倶楽部メモ(515)
平成21年 4月24日〜 4月26日



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 4月24日(金)11時17分10秒
タイトル 鶯谷にて
先月「富士/はやぶさ」が廃止され、東京出張の御約束である「事前撮影」の対象が、
今月から「カシオペア」「北斗星」となりました(^^)とは云っても、程好い足場が
中々見つからず、とりあえず、安直に鶯谷駅ホームから、名物の「推進回送」を一枚。

本来なら、十八番だった六郷土手駅での構図に肖って、荒川橋梁で狙うべき処ですが、
こちらは、都合の良い並行私鉄の駅が無いんですよねぇ(^^)地下鉄の赤羽岩淵駅が
まあまあ近いかな。ところで、荒川橋梁では、多摩川橋梁の様に、被写体がトラスに
遮られない「露出区間」はありましたっけ?




投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 4月24日(金)21時14分55秒
タイトル 最終「はくつる」では・・・
プルマン様の投稿から判断するに、上下ともにごく近くで私は編成記録を取っていたことになります。
昨年6月末まで尾久の実家に住んでおりましたので、下り最終は上野駅に出向いて、
上り最終は出勤準備の合間に駅線路際で記録を取りました。
模型趣味であれば、下り最終はご存知かもわかりませんが、全検時期入りで紹介しておきます。
また、宮原のカニ借り入れの「彗星」も合わせて投稿いたします。

2002/11/30 9011レ「はくつる」       1999/8/18 33レ「彗星」
↑オハネフ24 23(白・14-3土崎工)      EF65 1113
 オハネ24 19(白・13-12土崎工)      ↑カニ24 108(10-2下関部)
 オハネ25 32(金・13-11土崎・引戸)    ↓オハネフ25 21(10-8鷹取工)
↑オハネフ25 117(金・13-5土崎工)      オハネ25 88(11-7鷹取工)
 オハネ25 140(金・12-11土崎・洗面未更新) オハネ25 82(11-6鷹取工)
 オハネ25 5(白・13-12土崎工)      ↓オハネフ25 35(10-5鷹取工)
↑オハネフ25 1(白・13-5土崎工)       オハネ25 91(9-5鷹取工)
 オハネ25 215(金・13-11土崎工)     ↓オハネフ25 31(8-8鷹取工)
 オハネ25 211(金・12-4土崎工)       大阪在住友人の協力により。
 オロネ25 702(A個・12-7土崎工)      カニ宮原車。2,3,7号車欠。
 オハネ25 4(白・10-6土崎工)
↓カニ24 116(白・13-9土崎工)
 EF81 139

「はくつる」は記念セレモニー実施。2分延発。編成記録NO.1757。
オハネ25 140は元々銀帯車。1997年全検で白帯化。
最後の全検で洗面台未更新のまま金帯化の異端車に。検査切れで2003年廃車。
「彗星」・・・カニ24 11が11-9鷹取工で、入場中。予備車無しのための借り入れ措置。
「彗星」車種変更後は再び宮原に舞い戻り、「銀河」主体運用に。
以上、参考までに。



投稿者 クモイ103
投稿日 2009年 4月24日(金)21時48分0秒
タイトル 乗車記念証
>プルマン様
> 上りはアナウンスで乗車記念証をくばったようですが、もらいましたか?
…たぶんもらったと思うのですが、生来のずぼらで整理が悪く、行方不明です…orz
捨てる筈は無いので、そのうちひょっこり見つかると思いますが(爆)。



投稿者 クモイ103
投稿日 2009年 4月24日(金)21時49分4秒
タイトル 荒川橋梁
>雑魚様
> 荒川橋梁では、多摩川橋梁の様に、被写体がトラスに遮られない「露出区間」はありましたっけ?
…残念ながら、東北本線の荒川橋梁は、トラスの前後をコンクリートガーターがしっかり固めており、
「露出区間」はありません。
川口側の築堤上は比較的開けていますので、沿線の建物に登ることが出来ればあるいは…という気もしますが、
そう簡単に登れる建物はなかなか無いでしょうね。
むしろ京浜東北線川口駅からの「駅撮り」の方が現実的かもしれません。
かなり昔に「あけぼの」を撮った写真を、
本HPの「20系客車誕生50周年記念写真館」→「寝台特急列車(上野駅発着列車)」に掲載して頂いております。
背景の風景は激変しましたが、構図としては現在も変わらないはずです。



