倶楽部メモ(512)
平成21年 4月18日〜 4月19日



投稿者 プルマン
投稿日 2009年 4月18日(土)00時49分34秒
タイトル 麗しき国鉄色
雑魚様:
<肥前山口〜諫早は早岐経由でしたっけ?
ながさきについてネットで調べました。既にご存知かもしれません。
1422レ佐世保0:47→早岐1:12着32発→肥前山口2:46着51発→門司港7:49着
また、ながさきの切符画像では長崎発が23:00.このまま大村線で早岐に向かい
佐世保編成と長崎編成が併結するのでしょうか...つまり早岐経由?すみません、わかりません。
ちなみにこの切符によると早岐駅発行です。
S57年はB寝台料金が¥4,500。
私は7才でした。
客車倶楽部サイト様のながさき編成にはナハフ11が1両だけあります。
当時を偲んで横川駅構内での保存用車両の画像を載せます。

<ED76109様
撮影旅行ができるようになったのが平成10年からです。
きたぐにが電車化される頃から鉄道に興味を持ちました。
その頃、人はきたぐにを客車と言いますが、想像がつきませんでした。火災のことも...
当時は鉄仲間も多くいましたが、皆、去っていき、撮影旅行に関しては孤軍奮闘という状態です。
しかし、今、国鉄色までも去ろうとしています。
いつも難しい切符を取ってくれる東三条駅の駅員さんも退職し最終ブルトレを2本落としました。
次々と変わってしまい、寂しさと虚無感で自暴自棄になりそうです。
そんな中、このサイトと出会いED76109様のような乗車体験は新鮮で童心に帰り勇気付けてくれます。
これからも貴重な体験、聞かせてください。

画像:H10’9横川駅構内ナハフ11−1・高タカ・後藤工57−6・碓氷峠鉄道文化村展示用車両




投稿者 プルマン
投稿日 2009年 4月18日(土)02時05分27秒
タイトル お詫びと訂正
4月12日投稿の日本海1号A寝台初投入編成に2点誤りがありました。
訂正は以下です。
青森・函館間牽引のED79−705はED79−5に訂正
またオロネ25−305のデッキドアは無を有に訂正。
ちなみにA寝台表記はありません。
他は確認済みで間違いはありません。
大変ご迷惑をお掛けしました。
今後は信頼できる間違いの無い編成をお伝えできるよう気を付けます。
失礼しました。




投稿者 ED76109
投稿日 2009年 4月18日(土)07時55分23秒
タイトル 小生も同じ思いであります。
 おはようございます。昨日はゆっくりと御休になられましたでしょうか。「ED76109」であります。

 まずは、訂正を・・・。
4月16日(木)の投稿に係り、「下関はやぶさ」を「下関あさかぜ」に訂正致します。
謹んでお詫び致します。

  プルマン様
 >「ながさき」について

 「からまつ」(小樽・釧路)、「山陰」(京都・出雲市)及び「はやたま」(天王寺・新宮)と並ぶ
「夜行鈍行四天王」の一つであります。
昭和48年JTB時刻表6月号では、「ながさき」の名称はなく、
下りは「門司港」22時38分発→(大村線・佐世保線経由)「早岐」4時10分着→「長崎」6時41分着
(「佐世保」編成は「早岐」で分割され、4時46分着)のダイヤで運転されております。
プルマン様のご推察のとおりであり、「大村・佐世保線経由」で運転することから、
夜行列車の有効時間帯での運転となっています(とはいっても、「佐世保」着は早すぎますね)。
「ハネ」は「長崎」行のみの連結。
なお、昭和48年当時は、これらの「夜行鈍行」は主要停車駅及び沿線の旅行代理店でしか
「寝台券」を発券しておりませんでした。
小生は、「山陰」と「はやたま」しか「制覇」しておりません(残念)。

