倶楽部メモ(590)
平成22年 4月 9日〜 4月12日



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2010年 4月 9日(金)00時06分45秒
タイトル またバンコク
 タイ国の首都、バンコクでこの4月初頭に撮影したものです。3枚とも、同じ列車のものです。
下関行き「あさかぜ」として使われていた車輌もあるようです。

 じつはこれ、前にも見たことがあるのですが(その時は写真を撮りませんでしたが)、
今回見ると明らかに外側は清掃されています。
タイ関係のサイトでは、この4月中旬のソンクランの臨時増発列車として使われるとの情報もありました。
自分は直接確かめていませんが、そうなのかなぁとも思えます。

 ソンクランは、タイでは盆と正月が一緒に来たようなもんで、首都バンコクから田舎へ帰省する人が多いです。
水掛け祭りとしても知られています。




投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 4月10日(土)11時04分31秒
タイトル バンコク
昭和57年に出張で1週間程滞在しましたが、曇天の日でも日焼けする所ですね。
パヤタイロードと東南部方面行きの、複線ですが単線2方向の踏み切りの所に簡易
昇降場があり、ホテルの近くなので東急車輛製らしいDC2連や前部警戒色のDL牽引の
普通列車を撮影しました。今はブルトレの第二の職場ですか。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 4月10日(土)13時42分51秒
タイトル 「山線」の将来は・・・
 失礼致します。「ED76109」でございます。

 本日、当地のNHKローカル「おはよう北海道」で、北海道新幹線開通後の「函館本線(函館・小樽間)」の在り方について、
「後志管内の市町村長」と「JR北海道」の代表者等が一堂に会しての諮問会の開催が報道されました。
結論から申しますと、新幹線開通後は「函館・小樽間についてはJR北海道は経営から離れ、
第三セクターによる経営が望ましいという方向性が示唆された」とのことでありました。
席上、「小樽市長」及び「倶知安町長」からは「新幹線への期待感」が感じられたとのことでしたが、
沿線の「余市町長」や「共和町長」からは「第三セクター化は『函館本線の事実上の廃止』に等しい。」との失望感が強く、
議論は終始平行線であったとのことでありました。
先達の皆様には、「長大四線(名寄本線・標津線・天北線及び池北線)」の末路をご存じであるため、
この結論は、事実上の「新幹線開通後の山線廃止」決定とも取れなくはありません。
「JR北海道」の将来が見えてくるようで、小生言葉を失いました・・・。

 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 4月10日(土)17時47分23秒
タイトル 旅客需要の目安としての人口分布
>「第三セクター化は『函館本線の事実上の廃止』に等しい」との失望感が強く、

三セク移行を経て、結局は廃止された幾つかの事例を見ると、確かにそうした印象を
受けるかも知れませんね。個人的には、その典型が、のと鉄道である様に感じますが、
北陸新幹線開業に伴い三セク化が取り沙汰されている七尾線の対策として、石川県が
鉄道経営の手法を温存すべく、穴水以南を存続させている、という事情もある様です。

> 議論は終始平行線であったとのことでありました

新幹線駅設置予定の有無で、明暗が分かれた様ですね。一方、函館・小樽・札幌への
通勤・通学需要が、ある程度、見込める渡島大野以南や余市以東を除くと、新幹線の
有無にかかわらず、ローカルな旅客需要だけで鉄道事業を成立させる為には、余りに
沿線人口が少な過ぎる印象ですね。

道内の人口動態は、寒冷地という特質から、特定都市圏への集中が他地域より顕著と
見受けますが、函館線沿線である渡島・後志総合振興局(旧支庁)では、函館の28万、
小樽の13万だけで、全体の六割を越えるという偏在振りです。それ以前に、札幌市が
全道の実に 1/3 を占めていますからねぇ(溜息)



投稿者 雪だるま
投稿日 2010年 4月11日(日)12時39分42秒
タイトル 苗穂工場
先日から苗穂工場内に785系の先頭車2両の運転台の窓を綺麗に整形してふさいだものと客用ドアをふさいだもので
それぞれに青函用の黄緑を先頭に塗ったりドアのみ塗ったり塗装の評価試験をしているようです。
今日は苗穂駅ホームから見ることが出来ます。

分かりずらい文章ですいません。



投稿者 高速貨A
投稿日 2010年 4月11日(日)22時00分26秒
タイトル 旅先で見た客車
私は土木関連の仕事に従事しており、普段は北海道在住ですが冬期間は本州方面にて働いています。
先週、冬期間勤務終了により北海道に戻りましたが、休暇を利用して「青春18きっぷ」による東京→札幌まで0泊2日
(フェリー深夜便にて青森→函館を移動)の旅行(移動)を実施しました。
当掲示板は客車列車に関する話題が主体なので、旅行(移動中)に見た客車列車について報告いたします。

・大館駅にて
青森発大阪行寝台特急「日本海」を見ました。電源車を含む9両編成でした。
外から見た感じですが、室内は空席が目立ちました。
またBネは秋田まで指定座席扱いなので、当然ながら寝台セットしていませんでした。
寝台セットといっても、シーツを敷いてカーテンするだけですが)

