倶楽部メモ(607)
平成22年 6月23日〜 6月26日

釧路界隈の話 ・ 急行色 vs 準急色


投稿者 雑魚
投稿日 2010年 6月23日(水)15時23分7秒
タイトル 大村線
大村線は、その風光明媚な車窓風景を好感しますが、筑豊地区の印象が強い、キハ66・
67系の運用は意外でした。これは、昼行客レ(50系)完全淘汰を招来した、2001年の
筑豊・篠栗線電化を受け転入「シーサイド・ライナー」にも供される中、第一編成が
急行色に回帰した為なのですね。車内は近郊型、塗装は急行色という仕様に、永らく
炭鉱の印象が強かった筑豊地区との、妙な整合性を感じたものです。

昨年の「富士/はやぶさ」廃止に伴うイベント運用の設定を受けて、九州ではむしろ、
彼方此方で「ブルトレ」が拝める事となり、地元「撮り鉄」には大いなる福音ですね。
大村線も然る事ながら、大村市西部町から湾越しに見える長崎線(旧線)東園前後も、
良い構図が得られそうに感じます。

長崎県は、十数年前、長崎市内とハスウテンボスの掛け持ち旅行以来、御無沙汰です。
投宿先は、長崎駅前のホテル「ニュー越谷」もとい「ニュー長崎」でした(^^)当時、
長崎駅は従前の三角屋根仕様から新装へ移行中でしたが「アミュ・プラザ」建設前で、
事前に「西側上階」と指定した部屋から、期待通り稲佐山を背景に、長崎駅は素より、
長崎港、そして数編成のブルトレが屯する側線群も良く見渡せました。この眺望性は
現在「アミュ・プラザ」上階の「JR九州ホテル長崎」に移行したのでしょうね。

かつて、長崎駅から岸壁沿いに、更に南側へ 1kmほど、長崎港の専用線が延びており、
上海航路に接続するボート・トレインが往来したそうですね。上記訪問時、専用線は
既に撤去済みでしたが、完全に「屋内頭端化」する前の長崎駅では、同線路に繋がる
スルー構造のホームが、電柱・架線もその侭に、線路のみが舗装され、駐車場として
暫定利用されるという、過渡期ならではの「トワイライト」風味が見られました。

長崎→ハウステンボスは、キハ183系 1000番台を充当した特急「シーボルト」で移動。
展望席を確保し、大村湾の眺め、および、大村・川棚両駅にある「謎の電化区間」を
じっくり堪能しました。その数年前は、筑肥・松浦線経由で博多と長崎を結んでいた
急行「平戸」で乗りました。松浦線ならではの迂回経路や、筑肥線電化後の唐津始発
体制など(密かに、姪浜始発体制を期待していました)異色尽くしの存在でしたねぇ。

長崎県といえば、島原鉄道も色々な思い出があります。地元・ひたちなか海浜鉄道で
今年から「急行色」となり、人気を博しているキハ2005形に、期間限定でも良いので、
いわゆる「赤髭」を描き足し「なんちゃって島原鉄道」を演出して欲しいと思うのは、
私だけでしょうか(^^)




投稿者 雑魚
投稿日 2010年 6月23日(水)17時40分16秒
タイトル 更に釧路界隈の話
▼ED76 109様:
>「釧北峠」の手前である「道内最寒の地、陸別」に入りますと、ここには
>「旧銀河線の運転シミュレーション施設」がございます。

陸別といえば「立木の凍裂」が名物ですね。特例で、北見の道立高校への越境通学が
認められていましたが、ふるさと銀河線の廃止で、自宅通学が覚束なくなった生徒の
追跡取材を以前、NHKで放映していましたっけ。

現在でも線路が其処彼処に残っているそうで、廃線跡の訪問時は、熊出没の可能性も
考慮する様に、との注意喚起を仄聞します。先日は、熊ならぬ大量の牛が、釧北峠を
彷徨っていた様です。個人的には、線路以上に「ハエタタキ」が原型で残っていれば、
それだけで渡道の価値ありです(^^)

> 春採湖畔や太平洋など(中略)スケール感の溢れる写真が撮影できる

春採でコンベアから受けた石炭を、貨物船に積込む知人の埠頭まで運ぶ仕組みですね。
それにしても、完全に孤立した全長 4kmの貨物線が、良くぞ、存続しているものです。

