倶楽部メモ(514)
平成21年 4月23日〜 4月24日



投稿者 太田拓也
投稿日 2009年 4月23日(木)06時55分15秒
タイトル 固定編成客車ってどういう意味ですか?
今更ながら質問があります。
20系客車は登場時「固定編成客車」と呼ばれていましたが、
いったいどういう意味なのでしょうか。
新幹線300系は廃車されるまで一度も編成の組み換えがなかった「16両固定編成」ですが、
20系は頻繁に編成組み換えをやっていて全く「固定」されていないのですが。
投稿者のホームページ



投稿者 バンブー
投稿日 2009年 4月23日(木)10時37分11秒
タイトル RE:固定編成客車ってどういう意味ですか?
太田拓也様
私も詳しくは存じませんが、当時と現代では「固定編成」に関する概念が違うと思います。
現代で言えば棒連結器等で完全に固定された編成でなければ「固定編成」とはいえないと思いますが、
それまでの10系以前の客車は良くも悪くも1両単位での管理・運用で、どのような客車同士でも
連結可能だった時代に、20系客車は基本的に編成単位での管理・運用となったわけで、実際にも
落成後しばらくは故障車などが出ない限りは固定した編成にて運用されていたのではないかと思います。
何よりも重要だったのは電源関係で、それまでの10系以前の客車は1両ごとに車軸発電機等を装備し
電気的には(電気暖房や放送設備を除いては)1両完結だったのに対して、20系客車は必ず電源車と
組まなければ運用できなかった事により、他系列との併結は出来ない(晩年には例外もありますが)
構造であり、概念的に「固定編成」といっても差し支えなかったのではないかと考えます。



投稿者 滉淬
投稿日 2009年 4月23日(木)11時47分38秒
タイトル 固定編成客車
太田拓也様

バンブー様の補足として、組換をしていたといっても基本的には列車毎に編成が
決まっており変わるのは電源車か緩急車だけである例が大多数であったといえます。
(無論ダイヤ改正等では基本編成が変わることはありましたが)故にバンブー様の
仰る通り従来の一両単位の客車からおおまかには編成単位と呼べるようなものに
明らかに変わった形式であるということで差別化の意味を込めて「固定編成客車」という
呼称になったのではないでしょうか。



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 4月23日(木)18時12分32秒
タイトル 「つるぎ」は思い切り逃しています・・・
プルマン様。
力になれず申し訳ないのですが、「つるぎ」は自ら取った車番記録が全くなく、
ジェー・アール・アール刊の「客車気動車編成表」の90〜94年版と、「鉄道ファン」94年2月号を頼るのみの状況です。
引用した誌名、出版社を明記すれば転記・投稿可能であれば、手持ちの資料から紹介させていただきます。
この点、管理人様の判断をお待ちいたします。
編成記録をこれまでひたすら誌面で追いかけたり、自ら調査したりした結果、
宮原の24系もある程度、列車によって使用する車両が決まっている傾向を感じました。
「日本海」「つるぎ」は当然、特急ですから、93年頃まで一部について行われた、洗面台更新車両を優先して充当しており、
「銀河」には未更新車が主に使われています。
更新車はオハネ25 45、73、75、79、83、85、88、90と、オハネフ25 40、42、46、142が該当し、
このうちオハネフ25 40のみ、95年頃から一時期「銀河」によく使われました。
オハネ15から改造の250番台は「つるぎ」「銀河」運用が多かったようで、「つるぎ」廃止後は「銀河」主体でした。
もちろん完全に分けて使用していたわけではなく、運用の都合で洗面台更新車が「銀河」に入ることもあり、
オハネ25 250番台が「日本海」に使われるケースもありました。
今回の話題からはズレますが、1998年以降、「日本海」に「瀬戸」お下がりのオロネ25 300が充てられるようになり、
予備車ゼロのため、京都配置のオロネ14 300の引き通しを改造し、検査時に使用したのは、割合知られるところです。
最後に、「はくつる」全検に補足させていただきますので、参考までに。
オハネフ25 205・・・13-11土崎工(現・17-12秋田総合車セ・「あけぼの」用レディースゴロンとシート)
オハネフ25 118・・・11-8土崎工(「はくつる」廃止に伴い廃車。検査期限切れ)
オハネ25 148・・・・14-3土崎工(現・18-1秋田総合車セ)
以上です。



