倶楽部メモ(555)
平成21年 9月24日〜 9月26日



投稿者 まろねふ
投稿日 2009年 9月24日(木)21時29分2秒
タイトル 客車の向きについて
管理人様、皆様大変ご無沙汰をしております。
遅レスではございますが客車の向きについて、手元にある規程にありましたので紹介します。
この規程は、20系客車の図面に描かれたの向きの謎については参考になるものではなく、
クモイ103様が書き込まれた規程を、後年になって文章整理を行ったもののようです。

車両構造基準規程(抜粋) 昭41.12.10 工達12号

第1章 総則
第3条(車両の各部分の位置等の定め方)
車両は、車種ごとに、次の各号に定める側又は方向を車両の前位とし、
その車両の後位から前位に向かって左右を定めるものとする。

(3)客車は、次に掲げるとおりとする。
ただし、その装置又は構造が、2以上該当する場合は、その先順位のものによりこれを定める。

ア.手ブレーキ装置が一端にある場合は、手ブレーキ装置がない側。
イ.出入台が一端のみにある場合は、出入台のない側。
ウ.合造車は、優等室側。
  ただし、食堂、郵便、手荷物等の各室と客室との合造車は客室側、郵便室と手荷物室との合造車は郵便室側。
エ.便所が一端にある場合は、便所がない側
オ.給仕室が一端にある場合は、給仕室がない側。
カ.食堂車は、料理室のない側。

第4条
車両の各部分の称呼順位は、次の各号に定める所によるものとする。

(2)旅客車及び貨物車は、前位から後位に、順次1位、2位、3位等と呼び、
   左右に並列するものは前位の右を1位、前位の左を2位と呼び、以下右から左に順次後位に及ぼすこと。

以上のように、車両の前位後位が定められております。

話が脱線しますが、これを元に『旅客輸送基準規程』の第2節(列車の編成)で
旅客車の編成順序、旅客車の定位(向き)が各線の基準駅に向く事が定められており、
概ね客車の前位側が基準駅側に向く事が定められております。
参考までに、主な路線の基準駅は…

東海道本線…神戸
山陽本線…門司
東北本線…東京
常磐線…上野
上越線…高崎
北陸本線…米原

です。何かのご参考になれば幸いです
投稿者のホームページ



投稿者 クハ115宇都宮行き
投稿日 2009年 9月24日(木)23時12分9秒
タイトル はじめましてこんにちは
はじめましてこんにちは、栃木と群馬をまたぐ両毛線沿いに住んでいるクハ115宇都宮行きともうします、
実は最近旧客にはまりだし主にKATOのスハ43系を中心に集めているのですが、ちょっと疑問に思った事があります、
KATOのスハ43(茶)を窓だけをアルミサッシ化したら嘘電になってしまうでしょうか?
やはり、近代化工事施工のため青15号へ塗装変更しないと行けないのでしょうか?
よろしくお願いします。



投稿者 クモイ103
投稿日 2009年 9月24日(木)23時26分35秒
タイトル Re: 客車の向きについて
まろねふ様

 フォローありがとうございますm(_ _)m。
 客車の前後左右に関する規定の中身は、規程の形が時代によって変化してもあまり変わらなかったのですね。

 さて、脱線と言われる旅客車の編成中の向きについてですが、
まろねふ様が平成17(2005)年の5月20日(金)15時11分14秒「客車の向き 法規集より」で詳しく書かれていますね
(倶楽部メモ(273)に収録)。
> 概ね客車の前位側が基準駅側に向く
とのことですが、これを見ると、片デッキのA寝台車や特別車(グリーン車)で出入台のある側が基準寄り
となっているなど、逆のものも見受けられます。

 さて気になるのは、寝台車・グリーン車で「但し特急用車両は出入台の無い側」となっていることです。
おそらくこの規程は、特急用客車と言えば20系だけだった時代のものではないでしょうか。
だとすれば、20系客車が他と違って前位側にデッキを持つ事と符合しますね。

