倶楽部メモ(597)
平成22年 5月10日〜 5月14日



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 5月10日(月)17時37分36秒
タイトル はまかぜ
▼ユーラシア鉄道様:
> 湯村温泉(夢千代日記)浜坂温泉(浜坂町内はほぼ全戸温泉給湯)

以前、言及した記憶がありますが、湯村温泉を擁する温泉町と浜坂町は、2005年秋に
新温泉町として合併していますが、その命名を巡っては、首長の辞任をも伴う大きな
葛藤があった様です。余所者の勝手な 僭称的思いつきではありますが「山陰湯の町」
または「但馬湯の町」などとすれば旅人の琴線を擽るだろうか、と妄想するのでした。

> ちなみに浜坂港は、松葉かに水揚高日本一とのことです。

臨時特急「かにカニはまかぜ」定番化は 然もありなんですね。キハ181系も来年度で
引退と聞きますが、当該臨時枠は今後も残って欲しい処です。一方、鳥取発着需要が、
智頭急行線経由に一元化されつつある今日「はまかぜ」一往復の鳥取直通枠は、今後、
どうなる事やら。

和田山まで延伸した高規格道路の目的地は豊岡で「はまかぜ」だからこそ網羅可能な、
以遠の非電化区間での地位は、当分、安泰の様にも思えますが、如何せん沿線人口が
少ないですね。当該区間を、寂しいと思うのは、城崎温泉で電化が途切れる事に加え、
並行する「一桁番号の国道」がこの区間を避けている事情もあり、特急が度外視する
益田以遠についても、同様の印象を受けます。

それゆえの風光明媚さが長らく、山陰線の風物性を象徴して来たとも言えそうですね。
RJ誌でしたか「車窓風景の良さと沿線人口は、反比例する」とは、蓋し名言ですが、
山陰線の様に、情緒面が先行しがちな「ローカル線」の厳しい現実を改めて感じます。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 5月10日(月)18時04分9秒
タイトル 甲子園 応援列車
▼ED76 109様:
> 昭和57年の盛夏に利用した「銀河51号」は完全に「満席」

その結果、球場で「熟睡」とは、本末転倒も甚だしい様な(^^)残念ながら、母校の
甲子園出場は半世紀以上ありませんが、入学直後、進学先を誤ったと思い込んだ程に、
バンカラ応援団の指導は厳しく、球場で居眠りしようものなら……(冷汗)その一方、
全国紙による貴校関連の高校野球の頁で、昨年の夏に書き込まれた、貴兄と思われる
応援メッセージを発見し、その熱い母校愛に襟を正しております。

甲子園と云えば、日本海縦貫線系統経由の応援列車ですと、ブルトレが仕立てられる
事例が多かった様に思います。あくまで臨時、しかも「勝って何ぼ」という運用上の
不確実性が伴う為、車輌具備の問題もあり、かかる運用は、既に減少気味でしょうが、
北陸新幹線の金沢延伸とバーターで取り沙汰されている「日本海」の命脈次第、とも
勘ぐっています。

12系の集約臨を仕立てた中学時代の修学旅行が、殊更に懐かしく感じられる昨今です。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 5月10日(月)21時11分11秒
タイトル 高校野球臨
もう見られなくなりましたね。C59が西からスハフ32、オハ35、スハ32のW屋根などを
牽引して甲子園口に臨時停車しているのを見ましたが、東からのは大阪止めで国電阪神に
分散乗車??
甲子園の時は急行電車が臨時停車しましたが、それが63型x4連とかの臨急!!!!!も--
の酷いのがありました。完全な輸送力列車ばかりで---客捌きが上手な阪神電鉄も当時の
野田から、浜甲子園行きの金魚鉢x2連の直通を出して客捌きに努めていました。
ED76109先生のメッセージは見落としました。惜しかったです。

雑魚様の応援団が厳しいは何処でもですね。私の高校生時代も度が過ぎて学校側主導で
学生大会を開いて、応援団一時解散決議をしたり------同窓会で「応援団=暴力団だった」
と元応援部OBが白状した程です。  半世紀も甲子園に出ていない−−−半世紀ならまだ
良い方で、私の母校など70年ぶりで奇跡的に県大会で優勝。今年はどうやら見込みナシ
です。

今や応援はバスや航空機、新幹線、フェリー利用ですが楽になったものだと思います。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 5月11日(火)00時30分46秒
タイトル もう19年出場していないんです・・・
 場違いな題名で恐縮しております。「ED76109」でございます。

 先達の皆様方
 >昨年の夏に書き込まれた、貴兄と思われる応援メッセージを発見

  恐縮です。出たがりの小生、様々な「新聞」等に「ED76のHN」で出没しております。
 昨年の夏は、久しぶりに「ベスト16」になりましたので、張り切って・・・の途端、敗退!!(滂沱)
  今年も応援致します!!