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2009年 4月23日(木)18時46分4秒
タイトル 雑誌・資料等からの転記について
赤まんと様
いつもお世話になっております。
引用した誌名、出版社を明記すれば転記・投稿可能であるか?との事ですが、結論から言ってしまうと
私としては編成等の記録については問題は無いと考えています。
こういった問題は著作権等がからみますので難しい問題なのですが…
もちろん写真や掲載文章そのままでの転記はあきらかに著作権法違反となりますので違法となりますが、
編成の記録等は事実の記載であり、執筆者の考え等が反映されているわけでは無いと考えますので
引用元の誌名、出版社名等の明記は必須であると考えますが、転記は可能であると考えます。

追伸:私自身法律に詳しいわけではないので、精通された方の解釈をお聞かせいただければ幸いです。
   ただ、これがNGとなってしまうと、趣味的にかなり苦しい状態になってしまうものと思います。
   どの資料の何ページを見て下さいといっても入手困難な資料がほとんどといった状況ですから。



投稿者 クモイ103
投稿日 2009年 4月23日(木)19時15分9秒
タイトル Re: さよなら はくつる
ちょっと投稿の間が空いてしまいました。皆様の盛んなご発言は読ませていただいております。

>プルマン様

上り「さよならはくつる」には全区間乗車し、編成も記録しました。
ご不明の3両は、
(7)オハネフ25 116
(8)オハネ25 6
(9)オハネフ25 201
です。ちなみに青森運転所から青森駅への据え付け回送を牽引したのは、DE10 1762でした。

この列車に乗る前、これまた最終日の快速「海峡」に乗っております。
2002(平成14)年11月30日 函館17:19→青森19:55 6130レ快速「海峡10号」
(機)ED79 18
(12)オハフ50 5011
(11)オハ50 5013
(10)オハフ51 5003
( 9)オハ50 5002
( 8)オハ50 5004
( 7)オハフ50 5001
( 6)オハ50 5006
( 5)オハフ50 5002
( 4)オハフ50 5012
( 3)オハ50 5003
( 2)オハ51 5001(ゆったりカーペット)
( 1)オハフ50 5009
私の乗った7号車を含めてがらがらでしたが、この編成が青森到着後、折返し下り最終「海峡」となり、
満員の乗客を乗せ、6番線ホームに鈴なりの人々とカメラの放列に見送られて、函館へと帰っていきました。



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 4月23日(木)19時49分15秒
タイトル さらに補足
「はくつる」に関しては乗車こそ逃したものの、上下最終は押さえました。
下りは模型趣味の方であれば、トミックス製品をお持ちなら知るところと思います。
上りはオハネフ25 116は結局最後まで全検時期の記録を逃し続け不明。ただし1998年全検のはずです。
オハネ25 6同様に検査切れで「はくつる」廃止と運命を共にしました。
オハネ25 6・・・10-8土崎工→この検査を機に白帯化。
オハネフ25 201は12-8土崎工。当時白ペンキ文字でしたが、2003年10月全検で銀テープ文字化。
あわせて金属押さえブラインドに交換実施。現在19-8秋田総合車セ。
春先まで「あけぼの」用レディースゴロンとシートに使われましたが、
限定運用を解かれ、「あけぼの」4号車に使われています。いずれまた「日本海」運用にも入るでしょう。
管理人様の見解参考になりました。
少しずつ編成記録にも日が当たるようになってきたと認識しておりますので、
今後、皆様の疑問解明等につながるようであれば、引用誌名、出版社名明記のルール厳守の上、
ご紹介させていただきたく思います。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 4月23日(木)20時47分17秒
タイトル 小生の記憶はおぼろげですが・・・
 ルーティンワーク的にお邪魔しております。「ED76109」であります。

  プルマン様
 >私が好きな客車の本命は20系

 「国鉄」が初めて同一系列による「固定編成」を組むことを前提に設計し、
乗り心地に優れていた「TR55系台車」を完全装備。
既存の「ネ」に比べれば、居住性が向上した「寝台列車」でありました。
 車両の外観は、大断面の丸い屋根に特徴があり、最後尾に連結された「ナハネフ22」は流線型のイメージを備えた外観。
特に、「ナロネ20及び22のルーメット」と呼ばれる「1人用個室寝台」は、多くの旅人が強い憧憬を感じた豪華寝台。
室内は腰掛及び補助腰掛があり、壁に埋め込んである寝台を腰掛上に倒してベットに使用。
洗面台が設置され、洋式トイレが設置されたことから、「走るホテル」の名にふさわしい設備を誇っていたのであります。
残念ながら、「ルーメット」への小生の乗車経験はありません。
 小生の勝手な感想ですが、「24系」を昼間に座席として座っていると「幅が広く」、
落ち着いて座っていられないように感じます。
しかし、過去お世話になった「20系あおもり」では、寝台幅の「52p」が座席幅としてフィットする感覚がありました。
そのお陰でありましょうか、「日本海」や「庄内平野」の風景が、尚更輝いて見えたのであります。
微妙な振動もなく、細微にまで居住性を意識された作りが「20系」の特徴であるように考えております。