投稿者 プルマン
投稿日 2009年 4月25日(土)02時18分15秒
タイトル 全検について
>赤まんと様
カニ24−108の最終瀬戸運用時の全検時期が提供の彗星で明確になりました。
その後、H18’3日本海1号函館最終時には網干工16−8。
昨年の日本海1号最終では網干19−7となっています。
彗星には鷹取が目立ちいい具合ですが、H15’辺りから、ほぼ網干となった気がします。
マイテ&ブルトレの世紀越え時にはマイテまで、全検が既に12−9網干総となっていました。
そして、宮原の24系ステンレス帯の撤去は、例えばオハネ25−60鷹取10−2で確認しましたが、
網干でさらに加速したようです。
また、全検の時期がここ最近早く感じます。
以前、彗星用の客車が検査切れで営業運転していてニュ−スにもなり問題になったことが影響しているのでしょうか。
上野口のブルトレですが、良く全検表記を記録されてます。驚きます。
上野駅、特にオハネフの表記がホ−ム側に無い場合が多く、
他の駅でも停車時間が短くしかも早朝なので、すべての記録は至難の業です。
よく記録されたものです。



投稿者 プルマン
投稿日 2009年 4月25日(土)02時51分11秒
タイトル この全検をご存知なら...
>赤まんと様
>皆々様
私は鉄道模型も趣味ですが、HOゲージも一部やっていて、
検査表記も正確な物を入れたいと思ってます。
HO化したい編成に前回公表した、日本海1号A初投入編成が一つです。
1998年12月当時の全検表記、機関車のEF81−106を含め、
カニ24−104、オハネフ25−132、42、46。
オハネ25−191、207、169、74、196の表記。
特にEF81とカニ24−104、オハネフ25−132です。
さらに、1997年のさよなら20系の全検表記カヤ21−17、ナハネフ22−25、
ナハネ20−239、338、312、332、216。
特にカニ21−17とナハネフ22−25を知りたいのです。
無ければアコモ改善が施された時の物がいいですが、古いものでも結構です。
彗星の件を見てもしかしたらと質問しました。
お手間を取らせて済みません。可能な範囲で1両でもご存知ならお聞かせください。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 4月25日(土)08時15分32秒
タイトル 「鉄ネタ」あれこれ・・・
 おはようございます。昨日はよく御休になられましたでしょうか。「ED76109」であります。

 赤マント様やプルマン様の「書き込み」を拝読しておりますと、日頃の蓄積が過去の運用歴に繋がり、
新たな視点で車両の歴史を辿れるという「学問的な見地」に達しているように拝察できます。
以前にも申し上げましたが、先達の皆様方の力を結集すれば「何か」できると思います・・・。

 さて、今回はスポーツに係る「鉄戯言」を述べさせていただきます。
先達の皆様方には、話題にして頂けるか心配でありますが、「話題の欠片」にでもと思い記させていただきます。

 1 昭和30年代に、「コダマ」という名馬がおりました。
「皐月賞」、「ダービー」といった大レースを勝ち抜いた名馬です。
この名前は、「鉄道ファン」の馬主であった「伊藤由五郎」氏が、当時「東京・大阪」を約7時間で走破した
「151系こだま」にちなみ、スピードを兼ね備えた競走馬にという願いを込めて名付けたものであります。
しかも、オーナーの「伊藤」氏が件の「レース」が行われる「東京競馬場」等に応援に行く際は、
当時の特急「第1こだま」の先頭車両である「12号車」の最前列席を必ず購入したというエピソードが・・・。
さらに、「コダマ」の弟にあたる「シンツバメ」も同35年6月に「PC」から「EC」になり
スピードアップされた「つばめ」から名付けられております。
 また、競馬ファンでもある小生、平成2年の「福島3歳ステークス」で賞金を稼ぎ、
「鉄資金」にあてた記憶がございます。
その勝利馬名は「ヤクモアサカゼ」。
当然の如く、「三江線」と「可部線」の制覇及び「あさかぜ」を楽しませていただきました。