 >人はきたぐにを客車と言いますが

 御意。小生にしてみれば、「きたぐに」は「大阪・青森」を結ぶ「旧客急行」のイメージ。
全線制覇はできませんでしたが、昭和54年夏に「青森・秋田」を「ちょい乗り鉄」。
魅力的な長距離列車でございました。
昭和47年11月発生の「北陸隧道火災事故」につきましては、
過去ログに先達の皆様方の詳細な分析がございますので、是非一読されると良いと思います。
小学4年生の小生には、衝撃的な事故でありました。
改めて、当該事故で逝去された方々に心から哀悼の意を表すものであります。

 >寂しさと虚無感で自暴自棄

 小生も、今回の「はやぶさ・富士」の一件には、プロマン様と同様の淋しさを感じております。
ただし、まだ「ブルトレ」が全廃されたわけではありません。可能な限り「乗って」いきましょう。
そして、1人でも多くの方々に「夜行列車」の夢と浪漫を感じとっていただければという思いでございます。
とにかく、「乗る」しかないのであります。

 長々と失礼致しました。
以上、体験した「鉄旅」の費用総額を計算すると、
その「合計額」を愚妻に絶対に話せない「中年客車鉄ちゃん」でございました。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 4月18日(土)10時02分4秒
タイトル 常磐線
▼ED76 109様:
> 臨時「エルム」及び「はくつる」が「EF81」牽引でありました。
>「陸羽東線」経由にルート変更された「あけぼの」が、同様「EF81」牽引

御教示、有難うございました。やはり、急行クラスは、直流区間は「ゴハチ」牽引が
定番だったのですかね。子供の頃、夜の宇都宮駅で見掛けた「ゴハチ」牽引の客レは、
東北旅行への憧憬の象徴でもありました。

> 考えてみれば、全て「峠越え」か「長大隧道」の最寄り駅であり、

只でさえ隧道が多い新幹線はさて置き、一都六県としての関東地方と外縁部の境界を
通過する在来線で、唯一、然したる越境イメージを伴わないのが、常磐線の大津港〜
勿来ですね。常磐線自体の運行形態が一段落するのはいわきであり、同じ福島県でも
中通りと浜通りが、地勢的に一線を画して来た経緯や、公立高校の越境通学特例から、
常磐線沿線、特に日立市以北にとって、いわき市は、隣県ながらも、身近な存在です。

1980年代の半ばまで、平(当時)以北の普通列車は、草野・四ツ倉直通の「赤電」や、
原ノ町辺りからの「急行崩れ」仙台近郊の 417系(朝夕のみ)を除けば、旧客だらけ。
もし八郷に地磁気観測所が無ければ、常磐線の交直流切替点は、いわき〜草野または
四ツ倉〜久ノ浜になったものと想像します。

>「583系」を見ると「あ〜、北海道を出たんだなぁ…」と自然と意識しております。

昨年夏「北斗星」を利用した際の印象として、東室蘭で電化された路線が別れた処で、
なぜか「北海道とも御別れか〜」と感慨に耽りました。どうやら私は、電化の有無を
大きな段落点と捉える様です。

子供の頃、主に急行「ときわ」を利用しての東京行楽は無上の楽しみでしたが、帰途、
我孫子〜天王台の電車基地の側線が収束、終焉し、取手を過ぎて「緑色の山手線電車」
H電の姿が見えなくなると「茨城さ帰って来たんだべな〜」と感傷的になるのでした。
当時の東京への憧憬から、鉄道車両は「寒色系>暖色系」との固定観念がありました。

▼プルマン様:
> このまま大村線で早岐に向かい佐世保編成と長崎編成が併結するのでしょうか

十八番の「ARC資料室」では、該当データが見当たらず終いの由。御教示、有難う
ございました。運行距離から考えるなら、夜行列車としての有効時間帯を逸脱せぬ様、
早岐経由で「時間を稼ぐ」のは合理的ですね。そうなると喜々津以西も、実は長与を
経由していたとか………同時に、長崎線・佐世保線が電化された1976年以降の牽引機
運用次第も、気になりますね。