 長々と失礼いたしました。以上、昭和の旅人でありたい「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 4月23日(木)21時48分19秒
タイトル 意を強くしまして・・・
手持ちの資料から、プルマン様ご依頼の「つるぎ」編成記録をご紹介いたします。
参考資料はジェー・アール・アール刊「客車気動車編成表」の90年版〜94年版で、機関車の記録は無し。
調査駅の記述も無し。特記事項ない限り、基本的に4/1の記録です。
1990年分
4005レ
↑カヤ24 8
↓オハネフ25 30
 オハネ25 83
 オハネ25 70
 オハネ25 77
↓オハネフ25 42
 オハネ25 46
 オハネ25 54
↓オハネフ25 39

4006レ
↑カニ24 11
↓オハネフ25 20
 オハネ25 49
 オハネ25 42
 オハネ25 62
↓オハネフ25 22
 オハネ25 64
 オハネ25 65
↓オハネフ25 37

スペースを食いそうですので、数回に分けて投稿いたします。



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 4月23日(木)22時16分34秒
タイトル 電源車+7両時代が本命でしたね。
連続で失礼いたします。
考えてみますとプルマン様のご依頼は寝台7両時代とのことでした。
都合よく94年4月の編成はカヤが入り、やや編成美は崩れますが、100番台、250番台組込みと、
地味ながら、なかなか見どころがあります。
〜ジェー・アール・アール刊「客車気動車編成表」94年版より。
4005レ          4006レ
↑カヤ24 8        ↑カヤ24 10
↓オハネフ25 136○    ↓オハネフ25 40○
 オハネ25 68       オハネ25 60
 オハネ25 42       オハネ25 64
↓オハネフ25 30     ↓オハネフ25 20
↓オハネフ25 39     ↓オハネフ25 35
 オハネ25 46       オハネ25 251
↓オハネフ25 31     ↓オハネフ25 28


洗面台更新車を○印で示しました。洗面台窓埋め込み、廊下にカーペット敷き。
続いて「鉄道ファン」94年2月号より。93年11月5日4005レ、大阪駅での記録で、近畿大学鉄道研究会の方々の記録です。
93年11月5日 4005レ
↑カニ24 11
↓オハネフ25 32
 オハネ25 54
 オハネ25 66
↓オハネフ25 35
↓オハネフ25 22
 オハネ25 58
↓オハネフ25 37
  EF81 48


以上、参考になれば幸いです。
この「鉄道ファン」94年2月特集は、東西一斉にブルトレの車番とその列車の当日の表情をレポートするもので、
従来にない切り口が新鮮で、大学1年の当時、それこそ飽きず何べんも読んだものです。
東は早稲田大学鉄道研究会が取材しています。
「つるぎ」当日の表情は、大阪で乗り込むのは1割程度、閑散としており、ビジネスマン主体。
観光客はあまり見られない等、約1年後の廃止を予感させる寂しい記述です。
お持ちでなければ、古書店を探し、是非手元に置いておくことをお薦めします。
ほか、機会を改めまして投稿いたします。



投稿者 プルマン
投稿日 2009年 4月24日(金)00時08分13秒
タイトル 深く感謝いたします。
>赤まんと様
つるぎの編成は参考になりました。嘗ては日本海と共通運用と聞きましたが、
短編成になってからは0番台車しかみたことがなく(窓、妻の形から)
100・200番台をつるぎではみたことがありませんでした。
そのため、仲間内では模型で揃えるのが無理で諦めていました。
しかし現在、0番の製品化、インレタと車番が必要となり、記録が無いことに悩み続けました。
それも今回で解決して、楽になりました。模型仲間もよろこんでおります。
公開については、赤まんと様がご存知ならとお願いしたのですが、書籍などを調べて頂き、
お忙しい中、多大なお手間をとらせました。
また筆作権に関してもご心配をお掛けし、
赤まんと様ならびに管理人様へ深く感謝申し上げます。