 そこでちょっと推測をしてみました。
 20系以前の在来型客車では、もともと両デッキが当たり前で、片デッキ車は一部の優等車だけでした。
東海道線で下り方から郵便・荷物車+優等車+三等車という標準的な列車編成を組む時、
優等車のデッキは荷物車寄りにある方が、客扱いの上で都合がいいですよね。
そこで「出入台のある側」を基準寄りとする原則が生まれたのではないでしょうか。
 ところが、片デッキ車が増えてくると困った事が起きます。
例えば10系寝台車オンリーの急行「新星」のような場合、両末端のオハネフ12がデッキを編成端部に向けていると、
中間車をどう配置しても必ずどこかに「デッキのない連結部」が出来てしまうというジレンマがあります。
 それに対し20系は、初めて片デッキ車のみの固定編成を前提としてトータルデザインで設計されました。
編成の一端は必ず荷物車(電源車)です。
そこで電源車以外のデッキ位置をナハフ20側に統一し、
その結果として青列車様のご指摘にある車内間取りの逆転が起こったのではないでしょうか。
 1号車の荷物車寄りはデッキなしの袋小路になりますが、定員の少ないロネなので目をつむったのでしょう。
(もっとも食堂車の所にもデッキのない連結部が発生します。
これはあらゆる車種で共通の現象なので無視されたのでしょうか…)

 後に14系寝台車が登場しますが、これは荷物車が無いので、10系寝台車と同じデッキ位置のジレンマが発生します。
そのため20系の様な編成美を考える意味が失われ、昔と同じ設計に戻ったのではないでしょうか。
但し14系寝台車の実際の編成では、中間車のデッキは東海道線の東京方に向いており、10系と逆です。
おそらく車体の前位・後位とは無関係に、編成上は「但し特急用車両は出入台の無い側」をそのまま適用したのでしょう。
 さらにその後登場した24系では14系の車体設計を踏襲したので、
結果的に20系だけが例外になってしまったのではないでしょうか。



投稿者 クモイ103
投稿日 2009年 9月24日(木)23時39分24秒
タイトル アルミサッシとぶどう色
クハ115宇都宮行き様、はじめまして。

基本的に、「アルミサッシ化=近代化改造車」ではありません。
形式にもよりますが、特にいわゆるスハ43系の普通座席車では、
近代化改造でアルミサッシ化されなかった車両が多数存在する一方、
後年の体質改善工事でアルミサッシになったものもいて、
「アルミサッシでぶどう色」がいても規程上はOKです。
実際にいたかどうかは、ちょっと自信がありませんが…



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 9月25日(金)18時01分31秒
タイトル とうとう廃車回送でしょうか
今日偶然尾久に降り立ったところ、
元カシオペア機EF81 89が、EF81 134とDE10 1571にはさまれ、側線にいました。
ほどなく回送されていきましたが、その1時間以上まえ、「あけぼの」出発収容線据付を見にホームに上がったのですが、
カメラ持参のファン団体が談笑していました。みな情報をキャッチしていたのでしょう。
いつも不思議でならず、パソコン関連に疎い私には、誰がそういう情報を流し、
いかなるネットワークでみな集まってくるのか、と思います。
私の目当ての「あけぼの」は前回9月21日と全く変化のない編成で、ややがっかり。
ただ、下手に差し替えが生じると、オール金帯の整った外観が崩れるので、痛し痒し、といったところです。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 9月25日(金)18時05分41秒
タイトル 十月改正
▼ED76 109様:
> 当地は「鳩山首相」の「お膝元」

首相の選挙区は、新幹線の予定経路からは大きく外れ、逆に新千歳空港に比較的近い、
北海道第九区(胆振・日高支庁域)と、微妙な地勢ですねぇ。北海道新幹線の処遇は
大きな課題となりそうで、八ツ場堰堤に日航再建など、難題を抱えた国交相の葛藤は、
当面続きそうですね。

> 小生としては、何とか「EF510 牽引の北斗星」が函館まで来てほしいと切望

現在「北斗星」は青森駅でエンド交換を行わない為、EF510が 青函隧道に対応する
保安機器を搭載すれば、機関車の交換に掛かる手間隙を省けそうですが、実際の処は、
どうなのでしょうかね。個人的には、現行のED79牽引の方が「絵になる」印象です。

> 抜本的な対策が講じられないと、「札幌一極集中」は止まりません。

東北や北海道の都市は、冬季の寒冷性もあり、他地域に比べ衛星都市や郊外住宅地の
展開性が比較的小さい印象が、永らくありました。つい最近まで、東北の幹線区間で、
普通列車の大半が客レ仕様だった背景には、かかる事情もあるのでしょう。その一方、
政令指定都市に移行した仙台と札幌は別格で、その分、影響を受ける周辺地区は相当
広域に及びそうですね。

