倶楽部メモ(500)
平成21年 3月15日〜 3月17日



投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 2009年 3月15日(日)00時51分19秒
タイトル 最後の花道
皆様お久しぶりです。
交通機関は定時でというのが原則ですが今日ばっかりは。暴風のおかげではやぶさ富士も遅延。
乗客は少し長い旅になりましたね(^^)天も廃止に残念なのでしょう。
それにしても駅で到着を待っていた皆様お疲れ様。

西鹿児島はえれえ遠かった(^^;篤姫も大変だったでしょう。
余談ですが江戸に下る??この時代幕府は江戸でもよく考えたら京都が国の中心だよね。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 3月15日(日)07時41分31秒
タイトル 寂しいなぁ・・・
 皆様、お疲れ様でございました。「ED76109」であります。

 先達の皆様方の後追いでありますが、昨日の「9001レ・9002レ」はともに遅延して終着駅に到着致しました。
特に「9002レ」は、九州内の「人身事故」に始まり、「爆弾騒動」で京都駅で臨検
(9001レも「岡山」で臨検。絶対に許せませぬ(!))。
そして、極めつけは静岡・神奈川県内での「強風」による抑止。
「東京」には、11時32分ごろ到着したとの報道でありました。
 しかし、長年「東京ブルトレ」の掉尾を飾っていたのは「さくら」であり、「11時半」の到着でしたっけ・・・。
因縁というか、小生には「はやぶさ・富士」が往年の「さくら」にダブって見えてなりませんでした。
 さて、雑魚様の情報からチェックしました「ドキュメント・にっぽんの現場」は、良かったですね。
東京生まれの小生には、様々な「旅人」の出会いと別れが描かれており、
ある種「故郷」に戻る「2レ」が切なく感じられました。
一期一会の出会いに感動し、惜別の涙を流す・・・。
そこに描かれていたのは、まさしく懐かしき「昭和の旅」。
珍しく醒めた愚息が、「親父がグッとくるのが、何となく判るな。」と一言。
「カレチ」さんの最後の姿に小生、慟哭が止まりませんでした(歳を取ると涙腺が弱くなるようで・・)。
 未練がましいと嘲笑されるかもしれませんが、「品川の臨時ホーム」の始終発、品鶴貨物線経由(古いなぁ)で
夏休みと年末年始だけでも、「臨時ブルトレ」を運転してくれませんかねぇ・・・。
邪道でしょうが、「東京中央郵便局」の一件で「○山氏」があそこまで熱くなってくれるのであれば、
「石○氏」や「前○氏」の「政治的意向」でなんとかならないものか・・・。
(冗談ですので、戯言と水に流してください)

  長々と失礼致しました。以上、悩乱気味の「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 3月15日(日)07時51分58秒
タイトル EF64牽引となった理由とは?
 連投失礼致します。「ED76109」であります。

 雑魚様
 標題の件に係り、「上越線の状況と当該機の故障多発を勘案し、EF64の牽引が決定した。」
との未確認情報を見聞しております。他の先達の皆様方の御教示をお願い致します。

 以上、「戯言」情報でした。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 3月15日(日)10時37分26秒
タイトル 富士+はやぶさ
14日21.15-からNHK−TVに釘付けでした。
下関で乗客が駅弁を買いに走るのを見て,過去に「日本海」14系後の不便を
思い出しました。特急列車のステータスシンボルの「食堂車」を外してしまった
のが、特急の魅力を失わせた一つでもあり、衰退も高い料金(特急,寝台料金)と
共に加速されたのかと----戦前の鉄道省ならば「平時」ならそんな事をしなかった
でしょう。と言っても時代の変遷では仕方ないかもしれないが------
「ハイケンス」は電子音みたいでしたね。
「富士+はやぶさ」−−−ご苦労様でした。