    それでは、今回は「母校愛(?!)」に係る「戯言」を申し上げます・・・。

 1 昭和55年の正月、「全国高校ラグビー選手権大会」の決勝に母校が駒を進めました。
  「鉄研」のメンバーでせっかくだからと、私設応援団を結成(?)して「347М」で西下することに・・・。
  「大垣」から「湘南色」に乗り、「京都」から「近鉄」で「花園」入り。
  結果はノーサイド寸前に「大逆転負け」を喫してしまいましたが、
  最も印象に残っているのは「生駒」からの「石切」へ下る「大阪平野」の眺めでありました。
  当時、小生は殆ど「関西の私鉄」は未征服であり、「生駒隧道」から「滑るが如く」に下る「車窓」と
  「厳冬の澄み切った浪速の空の美しさ」に釘付けになった記憶がございます。


 2 昭和56年の夏に母校が「甲子園」に出場した時は、新幹線で西下しました。
  ОBとして「アルプス席」で声を枯らしましたが、結果は「2対3」の惜敗。
  しかし、帰路の「こだま」の車内は閑古鳥の長閑なムード。
  悪友4人で最後尾の「ワンボックス」を占領して、車販嬢を「拉致」せんばかりに「アルコール」等を買い占めて、
  妙に盛り上がりました。
  「豊橋」、「浜松」、「小田原」と長時間停車のたびにホームで買い物。
  小生、初めて「新幹線」で「旧客鈍行レ」の如くの最初で最後の「旅」を味わいました。


 3 母校が「夏の甲子園」に2度目の出場を決定した際は、すでに「新得」に在しておりました。
  そこで出場が決定するや、とにかく「大阪」までの「ルート」確保に必死になりました。
  しかし、「日本海」も「北斗星」も当然満席。
  「トワイライトEXP」は最初から相手をしてくれない「新得の窓口氏」では話にならんと、
  「DCおおぞら」で「札幌」へ・・・。
  「臨時PC十和田」も「臨時PCおいらせ」も満席ということで、小生「新幹線乗り継ぎで・・・」と言いかけた時、
  「いや、『臨急』があるんでないべか。」と窓口氏が「マルス」から、とある「ハネ」を叩き出してくれました。
  それは「臨時PC急行あおもり」。しかも「20系仕立て」のオマケつき。
  寝台幅は「52cm」と少々狭かったものの、往復とも「20の柔らかな走り」を
  15年ぶりに満喫したのでありました・・・。

 長々と失礼致しました。
以上、「愚妻の母校」も「昭和59年の北北海道代表」として「甲子園の土」を踏んでいる
「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 太田拓也
投稿日 2010年 5月11日(火)17時33分10秒
タイトル 実はこの前乗ってきました
久しぶりにやって参りました、おそらくこの掲示板では最年少であろう太田拓也です。

話題になっている余部鉄橋ですが、私はキハ181系の乗りおさめを兼ねて
4月25日に浜坂まで行ってきました。
しかし浜坂は電化で特急が減って寂れているように見えました。
特急接続も兼ねて「瀬戸内マリンビュー」のような
リゾート列車を走らせてはどうでしょうか。
幸いこの区間はキハ47オンリーで運用の手間もありませんし。

▼雑魚様

>臨時特急「かにカニはまかぜ」定番化は 然もありなんですね。
キハ181系も来年度で引退と聞きますが、当該臨時枠は今後も残って欲しい処です。

キハ189系の投入数から見て臨時運用は計算しているものと思われます。

>はまかぜ」一往復の鳥取直通枠

ダイヤ的に兵庫県北西部から県庁への足として残しているようですね。


>高校野球
私の母校も数十年ぶりというレベルです。
地元出身なので甲子園球場は馴染み深いのですが。
それにしてもマロネロ38様、昔は甲子園臨が甲子園口に停車していたとは驚きです。
私の世代だと全然聞かない話ですので。(梅田で阪神乗換えばかり)
投稿者のホームページ