投稿者 Uzu
投稿日 2009年 4月18日(土)10時45分3秒
タイトル カニ24 511
>ED76109様
>赤まんと様

貴重な情報ありがとうございます。

カニ24 511はおそらく博多あさかぜでの使用があったというところでしょうか。
しかし、なぜ耐寒工事を施した車両が品川区に配属されたのか、腑に落ちませんね。
何かの暫定措置という感じでもありませんし…。

私もJR化以降のブルトレ車両運用を中心に調査していますが、なかなか不可解な点も多いものですね。
しかし、それが面白い点でもありますよね。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 4月18日(土)10時46分47秒
タイトル 「エルム」
ED76109先生:
「エルム」といえば室蘭−札幌間の準急205-206レが嚆矢ですね?
昭和27年7月に父と北海道旅行した時に、網走から例の「インチキ準急506レ」に
乗車して、岩見沢から210レ?(初発で当時スロハフ30が連結されていた)に乗り換え
、錦岡か社台辺りで206レと交換しました。C51牽引、オロ31x2で2等も3等も満員
に近かったので、室蘭−札幌間の乗客が多い事に意外な感じを抱きました。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 4月18日(土)19時43分31秒
タイトル 「エルム」はDC特急でもありました
 連投失礼いたします。「ED76109」でございます。

 雑魚様
 >鉄道車両は「寒色系>暖色系」との固定観念

 小生は、「交流機の赤色」に惹かれたおりました。
「ED75」や「ED76」の甲高いホイッスルに旅情を感じるとともに、
「新幹線型」の架線ポールに「旧客鈍行」をイメージ。
ですから、「常磐線」や「羽越本線」などの「白砂青松」の交流電化下の「長距離旧客鈍行」は、
絶対に外せない「最重要列車」なのでありました。(まさしく、日常の「鉄」風景とは異質の風景でした)。

 マロネロ38様
 >「エルム」といえば室蘭−札幌間の準急205-206レが嚆矢ですね?

 昭和25年10月に「札幌・室蘭」に運転を開始した準急が、同26年4月「エルム」と命名されたのであります。
同31年には、「C57」牽引となるとともに、編成の一部が「長万部」まで延長。
同36年10月に「ちとせ」と改称されて「DC準急」となりました。
その後、同44年10月に「函館・旭川」の「DC特急北斗」の一往復を「函館・札幌」に変更して「エルム」と改称し、
同46年ごろまで運転されております。
小生も、「鉄」親父との初渡道の際は「上り利尻のオロハネ10」を早暁の「岩見沢」で下車。
始発の「室蘭行(222レ)の狭窓のスハフ」で「C57」の汽笛を楽しみました。
その後、「DCちとせ」で「札幌」へ。
そして、翌日の「122レ」制覇のために「旭川」まで移動というルートを辿っております。

 失礼いたしました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 4月18日(土)20時47分26秒
タイトル 「きたぐに」(旧日本海)501-502レ
前身の青森急行時代に昭和17年の春休みに金沢へ連れて行ってもらって、
大阪からC51に(C53ではなかった)引かれたオロ31に乗ったのが最初です。
凸屋根のスシ37がついていてまだロネも連結されていました。半搗き米の
飯に魚の照り焼きと鰯つみれの澄まし汁だったか?の昼定食でした。
北海道の帰りに青森からC51牽引でオロ40の汚いのに金沢まで乗車したのが
最長距離?で、社会人になってから3回大阪−高岡間乗車で,つなぎ合わせの
完乗??今は583系電車ですが新潟だけではなく白新線経由で青森まで急行で
運転して欲しいものです-----12両編成ぐらいで。結構区間乗車がありそうです。



