倶楽部メモ(609)
平成22年 7月 1日〜 7月 3日

客レ牽引機 ・ 混色編成


投稿者 くらやみのまろ
投稿日 2010年 7月 1日(木)23時32分52秒
タイトル Re:日本海
雑魚様

細かいことですが、青15号は20系や在来形客車に用いられてた色でして、14系・24系は
それより明るめの青20号ではあります(汗)
…それはともかく、ローズピンクのEF81が先頭に立つ「日本海」の編成は、客車に25形の
金帯車が多くなった以外、昭和50年代とほとんど変わらない姿と編成内容のままで、
牽引機の赤と客車の青の対比が鮮烈な「北斗星」とは違った、渋い魅力に溢れていると
感じます。
また、乗車する分には、最後の開放A寝台客車となったオロネ24の存在も見逃せません(笑)
この車両、下段に乗れば大きな窓からの車窓を存分に楽しめ、寝台幅が広いため寝心地もよく、
個人的には個室寝台と比べても遜色ない快適さと感じられ(もちろん一長一短はありますが)、
かなり気に入っています。
(「日本海」での乗車は一度だけですが、「銀河」では何度も乗りました…)

それと、「日本海」の牽引機は敦賀のEF81担当(「トワイライト」も同様)とのことですが、
JR西はJR東ほど新車の導入に積極的ではなさそうし、JR貨物もEF510をJR西に貸すほどの
余裕はないでしょうから、牽引機置き換えの可能性は非常に低いような気がします。
個人的には、現状のままで残ってほしいと思いますが…(笑)
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投稿者 くらやみのまろ
投稿日 2010年 7月 2日(金)00時22分31秒
タイトル Re:素晴らしきかな客レ
ED76109様

>1 往年の「山陰本線」や「山線」などで活躍していた「DD51」。
当方は、「北斗星」と「出雲」くらいでしかお世話になってないのですが、とくに後者の原色DD51は印象深いです。
下り「出雲」の1号車オロネ25に乗車し、窓に耳を近付けると、電源車カニ24のディーゼル発電機の音とともに
牽引機の力走する駆動音(もしくはエンジン音)がはっきり聞こえてきたものです。
牽引機の京都駅を境にして、その音色が電機の吊掛音からディーゼル機のエンジン音に変わるので、ホームに出て
EF65からDD51への交代を見に行かずとも、牽引機が代わったことがはっきりわかり、興味深く感じられました。

>2 「トホホセ」や「常磐線」、「羽越本線」等の東北の主的存在であった「赤ガマ」。
あのホイッスルの、甲高い音でありながら、どこか物哀しさも感じられる音色は、車内放送の「ハイケンスのセレナーデ」
とともに、客車列車の旅の旅情をより引き立ててくれて、当方としても大変好んでおります。
ただ、交流電機には、九州のED76くらいしか縁がなかったのですが…(汗)
(ED76 500番代の形態はかなり好みなので、その現役時代に見てみたかったものです…)

>3 「北斗星」や「トワイライト」の先頭に立つ「EF81」や「トカホセブルトレ」の最期を見取った「EF66」
これらは当方にとっても縁がありました。とくに北斗星は4回ほど乗車してますし、なにより地元を走行してますので(笑)
また、『「北斗星」の逞しい走り』というのは、初めて北斗星に乗った時に強く感じましたが、東北本線内では、
国内の客車列車としては最速級と感じられる疾走を続けるので、EF81の中から好調機を選定、特別に整備して北斗星牽引に
当たらせていたことに深く納得したものです。

ところで、JR九州は九州一周の寝台列車を計画中のようでして、
(http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2010042609310591/ など)
これを電車ではなく客車で作ってくれれば、『「客レ」最期の日』は、まだしばらく先になって
くれそうです(笑)
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投稿者 無題
投稿日 2010年 7月 2日(金)00時54分30秒
タイトル なつかしいな
50系客車か、おれは非冷房車でもこの車体は好きだったな
全国追っかけたからな、そして最後は筑豊本線のファイナルの50系も見れたし
本当に最後まで追いかけたな、もう鉄道好き暦30年、今の車体は本当につまらない、
普通列車もほどんとは都市型でオールロングシートとか座席数が大幅削減の車両の電車・気動車、
そして、昔置き換えのため、キハ28・58の5500代のオールロングシート化の車両、
あの客車時代のゆとりはどこにいったもんだか。
時代の流れとはいうが、その裏には経費削減と人件費削減というもの。
もったいないな