鉄道旅客需要を左右する一因に、公立高校の学区が挙げられます。広大な地勢の割に
区分が細かい北海道立の場合、区割緩和による都市部集中を容認すれば、多少は鉄道
通学需要が喚起できるかも知れません。歴史的に学区規制が緩い我が地元の感覚では、
小樽・千歳・岩見沢から札幌に通うのは、それほど無理でも無さそうですし。そこで、
かつての樽見鉄道よろしく、客レによる通学列車を設定する……無理かな(^^)

> 当地の「10月ダイヤ改正」のCM

DJ誌では、然したる記事を見掛けた記憶が無いのですが、何か注目すべき改正点は
あるのでしょうか。房総地区「スカ色」113系が 2011年度末までに、京浜東北線から
転入する 209系に全面置換される旨、話題になっていますね。同年「雷鳥」運用から
撤退する 485系と併せ、今改正で段階的な減便はあるのか、との点も含め、その辺り、
気になる処ではあります。

かくして「国鉄メーク」が淘汰される中「富士・はやぶさ」の廃止で「風前の灯」と
目された「ブルー・トレイン」こそ、案外「最後の生き残り」になるのではないかと
感じる昨今です。



投稿者 クハ115宇都宮行き
投稿日 2009年 9月25日(金)21時20分12秒
タイトル スハ42のアルミサッシ化について
クモイ103さん

返信ありがとうございます、大変さんこうに参考になりました、
旧客は私が生まれるはるか前に消えてしまったため、現在はイベント用などでしか見る事ができません



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 9月25日(金)21時20分31秒
タイトル 縮小傾向極まりましたが・・・
黒磯運転所様。
平成初頭生まれとは!私は平成2年に高校進学、卒業直後に東京口のブルトレ食堂車営業休止となりました。
その年の正月明けの新聞記事は、実に衝撃的でした。
本式にいまの形で編成記録を取り始めたのは平成8年2月からですが、それ以前にもぽつぽつ、記録を取っています。
「八甲田」最終、「みずほ」「あさかぜ4号」最終、24系「はくつる」初日等々。
ただし、昨年尾久から蓮田の地に越す際、荷物に紛れ所在不明です。
平成8年以降の記録は手許にあり、当時手書きだったものを目下、パソコンに打ち込む作業中です。
たしかに客車好きには実に寂しい時代になってしまい、もう少し早く生まれていれば、と思うかもしれません。
が、考え方を変えれば、ここまで列車本数が減ったのです。却って車両記録の対象を絞り込みやすくなった、ともいえます。
まずは、現状残った列車を画像なり、編成記録の形で、極力多く残すことを考えましょう。
学業との両立、素晴らしい考えです。賢く時間を活用したいものです。
小遣い、または、アルバイトが可能であれば、お金を貯め、実際に乗っておくことです。
何でもそうですが、自身で体験、経験し肌で感じ、考えたことに勝るものはありません。
末期のブルトレの姿を目に焼き付けることができるのです。歴史の証人です。
過去のことは雑誌のバックナンバーや、この掲示板等を活用するしかありませんが、
振り返ることは、ブルトレが無くなってからでも出来ます。
自ら機会を作り、外に出ましょう。大事なのはフィールドワークです。
と、長々偉そうに書きましたが、昨夜の編成記録を参考までに。

Lot No.4104 9/24 2021レ「あけぼの」

1↑オハネフ24 25(19-9秋田総合車セ・白帯・レディースゴロン)
2 オハネ25  151(19-12秋田総合車セ)
3 オハネ25  215(17-10秋田総合車セ)
4↑オハネフ25 201(19-8秋田総合車セ)
5 オハネ24  555(19-5秋田総合車セ・B個)
6 オハネ24  552(19-3秋田総合車セ・B個)
7 スロネ24  552(21-8秋田総合車セ・A個)
8↑オハネフ24 12(21-1秋田総合車セ・引戸・ゴロン)
 ↓カニ24  109(20-9秋田総合車セ)
  EF64   37(15-4土崎工・茶ガマ)

Lot No.4105 9/24 3011レ「北陸」

1↑スハネフ14 27(16-4秋田総合車セ)
2 スハネ14  702(16-4秋田総合車セ)
3 オロネ14  703(17-10秋田総合車セ)
4 スハネ14  758(21-7秋田総合車セ)
5↓スハネフ14 31(19-2秋田総合車セ)
6 スハネ14  756(21-9秋田総合車セ)
7 オハネ14  82(21-1秋田総合車セ)
8↓スハネフ14 28(15-12土崎工)
  EF64  1052(13-9土崎工)