 2 現在、「TBS」を中心に野球解説でお馴染みの「牛島和彦」氏。
現役時代はホークボールの名手として活躍されておられましたが、同氏は大の「飛行機嫌い」。
一時期「横浜ベイスターズ」の監督でありましたが、監督時に「長崎ビッグNスタジアム」で開催された「広島戦」の折、
チーム本体は試合当日に飛行機で長崎まで移動する予定でありましたが、
同氏はチームとは別に「新横浜」から「のぞみ1号」と「ECかもめ」を乗り継いで「長崎」入りされました。
また、平成17年の交流戦の際には、「フルキャストスタジアム宮城」で行われた
「東北楽天ゴールデンイーグルス戦」の後は「札幌ドーム」での「北海道日本ハム戦」。
「楽天戦」の最終戦が雨で中止となったのを口実に、翌朝飛行機で移動するチームから離れて、
ブルトレ「北斗星3号」で移動という徹底ぶり・・・。
記者から、「なぜ飛行機ではなく、ブルートレインで移動したのか。」との質問に、
「車窓から見る海の眺めが好きだから。」等のコメントで返しておられました。

 3 JR各社は社会人野球に積極的に参画しており、日本プロ野球にも多くの名選手を送り出しております。
先日、世界一になりました「WBC」の「侍ジャパン」の一員である、「オリックスバッファローズ」の「小松聖」投手は、
「JR九州」在職中に「吉塚」で出札及び改札の業務に当たっておられました。
また、「セントラルリーグ」の人気チームである「阪神タイガース」のリードオフマン「赤星憲司」外野手は、
「JR東日本」在職中に車掌の資格を取得しており、「仙台周辺」での乗務体験をお持ちだそうであります。
そういえば、以前「さよなら模様」で美声をご披露された「氷見線乗務の車掌氏(う〜ん、名前が出ない・・・)」
がいらっしゃいましたし、「チェッカーズ」の「藤井フミヤ」氏の弟さんも「元国鉄マン」。
鉄道員は芸達者揃いのようであります。

 長々と失礼いたしました。以上、「鉄」と「競馬」と「プロ野球」好きの「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 4月25日(土)09時50分39秒
タイトル コンクリート 橋梁
▼クモイ 103様:
> 荒川橋梁は、トラスの前後をコンクリートガーターがしっかり固めており、

御教示、有難うございました。御指摘に基き「グーグル」の空撮映像を調べました処、
確かに堅牢なコンクリート壁らしきが窺え、ちとがっかり(^^)東北線撮影と云えば、
宇都宮〜郡山が定番の私にとって、首都圏での構図確保は、なかなか難物そうですね。
御約束の「ヒガハス」も、車が無いと不便そうですし、安直に東鷲宮駅の高架区間は
絵にならないか、などと模索しています(^^)

地元・水戸では、水郡線が那珂川橋梁の前後で、交差する県道の移設を含む大規模な
高架化工事が進捗中で、昨年11月18日に急行越前様より御提示を頂いた風景は、既に
失われ、同様のコンクリート橋梁が忽然と出現しました。まぁ、定番だった「レトロ
奥久慈」や、12系充当の団臨が、最近はさっぱり御無沙汰なので、当該橋梁の付近で
三脚を構える事も無いのですが。

画像は、水戸駅に近い国道51号線の陸橋から、上菅谷方向を眺めたものです。掘割は
水戸城址の名残りで、複線モドキの右側が掘割を抜けた処で水郡線から離れ、那珂川
貨物駅(1984年廃止)に通じていました。現在は、右側の線路を高架橋に繋げるべく、
再整備中です。なお、奥に見える陸橋が、私の元通学路です。




