倶楽部メモ(586)
平成22年 3月13日〜 3月18日



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 3月13日(土)16時15分35秒
タイトル 北海道の路線網
▼マロネロ38様:
> 北海道など、なんだか大正時代の鉄道地図に近いみたいで「これでよいのか」?

JR北海道は現在、路線総延長が 2,500qで、分割民営化前後に夫々 700q余りずつ
廃止になった事を考えれば、その規模縮小振りたるや、他の地域を圧倒していますね。

一方、水産業が「排他的経済水域」の制約を受け、地域経済が一元的に依存していた
石炭産業が、エネルギー事情の変化で衰退し、リゾート産業も拓銀の破綻(そもそも
同行は、開拓地向けの特殊銀行を前身とする固有の事情がありました)で、必ずしも
芳しくない状況にあるなど、鉄道維持を必然ならしめる人口分布を好転させる要因が、
札幌都市圏以外で感じられず、私は「これで良いのか?」と云うより、寧ろ「これで
済むのか?」と、腕組みしてしまうのです。

いわゆる「列島改造」の機運が、石油危機(第四次中東戦争)の影響で後退した事も
作用したであろう、1980年制定の「国鉄再建法」で、全国各地のローカル線が初めて、
本格的な見直しの対象になりましたが、昨今話題の「事業仕分け」が、かかる問題に
早期から関わっていたなら、70年代の道内路線網は、あり得なかったものと感じます。

本掲示板でも、色々と話題になっていますが、新幹線が予定通り、札幌に達するなら、
JR北海道の経営体力に鑑みて、相応の「バーター」もあると見るのが相当でしょう。

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TV番組のサイトによると、今夕のTBS「情報 7 days ニュース・キャスター」で、
案の定「特急廃止で『撮り鉄』殺到」という特集が組まれていますね。たけし御大が
こうした「撮り鉄」の振る舞いを、どの様に「斬る」のか、興味深い処です。



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2010年 3月14日(日)06時31分41秒
タイトル バンコク
 お久しぶりです。タイ国在住の者です。

 またバンコクへ行く機会がありました。写真をUPします。
ウボン・ラチャタニという場所へ行く列車です。宇都宮の富士重工だそうです。




投稿者 きむたお
投稿日 2010年 3月14日(日)21時39分0秒
タイトル 先週の客車特急
こんばんは、ご無沙汰しております。
さて、昨日、最終日を迎えた「北陸」ですが、廃止を一週間後に控えた3月5日、
同列車に乗車することができましたので、当日に見た編成など、報告いたします。

2010(H22)年3月5日大阪発 4001レ 特急「日本海」
EF81 48↑
カニ24 511
オロネ24 2
 オハネフ25 121
 オハネ25 218
 オハネ25 148
 オハネフ24 8
 オハネ25 38
 オハネ25 147
 オハネフ25 129


*EF81の「↑」は屋上抵抗器カバーのある向き。
*オハネ25 38のみ白帯、それ以外は金帯。


2010(H22)年3月5日金沢発 3002レ〜3012レ 特急「北陸」
EF81 150↓(長岡まで、3002レ)
・スハネフ14 30
・オハネ14 91
・スハネ14 752
 ・スハネフ14 27
 ・スハネ14 758
 ・オロネ14 703

・スハネ14 701
・スハネフ14 20(富山→上野:乗車)
EF64 1052↓(長岡から、3012レ)

*EF81の「↓」は屋上抵抗器カバーのある向き。
*EF64の「↓」は屋上排風口のある向き。
*700代の客車は金帯。
*EF81は赤2号塗色。

各停車駅は人でいっぱい、車内もカメラを持った人がウロウロ、
また深夜にもかかわらず大きい声で喋っている者多数で、
今までに乗ったことにある「北陸」とはまるで違う列車でした・・・。


2010(H22)年3月6日上野着 2022レ 特急「あけぼの」
EF64 1030↑
オハネフ25 202
オハネ24 7
 オハネ25 32
 オハネフ24 10
 オハネ24 552
 オハネ24 554
 スロネ24 553
 オハネフ24 12
 カニ24 109


*オハネフ25 202はゴロンとシート レディース。
*オハネフ24 12はゴロンとシート。
*オハネ24 7が白帯、それ以外金帯。


写真は、
1.原形洗面台が残るスハネフ14 20。
2.行き先の下に経由を記すための空白が残るオハネ24 7の方向幕。
3.もともと無愛想なカニ24 100ですが、雨どい外付けでよりカッコ悪くなったカニ24 109。




投稿者 きむたお
投稿日 2010年 3月14日(日)22時02分33秒
タイトル 3月6日、北関東を走る客車列車
3月6日、「北陸」で上野に到着、晩の「北陸」までの時間は関東鉄道の気動車を楽しんだりしましたが、
せっかく常総線を下館まで抜けましたので、さらに北を目指しました。

2010(H22)年3月6日 6002レ 「SLもおか号」
↑C12 66
・オハフ50 33↑
・オハ50 22↓
 ・オハ50 11↑(茂木→下館:乗車)
 DE10 1535↓(下館到着後の回送担当)

*C12はボイラーを前にして走行。
*客車の「↓」は方向幕準備側。
*DE10の「↓」は機関のある向き。

久々に乗る50系客車に感動!
蒸気暖房が通されており、停車時には足回りを白い湯気が包みます。
また、足元から暖房管の「キーン」という音が聞こえてきたときには磐越西線で乗った50系を思い出し、ジーンと来ました。
更に、この50系客車がいずれも元新カヌ車であることに気付いたときは、久々に泣きそうになる感動を覚えました。




投稿者 ED76109
投稿日 2010年 3月15日(月)21時02分39秒
タイトル 北海道の将来は・・・
 おばんでございます。「ED76109」であります。

 マロネロ38様
 >北海道など、なんだか大正時代の鉄道地図に近いみたいで「これでよいのか」?

 まず、「お尋ねの件」であります。
残念ながら「北海道鉄道史」、「北海道の鉄道」、「七飯町史」等を確認したのでありますが・・・。
事故自体の記述は発見できませんでした。申し訳ありません。
 ところで、「JR北海道の現状」は、正直「厳しい」ものです。
「雑魚様」の分析どおりであり、「札幌周辺」と「函館」、「旭川」、「帯広」、「釧路」を結ぶ「主要幹線」ですら、経営は・・・。
「函館〜新函館」、「新函館〜札幌」、「小樽〜札幌〜旭川」、「札幌〜新千歳」、「札幌〜苫小牧〜東室蘭」を結ぶ「鉄路」以外は、
「高速道」や「高規格道路」を「都市間バス」で繋ぎたいのが「本音」でありましょうか。
「北海道新幹線」開通の暁には、「江差線」は・・・(無念)。

 雑魚様
 >鉄道維持を必然ならしめる人口分布を好転させる要因が、札幌都市圏以外で感じられず

 平成3×年○月には、札幌と主要都市を結ぶ「インターシティー・ライナー(仮称)」と「札幌近郊の通勤列車」、
そして「対本州の貨物ライナー(仮称)」と「北海道新幹線 グランシャリオ(仮称)」が「JR北海道」の鉄路であり、
「稚内行 りしり号(仮称)」「北見・網走行 おほーつく号(仮称)」「帯広・釧路行 大空号(仮称)」等の「都市間バス」が充実・・・
と言う事態を、小生は「予想」しております。兎に角、地方には「人間」がいません。

 気分を変えて。
本日の道新に「釧路・根室地区のキハ40」が「柿色(旧国鉄塗色)」になって「花咲線」等を走るという一報がございました。
さすがに、「キハ54」は「そのまま」でありますが・・・。

 長々と失礼致しました。
以上、将来「山線跡」を辿るバスには「ていね号」とでも名付けたいほど、前途を悲観している「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 急行平尾行き
投稿日 2010年 3月15日(月)23時31分14秒
タイトル 寝台灯のスイッチについて
はじめまして。
いろいろ調べても分からないので、こちらにすがる事にいたしました。
寝台灯のスイッチですが、レバー式(トグルスイッチ)のものと押しボタン式のものとを見かけます。
ボタン式のほうが新しいと思うのですが、いつ頃(どの形式)からボタン式に変わったのかお教えいただけないでしょうか。
よろしくお願いします。



投稿者 きむたお
投稿日 2010年 3月16日(火)07時43分31秒
タイトル 寝台灯のスイッチ
▼ 急行平尾行き 様

表題の件ですが581・583系電車がツマミを操作、20系以降の固定編成客車がボタン式と思われます。
(少なくとも私が乗った寝台車はそうでした)
10系寝台は豆電球の小さな灯具だったはず…。

なお、ボタン式は見た目は近代的(?)ですが中身の構造はシーソーみたいな金具をボタンで押しているだけで
結構力を入れて押さねばならず、ツマミ操作の方が扱い易いですね。

20系客車の寝台灯については本サイトの写真館に掲載していただいておりますので参考にしてみて下さい。
(また、私が乗ったことのある20系客車は末期の日車製のみですので初期のクルマは書籍を調査してみないとわかりません。)



投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 3月16日(火)20時56分12秒
タイトル スロハフ3015
ED76109先生:
敗戦直後のゴタゴタ時代で史料も残っていないのでしょうね。お手数をかけてしまい
ました。
丸屋根車は昭和27年夏に長万部から函館行「まりも」に乗車した時、どこかの駅で下り
鈍行に連結されていたのをみましたが、なんと台車がTR11でした。「オヤ」?と想った
のですが、「まりも」が通過したので十分観察出来ませんでした。乗船名簿(摩周丸)を
書いていると、カレチが放送で「本州方面行きのお客様が恙無く旅行を終えられます様に
願っております」と言ったので、親父が「北海道は親切だな」とつぶやいたのが記憶に
残っています。此処の写真館に当日9600が控え車を摩周丸に押し込んでいる愚作があり
ますので、ご覧下されば幸いです。



投稿者 急行平尾行き
投稿日 2010年 3月16日(火)23時28分54秒
タイトル なるほど!
きむたお様
早速のご回答ありがとうございます。

581・583系がツマミだったのですね。
慌てて一昨年「きたぐに」に乗車した際の写真を調べましたが、確かにツマミ式になっていました。
客車ばかり調べていたので気付きませんでした。
ボタン式だと結構強く押す必要があり(カチッではなくガチッ)、壊れそうな気がして怖いんですよねぇ…。

20系の貴重な写真も興味深く拝見させて頂きました。
暫く悩んでいた問題が解決し、スッキリいたしました。ありがとうございました。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 3月17日(水)11時02分10秒
タイトル 茂木の先
▼きむたお様:
> せっかく常総線を下館まで抜けましたので、さらに北を目指しました。

おや、茂木にいらっしゃったのですね。私は、ここから那珂川沿いに、車で数十分の
農村に住んでおります。御乗車の「SLもおか」が下り便でしたら、茂木からバスを
介して、烏山に出るのも御薦めでした。同じ栃木県東部のローカル線ながら、両者は
沿線の地勢、延いては車窓の雰囲気が結構、趣を異にするのです。

掲出画像は、茂木の市街北側にある城址高台から、茂木駅の界隈を俯瞰したものです。
車止めの先では、線路こそ敷かれなかったものの、ある程度整備された線路用築堤が、
続いており、我が幼少時は、画像右下を外れた辺りで 国道294号線旧道を跨ぐ橋梁も
残っていました。

この未成線は、小規模の隧道を経て、茂木町小井戸地区まで続いていますが、これが
改正鉄道敷設法の別表における「茂木ヨリ烏山ヲ經テ茨城縣大子ニ至ル鐡道」の事か、
あるいは「水戸ヨリ(中略)阿野澤ヨリ分岐シテ栃木縣茂木ニ至ル鐡道」の事なのか、
判然としませんが、茂木から烏山にかけての那珂川が、割と急峻な渓谷になる事から、
後者を意図したものと推察されます。

茨城県域では、1971年に全廃された茨鉄線(茨城交通茨城線)に繋げる構想だったと
見られます。この路線、路面電車が直通する為、水戸市内は直流電化されていました。
1913年以来、現行の石岡市柿岡地区に施設を構える気象庁の地磁気観測所への影響が
無かったのか否か、長らくの謎となっています。




投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2010年 3月17日(水)14時15分7秒
タイトル バンコク
もう1つ、別の列車です。前回のは夜行の寝台でしたが、こちらは座席です。
行き先を撮影するの、忘れてしまいました。すんませんです。

2枚目は、1枚目の1部を拡大したものです。この2枚目の中央の車輌も日本製です。
ただし、塗装が変わっています。
2枚目の右側に写っているボロな車輌が日本製よりも古くからあるもの(タイ国製ではないとのこと)で、
それに色配分を合わせたようです。

残念ながら、比較的新しい日本製客車も含めて全般的にメンテナンスが悪いです。




投稿者 ど素人
投稿日 2010年 3月17日(水)17時30分26秒
タイトル (無題)
きむたお さま、

「SLもおか号」、
50系のシートの色は「3等車」を意識してわざわざグリーンにしたのでしょうね!!



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 3月17日(水)23時38分8秒
タイトル 「北の大地」のカレチたち
 おばんでございます。「ED76109」であります。

 マロネロ38様

 >カレチが放送で「本州方面行きのお客様が恙無く旅行を終えられます様に願っております」と言ったので

 元カレチの「壇上莞爾」氏が執筆された「赤い腕章(鉄道ジャーナル社刊)」には、「3人のカレチ」氏があげられております。
「おおとり」で「網走刑務所」を出獄してきたばかりの乗客の心を揺さぶった「常紋隧道」の案内放送をした「人情カレチ」。
そして、「おおぞら」で同乗していた漁師さんの「本場のソーラン節」を聴かせたものの、
調子に乗った漁師さんたちが「艶歌」を歌ってしまい「車掌区長」から大目玉をくらった「観光客第一のサービスカレチ」。
さらに、特急車中に「新婚カップル」が残していく「花束」を車内に飾っていった「花カレチ」・・・。
個性豊かな「カレチ」氏たちが、登場しております。
小生、サービス精神旺盛な「大阪車掌区のカレチ」氏たちに対して、
実直かつ観光サービス精神にあふれる「札幌車掌区のカレチ」氏たちというイメージがございます。

 >9600が控え車を摩周丸に押し込んでいる愚作

 「愚作」なんて・・・。青函航路が栄光溢れる時代の1ショットではありませんか。
「後方のフォーム」に停車しているのは、「まりも」でしょうか。それとも「石北」の前身である「準急」でありましょうか。
いずれにしても、「山線」を上ってきた旧客レが眩しい限り。セピア色の思ひ出をありがとうございます。

 長々と失礼致しました。
以上、「日本一奪還」に燃える「道民球団の開幕戦チケット」をやっとゲットできた「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 3月18日(木)09時50分18秒
タイトル 「まりも」です。
ED76109先生:
29638の後の編成は、長万部から乗車した「まりも」です。スロ52の後ろの広窓はオロ40
です。「まりも」のオロ40は初期の車内灯ブラケットがオロ35と同じタイプでした。
「石北」の前身、あの「インチキ準急」はオロ31でしたから。下手な記録写真と御解釈
ください。
翌早朝に青森から乗車の501レ=C51が秋田迄牽引のカレチも沿線の観光案内をして呉れ
ましたので、象潟で芭蕉の句碑?を窓から撮影したり、白瀬中尉の出身地金浦では眼下の
町並みを写せました。確か新津まで乗務されて、大阪車掌区カレチと交代でした。



 
 
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