倶楽部メモ(511)
平成21年 4月14日〜 4月17日



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 4月14日(火)14時02分3秒
タイトル 松島
▼ED76 109様:
>「東北本線」の「仙台近郊 (国府多賀城あたり)」でありましょうか。

かなり良いセンですが、この仕様は、同じ東北線でも、黒磯〜岩沼の限定版なのです。
被写体の列車は、当掲示板でも話題になった、2007年秋運転の「東北線全通百?周年
記念列車」のうち、黒磯〜郡山で運転されたもので、設問画像は、高久〜黒田原です。

> 夜明け間近の「松島」を眺め、先頭に立つ「EF81」の勇姿を眺めた想い出

あの区間、開通の経緯や電化規格の違いがあるとは云え、同じJR線同士が、確たる
接続駅も持たず、永らく並行する態様には、未だに違和感を覚えますね。個人的には、
松島海岸駅に、東北線ホームおよび、交直流切替を伴う仙石線への渡り線を設置して、
仙台〜石巻直通便の大半(特に快速)を、速達が効く東北線に逃がし、仙石線を仙台
近郊の通勤路線に特化させた方が、合理的な機能分化が図れる様に感じます。

実際、東北線の松島海岸駅設置構想は存在する様ですが、地形的な制約が多く、中々
具現化できないそうですね。




投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2009年 4月15日(水)09時50分24秒
タイトル 旧播丹鉄道のジハ
マロネロ38様より旧播丹鉄道のジハ(蒸気動車)の写真を送っていただきましたので
掲出させていただきます。

ジハ116(播丹鉄道)→ 国有(鉄道省)キハ6417
白丸に休の印がついている方が機関室
この下に2軸の動輪とピストンがある
昭和24年 姫路機関区
故亀井一男様撮影 マロネロ38様提供




投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 4月15日(水)10時34分44秒
タイトル 蒸気動車
尼港線様:
これでは無いか?ですが、元播丹鉄道の蒸気動車で,戦時中鷹取工場でボイラーの
修理をしたと言われている一台かと?
撮影当時は国産フイルムの入手がそろそろ出来かけた頃で(「ネオパン」,「コニ
パン」)元の印画が黒いので、「足周り」がうまく出ません。
皆さん足回りを見たいでしょうから、もう一度何とか足回り主体にコピーして
みて、管理人さんに送ります。
撮影者の亀井さんも「進駐軍のPX横流し」の闇フイルムを使ったりしたと、
苦労話をされていました。
蒸気動車は「明治村」にも一台保存されている筈です。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 4月15日(水)16時15分38秒
タイトル 門司港 レトロ観光線
本日発売のDJ誌最新号を改めた処、休止状態にあった門司港の貨物線の一部区間を
観光鉄道に転用して、今月末から、元南阿蘇鉄道のDL(入替機風)+元島原鉄道の
トロッコで営業を始める旨の記事がありました。

道路地図を眺める度、現況が気になった臨港線が、この様な形で運行再開されるのは、
感慨深い事ですが EF30+オハフ33 の展示や、田野浦公共臨港鉄道が管轄していた
末端廃止区間の「トワイライト振り」そしてバスや汽船への接続を介した関門海峡の
眺望など、個人的に美味しいネタがテンコ盛り、という印象です。これで「和布刈=
めかり」という難読地名も、相応に知られる事になるのでしょう。

これまた気になっていた、東京着の最終「富士・はやぶさ」編成の処遇ですが、早速
返却回送された様ですね。日照の具合から昼過ぎと推定される、御約束の淀川橋梁を、
先月15日に通過する写真が紹介されていましたが、という事は、その日は、普段なら
ブルトレの日中撮影が覚束ない地点でも、あちこち機会に恵まれるという「美味しい」
一日だったのでしょうか(羨)

冒頭では、廃止された敦賀港線の惜別特集が組まれていましたが、こうして改めると、
やはり寂しい話ですね。




投稿者 滉淬
投稿日 2009年 4月15日(水)23時54分41秒
タイトル カニ22
ED76109様、御回答有難う御座います。
やはり北陸・北星は噂に過ぎないということでしょうか。
望み薄なのは承知の上でもう少し自分なりにも探してみることと致します。