投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 4月25日(土)18時21分41秒
タイトル 惜しいものばかりです・・・
プルマン様ご依頼の件ですが・・・。
挙げられた車両のほとんどが翌1999年前半に相次いで出場しております。
大阪を通るブルトレ記録が友人から送られてくるようになったのがその99年春以降で、
肝心の私自身はといえば、当時全検表記までは取っていなかったのです。惜しい気持ちです。
その中から分かるもののみ挙げておきます。
オハネ25 191、207・・・10-11鷹取工。オハネフ25 132・・・6-11幡生工です。
参考までに・・・。
オハネ25 74(11-6鷹取工)、196(11-2鷹取工)、
オハネフ25 42(11-5鷹取工)、46(11-1鷹取工→98年12月は入場中で、運用離脱中と推察)、
カニ24 104(12-10網干総)。
友人はマメな男で、営業職という立場を活用し、時間があるときは、
大阪駅では到着番線によって検査表記が見えないカニやオハネフも、
わざわざホームを渡ってまでハガキで送ってくれたものです
(10年前はまだまだ我々は携帯などなくとも、不便はなかったのです!)。
私も自分で言うのもナンですが、マメといいますか、できうる限り知らないと気が済まないタチで、
上野駅で反対ホームに回り、オハネフの検査表記を記録しています。
一度記録してしまえばこっちのもの。
現在営業に就くブルトレ車両の検査表記は全てデータベース化していますから、そこから引っ張るのみです。
余談ですが、正確に再現するとなると、オハネフ25 42と46は洗面台更新車ですから、窓を埋める必要がありますね。
検査周期は宮原で「日本海」主体に当時使われたオハネ25 42、45、46、71、73〜79と、
オハネフ25 40、42、46、47、136、142、143、カニ24 104、106あたりはほぼ2年〜2年半で巡ってきましたから、
98年末時点の検査時期が不明でも、次期検査表記から推測はできます。
「日本海」「銀河」双方に入った車両は3年程度。(カニ24 108はいい例です)
「銀河」はほぼ4〜5年といった周期で、オロネ24になると4〜6年程度でした。
15年程度こうして見てきますと、運用距離が1000キロを超えると2年程度で検査となるようで、
700キロ以下だとオリンピックのように4年周期、というような目安がわかりました。
最短は「北斗星」用のソロ、デュエットで、予備がないため、開放寝台に代えられることもごく少なく、
1年半程度で検査周期がきます。
「北陸」用は予備車がやや多く、距離は短く、で、5年半から8年と長い周期ながら、
手入れは大変行き届き、いつもキレイです。
教壇に立っていらっしゃるED76109様の「学問的見地」というお言葉は光栄ではありますが、
いささかこれはホメすぎというものです。
ただ、検査表記からその周期の法則がある程度掴める今、次回全検はだいたいいつか、
列車が廃止になった場合、どれとどれは検査期限が近いから、共通運用の際は残ることなく、
優先的に廃車かな?などと推察する、ヒトと違った楽しみはあります。



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 4月25日(土)18時34分8秒
タイトル 宮原の銀テープ帯について
連続で失礼いたします。
私が初めて確認した銀テープ帯は、当時珍しく「銀河」に入ったオハネフ25 43で、9-9鷹取工です。
鷹取から網干への移管は記憶に間違いがなければ、2000年度からのはずで、
12-3網干総、という表記は存在しないものと認識します。
宮原ブルトレ初の網干表記を目にしたのは、当時から「銀河」主体だったオハネ25 158で、12-8網干総です。
当時1996年から97年にかけ下関で検査を受けていた「瀬戸」お下がりのオハネ25 160、161、175、176といった車両が
相次いで検査時期に当たっていたのです。
最後まで鷹取表記で残ったのは、カニ24 11とオハネ25 64あたりではないでしょうか。
11-9鷹取工の次が15-2網干総、10-5鷹取工の次が同じく15-2網干総です。
以上、長々とマニアックな話題ですが、参考までに。



投稿者 プルマン
投稿日 2009年 4月26日(日)01時05分25秒
タイトル 明日使える知識です!
ED76109様
>学問的な見地
そのような大そうなものではありません。
私の鉄歴はすべて模型と共にあり、実物の情報をいかに模型に生かすかの興味が中心でした。
ですから、鉄道の歴史や路線、関連のルーツなどまったく無知で皆様とお話できる立場にありません。
車両の概観、内装、床下表記などに執着し、あたかも女子のスカ−トを覗き見するような
変質的な行為に似ているかもしれません。
しかし、そうした趣も鉄道ファンの一つではないかと自負してます。
例えば、今まで全検表記を記した専門書籍は編成と違い皆無に等しいですが、新しい見地として注目されると思います。
こうした情報がいいか悪いかは次の世代のファン層が評価することですが、
赤まんと様の分析を見ると、思いがけない知識の広がりを学ぶことができると私は知りました。
間違いなく貴重な情報として、後世に受け継がれることでしょう。
ED76109様の視点は鉄趣味以外に人にも、さりげなく鉄を語れるうまい方法かもしれません。
競馬は驚きましたが、パチンカ−に対しては古いですが電車でGO!ぐらいでしょうか。
赤星選手は私も知っています。他に新幹線の免許を取って他に転職した人を聞いたことがあります。
丘の上ではまったく役に立たない長物ですが、そうした資格に生涯を捧げずJRを腰掛代わりにする人は結構いるようです。