投稿者 ヒゲ無し雷鳥
投稿日 2009年 4月18日(土)23時01分10秒
タイトル エルム補足
昭和36年10月のちとせ改称後、エルムの愛称は準急の
北海道観光団体専用列車に用いられ函館>札幌、札幌>上川、
釧路>登別(追分経由)、登別>函館と運転されていました。
その後急行に格上げされ洞爺>札幌、のちに函館<>札幌と
運転区間が変更されましたが、1往復は倶知安経由、1往復は
東室蘭経由となり、特に下り第1エルムは函館蘭越間急行
蘭越倶知安間各停併結、倶知安から準急ニセコ2号併結という
ユニークな運転形態となりました。




投稿者 ED76109
投稿日 2009年 4月19日(日)08時54分3秒
タイトル いつもありがとうございます
 おはようございます。「ED76109」であります。

 ヒゲ無し雷鳥様
 >特に下り第1エルムは函館蘭越間急行蘭越倶知安間各停併結、倶知安から準急ニセコ2号併結というユニークな運転形態

 いつもありがとうございます。今では考えられない運用形態で、時代を感じてしまいます。
線路容量がギリギリの昭和30〜40年代には、併結や再併結を繰り返す「DC急行」が日本中を走り回っておりました。
また、一つ「鉄勉強」となりました。

 それでは、今日も「戯言」させていただきます。
いつものように、先達の皆様方の話題していただければ眼福の限りであります。

 1 昭和54年の盛夏、「青森」から「秋田」まで「きたぐに」の「12系」にお世話になりました。
さすがに昼過ぎの「青森」から、20時間かけて「大阪」まで乗車する方々はほとんど見かけられず、
いたとしても「同業者」。
呑気に「ボックス」を独り占めして、白昼の客車急行を堪能しました。
しかし、「秋田」到着の案内放送の折に「なお、秋田で多くのお客様が乗車されますので、
秋田でお降りのお客様はデッキでお待ち下さい。」の一言が入り、状況は一変。
小生が1号車のデッキから見ると、西日傾くホームは大きなバッグを抱えた乗客で黒山の人集りでした。
小生が下車した途端、血眼になって空いている座席に殺到・・・。
「青森」からの「都市間連絡」の役割に加えて、「秋田」から「長距離夜行急行」に変身した「きたぐに」。
言うまでもなく、車内は立席客も出る大盛況でありました。

 2 平成4年の盛夏、「遠軽」から所用で「函館」まで移動することとなり、
「夜行DCオホーツク」で早朝の「札幌」に到着。
しかし、「室蘭」付近の集中豪雨のため、「北斗2号」は運休との放送が「札幌」のコンコースに流れておりました。
しかし、偶然にも「山線経由の臨時DC急行ニセコ」が動くとあって、小生は全く動じず。
ただ、運休した「北斗」の客が乗ってくるのではと心配しましたが、「キハ56」2両の「ニセコ」はガラガラ。
どうやら、「北斗」のお客は後続の「北斗4号」に全て乗せる算段のようでした。
件のとおり、「山線」を堪能して「DCニセコ」は「函館」に到着・・・。
しかし、時刻表を読むと、「北斗4号」が「ニセコ」が着く前に「函館」に到着することが判明。
小生、「札幌」で「ニセコ」のことが全く案内されなかったことに、やっと「函館」で気付いたのでありました。

 3 平成6年の盛夏、「門司」で「下りみずほ」から鈍行に乗り換え、
「折尾」から「EC特急にちりん西鹿児島行」に乗車しました。
「博多」からの「にちりん」はほどほどの混みようでしたが、
「小倉」で満席となり、小生が乗っていた先頭車両も最後尾へと変身。
しかし、「大分」まででほとんど乗客は下車してしまい、
単線区間へと歩み出した「にちりん」は、完全なローカル特急の雰囲気でした。
すると深緑の「宗太郎」越えの辺りで、「車内で販売している『明太子』は宅配できますので、ご利用下さい。」
との車内放送が入り、試しに利用してみることに・・・。
純朴そうな車販嬢の方に「遠軽町」の住所を記入したところ、「北海道からわざわざ〜。」と絶句されてしまいました。
豊かな自然溢れる「南九州」を縦断していた「にちりん」は、「乗り鉄」である小生のレトロトレインの一つ。
夕日傾く「西鹿児島」で、「ありがとうございました。よいご旅行を。」と挨拶してくれた
件の車販嬢の初々しさが、今でも心に残ります。