投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 7月 2日(金)10時40分4秒
タイトル オハ50系客車
よく考えて設計されていたですが、惜しいのはオハ50にトイレが無かった事。
それから将来冷房化や,短編成のpush-pullも考慮されていたとか----
最後に乗車したのは樽見鉄道の大垣−本巣間でした。
オルゴールは勿論「ハイケンスのセレナーデ」。



投稿者 無題
投稿日 2010年 7月 2日(金)12時27分36秒
タイトル なつかしいな
ハイケンスセレナーデか、各地の50系客車で聞いたな。
おれ、高校時代のときこの曲をきいて通学していた、聞くと心が和やかになる。
山陰本線、播但線、磐越西線、東北本線、石北本線、名寄本線などほどんとの場所で聞けた、
20年前の普通列車は本当に楽しかったな。
13年くらいで廃車にするとはもったいなかったな、今の都市型電車しか知らない人はかわいそうだな、
おれは50系とはずいぶん長い付き合いだったので今でも心に残っている。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 7月 2日(金)15時48分40秒
タイトル 烏山 山あげ祭り
蒸し暑い日が続く中、皆様、いかが御過ごしでしょうか。私は毎晩「ゴロンとシート」
状態ですが(^^)朝の目覚めは「ハイケンスのセレナーデ」ではなく、部活の朝練で
起床が早い我が子と女房との「ハイな喧騒のスケルツォ」です(^^)

▼くらやみのまろ様:
> 最後の開放A寝台客車となったオロネ24の存在も見逃せません(笑)

急行「きたぐに」A寝台も同様の作風でしょうか。これとて、北陸新幹線延伸に伴う
在来線の処遇に絡めて去就が取り沙汰されている点で「日本海」と同様の境遇ですね。
上りの畿内区間が通勤ラッシュ時間帯に掛かる為、加減速面で有利な分、保守面では
客車以上の手間を要するであろう、年季の入った電車を運用して、ダイヤ干渉を極力
抑えている手法には、健気さすら感じます。

この列車、長岡では上越新幹線の接続需要が結構あるそうですが、滋賀県内で敢えて
米原を経由しているのも、やはり東海道新幹線との接続対策ゆえでしょうか。

> 牽引機置き換えの可能性は非常に低いような気がします。

専用機が配された「北斗星」の例に鑑みるなら、もしここで EF510が投入されれば、
先行きの明るさを測る材料にもなり得たのですけどね。

> とくに後者の原色DD51は印象深いです。

私にとって、同型機における身近な例というと、本掲示板でもレポートを申し上げた
2006・07年 7月末運転の、高崎12系による「烏山山あげ祭り」と、その間合運用です。
水郡線で馴染みのDE10とは異なり「前後対称仕様」には独特の重厚感がありますね。

水郡線を差し置き、全長20km少々の盲腸線でDD51とはこれ如何にと、未だに釈然と
しないのですが、仁井田を中継点としていた麒麟麦酒工場の貨物便は、DE10重連が
牽引していた様です。その栃木工場も、今秋限りで閉鎖とか。

同じ麒麟麦酒の仙台工場では、現在でも鉄道輸送が行われている様で「グーグル」の
空撮画像を見ると、事業所の東側に貨車が屯する側線が明瞭に見えます。その反対側、
広幅の産業道路に面した正門付近では、すぐ脇の林の中で廃線と思われる別の側線が
ひっそりと途切れており「トワイライト・ゾ〜ン」の見本の様な存在です。

> JR九州は九州一周の寝台列車を計画中のようでして、

御提示のリンクによると、イベント用に転用された現行の14系寝台車とは別に、新規
設計するそうですね。撮り鉄としては、何とも豪気な事ですが、それだけ観光施策を
重視すべき、地方ならではの事情があるのでしょう。昨日を以て、中国からの個人の
観光旅行者に対する査証発給条件が大幅緩和されましたが、そのうち「五星紅旗」の
塗装を施した専用貸切編成とか、登場したりして(^^)




投稿者 ED76109
投稿日 2010年 7月 2日(金)22時49分13秒
タイトル 返礼申し上げます
 おばんでございます。「ED76109」であります。

 まず、訂正いたします。
  (誤)  「トカホセ」や「常磐線」→ (正) 「トホホセ」や「常磐線」(管理者注:原文は訂正済です)

    失礼致しました・・・。

   くらやみのまろ様

   >あのホイッスルの、甲高い音でありながら、どこか物哀しさも感じられる音色

   御意。盛夏から初秋にかけて、列車の交換等で長時間停車の小駅。フォームに聞こえる蝉時雨や蜩の声。
  そして、列車交換後に「ピー」と一声して、ゆっくりと牽き出されて・・・といった具合でありました。