投稿者 プルマン
投稿日 2009年 4月24日(金)00時50分0秒
タイトル 深く感謝いたします。
>赤まんと様
>クモイ103様
さよなら はくつる上り編成はお二人の力により完成致しました。
またカニ絡みですが、上り編成には元あさかぜ用のカニ24−102が入っており、
昨年の最終日本海2号、下り初日本海に使われ、個人的には好きな編成です。
ちなみに、検査表記が変わっております。
12−10土崎工→14−10土崎工
現在は塗装もきれいになり切れていた金帯もつながっておます。現在の表記不明。
まだまだ活躍が期待できるようですね。
赤まんと様、はくつるの検査表記ありがとうございました。
クモイ103様、回送牽引のDE10記録はお見事でした。
上りはアナウンスで乗車記念証をくばったようですが、もらいましたか?
宇都宮から乗車した私はもらえず、寝台券を記念にとアナウンスがありましたね。
また、海峡の編成記録は気づきませんでした。しかも最終です。
模型で揃えたくなりました。
今回は貴重な情報を戴きありがとうございました。

H14’12.1上りさよなら はくつる 尾久




投稿者 プルマン
投稿日 2009年 4月24日(金)01時55分21秒
タイトル 時を越えても名車20系
>ED76109様
トワイライトは確かに設備は豪華ですが、揺れは24系そのもで、
ロイヤルでもふと目が覚めました。
眠れば同じことで、いかに寝付けるかだと思います。
昭和の物はテレビでも20年以上もちました。それだけ丁寧に作られている?
24系も昭和生まれですが、いささか経営重視に走ったのでしょうか。
いずれにしても造った人達はもう鉄道界にいないのですよね。
工業技術の低下が言われる日本ですが、ブルトレや団塊の世代と共に大切な物も無くさないように
私も努力する毎日ですが、親方にはかないません。




投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 4月24日(金)10時22分12秒
タイトル カニ24 二題
プルマン様の投稿について。
カニ24 102の検査表記は12-10土崎工で間違いありません。
その後15-12土崎工で銀テープ文字に、その後20-7秋田総合車セと続き、ご指摘のようにきれいな外観を保っています。
もとは「あさかぜ」「瀬戸」「安芸」24系化のため下関に配置。
「安芸」廃止に伴い1年で向日町へ。
その後国鉄末期に品川に移り、グレードアップの対象になり、博多「あさかぜ」「出雲1、4号」に使用。
博多「あさかぜ」廃止で青森に転じ、「はくつる」「あけぼの」「鳥海」「日本海」に使われるようになり、
現在は「あけぼの」「日本海」で元気に働いているわけです。
雨どい外付け改造は1995年です。
差し替えられ、「日本海」に移ったようですね。1月は「あけぼの」運用でした。
自身のカニ24 102入り「あけぼの」記録と、少し前に話題になった、カニ24 511組込み博多「あさかぜ」記録を
紹介しておきます。

2009/1/22 2021レ「あけぼの」         1991/7/1(7/8の誤植?)9レ「あさかぜ1号」
(編成記録No.3861)             (「j-train Vol.32」イカロス出版 より)
↑オハネフ24 27(白・17-5秋田総合セ)     ↑カニ24 511
 オハネ25 148(金・18-1秋田総合セ)     ↓オハネフ25 120
 オハネ24 51(白・18-5秋田総合セ)       オハネ25 215
↑オハネフ25 117(金・20-11秋田総合セ)    ↓オハネフ25 119
 オハネ24 554(B個・19-7秋田総合セ)     オハネ24 701
 オハネ24 555(B個・19-5秋田総合セ)     オロネ25 703
 スロネ24 552(A個・17-1秋田総合セ)     スハネ25 702
↑オハネフ24 8(白・17-7秋田総合セ)      オシ24 704
↓カニ24 102(金・20-7秋田総合セ)      ↓オハネフ25 201
 EF81 99(カシオペア・20-2秋田総合)     オハネ25 208
                         オハネ25 143
                         オハネ25 224
                         オハネ25 217
                         オハネ25 212
                        ↓オハネフ25 128

「j-train Vol.32」の編成記録は一部オハネ・オハネフの間違い、車番の誤植があるものの、
イラスト入りで分かりやすく、模型ファンにうってつけの1冊です。
バックナンバー在庫が切れる前にそろえておくと良いでしょう。
運用の兼ね合いで、たまたま今回紹介の「あけぼの」金帯開放B寝台は博多「あさかぜ」に登場せず、
当日は「出雲」に回っていたようです。



 
 
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