倶楽部メモ(532)
平成21年 6月19日〜 6月23日



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 6月19日(金)10時38分44秒
タイトル 北区散歩 その六
再び、赤羽出張絡みの「尾久参り」です。訪問時間帯が午前中だった事が幸いしてか、
思わぬ処で、懐かしい代物を見かけました。それにしても、この中間車を抜いた編成、
第二の「サロン・ド・わたらせ」でも目論んでいるのでしょうか(^^)なお、編成の
右側には「夢空間」が連結されています。




投稿者 雑魚
投稿日 2009年 6月19日(金)11時08分17秒
タイトル 北区散歩 その六 おまけ
この画像は、昨年の「エイプリル・フール」ネタですが、案外、現実になったりして。
なお、水郡線では今月末、久々に高崎12系の団臨が運転されます。息子の少年野球の
試合日ですが、何とか口実を作って撮りに行かねば(^^)




投稿者 雑魚
投稿日 2009年 6月19日(金)11時13分20秒
タイトル 北区散歩 その七
車両形式は異なりますが、赤いDLと青い寝台客車の組み合わせに、つい、この様な
御遊びをしたくなるのは、私だけではない筈………多分(^^)




投稿者 雑魚
投稿日 2009年 6月19日(金)11時22分43秒
タイトル 北区散歩 その八
いや〜、正に「開放的」な眺めですねぇ(^^)この様に、何度も踏切を往復しながら、
編成を小分けにする段取りを初めて知りましたが、そうしないと車両整備に不具合を
来たすのでしょうか?

この踏切、本線も横切る為、かなりの頻度で遮断されますが、上野寄りの踏切と同様、
本線とは立体交差の仕様であれば、などと、他愛も無い事を感じるのでした。




投稿者 雑魚
投稿日 2009年 6月19日(金)11時26分18秒
タイトル 北区散歩 その九
今回は珍しく、ホームから「能登」編成が見えました。これだけの人気被写体なのに、
いつも奥まった場所に留置され、何とも「尾久ゆかしい」存在です(^^)

五連投、失礼申し上げました。




投稿者 きむたお
投稿日 2009年 6月20日(土)06時14分22秒
タイトル 今朝の日本海・北陸
'09/6/20(富山)、4002、上り「日本海」
EF81 101↓
オハネフ24 23
オハネ24 7
 オハネ24 51
 オハネフ24 10
 オハネ25 213
 オハネ25 216
 オハネフ25 201
 オロネ24 4
 カニ24 109


*オハネ24が2両も入ってますな(^^;)


'09/6/20(富山)、3001、上り(北陸線内)「北陸」
EF81 141↑
・スハネフ14 20
・スハネ14 701
 ・オロネ14 703
 ・スハネ14 759
 ・スハネフ14 28
 ・スハネ14 752
 ・オハネ14 91
 ・スハネフ14 30



▼ 赤まんと様
毎度ありがとうございます。m(__)m
前から尾久に1両だけGマークの無いオハネがいたのは知っていたのですが、
最近ぜんぜん見ないから入場の際に復活したものと思ってまして、何の気なしにGマークをつけてました(汗
63号が該当車だったわけですね。ってことは長らく当方は63号に出会ってなかったわけです。
たしかに、最近はいつも89号か91号ばかりだったと言えばそうかも知れません・・・。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 6月20日(土)06時49分46秒
タイトル 懐かしき鉄道風景です
 おはようございます。昨晩はゆっくりと御休になられましたでしょうか。「ED76109」であります。

 マロネロ38様
 >もう新線では見られないのですね?