投稿者 _ガタンゴトン
投稿日 2009年 3月15日(日)12時29分31秒
タイトル 富士・はやぶさ号
こんにちは
富士・はやぶさ号に無事に乗車致しました。
2月25日から27日の朝までです。
しかも往復乗車。
走行音も無事に往復ノーカットが出来ました。
オリンパスのICレコーダです。
4GB内臓。電池は20時間持ちます。
往復ですので電池交換には十分気おつけています。
直ぐに交換したので録音設定などは消えていませんでした。
詳細はマイページをご紹介します。
往復、34時間の旅をお楽しみください。
音環境的には長時間聞いても不具合にならないと思いますが
周辺は多少のざわめきにはご了承ください。
夜行列車ですので
ではでは・・・
投稿者のホームページ



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 3月15日(日)21時47分33秒
タイトル 昨夜のNHKは好企画でしたね
みなさまこんばんは。
昨夜のNHKの番組は周囲でも興味を持たれていて、友人や従兄弟からメールが舞い込みました。
この番組を観て、ごくわずかになった夜行列車に、おもいきって乗ってみようという人が増えてくれたら、
と思わずにいられません。
ナレーションはかつて19時からのニュースを担当していて、落ち着いた語りと、絶妙なユーモア精神、
清潔感ある笑顔がすがすがしいアナウンサーです。
あのNHKが、しかも番組の最終回に、伝統の九州ブルトレのラストランを取り上げることの意味、価値。
痛快きわまることであり、マナーのひどさが報道される中、自制、自戒が求められると認識を新たにさせられます。
夜行列車のよさにかぎらず、ものを相手に伝え、理解してもらうことは、すごく難しいこと。
今回も新聞記事に目を通し、関係者がマナー対策に追われていることがしっかり書かれていることが悲しく、
爆破予告などは論外、
人間味あふれる乗り物とのひとつの別れに、何故非人道的なことをと、理解不能なことは増すばかり。
嘆いてばかりいて始まることではなし。
次にどう乗る機会を作るか、どれに乗るか、
「北陸」はまだ乗ったことないなあ、などと、はやくも能天気に考えは膨らみます。



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 3月15日(日)22時05分52秒
タイトル なにゆえ、81から64にスイッチ?
ED76109様。
今回「あけぼの」牽引機をEF64 1000に代えた理由に考えられるのは・・・。
従来使われてきた青森のEF81は最後期製造分にあたるとはいえ、今年30年を迎えるロートル。
オールマイティ機だけあり、おそらく走行距離もずいぶん刻んできているのでしょう。
幸い、秋田総合は手入れがよく、少なくとも外観はきれいです。
(適度に砂塵でお化粧されていたりしますが、退色はありません)
対するEF64でも、長岡で「北陸」の先頭に立ってきたものは1981〜82年製。
数年の差ではあれ、誰もが推測するとおり、経年が浅いことが決め手になっているのでしょ
う。
昨年正月は、「あけぼの」牽引EF81 137号機故障のため、流れ星100号機と重連でやってきましたし。
その100号機でさえ、不具合を理由に廃車の憂き目に遭っています。
余談ながら、長岡のEF64は2007年からちょうど全検のタイミングに各車あたったようで、
みなすこぶる状態が良く、つやつやぴかぴか。
「あけぼの」はまたヘッドマークを新調したようで、こちらもまた、誇らしげに輝いております。
なお、上野地平ホームへ撮影に来られる方へ。
とくに「あけぼの」に多いですが、サービス精神なのか、流儀なのか、
発車時におもいきりホイッスルを鳴らすことがあります。
やはり列車からは充分離れたほうが安全と思います。鼓膜が破れかねません。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 3月16日(月)00時10分31秒
タイトル Re:なにゆえ、81から64にスイッチ?
  おばんでございます。「ED76109」であります。

 赤まんと様
 「あけぼの」に係る「EF641000番台」機登板のレクチャーにつきまして、心からお礼申し上げます。
件の「ブルトレ」衰退の原因の一つに「車両の老朽化」がございますが、
今回登板の当該機でも、30年弱のキャリアであっては・・・。
件の「EF510」のニュース以外、明るい話題が皆無の即今、ショックですねぇ・・・(嘆息)。