・青森駅にて
青森駅3番ホームに到着。4番ホームには札幌行急行「はまなす」が出発待ちしていました。
7両編成で、ドリームカーおよび自由席は、ほどほどに混んでいました。
(車内に立ち入っていないので寝台車の混み具合は不明です。
なお前述の日本海は、秋田まで指定座席扱いのためか、通路側・室内側ともにカーテンを下ろしていない状態でした)
18きっぷのみでは、急行「はまなす」に乗車出来ません。
かつて青森駅ホームで「ゆうづる」や「はくつる」の乗客を羨ましく思いつつ、
急行「八甲田」に乗車した時の事を思い出しました。

・五稜郭駅にて
札幌行寝台特急「北斗星」を見ました。私より約12時間遅く上野駅を出発したのに、追いつかれてしまいました。
また、五稜郭駅構内(または五稜郭工場)でキハ56とオハ50−5000番台が解体されずに留置していました。

写真を添付します。五稜郭駅で見た「北斗星」と「キハ56・オハ50−5000番台です」




投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2010年 4月11日(日)23時38分15秒
タイトル バンコク
 はい、日焼けする場所です(笑)。
 日本製ブルートレイン以外にも、日本の東急が製造した寝台車などが使われているとのことですが、
個人的にあまり詳しくないので、、、、

 駅の写真を。
帰省ラッシュが始まりつつあり人の多いロビーと、ブルトレではありませんが、客車列車です。

 今バンコクと言えば、死者も出る政治騒動で話題でしょうか。
これは4月初頭の撮影で、まだ大規模な暴動は起きていませんでした。




投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2010年 4月12日(月)01時24分45秒
タイトル 旧線探訪
 こんばんわ。
 ご無沙汰でございます。

 今はなき線路跡というものは、何かノスタルジーをかき立てる
「萌え」の演出要素で、関西では宝塚(生瀬)〜三田(道場)間
の福知山線旧線跡が有名ですが、博多では昭和60年にひっそり
と姿を消した「国鉄勝田線・跡」なるものが、遊歩道として整備
され、「志免駅」はプラットホームまで残して「志免鉄道公園」
となっております。

 列車の来ないレール軌道には「哀愁」と「郷愁」をとりまぜた
複雑なる心境からくる、現存時代への好奇心??など「鉄」しか
理解できない心情を察して頂けるものと思います。

 国鉄勝田線・志免駅(鉄道公園)や本日の行程の写真を2続投
で失礼致します。

<国鉄勝田線・志免駅・腕木式信号機が萌え> <国道向こう側の志免駅・腕木式信号機>
<国道で遮断された線路・ホーム>



投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2010年 4月12日(月)01時39分52秒
タイトル 旧線探訪2
 写真のみ続投させて頂きます。

<整備された遊歩道・突き当たりになんと
  「郷ひろみ」さんの和菓子店がありました>
<香椎線キハ40+47の扇風機はJNRマークのまま>
<往年の名選手の貫禄・キハ47+キハ40(長者原駅)>



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 4月12日(月)14時48分54秒
タイトル 廃線跡 モニュメント
▼ユーラシア鉄道様:
>「国鉄勝田線・跡」なるものが、遊歩道として整備され、

単なる廃線跡ではなく、記念施設として整備された事例としては、横浜MM21地区の
臨港線跡を転用した「汽車道」が代表的ですね。一部区間、盤木を敷き詰めた格好で
線路を残した遊歩道が、桜木町駅前から山下公園手前まで続き、トラスが残る鉄橋や、
線路を「跨ぐ」ホテル(ナビオス横浜)など、面白い趣向が連続します。現役時代は、
高架線が山下公園を横切るという大技もありました。

勝田線が廃止されたのは1985年。福岡市のベッド・タウンとして人口増が著しかった
沿線事情を考えれば、発展する機会は幾らでもあった筈ですが、当時の国鉄の体質か、
一日数往復のみという運行体制が放置されて、その後、篠栗線と香椎線の交差箇所に
長者原駅が設置された事を思えば、経営資源を有効に活かせなかった、実に勿体無い
事例だったと、今でも感じます。

宇美では、路線図の上で接続する香椎線の駅と、僅かに離れている点が有名でしたが、
その為、画像掲出された志免から酒殿まで貨物線が敷設され、その結果、吉塚・香椎・
志免で形成されたデルタ線で「かもめ」の方向転換が行われた事は、この掲示板でも
以前、取り沙汰された事がありますね。

吉塚に隣接していた「御手洗/みたらい」駅は、子供の頃に「厠」を思わせる語感を
面白おかしく感じたものですが、その後「御手洗」とは、神職が武士になった場合に
名乗る姓らしいと仄聞し、それを示す様に、志免町御手洗地区には八幡宮があるなど、
実は厠どころか由緒ある地名だったのではないかと、当時の無学浅学を恥じています。

>「志免駅」はプラットホームまで残して「志免鉄道公園」となっております。

我々、北関東人にとって、この種のモニュメントとしては、東北線西那須野を起点に
那珂川沿いの黒羽・那須小川まで達していた東野鉄道(1968年廃止)乃木神社前駅を
連想します。西那須野〜大田原の廃線跡は、自転車道に転用されており、当該駅跡は
駅名にある神社(全国に複数ある乃木希典陸軍大将の祭祀先の一つで、日清戦争後の
閑居先との事です)も相まって、閑静な雰囲気です。



 
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