以前、仕事上の知人と飲んだ際、釧路湖陵高の御出身と聞き「釧路で湖とは、釧網線
沿線ですか?」と聞いたら、実は春採湖の事なのでした。道東でも指折りの進学校と
聞いていたのですが、なるほど、合点です。

>「釧路コールマイン」として生まれ変わった「太平洋炭砿」の構内軌道が一部現存

改めて調べると「釧路コール・マイン」興津変電所の辺りにあったと思しき鉱業所で、
海底からインクライン経由で運ばれた採炭を受け、臨港鉄道の春採まで輸送していた
様子ですね。それなら、臨港線の支線が直接乗り入れた方が、話が早いと感じますが、
それはさて置き、1989年のベルト・コンベア化への移行で廃止されたと聞くこの軌道、
そちらの御指摘からすると、一部に線路を含む施設が残っているという事でしょうか。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 6月24日(木)21時02分7秒
タイトル Re.更に釧路界隈の話
  おばんでございます。「ED76109」であります。

 雑魚様
 >線路以上に「ハエタタキ」が原型で残っていれば

  撤去費用があれば・・・ですが、「釧北峠」越えの辺り「小利別・置戸」間は現存しているとの話であります。
 しかし、以前記しましたように「静内・浦河」が昭和30年代の風景のようなイメージであります。
 再訪されんことを希望致します。

 >一部に線路を含む施設が残っている

  御意。本線は廃止になっておりますが、構内軌道は資材運搬のために現在も一部が残存しているとの情報
 (「レイルマガジン・ナンバー268(平成18年1月刊)」であります。
 富士山は見えませんが「興津」という辺りであります。

 失礼致しました。
以上、再来週ひょっとしたら「網走方面」への出張が入る可能性に、
淡い鉄旅の思い広がる「中年客車鉄ちゃん」でございました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 6月25日(金)09時51分28秒
タイトル 交通弱者は何時も放置
「ふるさと銀河鉄道」廃止で北見の高校へ自宅通学出来なくなった−−−−−−何時も
交通弱者は置いてきぼりですね。下宿するなら馬鹿にならない費用が掛るし。
廃止前に「特急運転」とか出来もしない事を主張していた某鉄道アナリストの無責任には
呆れます。有名人とは無責任な者が多いですな。

ED76109先生:
網走出張ですか−−途中で古巣の遠軽に途中下車でしょうね?



投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 6月25日(金)17時42分43秒
タイトル ひたちなか2005
地元の雑魚様には釈迦に説法でしょうが、吉田社長はキハ28、58系急行色が好きらしいです。
元々キハ26系は準急用だから黄色に赤線一本が本来の姿なのですが---
それから社長に車内放送のテープに「ハイケンスのセレナーデ」を使ったら、鉄道ファン
が喜ぶと提案したのですが、ハイケンスは1945年6月に亡くなっており著作権は切れて
います。
然し社長が「JRがどう言うか」と心配されていましたが、原曲そのままのメロデイー
ですから、JRに編曲の著作権は無いでしょう?樽見鉄道もPCがあった時代に使ってい
たし、秩父鉄道のC58牽引PCでも使っているので、心配ない-----とは社長に申しあげ
ましたが。



投稿者 さくら号
投稿日 2010年 6月26日(土)00時25分43秒
タイトル なつかしの「雲仙・西海」
「雲仙・西海」で東京、九州間を何回往復したことでしょう。
ハザはほとんど満席に近く東京までの道中は相席の方とみかんやおかしのおすそ分け、
大人は一杯飲んでいい気分、一宿一飯の仁義?があったようです。
当然禁煙ではなく、夏は窓を開けてました。たしかハネは網戸のシャッターがありました。
当然冷房なし。冬は窓が曇り隙間風が入るのでちり紙を詰めたりしました。
足元の蒸気暖房のスチームが「バキッ」と音をたて、窓の外ではゴハチがSGの蒸気につつまれていました。
雪ばれの朝、赤とクリーム色の151系「こだま」が軽快に通り過ぎたのが50年近くなって瞼に鮮明に残っています。
長々と子供の時に乗った「雲仙・西海」の思い出をかいてみました。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 6月26日(土)10時14分42秒
タイトル ふるさと銀河線の 「ハエタタキ」
▼ED75 109様:
>「釧北峠」越えの辺り「小利別・置戸」間は現存しているとの話であります。