投稿者 プルマン
投稿日 2009年 4月16日(木)00時24分42秒
タイトル 過去に行って乗りたい
ED76109様:
20系にも乗れなかった私にとって10系は想像もつきませが、
冷房が効き過ぎて目が覚めるの体験は24系でも何回もありました。
70・80年代に旅行や撮影活動ができたことは、この趣味にかぎっては幸せなことだと思います。
90年代から撮影旅行を始めた私にとっては、終焉やリバイバルが主になってきて、
純国鉄と言えるような乗車体験はできなくなってきました。
定年になったら寝台列車で日本一週の夢も持ちたいですが100%無理だと思うと寂しいです。
それでも、90年代までは高崎機関区にいくと国鉄時代の足跡を感じることができました。
ED76109様のように、このような客車で旅がしてみたかったです。
高校野球は私はよく知りませんが、去年地元の県央工業が甲子園にいっていらい見るようになりました。
鉄道の話題からそれましたね。
写真は高崎機関区にH10年、留置の門サキ、オハネ12 29です。




投稿者 雑魚
投稿日 2009年 4月16日(木)12時53分21秒
タイトル ながさき
▼プルマン様:
> 写真は高崎機関区にH10年、留置の門サキ、オハネ12 29です。

門サキというと夜行普通列車「ながさき」に充てられたものでしょうか。私が長崎を
初めて訪れたのが1986年なので、84年廃止の「ながさき」には縁が無かったのですが、
長崎に魅せられた都内出身の友人は、高校の頃から周遊券旅行で重宝していたとの事。
1976年までは「無名列車」だったこのスジ、肥前山口〜諫早は早岐経由でしたっけ?

初めて訪れた長崎は、丁度「精霊流し」の真っ最中で、路面電車の床下を含め爆竹が
鳴り止まない様子に、異国情緒どころか「中華系パワーの威圧感」を覚えたものです。
当時は「ボート・トレイン」が往来した埠頭に続く線路が残っており、探索の欲求に
駆られましたが、線路が通じる岸壁は、精霊船を流す家門の関係者以外、立入禁止で、
臍を噛んだのでした。

数年後、長崎を再訪した時には、件の線路は既に撤去され、長崎駅構内の接続部分も
電柱および架線を残したまま、線路用地が舗装され、駐車場に化けていました。まぁ、
これはこれで、結構な「トワイライト」ネタではありましたが。

上記「ながさき」と同様、直接の接点はありませんでしたが、島原鉄道「赤髭車」を
先頭に配した急行「出島」も、私にとっては長崎線の風物でしたね。その島原鉄道も、
国鉄型気動車が全面撤退した部分廃止から、既に一年が経過しており、かかる風物に
現を抜かしてきた私自身「加齢」の二文字が重く圧し掛かる昨今です(^^)

それより更に前ですと、長崎線における寝台特急の紹介写真として、喜々津〜浦上の
新線が開業した1972年より以前、旧線の東園〜大草と思われる大村湾岸を行く様子を、
山上から俯瞰する構図が御約束でしたね。ちなみに、長崎線の電化は1976年。新線の
長大隧道は勿論、電化される前提で構築されたものと思われますが、数年間とは云え、
内燃動力車が、あの隧道連続区間を続行したのは、今考えると特異な事ですね。

地図を見ると、諫早に到着した時点で「長崎近し」の印象ですが、実はその先に沿線
最大の難所があった訳で、改めて長崎界隈の厳しい地形を実感します。物議を醸した
諫早湾干拓事業は、交通の要衝である諫早に「遷都」する為の布石ではないかとすら、
勘ぐっておりました。



投稿者 Uzu
投稿日 2009年 4月16日(木)21時47分12秒
タイトル カニ24 511について
「はやぶさ」「富士」が去り早一ヵ月。
先日、竹下区の奥に留置されている14系を確認致しました。
スハネフのみが伺える状況でしたので、断定は出来ませんが、6両一編成が留置されている模様です。
(他の編成は鹿児島に一編成、熊本に三編成?)