 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 きむたお
投稿日 2009年 4月19日(日)09時19分42秒
タイトル 今朝の上り「日本海」
みなさまこんにちは。
今朝は久々に早起きできたので上り夜行列車を撮影に行ってきました。

'09/4/19、4002、上り「日本海」
EF81 45↓
オハネフ24 10(G)
オハネ25 220(G)
 オハネ24 51
 オハネフ24 2
 オハネ25 216(g)
 オハネ24 20
 オハネフ24 23
 オロネ24 2
 カニ24 511(G)


*EF81の「↓」は抵抗器カバーのある向き。
*客車の(G)は金帯。それ以外は白帯。

昨日話題になったカニ24 511が最後尾を固めていました。
写真は富山貨物→富山(旧富山港線富山口付近)にて。
個人的には後打ちで撮影したいのですが、富山駅付近
(編成をメモする必要から列車が減速していないと困るのです・・・)で
ある程度の距離を置いて三脚を据えられる場所が無いので苦慮しています・・・。




投稿者 きむたお
投稿日 2009年 4月19日(日)09時29分0秒
タイトル 今朝の上り(列車としては下り?)「北陸」
みなさまこんにちは。
引き続き、「日本海」の続行でやってくる「北陸」です。

'09/4/19、3001、上り(北陸線内)「北陸」
EF81 140↓
・スハネフ14 30
・スハネ14 701
 ・オロネ14 703
 ・スハネ14 756
 ・スハネフ14 20
 ・スハネ14 759
 ・オハネ14 91
 ・スハネフ14 28


*EF81の「↓」は抵抗器カバーのある向き。
*700番台の客車は金帯。それ以外は白帯。

今朝は全車Gマークのあるメンバーでした。
ところで、「北陸」のスハネフ14にもおでこの上にアンテナが付いているのに気付きました。
写真は富山貨物→富山(旧富山港線富山口付近)にて。




投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2009年 4月19日(日)13時11分56秒
タイトル 旧播丹鉄道のジハ(再掲)
マロネロ38様より旧播丹鉄道のジハ(蒸気動車)の写真
(前回よりも明るめで、下回りが若干わかる写真)を
送っていただきましたので再掲出させていただきます。

右側が機関部で、ピストン部分が確認できます。
詳細についてはマロネロ38様からお願いいたします。

ジハ116(播丹鉄道)→ 国有(鉄道省)キハ6417
昭和24年 姫路機関区
故亀井一男様撮影 マロネロ38様提供




投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 4月19日(日)13時35分18秒
タイトル 旧播丹鉄道の「ジハ」(蒸気動車)
管理人様のご努力で少し足回りが見える様になりました。
向かって右の車端下部に「シリンダー」とピストン部分が見えます。屋根上に煙突?
状の物も判ります。台車部分がよく判らないのが惜しいですが、軸配置はBでロッド
は第二動輪に繋がっています。左エンドの従台車は2軸でイクオライザー付きで、
TR10系の変形みたいな台車です。
これでマッチ箱客車やワム1両ぐらいは牽引出来た様ですが、(勾配が比較的少ない
線区でした)終戦前後に私は沿線に住んでいましたが、これが運転しているのを
見た事がありませんでした。「姫路−飾磨港間に使用されていた」とも聞いています
が何しろ当時を知るファンが少ないので------塚口−尼崎(尼崎港)間だったら、
工場の従業員輸送が多くて、こんな定員が少ないジハではとても運び切れなかった?
とも想いますが、「尼港線」様が何かご存知であればご教示お願いします。



 
 
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