峠越え区間は確か、画像左側の三段型でしたね。うろ覚えですが、三セク前の陣容は、
旧十勝支庁域も大体このタイプで、道内では、札沼線・日高線・標津線・勇網線でも
見られたポピュラーな型かと存じます。画像右側の二段式は、置戸以遠の作風でした。

前出の越境問題に関して寄宿舎の分布を調べたところ、道東の高校では、士幌・標茶、
そして、実習に伴う泊り込みの可能性が高い厚岸水産くらいしか該当例が見当たらず、
少し意外でしたが、その分、学区を細分化して通学負担を軽減する考え方でしょうか。
私の処は、水郡線沿線から逸れた山間部の生徒が、毎年数名、下宿していましたっけ。




投稿者 雑魚
投稿日 2010年 6月26日(土)10時59分6秒
タイトル 急行色 vs 準急色
▼マロネロ38様:
> 吉田社長はキハ28、58系急行色が好きらしいです。

湊線の国鉄型キハの塗装では「急行色」のみが転換後の導入ですが、1964年生まれの
社長さんにとって、当該塗装は、非電化の国鉄非幹線における「優等色」との印象が
強いと思われ、趣味本位で湊線を訪れる愛好者の共感を得ると判断されたのでしょう。
それだけに、かかる車両は週末にこそ運用して頂きたい処ですが、車両保守の都合か、
通常は軽快型の運用に終始する事が多い様です。なお昨日は キハ205が稼動しました。

> 元々キハ26系は準急用だから黄色に赤線一本が本来の姿なのですが ---

両親がまだ独身だった頃、常磐線では、この色が見られた様ですが、私自身、水郡線・
真岡線・烏山線の運用において、馴染みは皆無でした。当該塗装が導入された当時の
茨城交通が、どの様な判断で「急行色」を差し置いてまで「準急色」を採用したのか、
実は茨城では馴染みがあった色調なのか、そして、画像の様な「急行色+準急色」の
混色編成も、かつて実在したのか、その辺りが気になっています。




投稿者 ED76109
投稿日 2010年 6月26日(土)22時05分46秒
タイトル 往復700qの家庭訪問
 おばんでございます。「ED76109」であります。

 雑魚様
 >道内では、札沼線・日高線・標津線・勇網線でも見られたポピュラーな型

 「日高線の春立付近」や「札沼線の石狩月形・浦臼」辺りが、往年の姿で現存しているはずであります。
特に「春立付近」は、背景に「日高山脈」が望める絵柄が心惹かれる風景であります。
このサイズの「ハエタタキ」は「ローカル線の原風景」でもあります。

 >学区を細分化して通学負担を軽減する考え方

 本道は、「全ての職業高校には全道どこからでも出願可能」であり、
「石狩学区以外の普通科高校は定員の10%(石狩学区は5%)以内まで、全道全ての学区から出願可能」
という規定がございます。
ですから、「農業科(士幌・標茶)と水産科(厚岸水産)」は寄宿舎が設置されていても不思議はありません。
 以前、現任校の前の「札幌市内の普通科高校」に勤務していた折、新設校であったことから地方に人気があり、
3年生を担任した際に「釧路市内出身の生徒」がおりました。
「家庭訪問をしたい」という小生の希望に、事務方は協議を重ねて
「Rきっぷ利用の日帰り往復分の旅費」で出張を許可ということに。
しかし、「札幌・釧路」の往復約700qの「家庭訪問」は、
「鉄教師」には大変魅力的でございました(首都圏の公立高校では考えられないことです)。

 マロネロ38様
 >途中で古巣の遠軽に途中下車でしょうね?

 と言いたいところでありますが、道職員の規定では「札幌」から無条件で「泊を伴う出張」は
「江差(旧檜山支庁)」のみであります。
午後からの会議であれば、「函館」へは「スーパー北斗」で、「稚内」へは「スーパー宗谷」で、
「釧路」へは「スーパーおおぞら」で日帰り可能な場合は・・・。となっております。
 なお、参考までに「根室(中標津空港)」と「網走(女満別空港)」は、1日日程の会議等は
朝の始発便と夕刻の最終便で「新千歳往復」が可能となる日程が組まれております。

 長々と失礼致しました。
以上、釧路往復の家庭訪問は、当然「DCまりも夜行往復キップ」で
「ハネ」を利用した「中年客車鉄ちゃん」でありました。



 
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