ところで、94年以前、品川区にカニ24 511が配置されていましたが、博多あさかぜに使用された実績はあるのでしょうか?
なお、94年以降、品川区に配置が無くなり尾久区に転属になってからは出雲号で度々使用されているみたいですが…。
ご教示いただければ幸いです。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 4月16日(木)23時22分16秒
タイトル 「鉄」雑感あれこれ再び・・・
  おばんでございます。「ED76109」であります。

 Uzu様

 件の「カニ24 511」でありますが、小生の手持ち資料及び関係サイト等を精査いたしましたが、
結論としては「博多あさかぜ」への運用実績は確認できませんでした。

 「カニ24 511」

  ・昭和55年9月
 「あさかぜ」・「瀬戸」・「安芸」編成用として、「カニ24 115」として新製。
 
「下関はやぶさ」(誤)→「下関あさかぜ」(後日修正)への運用実績あり。
   (「博多あさかぜ」への運用実績は確認できず)
  ・平成2年12月
  耐寒耐雪化により、「カニ24 511」に改造。
    ・平成12年9月
   「出雲」への運用実績あり。
  ・平成13年2月
   「あけぼの」への運用実績あり。

  以上であります。他の先達の皆様方から御教示下さいますよう、お願いいたします。

 雑魚様
 >同じ東北線でも、黒磯〜岩沼の限定版

 左様でありますか・・・。失礼いたしました。
であれば、「4レ」においては「オハ24仕様のロビーカー」に繰り出して、
家族で那須の山並みをのんびり眺めている辺りであります。
小生は、「黒磯」通過の際、構内に停留されていた「湘南色115系」を見て、
「あ〜、帰って来たなぁ・・・。」と感慨に耽っておりました。

 プルマン様
 >このような客車で旅がしてみたかったです

 プルマン様は、平成になってから「鉄旅」をされているようでございますね。
小生が最初に「ネ」に乗車したのは、昭和42年の「20系はやぶさ」のようであります(小生の記憶は皆無です)。
小生が「乗り鉄」に目覚めたのは、昭和47年の「上り桜島(西鹿児島・東京)」と
昭和48年の「122レ(旭川・函館、山線回りの旧客鈍行)」。
どちらも、筋金入りの「鉄」親父に連れられて、小学生の頃に「開眼」したようです。
純粋に「昭和40年代の国鉄」の香りを少しでも感じていただければという想いで、
これからも「戯言」を述べさせていただければ幸甚の限りでございます。

 長々と失礼致しました。以上、「直流電化のEC」に疎遠となってしまった「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 4月17日(金)08時55分29秒
タイトル カニ24 511
「あさかぜ」の使用実績あります・・・と書きかえながら私もどこで見たか、手持ちの資料を漁りましたが、
肝心なときに出てきません・・・裏づけがなければ半ば無意味ですね。
カニ24 511のタネ車カニ24 115は正しくは、1980年9月向日町新製配置で、「明星」「彗星」に使われました。
1982年11月改正で秋田に移り、途中、青森への転属をはさみ、一貫して上野口ブルトレに使われるようになります。
1990年12月に金帯化、耐寒耐雪工事実施。カニ24 511に改番。
「北斗星」「エルム」に使われたほか、品川配置に変わったため「出雲」の予備中心に、「あさかぜ」もごくまれに使用。
2006年3月で保留扱い。2007年4月にみごと復帰し青森へ。
現在「日本海」運用主体で、まれに「あけぼの」にも入ります。
最終全検は2005年4月のため、全検時期間近、または検査出場したかもわかりません。

もう少し資料あたってみます・・・見つかるといいのですが・・・。



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 4月17日(金)09時11分2秒
タイトル 今後の発表に期待するものです。
連続投稿失礼致します。
今回のカニ24 511や、カニ22の使用実績についての疑問を見るにつけ、やはり編成記録の重要性というものを感じます。
本格的に私が編成記録を取り始めたのは1996年2月で、93年あたりからぽつ、ぽつ記録していたのですが、
博多「あさかぜ」の記録がやはり少なく、本当に惜しい気持ちです。
カニ22については、1と3が尾久で晩年を過ごし、「北陸」「北星」の使用実績が必ずあるはずと推測しますが、
その記録は確かに見たことがありません。
前回もふれましたが、今後、当時なにかの形で記録を取っていた人たちから、雑誌やネットへ発表があればと思います。
国鉄時代は20系に比べ無個性で、潤いが感じられないという声もあった14系、24系ですが、
灯台もと暗し、とでも言うべきでしょうか。
このカニ24 511のように、「そういえば、どうなのでしょう?」という素朴な謎を抱かせる車両も、あるのです。
ブルトレ末期と注目を浴びる中、これを機に編成記録に目覚めてくれるファンが増えてくれればなあ、といったところです。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 4月17日(金)14時10分58秒
タイトル 黒磯
▼ED76 109様:
> 構内に停留されていた「湘南色 115系」を見て「あ〜、帰って来たなぁ…」と感慨