投稿者 ど素人
投稿日 2010年 5月11日(火)22時47分40秒
タイトル 1987年/中国
ユーラシア鉄道 さま、

私は1987年の春、
杭州→上海を、中国の一般乗客の利用する列車(軟座車)に乗車しました。
上海到着が午前3時台というスジでしたが、上海はその時刻ですら人々々......
軟座車は満席で、ボックスは中国人と相席でした。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 5月12日(水)09時13分22秒
タイトル 列車事故
▼太田様:
> キハ189系の投入数から見て臨時運用は計算しているものと思われます。

それで一安心しました。画像検索から、既に一次投入は行われた様に見受けられます。
今時の面構えながら、特急運用に相応しい風格を感じます。

> ダイヤ的に兵庫県北西部から県庁への足として残しているようですね。

県庁とは 神戸(兵庫県庁)の事と思いますが、鳥取直通 2・5号のみ独自に停車する
岩美は鳥取県域ですので、岩美からの大阪志向、鳥取からの浜坂・豊岡志向、そして
山陰線が一体的な幹線として機能していた「古き佳き時代」の名残、そうした要因を
踏まえた所産か、とも感じています。

> 昔は甲子園臨が甲子園口に停車していたとは驚きです。

現在でも、柵で閉鎖されている下り外側の通過線が「一応」臨時便の停車に対応した
構造になってはいる様ですが、実際の運用では一律、大阪乗降なのでしょうね。

▼ど素人様:
> 上海到着が午前 3時台というスジでしたが、上海はその時刻ですら人々々

翌年に発生した「上海列車事故」の予兆を窺わせる状況ですね。中国が、文革時代と
決別して「改革開放路線」に移行してから僅か数年後(旅客移動制限も緩和されたと
聞きます)急増する旅客需要に、信号管制などのインフラ整備が追いつかず、事故の
発生は、ある意味で必然的ではないか、と云う報道論調すら仄聞した記憶もあります。

国鉄が分割民営化された当時の日本の感覚で「前時代的」客レでの悠久の大地の旅は、
確かに情感溢れるものだったのでしょうけど、法的責任こそ認定されなかったものの、
事前の下見(現地の状況確認)が、個人旅行で済ませられるなど、余りにも不十分と
法廷でも指摘があり、海外での鉄道旅行を巡り、色々と考えさせられた一件でしたね。

僅か三年後、やはり車輌大破を伴った信楽高原鉄道の事故では、より多くの犠牲者が
発生してしまったのですね。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 5月12日(水)11時01分2秒
タイトル 甲子園臨
C59牽引の雑多な客車が(5−6両??)停まっていたのを見たのは昭和30年前後?
に一回だけです。上り列車の場合乗り換えさすなら神戸駅1番ホーム(つばめ、かもめ、
17−18レが戦時中迄発車していた)しかありませんが、そのときはスジの都合で停めた
のでしょう。どうせ回送は宮原までですから----。下りは大阪ぶちまけだったと記憶し
ます。
63型の急行電車が甲子園口に臨時停車していたのには、面白半分に三ノ宮から立花まで乗車
券を買って、甲子園口から後続の各停に乗り換えたりしました。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 5月13日(木)00時46分2秒
タイトル 「ブルトレ学園」ってご存じですか?
  おばんでございます。「ED76109」であります。

  高校野球に係る「鉄」話で盛り上がっておりますが、小生は「野球ファン」でもあり、
特に「漫画家の水島真司」さんの作品には「鉄」の香りが感じられる部分が・・・。
そこで、次のような戯言をさせて下さい。

  「水島真司」さんの作品に「ドカベン」がございます。
「神奈川県」にある「明訓高校」に「山田太郎」という超高校級の捕手が入学して、「甲子園」で大活躍する・・・
というストーリーなのです。
さて、その作中には様々な「強豪校」が「明訓高校」に挑戦するのですが、
その中に「ブルトレ学園」という「静岡県代表」の高校がございました。
設定上は、「鉄道に従事する人材育成」を目的とした「東京のI高校」や「東京のS学園」のような高校なのですが、
そのメンバーが次の通りなのでした。