  赤まんと様の書き込みにありますように、「ドキュメント・にっぽんの現場」は久々のヒットでありましょう。
老父の親孝行のために、温泉旅行に出かけた息子さん。親子四代の最後の汽車旅の想い出に、感涙を流した一家。
そして、一期一会の出会いと別れに胸を熱くした二組のご夫婦。
前述しましたが、これらこそ「昭和の旅の姿」であり、
小生が「ブルートレイン」に心惹かれた「旅」の原風景でありました。
「夜行列車」が「人の心」を育てる教材の一つと考えている小生としては、
今回の「馬鹿者ども」の一連の行動が、残念でなりません。
しかし、この番組で「温かい心」を持った方々に出会えました。
まだまだ、日本も捨てたものではないと、小生心強く想いました。

 ありがとうございました。
以上、今年は久しぶりに「トワイライトEXP」に乗車することを心に誓った「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 3月16日(月)13時43分18秒
タイトル 「浪漫」 の場合
▼ED76 109様:
> 一期一会の出会いに感動し、惜別の涙を流す(中略)懐かしき「昭和の旅」

見知らぬ同士の老若夫婦が話に興じていた場面は、自身の新婚時代の経験に鑑みても、
感慨深い印象でした。しかし同時に、プライバシー確保が制約される開放寝台の構造
そのものが、乗客減を招来した一因ではないか、とも思え、ブルトレの中では比較的
好調に推移している「北斗星」が、行楽需要本位と割り切っている為か、個室主体で
構成されている辺りに「富士・はやぶさ」における現実と需要の齟齬を感じるのです。

これは、昼行列車に例えれば「ロマンス・シート」と「ボックス席」に相当しますが、
一部に 583系が用いられた当時の鉄道誌における「雷鳥」取材紀行で、ボックス席の
評価は総じて芳しからず「485系でも、座席を回転すれば ボックス席になる」という
指摘が記されていた事を思い出します。

> 夏休みと年末年始だけでも「臨時ブルトレ」を運転してくれませんかねぇ

私も内心、期待してはいるのですが、今回の「富士・はやぶさ」廃止の一因とされる、
田町センターの尾久への機能集約において、新設される東北縦貫線の勾配区間が客レ
回送の隘路になるのでは、との指摘を聞いた事もあり、仮に復活運転があるとしても、
当該縦貫線の開業予定である2013年より以前に限定されるのではないか、と考えます。

なお、東北新幹線の新青森延伸は来年、北陸新幹線の金沢延伸は2014年予定ですから、
東北縦貫線が開業する頃には、復活運転どころか「北斗星」「あけぼの」以外の客レ
存廃が取り沙汰されているのではないか、とも思えます。

なお数年前、廃車間際の「浪漫」が、団臨運用として水戸まで数往復した際、夜間の
留置は勝田ではなく、一々、尾久まで回送していました。これは、車両基地の設備が
客レの給水等に対応していなかった為だそうです。客レ運行の為のインフラ確保とは、
電車化・気動車化がここまで徹底された今日、意外に煩わしい事かも知れません。




投稿者 雑魚
投稿日 2009年 3月16日(月)14時13分27秒
タイトル EF66 の今後
▼赤まんと様:
> 数年の差ではあれ、誰もが推測するとおり、経年が浅いことが決め手になっている

御教示、有難うございました。ブルトレ編成全体の色調を考えると、牽引機における
ワン・ポイントの「赤」は、個人的には好ましいと感じております。なお、子供の頃、
新潟方面を訪れる度、電車は湘南色、機関車は大半が赤色という「交直ギャップ」に、
少なからず違和感を覚えたものでした。

> 列車からは充分離れたほうが安全と思います。鼓膜が破れかねません。

以前「北陸」の発車を見送った際、同様の現象がありました。駅前の居酒屋で熱燗を
ン合ほど呷った後でしたが、思い切り、心臓に悪かったですねぇ(^^)

=================================================================

今改正で客レ牽引の任を解かれた、基本番台のEF66、今後はどうなるのでしょうね。
貨物用の塗装車も散見され、そもそも、国鉄色で残っているのはどの程度あるのやら。
十数年前、大学の同好会による記念運転として、国鉄色EF66が、岡山界隈で旧客を
牽引する事例があった様に記憶しますが、かかる大技を望むべくも無いのでしょうか。