      >ED76 500番代の形態はかなり好みなので、その現役時代に見てみたかったもの

   暖房用のSG等で、本州の「ED76」よりは少々太め。
  ほとんど「F機」といっても過言ではなかったような印象がございます。
  最盛期は「利尻」「ニセコ」のPC急行から、「区間運転の51系鈍行」や「貨物レ」まで、
  多種雑多なレを豪雪と闘いながら石狩平野を疾走しておりました。

   >国内の客車列車としては最速級と感じられる疾走

  「トワイライト」しかり、「北斗星」しかり、「日本海」しかり・・・。
  複線電化区間は、我が意を得たりといった感じで、110qで疾走。
  小生、この速さが存分に心地良く感じられます。許される限り、乗車回数を重ねる覚悟でございます。

 長々と失礼致しました。
以上、来週「網走方面」への出張が決定し、ワクワク感一杯の「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 くらやみのまろ
投稿日 2010年 7月 2日(金)23時10分19秒
タイトル Re:電機牽引客レ
クモイ103様

青大将色登場の際のインパクトは、恐らく、今からは想像できないくらい大きかったのでは
ないかと思いますが、そういえば、この色や80系電車の湘南色も、人によってかなり評価が
分かれたそうで、皆が大絶賛というわけではなかったことも興味深く感じます。

「電機牽引客レの至上の組み合わせ」についてのお話、ありがとうございます。
以前から、クモイ103様はわりと混色編成がお好みなのかと思ってはいましたが、
デッキ付電機牽引の青+茶色混色編成が至上の組み合わせでしたか。
それだと、昭和40年代の東北本線直流区間の客レ、といったところでしょうか。
それにしても、やはり原体験というものが、その後の嗜好にも大きく影響すると感じますが、
当方の場合、幼少期に「銀河鉄道999」をよく見ていたせいで、自我が芽生える頃には、
すっかり蒸気機関車と茶色い客車が大好きな子供になってしまっていました(笑)
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投稿者 くらやみのまろ
投稿日 2010年 7月 2日(金)23時59分4秒
タイトル Re: 御座敷車両活用案
雑魚様
まずは、先にお返事いただいたほうから書き込みさせていただきます。

>逆に「青い電機+赤い客車」は如何でしょうか。
…言われてみれば確かに、正直申しあげまして、これはかなり微妙と感じます(笑)
組み合わせが逆になっただけで、そのように感じられてしまうというのは、なんとも不思議です。
50系客車は、交流電機やディーゼル機に牽引されることになっていたために、あの赤色が
採用されたと記憶していますが、直流電機の牽引も想定されていたとすれば、無難に
マニ50と同じ青となっていた可能性が高いのでは、と思います。

「ゆとり」客車の場合、茶色味が強いせいか、50系ほどアクが強くないように思えますが、
それでもやはり赤系・茶色系の牽引機が最も似合ってるような気がします。

それと、485系御座敷車両活用案についてですが。
485系や183系の夜行乗車時に、すいてれば座席2人分に無理やり横になって寝てましたが、
それよりも快適な「カーペット車」式は、夜行バスと価格差が少ないのであれば、
それなりに利用されそうな気もします。
(とくに、「青春18きっぷ」利用可であれば、かなりの人気になるような?)
ただ、当のJR東が、基本的に夜行列車の運行に消極的と思えるので、これも実現性は
低そうに思えてしまいますが(汗)
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投稿者 クモイ103
投稿日 2010年 7月 3日(土)08時15分58秒
タイトル 混色編成
くらやみのまろ様

> 幼少期に「銀河鉄道999」をよく見ていた

そういう世代の方とこうした話題が出来るというのも考えてみれば面白く、この世界の奥深さを感じます(^^)。
私の場合、それに相当するものが「ゴナナ牽引の東北客レ」だったと考えても、あながち見当外れではないと思います。
何しろ自分で乗ることが出来なかったんですから。

> クモイ103様はわりと混色編成がお好みなのかと

よくご存知で(笑)。ただその源流は実は客レではなく、
小学生時代に激しい混色編成の嵐が吹きまくった、地元京浜東北線の103系電車だったりするのです。
その後高校時代にかけて首都圏の他線区でも101系や103系の混色編成を多々見聞するに及び、ますます深みに嵌りました。
客車の青+茶色が好きというのは後付けでして。