  小生の手持ち資料「記録写真集 昭和40年代の鉄道 第1集/北海道編(Bee Book編)」の表紙写真が、
「昭和44年4月撮影の神居古潭」での列車交換風景となっております。
粉雪舞う相対式ホームに停車している「C551」牽引の「140レ」からは、
スチームが舞い上がるといった懐かしい風景が掲載されています。
 「神居古潭」は、NHKの朝の連続ドラマ「旅路」の舞台にもなった景勝地。
現在では、「C57」、「D51」及び「9600」が静態保存され、旧線跡はサイクリングロードと化し、
旧駅舎は明治時代のものに復元されているとのこと。
小生は残念ながら「新線」でしか走っておりませんが、
「マロネロ38」様の仰るように「石狩川上流」の渓谷は四季折々の風情があったようであり、
古くからの「名撮影地」だったようであります。(先達の皆様にはまさに「釈迦に説法」ですね)
 件の「準急506レ」は、「C57」牽引のようであります。
早暁、深緑の中を「貴婦人」に牽引された旧客準急が進むシーンは想像できませんが、
おそらく国鉄黄金時代の象徴的なワンシーンだったのでありましょう。
そんな旅を経験された「マロネロ38」様が羨ましき限りであります。

 >駅弁を買ったら「大きな小豆」入りの赤飯

 当時、道内の食糧事情から「赤飯」や「おこわ」が駅弁として販売されていた(義父談より)らしいのですが、
詳細は不明であります。
先達の皆様からの御教示があれば宜しくお願いいたします。

 長々と失礼致しました。
以上、道内夜行の一周忌が近づき、淋しさが感じられてならない「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 ものずきヲヤヂ
投稿日 2009年 6月21日(日)08時21分9秒
タイトル 客車は「いじめ」の対象か!?
いよいよ「ムーンライト九州/高知・松山」も廃止となる模様ですね。
JR側としては、もともとが臨時列車扱いだったため「廃止」ではなく「運行終了」とのスタンスを取っているようですが
無くなってしまうことに変わりはありません。
表向きの理由はご他聞に漏れず「利用者の減少」ですが、
どう考えても効率化のみを追求した「客車列車に対するいじめ」にしか思えないのは私だけでは無いでしょう。
う〜ん、きわめて残念・・・・



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 6月21日(日)11時14分11秒
タイトル 夜行客車嫌いのJR各社=18切符廃止方針?
「ムーンライト高知」には一度だけファン仲間と大阪から高知迄乗車したが、
当時は12系改造のオールグリーン車。8月下旬だったので満員で、ごろね車が取れず、
1+2のリクライニングシートの1人掛け席だった。デッキの自動販売機が全部売り切れ
で、左党の仲間がおおむくれ、岡山でやっとビール仕入れ。岡山からDE10だったが
阿波池田到着寸前に「ハイケンスのセレナード」が流れて「おはようアナウンス」、
高知には定時到着。DE10を見に行ったら「漫画調のヘッドサイン」が------
高知出身の「はらたいら」(故人)のデザインかな?なんて。
でも車内灯がインバーターなので、白熱灯並みの「減光」が出来なくて「眠り難い」
のが困った思い出があった。
「廃止」とは-----たられば論だが、14系改造で車内灯が「全−半」と減光の回路に
して呉れていたら、静かで仮眠ももっと出来ただろうに-------。それと「ごろね車」
増車。
「利用者の減少」は言い訳で「ハ」を連結し出してから18族が多くなったので
「18切符族敬遠策」を取っているのが明らか。
18切符のばら売りを出来なくした時点で「18切符廃止」の方向だな?と感じたが、J
R各社の本音は「18を利用しし難くする」→「18利用者減少を口実に廃止」の企みが
見え見え。
京都−大阪−高知間は「大阪-高知航路廃止」でバスに十分対抗出来ると想われるが、
「全廃」はJRの行き過ぎと驕りに因るサービス低下であり「自ら首を締める」結果に
なりはしないだろうか?



投稿者 ナハネフ120
投稿日 2009年 6月21日(日)21時03分1秒
タイトル 愛称サボの入れ方
こんばんは。 列車の愛称サボの入れ方について、おたずねします。

DC急行等もまだ沢山あった頃、乗降口(同一車両の前後で計2か所)の片方が「愛称/NAME」で、
他方が「急行/EXPRESS」か「急行/指定席」のような入れ方をしていたことが
多く見られたように記憶しております。
何かルールのようなもの(慣例?)があったのかは存じませんが、
客車急行の事例(時代により異なる?)etc.をお聞かせ下さりませんでしょうか。
よろしくお願い申します。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 6月23日(火)08時32分8秒
タイトル 客車の立ち位置
▼ものずきヲヤヂ様:
> 効率化のみを追求した「客車列車に対するいじめ」にしか思えない