「あけぼの」は1号車以外金帯でした。
ゴロンとシート車指定に動きがあり、オハネフ24 12が復帰しました。
オハネフ24 8は「日本海」運用が多い傾向にあり、そちらに戻ったものと思われます。
こうして13年半、4100本余りの記録を続けてみると、そういう傾向もわかってきます。
「継続は力なり」は結構本当です。折をみて、また記録を披露します。



投稿者 黒磯運転所
投稿日 2009年 9月25日(金)22時19分56秒
タイトル 感謝申し上げます
赤まんと様。
おっしゃる通り、列車が少ない分対象を絞り込みやすいですね。
残る列車の記録に尽力していこうと思います。
今年に入って編成記録を始めたのでまだまだ少ないですが、
赤まんと様のレスを読ませて頂いてどんなことでも継続は大事だと実感しました。
また、記録のみならず機会あればやはり乗りたいですね。
素晴らしいたくさんのお言葉、ありがとうございました。



投稿者 クモイ103
投稿日 2009年 9月25日(金)22時49分0秒
タイトル アルミサッシとぶどう色−2
クハ115宇都宮行き様

ちょっとタイミングがずれてしまいましたが、オハ35では、
アルミサッシでぶどう色のものが存在したことを思い出しました。
オハ35で存在したのですから、末期はほぼ同じように扱われていたスハ43でも、
少なくとも「あってもおかしくない」とは言えるでしょう。

本掲示板の過去ログ集「倶楽部メモ(195)」にある平成15年4月28日(月)の「やまだ」様の書き込み
「変な北陸線のオハ35・・・」が該当情報です。
また、それに対するレスをまとめたものが、「倶楽部メモSP 主な話題」にも収録されています。

「主な話題」
→「客車の形式・色・標記の話題」の中の
 「客車の車体色・等級帯等についての話題」
 →「変な北陸線のオハ35/茶塗りでありながら窓枠はアルミサッシのオハ35」
   (倶楽部メモ(195)〜倶楽部メモ(196))



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 9月26日(土)07時15分14秒
タイトル 「とかち」は全て「スーパーとかち」になります。
 先達の皆様、昨日はゆっくり御休になられましたでしょうか。「ED76109」であります。

 雑魚様
 >個人的には、現行のED79牽引の方が「絵になる」印象です

 御意。往年の「ED751000番台牽引のゆうづる」の如しであります。
オレンジ色のHMが誇らしげでありましたね。
「ゆうづる」が廃止されて早21年となり、益々昭和は遠くなりました。

 >小樽・千歳・岩見沢から札幌に通うのは、それほど無理でも無さそうですし

 小生の本業(!)の部分に係り、今年の受験から札幌市内の全日制普通科校は「石狩学区」に一本化されました。
この結果、当地の最難関高校「札幌南」「札幌北」などの受験でも「石狩学区以外の受験者は定員の10%枠内まで」
の規定となり、「岩見沢」どころか「旭川」や「室蘭」近辺からの通学者も散見されております。
前述しました「かよエールの通学版」が活躍しているようであります。
しかし、これこそ「札幌一極集中」の典型的な悪しき凡例でしょう。

 >何か注目すべき改正点はあるのでしょうか

 ポイントは次のとおりであります。

 ・「キハ261系完全配備」により、「とかち」を全列車「スーパーとかち」に置換
 ・「五稜郭」停車の「北斗及びスーパー北斗」の拡大(7往復)
 ・「スーパー宗谷1号」の「美唄及び砂川」停車

 といったところが、主な改善点であります。さらに地味ながら、夕刻の札幌近郊区間での
「江別方面」の普通列車の待ち時間が「最大19分」に短縮されるなどの施策も。しかし、
190万都市「札幌」と言っても、帰宅時間帯に「26分」も「札幌」で待たされていたとは、
またまだ「ローカル色豊か」であることを実感させられました。

 長々と失礼いたしました。以上、鉄道林沿いの緑溢れる環境に在する「中年客車鉄ちゃん」でございました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 9月26日(土)09時14分54秒
タイトル 前原大臣への提案?
ED76109先生:
国土交通省からJR北海道への勧告希望:
函館‐小樽‐札幌の急行「ニセコ」を復活。
14系使用,長万部‐南小樽間はC62

こんなの如何ですか???