投稿者 プルマン
投稿日 2009年 4月26日(日)01時50分29秒
タイトル 今回も大収穫でした。
>赤まんと様
今回もお忙しい中、貴重な情報をありがとうございました。
オハネフ25−132の幡生工は初めてみました。実物の表記を見たかったです。
そうなると、前回にご教示戴いたつるぎの表記は鷹取ではなく幡生という可能性が高いですね。まったく興味が尽きません。
また、手洗窓の有無や、非常口の埋め方、形状を記録するようにしています。
つるぎ編成の手洗窓情報は依頼してませんが、大いに助かりました。
書籍の94年当時の写真を確認すると、カニ24次位のオハネフの手洗窓のみ埋めてあり、ご教示通りです。
どうやら、短編成なのもあり、編成を組み替えずに固定編成のように運転されていたのではないでしょうか。
電源だけは0番台、0番台トワイライト、カヤと交換されているようですが。
ちなみに100番台はめったに入りませんよね。
また、非常口の埋め方ですが、なぜか0番台は完全に埋められ、100番台は水切りが残っているようです。
20系の話ですが、JR化後も10年活躍したわりに非常口はほぼ埋められなかった。(カニは荷物扉が一部埋め)
特に注目するべきはJRマ−クがJR東のカニ21−10以外は貼られなかったことだと思います。
20系。地元ではないですが、雲仙にでも最後に乗りたかったです。
20系全検表記の件、1両でもわかると助かりますが、無理をしないでください。




投稿者 クモイ103
投稿日 2009年 4月26日(日)06時56分3秒
タイトル Re: 雑誌・資料等からの転記について
>仙コリ(管理人) 様

遅レスですが、総務省HP(http://www.soumu.go.jp/)でちょっと検索したら出てきましたのでご報告します。

**********
著作権法
(昭和四十五年五月六日法律第四十八号)
最終改正:平成二〇年六月一八日法律第八一号

(引用)
第三十二条  公表された著作物は、引用して利用することができる。
この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上
正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
2  国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人又は地方独立行政法人が一般に周知させることを目的として作成し、
その著作の名義の下に公表する広報資料、調査統計資料、報告書その他これらに類する著作物は、
説明の材料として新聞紙、雑誌その他の刊行物に転載することができる。
ただし、これを禁止する旨の表示がある場合は、この限りでない。
**********

これを見る限り、当掲示板で話題を補完するために文献を引用する程度はセーフではないでしょうか。
良かった〜一時はどうなるかと思った(^^;

ちなみにこの前の第三十一条は(図書館等における複製)で、以前にEF5841様がご紹介下さいましたね
(→倶楽部メモ163)。



投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2009年 4月26日(日)08時12分11秒
タイトル RE:この全検をご存知なら...
>プルマンさま

20系の記録がありましたのでお知らせします。

平成7年(1995)11月26日 青森駅 9513レ
EF81

8)ナハネフ22 25 33.1t 7-7 鷹取工
7)ナハネ20  312 32.3t 5-7   〃   43日車名古屋
6)  〃      360  〃   5-9   〃   45日車名古屋
5)  〃      306  〃   5-5   〃   43日車名古屋
4)  〃      247  〃  4-12   〃   43日車名古屋
3)  〃      359  〃   5-2   〃   45日車名古屋
2)  〃      338  〃   5-7   〃   45日車名古屋
1)  〃      228  〃   4-6   〃   43日車名古屋 51高砂工
  カヤ21    15           40日車名古屋 53高砂工


このあと97年までの間の全検入場は不明ですが・・・
投稿者のホームページ



 
 
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