以前、一次車 6号機が健在なら「銀河鉄道 666号」を演出させてはどうか、と申した
鉄仲間がおりましたが「ダ○アン」じゃあるまいし………




投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2009年 3月16日(月)21時21分8秒
タイトル EF64牽引となった理由とは 2
「あけぼの」牽引機がEF81からEF64-1000に変わった理由ですが、もちろん皆様の仰るとおり経年の違いが
大きいと思いますが、調べてみますと、特に冬期間の上越線においてEF81での空転が多発しEF64-1000を
前補機として連結していた事もあるようです。
もともと「鳥海」時代にも、上野−長岡間の牽引機はEF64-1000でしたので、元に戻ったようなものなのですが。
いずれにしてもEF81にしてもEF64-1000にしても、長い年月にわたって使用されてきている車両ですので、
いずれ近い将来にEF510等の投入というのも考えられるのではないかと思います。

画像はダイヤ改正10日前の3月3日の「あけぼの」(上野駅)です。




投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 3月17日(火)10時31分55秒
タイトル ハネとプライバシー
私はハネそのものが「移動木賃宿」(故野村董氏の言)だと思っていたので別に
気にかけませんでした。ロネでも開放室では同じ事です。乗車機会が無かったで
すが、スロネ30が4人部屋だったのを、15,25系出現時に採用したらよかったのか
も知れません。特に2段化時点でスロネ30タイプにしたらです。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 3月17日(火)14時52分10秒
タイトル 急行 「津軽」
▼管理人様:
> もともと「鳥海」時代にも、上野−長岡間の牽引機はEF64-1000でしたので、

ブルトレとしての「鳥海」は、奥羽線が改軌工事で部分閉鎖された1990年に設定され、
1997年、現在名に改称されるまでは、陸羽東線経由「あけぼの」と並存状態だった為、
むしろ「鳥海」の名を残すか、急行「鳥海」を継承、1993年まで上野〜新津〜秋田で
運転された「出羽」に改めた方が、判り易かった気もします。

ARC資料室によると、現行スジが全区間、EF81牽引となったのは「あけぼの」に
改称された時点からで、それまでは、新津で機関車交換を行っていた様です。現在の
交換駅が長岡となったのは「北陸」との集約性を考慮した結果でしょうか。

1988年まで、一晩三往復体制を誇った山形経由時代の「あけぼの」に関して、印象が
深いのが、1991年公開の映画「おもひでぽろぽろ」です。時代考証や風景描写、特に
仙山線高瀬駅などは、良くぞここまで、リアリティーを追求したものだと思いますね。

一方で、山形下車なら急行「津軽」で十分だと突っ込みたくなりますが(^^)物語の
舞台となった1982年は、秋の改正の際、従前の10系寝台車と12系座席車の混成による
一晩二往復体制が、20系寝台による一晩一往復体制に移行した時期で、元々多かった
座席需要を巡る混乱から、一部寝台車を終夜「昼寝開放」したとの逸話がある様です。

翌年には、臨時「あけぼの」と同様に、14系座席車で統一され、私がワイド周遊券の
関連で「八甲田」と共に同列車を重宝したのも、これ以降の事でした。それにしても、
秋田での旅客需要の切り替わり振りは、凄かったですね。

▼マロネロ38様:
> 私はハネそのものが「移動木賃宿」(故野村董氏の言)だと思っていたので

なるほど、説得力のある比喩ですね(^^)強いて言うなら、大荷物を伴う開放寝台の
乗客が、食堂車やシャワー室など、一定時間、席を離れる必要がある場合、置引きが
気になる方も、少なからずいらっしゃったのではないか、と感じます。



投稿者 滉淬
投稿日 2009年 3月17日(火)18時45分54秒
タイトル
失礼致します。

14系座席車によるあけぼのは印象的ですね。あけぼのに限らず、14系座席車による
特急というのは寝台車とはまた違った趣があったと思います。
20系と違い12系的要素がある14系座席車は内装・側面は寝台車の其れとは違えど、
顔はやはり同系であることを象徴しています。昨日今日と高崎の1001号機牽引が
話題になっている14系寝台の北陸ですが、富士・はやぶさ亡き今、貴重な14系の
寝台列車として活躍を祈るばかりであります。


 
 
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