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 9月26日(土)10時54分12秒
タイトル 新幹線通学
▼ED76 109様:
> 御意。往年の「ED75 1000番台牽引のゆうづる」の如しであります。

EF81との交換は、地元・水戸で行われていましたが、上野〜青森の長距離にあって、
かなり東京側に偏った水戸での機関車交換には、違和感がありました。交直両用型が
それだけ少なかったという事でしょうね。筑波科学博で設定された臨時快速にしても、
415系の不足か H電接続の形で我孫子〜土浦の運転に留まった例が多く見られました。

>「岩見沢」どころか「旭川」や「室蘭」近辺からの通学者も散見されております。

札幌における「東西南北」各校のステイタスは存じていますが、わざわざ 100km以上
離れた旭川であれば「スタルヒンの母校」があるだろうに、とも感じます。あるいは、
南高に限っていえば、当該通学者は、路面電車のファンではないでしょうか(^^)

>「かよエールの通学版」が活躍しているようであります。

新幹線ですと、例えば本庄早稲田駅に近い早大系列校では、有名大学への内部進学が
効く魅力ゆえ、かなり広域から「フレックス・パル」通学者を集めていると聞きます。
同じ上越新幹線では、浦佐駅に近い県立高校が、新潟県では特例的な全県学区制の下、
同様の状況となっており、実際、平日朝に浦佐駅に居合わせると、なかなか壮観です。

茨城の場合、県都・水戸は鉄道の便が良い為、広域集中現象が起こり易く、私の処も
常磐線は牛久から大津港まで、水戸線は結城まで、水郡線は常陸大子まで、在学当時
未開通だった大洗鹿島線の沿線域や県の南西部を除いて、同級生が分布していました。
県境に隣接する自治体では、他県立への越境が可能な相互協定もある為、北茨城から
通学していた友人の場合、兄弟はいわき市内に通学と、なかなか壮大な状況でしたね。
さすがに、北海道では無理な話でしょうが(^^)

>「スーパー宗谷 1号」の「美唄及び砂川」停車

札幌〜旭川で途中無停車の「ホワイト・アロー」が設定された1980年代と比較すると、
隔世の感も一入ですが、所要時間を多少犠牲にしても(あるいは、車両の高性能化で、
停車駅増加との相殺が可能になった為)停車駅を増やす事で、少しでも多くの需要を
喚起するという事でしょうか。なお、急行時代は美唄・砂川には停車しましたっけ?

> 190万都市「札幌」と言っても、帰宅時間帯に「26分」も「札幌」で待たされて

そんな珍現象があったのですか。都市部の多頻度運転体制は、編成の組換えが容易な
動力分散型車両、特に加減速性に長じた電車でダイヤ構成したればこそですが、一方、
一本の長編成に需要を集約しがちな客レの場合、フリークェンシーの最たるは、一体
どの程度の間隔だったのでしょうね。

そう考えると、1980年以前の仙台界隈における東北線の状況など、改めて吟味したい
処ですが、どの道、新幹線開業前では、特急・急行が並存する非分離ダイヤにおいて、
普通列車の運転頻度は、現在では考えられない程に低調だったのでしょうね。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 9月26日(土)17時41分14秒
タイトル 道央の電機
▼マロネロ38様:
> 函館‐小樽‐札幌の急行「ニセコ」を復活。14系使用,長万部‐南小樽間はC62

国交相が「個人的には興味を覚えるが」とコメントする場面が想像されますね(^^)

80年代半ば、札幌→函館の移動で、14系ハザ急行「ニセコ」を利用した事があります。
当時「山線」の定期優等列車は「ニセコ」と特急「北海」が一日に一往復ずつでした。
さすがに蒸機の牽引はありませんが(^^)札幌近郊の小樽で電機からDLに交換する
一幕があり、運用域が道央圏に限定されるED76の背景事情が垣間見えた思いでした。
白石〜室蘭では、電化時期が小樽〜旭川より十年以上後発という事もあり、客貨共に、
電機の入線実績は無かったかと思うのですが、実際の処は如何でしょうかね。

ED76 109様よろしく「札幌一極集中」を憂うなら、1928年から十年近く、苫小牧〜
追分〜岩見沢の経路で函館と稚内を結んだとされる急行の復活も一興かと(^^)


 
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