最近、尾久でブルトレの組成作業を何度か見物しましたが、電車や気動車に比べると、
手間を要する印象は否めず、この様な領域にも、費用対効果の均衡が強く求められる
近年の市場原理主義の浸透らしきが感じられます。

客車の存在を必然せしめる、夜行列車の領域については、最新RJ誌の特集において、
夜行列車移動が、社会通念から乖離しつつある旨の言及があり、夜間帯の支援要員の
配置なども考えると、我々「鉄」の趣向や、高度経済成長期を踏まえた論功行賞的な
考え方だけでは、存続に足る動機にはなり得ない、とも感じます。

更に「きたぐに」における 583系の延命使用の背景事情など、ダイヤと加減速性能の
整合性を考えると、鉄道の圧倒的な優位性が失われた現在「動力分散方式」の徹底は、
明確な潮流ですね。いじめというよりも、客車便を維持するだけの余裕が失われつつ
あるという事ではないでしょうか。何とも寂しい話ではありますが。

上記RJ誌と同日発売のRF誌に、大きく広告が掲載された漫画「鉄娘な3姉妹」も
店頭に積まれていたので「富士/はやぶさ」の表紙に惹かれ、購入してしまいました
………う〜む、こりゃ凄い内容です(^^)



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 6月23日(火)09時50分35秒
タイトル 渓谷の先にあるもの
▼ED75 106様:

神居古潭駅の廃止は1969年。急峻な渓谷区間における、電化・複線化時の経路変更の
産物であり、山陰線の保津峡ないし福知山線の武庫川渓谷と同様の事情が窺えますね。

この渓谷は、空知・上川の支庁境界でもあり、前後の、納内・伊納・近文の各駅では、
特急が雁行する函館線にあって、普通列車の停車が一日十往復以下と、道内第二位の
人口規模を擁する旭川の近郊域の割には、意外に少なく、空知支庁域との結び付きは、
想像していた程には大きくないのかも知れません。

学生時代、伊納駅で撮影に興じた事がありますが、上下線が程好く離れた線形なので、
ホーム上からでも、まずまずの構図となり、当時健在だった宗谷線の昼行客車急行を
嬉々として撮ったものです。夜行便と異なり、函館線内でも、DL牽引と記憶します。
上り便は、旭川での停車時間が長く、その間に電車特急を先発される内容でしたっけ。

普通列車の本数のみを考えるなら、旭川の都市圏は、宗谷線・富良野線の沿線域での
展開性が大きい様です。2003年、旭川運転所が旭川駅から北旭川駅に移り、宗谷線が
部分電化されましたが、これを、普通列車の増便に活用できないか、などと感じます。

一方、保津峡や武庫川渓谷は、都市規模において旭川を遥かに凌駕する京都・大阪を
背後に控えている為、渓谷を抜けた先も宅地の一大開発が目立ちますね。掲出画像は、
トロッコ亀岡に到着する直前、嵯峨野観光鉄道の車内から眺めた様子です。今までの
深山幽谷は何だったのかと思うほどに、街が開けていますね。




投稿者 クモイ103
投稿日 2009年 6月23日(火)20時00分46秒
タイトル Re: 愛称サボの入れ方
ナハネフ120様、はじめまして。
はじめにまず「わかりません」と白旗を揚げておきますm(_ _)m。

急行札と愛称札の入れ方については、本掲示板でこれまでも何度か話題が出たように思いますが、
はっきりとした情報が得られていませんね。実物は左右どちらの例もあった様です。
客車関係の図面集を見ると、急行札や愛称札を入れるサボ受けは前後とも「急行札差し」とされており、
区別されていない様です。
従って区別があるとすれば、「規程」や「基準規程」などの上位のものでなく、
より現場的な「通達」や「通報」またはそれ以下の慣例的なものかもしれません。
それも全国統一のものでなく、支社や管理局などで独自の基準があった可能性もありますね。



 
 
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