 1番・ ピッチャー はやぶさ(隼)    2番・サード あさかぜ(朝風)
 3番・キャッチャー みずほ(瑞穂)  4番・ファースト さくら(桜)
  5番・ライト いずも(出雲)          6番・センター せと(瀬戸)
  7番・レフト 金星(金星)            8番・ショート ふじ(富士)
  9番・ セカンド ゆうづる(夕鶴)

そして、指揮には「明星」監督が・・・。
確か、試合は「第4試合」で「ブルトレ学園」が「ナイトゲーム」に持ち込んで、
「明訓高校」に一泡吹かせようとするのですが・・・。
といった「ストーリー」だったと思います。
小生が、最も印象に残っているシーンは、ピンチの場面で「キャッチャーのみずほ」君が
「ピッチャーのはやぶさ」君に、「今、『はやぶさ』が静岡を通過するところだぞ!!」と激を飛ばすと、
「よし」と「はやぶさ」君が勇気を奮い立たせて・・・という下り。
小生、奇想天外な発想に爆笑した記憶がございます。
 しかし、考えてみれば「ブルトレ学園」のナインは、全て「鬼籍」入りしてしまっております。
「夜行レ削減」の現状では、「就職指導」も覚束ないのではという要らぬ「心配」をしそうであります。
 また、「水島真司」氏には「あぶさん」という名作があります。
主人公の「景浦安武」(『福岡ソフトバンクホークス(南海ホークス)』の架空選手)が、郷土の「新潟」入りするのに、
「「白鳥」ではなく、「ひかり」と「とき」の乗り継ぎの方が速い」であるとか、
大阪にやってきた母親が帰郷する際に「この時間じゃ、『つるぎ』には間に合わん」とか言わせるシーンがあり、
「水島」氏も少々「鉄」的な漫画家なのではと考えたりしております。

  長々と失礼致しました。
以上、「道民球団の4連勝」に一縷の望みを見いだした「中年客車鉄ちゃん」でありました。
(本サイトの趣旨にずれている部分、失礼致しました)



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 5月13日(木)10時32分28秒
タイトル 存じてますよ
▼ED76 109様:
> 設定上は、「鉄道に従事する人材育成」を目的とした

その中でも確か、夜行列車の要員養成に特化した設定と記憶します。ブルトレが依然
花形列車と見られていた時代ならではの感覚ですね。

>「今『はやぶさ』が静岡を通過するところだぞ!!」と激を飛ばすと、

確か「○時○分、地元だぞ」「よし、抑える」と云う台詞でしたね。もし撮り鉄なら、
気も漫ろになって、試合どころではなくなるかも知れませんが(^^)

>「白鳥」ではなく「ひかり」と「とき」の乗り継ぎの方が速い」であるとか、
> 大阪にやってきた母親が帰郷する際に「この時間じゃ『つるぎ』には間に合わん」

御出身が新潟で、漫画家としての修行時代を大阪で過ごしていますから、両都市間の
移動には色々と思う処があるのでしょう。また、在阪時代の思い入れの産物と思しき
作風は「男ドアホウ甲子園」等にも見られます。最終巻では、引退間近だった巨人の
長島選手を相手に、新大阪駅の新幹線ホームで「私闘」を仕掛ける場面がありました。

また「ドカベン」では、関東大会決勝で赤城山高校を制し「春の選抜」に出場した際、
主人公が阪神電車を梅田まで往復する場面もありますが、これは、揺れる電車の中で
捕手座りを安定させ、かつ高速で通過する駅の看板を読み取る動体視力の鍛錬でした。

この漫画に限らず、宿敵を擁する高校の命名感覚では、作者の地理感覚が窺えますね。
高校編の最初に対戦した「白新学院」には「神奈川県にあって新潟県内の路線名とは
これ如何に?」と感じたものですが、正確には、白新線の命名の由来である越後線の
白山駅に近い、作者の出身中学名だそうですね。

これに関連して、新潟と新発田を結ぶ路線が「新新線」ではなく「白新線」となった
経緯についても、信濃川で市街が大きく二分される新潟の街で、どこに中央停車場を
設けるかと云う葛藤の歴史が窺え、鉄道路線名は時として、奥の深さを感じます。

