諭の話が今でも印象に残ります。
  「マロネロ38様」が以前仰っておられたように、
  当時の夜行列車には「折りたたみ式のイス」が必要不可欠だったことを、思わず思い出しました。

 3 保存されている「3両の20系」は改装中であり、傷みを少しずつ改修している段階でございました。
  しかし、全て昭和40年代の前半に作られた車両であるのに、
  多くの部分が「木製」であるというお話には、小生意外な印象を受けました。
  車両構造等は疎いとは言え、金属等が多く使用されているのかと思いきや、
  「ハネを分離する背板」や「通路側の合板部分」等、大部分が木製。
  さらに、蛍光灯の部分を取り外すと全くの空洞が広がり、暑さが全く抜けない構造のために、
  真夏は完全に冷房が利かないと「蒸し風呂状態」になってしまうとのお話には、
  小生思わず「へぇ〜。」と聞き入ってしまいました。
  さらに、昭和30年代前半の客車1両のお値段は「8千万円」ということで、
  現在の貨幣価値に換算すれば、「約8億円!!」。
  様々な「鉄」勉強となった1日でありました。

 旧新内駅のフォームや駅舎も残っており、レトロな雰囲気も十分に感じられる「鉄スポット」。
「新得駅」からは「タクシー」しか使えないことが玉に瑕ではありますが、
往年の「旧ルートに係る写真・資料等」も十分楽しめます。
何より、「スタッフの方々」と「鉄」話が楽しめるのですから。

 「旧狩勝線を楽しむ会」の皆様、ありがとうございました。
今度は「家族」で訪問させていただければと思います。
以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



 
「客車倶楽部」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから