倶楽部メモ(572)
平成22年 1月 1日〜 1月 8日



投稿者 クモイ103
投稿日 2010年 1月 1日(金)12時55分35秒
タイトル 新年おめでとうござます
仙コリ(管理人)様、ご乗車の皆様、あけましておめでとうございます。
旧年中はたいへんお世話になりました。
暗いトンネルのような景気から、明るいところへ躍り出る年になりますように。
(駅を出たらまたトンネルだろ、というツッコミは無しの方向で…(爆))
皆様の鉄道趣味の充実とご多幸をお祈り致します。




投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 1月 1日(金)13時49分12秒
タイトル 年賀
22-1-1
客車倶楽部各位様

謹賀新年


本年も宜しくお願いします。

マロネロ38



投稿者 にんにくたあ
投稿日 2010年 1月 1日(金)21時15分45秒
タイトル 謹賀新年
管理人さま、みなさま、あけましておめでとうございます。

今年も奥の深い写真撮影を中心に、
鉄道趣味を大いに楽しみたいと思います。
どうぞ本年もよろしくお願いいたします。

投稿者のホームページ



投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 1月 2日(土)13時40分29秒
タイトル 大雪ですか?
ED76109先生:
謹賀新年
北日本,北海道大雪とか防風雪とかですが如何ですか?

富良野線でキハ40と除雪車がガチャンとやりましたが、除雪中は「場内停止」になって
居なかったのでしょうか?

兵庫県南部でも12.31→元日は強風でフェリー欠航もありました。自転車で向かい風に
なると坂を登るのと同じ重さでした。

本年も宜しくご教示の程お願いします。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 1月 2日(土)20時29分31秒
タイトル 「出雲」のC57128
先に中山寺付近走行写真を出しましたが、あのC57128は曰く付きの機関車だった様です。
同じくED76109先生にご教示願った,昭和16年9月16日の網干駅大追突事故に関係していた
機関車との事。
追突されてスロ346の乗客全員が犠牲になった116レを牽引していたのが、C57128.
追突した急行8レ牽引がC5377との記録を見つけました。
正月からこんな話で恐縮ですが、記録を見ましたのでお知らせします。



投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2010年 1月 2日(土)23時15分20秒
タイトル 謹賀新年
仙コリ・管理人様
倶楽部投稿の皆様

新年明けましておめでとうございます。

本年も何卒ご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

雪景色の山陰本線・浜坂駅の写真です。
まだDD51の客車列車や、キハ65エーデルが健在だった頃です。
(まだ温暖化云々以前なので降雪量が豊富でした。)

ユーラシア各言語でもご挨拶いたします。

謹賀新年(クンハ・シンニョン)韓国語
新年好 (シンネン・ハオ)  中国北京語
С НОВЫМ ГОДОМ  ロシア語
(ス ノーヴィム ゴーダム)

 



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 1月 3日(日)21時01分56秒
タイトル 遅ればせながら・・・
 新年おめでとうございます。「ED76109」でございます。

 先達の皆様方、本年もご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

 マロネロ38様
 >北海道大雪とか防風雪とかですが如何ですか?

 よろしく、お願い申し上げます。
 新年にかけてましては、「富良野駅」での件の一件では、2日に「発寒付近」にて「いしかりライナー」が
乗用と踏切にて衝突した事故以外、大きな遅延等はありませんでした。
愚妻方の姪が「元旦」に「大学の所用」で「水産学部のある函館」へ「スーパー北斗」を利用したようですが、
「雪による20分程度の遅れ」との報告があったようです。

 >富良野線でキハ40と除雪車がガチャンとやりましたが

 当地の「NHKローカル」では、「所定の進路」で「富良野」構内に進入した「3441D」の線路上に「ラッセル」が
停車していたとのことであり、「北海道警」が「駅からの除雪の指示を受けていたと証言したラッセル作業員」と
「指示はしていないと証言した駅員」の事情聴取を継続している旨、報道しております。
「3441D」は「場内進行の状況」で「時速45q」で「ラッセル」に衝突したようであります。(軽傷3名)。


 なお、今年の元旦付け「道新」一面に「札幌市電の路線延伸計画」の記事が掲載されております。
「すすきの・西4丁目」の現行路線を「札幌駅」等に延伸する計画を検討しており、
平成22年度に結論を出す方向性であるとのこと。
毎年2億円の赤字を解消する手だて及び環境対策であるようですが、果たして「実現」するのか否か・・・
(しかし、これは以前廃止した路線の復活です)。

 長々と失礼致しました。
以上、「箱根駅伝」中継で「京浜空港線と国道1号線」との「踏切」が、まだ残っていることにささやかな「感動」を覚えた
「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 ユーラシア鉄道
投稿日 2010年 1月 4日(月)17時31分52秒
タイトル 九州の鉄分100%ツアー
 たびたび失礼いたします。

 JR九州様、年末発表の「鉄分100%」のツアーパンフおよび
気動車急行復活の情報です。

 1・3月20日・門司港ー鹿児島中央「はやぶさ」
   3月21日・鹿児島中央ー門司港「なは」

 2.キハ65+キハ58国鉄色急行復活
   車検切れの22年8月まで運行予定だそうです。

 詳細はhttp://www.jrkyushu.co.jp/のプレスリリースを
 ご参照頂ければ幸いです。

いずれも、はがき申し込みのようです。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 1月 5日(火)08時38分46秒
タイトル 気動車急行の G車崩れ
遅れ馳せながら、今年もよろしく御願い申し上げます。

▼ED76 109様:
>「京浜空港線と国道1号線」との「踏切」が、まだ残っていること

かかる視点では、西鉄宮地岳線や「海ノ中道」での香椎線が楽しめる「福岡国際」が
印象的でしたが、現在は経路変更で、香椎で折返しなんですよねぇ。

▼ユーラシア鉄道様:
> 年末発表の「鉄分100%」のツアーパンフおよび気動車急行復活の情報です。

昨年の「富士/はやぶさ」廃止以来、開き直りかとも思える程に、積極的に寝台車を
イベント運用に供しているのは、好ましいですね。車窓風景が良い為でしょうけれど、
JRから分離された肥薩おれんじ鉄道の区間にも直通する心意気たるや、学生時代に
肥後二見〜上田浦で「はやぶさ」「有明」撮影に興じた身としては、嬉しい限りです。

その当時、九州や四国の気動車急行では、G車の設定が無く、元G車、またはG車用
腰掛転用車を、指定席車に充当するサービスを以て、特急需要との棲み分けが図られ、
ワイド周遊券旅行にもかかわらず、あえて運賃を負担してまで指定席を利用した事が
何度かありました。ただし、腰掛転用車ですと、窓割と座席間隔がずれ、車窓風景が
侭ならないという悲劇もありましたが(^^)

こうした急行で特に印象深いのが、博多〜湯前で運転された頃の「くまがわ」ですね。
熊本〜人吉の急行区間を挟んで、博多〜熊本は快速、人吉〜湯前は各駅停車の扱いで、
かの「ARC資料室」の内容と、整合性が取れないのですが、1987年に利用した時の
熊本以北は、往年の東北線急行を髣髴とさせる、堂々たる長編成だったと記憶します。
面白い事に、快速区間の指定席データは、マルスでは取り扱っておらず、急行区間の
指定券保持者の着席が優先され、その他は車内補充券で対応していましたっけ。

こうした「実質G車」が最も有難かったのが、急行「あしずり」の間合い運用となる
高松→中村の夜行快速でしたね。後年、高松→高知は、50系客車に置換されましたが、
空いていれば、ロングシート部分を「C寝台」「D寝台」などと称して、有効活用が
効いた点で、なかなか快適でした(^^)

一方、キハ65系の亜種的な存在として、急行色を纏いつつも、アコモが近郊型という
キハ66系が筑豊地区に投入され「日田」「はんだ」など急行運用にも供されましたね。
これらもいわゆる「遜色急行」の範疇に入るのでしょうか。

そうそう、急行型のG車崩れといえば、大分や熊本より南側の区間では 475系編成の
元サロが、座席をボックス型に固定した状態で普通列車に供されていましたっけ。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 1月 5日(火)21時51分19秒
タイトル 積極的なJR九州は「鉄」の鏡!!
 失礼申し上げます。今年年男の「ED76109」であります。

 ユーラシア鉄道様
 >3月20日・門司港ー鹿児島中央「はやぶさ」
  3月21日・鹿児島中央ー門司港「なは」

 う〜ん、学年末の忙しき時に・・・。
しかし、あの「上田浦」や「阿久根」の辺りを「ED76」牽引のブルトレが走るなんて、すばらしいの一言。
正直、資金を稼いで乗ってみるかという気になってまいりました。
「宝くじ」は「300円」×4しか当たらないし・・・。
よ〜し、久しぶりに「往復はがき」を用意してみますか。資金は得意(?)の「馬」で。
しかし、ブルトレを積極的に走らせての商売根性は、同じ島の「JR北海道」よりもチャレンジしている感であり、
その志たるや見習ってほしいものであります。

 雑魚様
 >大分や熊本より南側の区間では 475系編成の元サロ

 平成5年の盛夏、「西鹿児島」から「熊本」までお世話になりました。
実はこの時、「西鹿児島」から「隼人」回りで「肥薩線」へと「乗り鉄」を計画していたのですが、
「鹿児島豪雨」と重なってしまい、「肥薩線」及び「日豊本線国分以北」が不通とのことで、
仕方なく「ドリームつばめ」で来た経路を逆戻りとなったのでありました。
しかし、その「475系鈍行」も「大雨」のため、ノロノロ運転の末に「薩摩高城」で抑止の憂き目に・・。
しかし、後にも先にも「滝のような雨」を初めて体験したのでありました。

 小生が「DC急行」で復活運転していただきたいのは「フェニックス」であります。
先達の方々には「西鹿児島」と「宮崎」を「小倉回り」で結んでいた「都市間長距離急行」と言えば
ご記憶の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
「西鹿児島」を早朝に旅立ち、「宮崎」には午後10時頃の到着する約半日の旅路。
全区間制覇したかった「鬼籍入り」列車の一つであります。

 長々と失礼致しました。
以上、「有馬記念」の敵は「ダイヤモンドステークス」でと「鉄」資金獲得に燃える「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 1月 7日(木)08時57分52秒
タイトル フェニックス
▼ED76 109様:
>「西鹿児島」と「宮崎」を「小倉回り」で結んでいた「都市間長距離急行」

かつての「かいもん」「日南」と、夜行列車二系統を一本の昼行運用に纏めた感覚が、
正に「不死鳥」の如くですね(^^)小倉〜博多での乗降需要が、鹿児島線・日豊線の
双方を志向し得たがゆえの集約措置と推察しますが「日南」同様、宮崎以西を各停に
格下げしてでも「循環急行」に仕立てる発想は無かったのでしょうか(^^)

愛称を「火の鳥」としなかったのは、豊肥線急行「火の山」との整合性ゆえか、とも
感じます。この列車、一大温泉街・別府に直通する伝統は、現「九州横断特急」にも
継承されていますが、一方、熊本側では三角直通が特徴的でした。正に、九州中部の
観光地を横断的に結ぶ様に並行する国道57号線の経路を意識したものと見受けますが、
いわゆる「海上国道区間」となる三角〜島原のフェリー自体、2006年に廃止済みです。

以上「九州横断特急」における豊肥線〜肥薩線の直通の必然性(熊本では、かなりの
入替があるのではないかと拝察します)が、未だに良く判らない雑魚でした。



投稿者 ヒゲ無し雷鳥
投稿日 2010年 1月 7日(木)22時48分43秒
タイトル 遅ればせながら・・・
皆様あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。
年末年始はELのカマ交換シーンを撮影すべく夜中の長岡へ行って来ましたが、
寒波の影響でダイヤが混乱し、納得のいく写真が撮れませんでした。
昔の栄華を偲んで在りし日のあかつきカマ交換画像を添付いたします。

>雑魚様
フェニックスを火の鳥としなかったのは宮崎県の県木から採ったからかもしれませんね。




投稿者 雑魚
投稿日 2010年 1月 8日(金)08時15分31秒
タイトル あかつき
▼ヒゲ無し雷鳥様:
> 年末年始はELのカマ交換シーンを撮影すべく夜中の長岡へ行って来ましたが、

寒い中、御疲れ様でした。時期柄、同趣の御仁は少なくないかと拝察しますが、当該
時間帯における長岡駅入場は、特に制約は無いのでしょうか。なお、再々掲出となる
画像(下車した「能登」を見送った時の様子で、たまたま遅延した「北陸」も撮影が
効きました)を撮影した午前四時過ぎの直江津駅の改札口は「フリー・パス」でした。

> 昔の栄華を偲んで在りし日のあかつきカマ交換画像を添付いたします。

これは、肥前山口駅または早岐駅でしょうか。同列車は、筑豊線経由の関係か、DL
牽引時代は、末端区間で方向転換となる早岐〜佐世保において、機関車交換の手間を
省く為「プッシュ・プル」を行っていたと聞きますが、電機時代は、こうした措置は
あったのでしょうか。

> フェニックスを火の鳥としなかったのは宮崎県の県木から採ったから

確かに仰る通りですね。恥かしながら、植物(椰子科)としての「フェニックス」を
完全に失念していました。







投稿者 ED76109
投稿日 2010年 1月 8日(金)10時34分10秒
タイトル 準循環急行でした
 失礼申し上げます。冬季休業中で開店休業中の「ED76109」であります。

 雑魚様及びヒゲ無し雷鳥様

 レス等ありがとうございます。少々古い話ですが、いつものように「釈迦に説法」を。

 「フェニックス」は、昭和37年7月に「西鹿児島・博多」に設定された「DC急行」が祖にあたります。
同年10月に「博多・宮崎」が延長されて、「西鹿児島」から「小倉」を経由して「宮崎」まで辿る
「循環都市間急行」としての地位を確立。
しかし、「ヒゲ無し雷鳥」様の仰るとおりに「宮崎の県木」から愛称名を採用したのであれば、
設定時から「宮崎」までの延長を計画していたのでありましょうか・・・。
 昭和48年度JTB版時刻表6月号によれば、
「下り 西鹿児島9:26→熊本13:02→博多14:46→小倉15:47→大分18:10→宮崎21:55」であり、
所要時間は「16時間29分」。「博多」で上下列車が行き違いのダイヤ設定であります。
小生は前述のように、「出水」の叔母宅から「肥薩線」やら「豊肥本線」の「SL乗り鉄」の途中で、
昭和40年代に「鉄」親父と利用。
当時は「キハ56は魅力なし」と歯牙にもかけませんでしたが、今となっては・・・であります。
同48年10月に「上り」が「宮崎・博多」の運転に経路短縮されて、
同50年3月に「かいもん」と「日南」に吸収されて「鬼籍入り」となりました。
 「不知火の海原」から「田原坂」や「八幡製鉄所」、そして「温泉地別府」を経て「宗太郎」を越えて「宮崎」へ。
かつての「宗谷(函館・稚内)」と双璧のような魅力的DC急行だったと、小生は考えております。
 しかし、いずれにせよ「昭和40年代の回顧話」であり、中年親父の「戯言」だと痛感するところであります。

 長々と失礼致しました。以上、一昨日の「1・2レ」のウヤを見逃してしまった「中年客車鉄ちゃん」でありました。



 
 
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