あ、そうそう。明訓高校が初黒星となった対戦相手・弁慶高校は(恐らく、応援団の
名物行事に基くのであろう)ど素人様の母校がモデルとの説もあるとか。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 5月13日(木)21時53分51秒
タイトル ついに、「第三セクター」の提案が・・・
 おばんでごさいます。「ED76109」でございます。

 ついにと申しますか、やはりと申しますか。
本日の「北海道新聞・朝刊」に「北海道新幹線札幌開通後」の「函館本線(函館・小樽間)」の処遇について、
以下のように報道がなされました。

 1 「JR北海道」は、「北海道新幹線」が札幌に延伸した場合、
  並行在来線となる「小樽−函館間(253キロ)」の経営分離を表明した。
  そのため、「沿線自治体による路線維持」もしくは、「バス転換」が避けられないため、
  沿線自治体の反発は必至とみられる。
  同意取り付けに向けた協議は難航が予想される。

 2 「JR北海道」は、「札幌延伸」で新幹線に利用客が集中することから、並行在来線の経営維持は困難と判断し、
  「小樽・函館間を経営分離したい」と述べた。
  「札幌・小樽間」は、札幌、岩見沢、千歳を含めた都市間移動の需要が見込めるため、
  JR北海道が経営を続ける考えである意向である。

 3 経営分離区間には「函館・新函館(渡島大野)間(18キロ)」も含まれる。
  函館市は新函館から市中心部へのアクセス確保のためJRによる経営継続を求めているが、
  「札幌−小樽間に比べ輸送人員はかなり少ない」として、難色を示している。


 ついに、新幹線延伸に伴う現実が突き付けられた感であります。
「函館・新函館」も第3セクター化とは、厳しいですねぇ・・・。
「ニセコ」「北海」そして「旧客レ」が鬼籍入りして、はや25年。
いよいよ、「山線」にも終焉の時が近づいているようです。

 失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃんでありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 5月14日(金)14時31分18秒
タイトル 新函館
▼ED76 109様:

JR北海道の台所事情を考えれば、予想された事ではありましたが、改めての言明に、
来るべきものがついに来た、と云う印象ですね。

> 新函館から市中心部へのアクセス確保のためJRによる経営継続を求めているが

運賃の通算制を度外視すれば、函館〜新函館は、新幹線との接続を勘案したダイヤで
リレー列車を走らせれば良い訳ですから、その点だけを考慮すれば、引き続きJRが
運営するべき必然性は、必ずしも無い、という論法でしょうか。もし、新函館以北も
三セク扱いで存続できた場合、ここを境に、事実上の一体的な路線が、複数の会社に
跨る事となり、管理面や安全面で、少々腕組みモノかも知れませんね。

また、速達列車体系上の拠点駅が郊外地に移る事で、南北に長い函館の市街は素より、
湯の川温泉や上磯(北斗市主要地区)の位置関係を考えると、新幹線から乗り換える
旅客導線自体が、ある程度、分散する可能性も考えられます。要は、函館の中心街が、
函館線のJR運営を必然ならしめる程に、今後も求心力を発揮するか、という側面も
加味されるのではないかと感じます。

その新幹線、12月 4日に新青森延伸開業が決定。東京〜新青森で来春から運転される
新型便の名称には「はやぶさ」が採用され、九州新幹線「さくら」共々、ブルトレの
愛称が東西相揃って復活した格好ですね。一方「スーパー白鳥」も新青森で新幹線に
接続する体制が確定した様で、そうなると、車輌属性上、新青森直通が煩わしそうに
思える「はまなす」の処遇が、またしても気になり出すのでした。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 5月14日(金)16時42分49秒
タイトル 国鉄分割は大失敗
国鉄分割は大失敗でしたね。故橋本龍太郎首相も言って居ました。
分割せずに資本形態だけ、旧南満州鉄道の如く「民間50%、政府50%」に変更するだけに
止めておいて、新幹線だけ別会社設立(同じ比率の資本形態で)でやれば良かったのに。、
分割問題が出たときに、この案を2−3の新聞の読者欄や鉄道雑誌に送ったが、全部没でした。
バラバラにしたから、役所と民間企業の欠点だけが強調されて夜行列車廃止や廃線続出に
なったのでしょう。北海道など名寄本線や羽幌線まで廃止したには驚きましたが、天北線
なども以前は本線だったのに----です。
鉄道が「公共事業」なる大前提が忘れ去られているのが恐ろしいです。



               
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