80年代の中頃まで、普通列車は黒磯を境に、以南は湘南色の電車、以北は旧型客車と、
大きな節目でしたね。ただし、そのギャップに気付いたのは、意外に遅く「赤電」が
当り前に走る地域に育った者の感覚として、早期から、普通列車の電車化が進捗した
常磐線平以南(ないし道央、北九州など)は、交流区間では例外的な状況だった事を
弁えず「赤電」が全国各地で稼動しているとばかり思い込んでいました(^^)

黒磯は、電機の塗装において、直流式寒色系と交流式暖色系の境界でもあり、往年の
白河の関に比する段落点の趣も感じます。暫く御無沙汰ですが、客レの趨勢もあって、
電機運用が縮小傾向にあると思われる中、大規模な構内配線は相変わらずでしょうか。

新幹線の駅が、黒磯ではなく旧東那須野に設置されたのは、那須地方の中心地である
大田原や塩原温泉の玄関でもある西那須野との駆引きの産物とされますが、東北線の
運用上の拠点性や、普通電車が直流区間に直通しない高久・黒田原・豊原・白坂から
新幹線に乗り継ぐ手間を考えると、黒磯の方が判り易いかと、永らく感じていました。

もっとも、郊外に新幹線駅が設置された事で、P&R用の駐車場が、駅の周辺に多数
確保された為、遠くは茨城県大子や福島県南会津まで、集客効果を発揮する事となり、
面的展開性をマイカーで補うべき、今後の鉄道の利用動機を考えると、正解だったと
頓に感じる昨今です。

その黒磯も、現在は「那須塩原市」で、折衷的な立地を出発点とした新幹線の駅名が、
自治体名にも採用された格好ですね。その一方、古川・水沢江刺・徳山など「平成の
大合併」を経て、広域性の強い新幹線駅といえども、自治体名との乖離が生じました。
こうなると、従前の「特急停車駅は、なるべく自治体名で」との感覚も薄れそうです。

12・14系改造「レインボー」専用機として、形式が側面に大書された、EF65・81の
存在に鑑みた時、黒磯を経由した客レで「カシオペア」「北斗星」以外に、EF81が
牽引した事例は、どの程度あったのか、気になる処です。

画像は、当該専用機が「奥久慈レトロ」回送編成を牽く 少々掟破りな光景です(^^)




投稿者 ED76109
投稿日 2009年 4月17日(金)22時40分48秒
タイトル 「あけぼの」と「エルム」ではないでしょうか?
  おばんでございます。「ED76109」であります。

  雑魚様
 >黒磯を経由した客レで「カシオペア」「北斗星」以外に、EF81が牽引した事例

 小生の乗車経験から、臨時「エルム」及び「はくつる」が「EF81」牽引でありました。
また、平成2年から「山形新幹線」工事に係る「陸羽東線」経由にルート変更された「あけぼの」が、
同様「EF81」牽引であったはずであります。

 >往年の白河の関に比する段落点の趣も感じます

 「黒磯」と同様に幼い頃、小生が居住エリアだった「首都圏」との境界を意識したのは、
「熱海(丹那隧道)」・「横川(碓氷峠)」・「水上(清水隧道)」。
考えてみれば、全て「峠越え」か「長大隧道」の最寄り駅であり、
日常の「鉄」風景とは異質の風景を目にした際に感じたものでありましょう。
現在では、上り「北斗星」や「トワイライト」に乗って「青函隧道」を抜け、
「盛アオ」に留置されている「583系」を見ると、「あ〜、北海道を出たんだなぁ・・。」と自然と意識しております。

 失礼致しました。以上、「道産子」が板に付いてきた「中年客車鉄ちゃん」でありました。



 
 
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