当時の国電の混色編成では、当該線区本来のカラーでない車両には誤乗防止のための路線名ステッカーが貼られていました。
鋼製車の塗り替えは大変な手間ですからある程度の大ざっぱさはやむを得ませんが、
その中で良い意味での「役所」らしい几帳面さがあって、今考えるとある種の「恥じらい」すら感じます。
その延長上に、昨今のJR東日本で205系や209系の転属に伴い速やかにラインカラーを貼り替える対応があるのでしょう。

話が逸れましたが、そんなわけで昭和35年夏の急行「霧島」「高千穂」に組み込まれた
青大将色にハァハァしてしまうのでした(爆)。



投稿者 コスモス
投稿日 2010年 7月 3日(土)10時32分7秒
タイトル 北斗星1レ編成
2010年07月01日 北斗星札幌行き1レ

1号車 オハネフ25 8   Bコンパートメント
2号車 オハネ25 561   デュエット
3号車 オハネ25 564  デュエット
4号車 オハネ25 565  デュエット
5号車 オハネ25 551  ソロ
6号車 スハネ25 502  ソロ ミニロビー
7号車 スシ24 507   グランシャリオ
8号車 オロネ24 501  ツインデラックス
9号車 オロハネ25 501 ロイヤル+ソロ
10号車 オロハネ24 553 ロイヤル+デュエット
11号車 オハネフ25 214 B寝台
電源車 カニ24 507

7月1日上野発北斗星1レで函館まで、6号車スハネ25 502の上段ソロに乗ってきました。
帰りに青函トンネルの竜飛海底駅を見学しましたが、同駅部分は新幹線用の3本目のレールが敷設されていました。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 7月 3日(土)11時04分26秒
タイトル 羽幌線
▼ED76 109様:
>「北見市」を中心とする「ふるさと銀河線沿線」の協議会が「高速鉄道計画」を発表

ローカル色が選り強い旧十勝支庁域でなく、石北線経由の優等列車体系が確立されて
久しい北見市の周辺で、かかる計画が模索されたのは、意外に感じました。底流には
幹線としての「網走本線」時代を懐かしむ感覚が一部に介在したのかも知れませんが、
道内第二の都市である旭川を度外視した時点で、どのみち、無理があったと感じます。

旧池北線と同様、総延長が 100kmを越えた非盲腸線で廃止された道内の路線は、他に
深名・名寄・羽幌・天北線が挙げられます。路線長が旧池北線とほぼ同じ羽幌線では、
廃止前年(1986年)まで、札幌直通急行「はぼろ」が運転されていましたが、これは
幌延折返しでした。やはり旭川を度外視する事になりますが、ふるさと銀河線と同様、
宗谷線急行の一部を羽幌線経由とする構想は無かったのか、とも感じます。

なお、札幌〜稚内の高速バスは、銀嶺バス「はまなす」と宗谷バス「わっかない」が
共同運行しています。これらは、道央道から留萌線に並行する高規格幹線道路を介し、
正に上記、旧幌延線沿いの経路を辿っている様です。夜行便は小平町の「道の駅」で
上下便が「交換」する際、乗務員は互いに対向便に移り、元来た道を引き返すという
特異な体制との事。この経路だと、名寄経由より速達性が高いという事でしょうけど、
冬季の日本海からの吹き曝しは、運行の妨げにならないのでしょうか。

なお、旧羽幌線沿線(含留萌)と札幌とを結ぶ旅客需要は、稚内の手前の豊富で折返す
沿岸バス「はぼろ」が担当します。一日六往復体制のうち、予約不要の一往復が、厚田・
浜益・増毛経由と食指が動く内容ですが、極端な断崖絶壁が続く雄冬岬前後の区間では、
1981年に悲願の沿岸縦貫道路が通じるも、直後に崩落事故が発生し、1984年の復旧まで、
更に「陸の孤島状態」が続くという御苦労があったそうです。

もし、ひたすら日本海を眺める趣旨で、行楽期に「わっかない」「はまなす」臨時便を、
この雄冬岬や手塩以北の海岸道路経由で設定したら、私は多分、宗谷線の特急ではなく
こちらに「浮気」する事でしょう。その一方、宗谷バスの旭川〜稚内便は、今春限りで
運行が中止されているそうで、ひとまず、宗谷線特急の面目躍如と思われますが、現在、
名寄界隈まで到達した高規格道路は、最終的に稚内まで延伸される予定との事ですから、
宗谷線(特に名寄以遠)にとっては依然、予断を許さない状況が続くと感じます。



 
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