倶楽部メモ(491)
平成21年 2月 7日〜 2月12日



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 2月 7日(土)17時01分46秒
タイトル レトロ 横濱
▼尼港線様:
> 東海道本線・横須賀線で、一般型客車を使った列車(快速<レトロ横濱>)が走る

これは確かに、撮影派とっても、特に横須賀線での運転は垂涎モノですね。その一方、
切り通しや隧道が多い横須賀線にあって、機関車+客車七両を纏める構図が得られる
足場の確保が、難しそうに感じます。

それにしても、横須賀折返しとは謎ですね。同駅は久里浜発着便にとって単線仕様の
変則構造で、機回しは不可と様に記憶します。もしや、プッシュ・プル仕様?

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残り一箇月余りとなった「富士・はやぶさ」ですが、より多くの方に御名残り乗車の
機会を提供すべく、こうした「臨時増便」は如何でしょうか(^^)




投稿者 尼港線
投稿日 2009年 2月 8日(日)00時04分8秒
タイトル Re: レトロ 横濱
> 雑魚様
> 機関車+客車七両を纏める構図が得られる足場の確保
今から、北鎌倉駅の大混雑が目に浮かぶようです。。。

> もしや、プッシュ・プル仕様?
書き忘れましたが、東海道、横須賀とも、EF65とEF64のプッシュ・プルの模様です。



投稿者 ホエ7030
投稿日 2009年 2月 8日(日)11時06分12秒
タイトル 東海道線のオハフ60
久し振りに、良き時代の思い出を。

ED76109様

 前にもご紹介したことがありますが、冬季になると北海道の客車が内地にアルバイトに来ていたようで、
我が常磐線でも何度も乗車したことがあります。良く覚えているのは、写真も撮った函ハコのオハフ6061です。
 尾久区で見かけた38・1豪雪の救援列車も北海道の客車で編成されていて、
その中のスハ3325とオハ6247(ともに函ハコ)を撮ったことがありますが、
スハ3325は、その2年後に、ED76109様が家族旅行で乗車された熱海行の折り返しである848レに
組み込まれているのを見つけ、神田駅のホームから撮ったことがありました。
 画像は、その時撮ったものですが、右側に僅かに見えるのはスハ5054(旭アサ)で、
編成中のオロ3510(東シナ)以外はすべて北海道の客車でした。

 EF58に連結されたオハフ607(札イワ) S40.2.3 神田にて




投稿者 ED76109
投稿日 2009年 2月 8日(日)17時07分19秒
タイトル ほとんど記憶はないのですが・・・
 お寒うございます。「ED76109」でございます。

 ホエ7030様

  >ED76109様が家族旅行で乗車された熱海行
  何度かお世話になった「旧客熱海行」の小生の記憶は、「スハ」や「オロ」が止まっていた
「品川駅の東海道線の薄暗い臨時ホーム」と、覆道から相模灘が見えた「早川・根府川」間の眺めぐらいでしょうか・・・。
恐らく「釈迦に説法」でしょうが、ホエ7030様のお話を伺って、手持ちの資料を見返したところ、
「平成11年版・鉄道ジャーナル9月号別冊『客車列車の編成例』」に当該の「848レ(昭和40年1月26日)」が
ございました。

 EF58 145(宮原)
  オハフ60  7(札イワ)
  スハ50  54(旭アサ)
  スハ33  25(函ハコ)
 オハ62  90(札ムロ)
  スハフ32149(東オオ)
  オハ35 115(東コフ)
  オハ62  19(札イワ)
  スハ33  24(函ハコ)
  スハ50  53(旭アサ)
  オロ35  10(東シナ)
 オハフ61541(東コフ)

  本当に見事なまでの「寄せ集め」です。
小生が2歳にして、すでに「札イワ」の旧客にお世話になっていたのですから、何か因縁を感じてしまいます。
前述しましたが、昭和30年代に「鉄」親父は某企業の「集金係」として、全国を「旧客鈍行」で回る仕事をしており、
中国・九州へは「111レ」、関西へは「131レ」、そして「浜松」や「豊橋」あたりであれば、
始発便の「123レ」を愛用していたようであります。
「トカホセ」を「EF58」牽引の旧客で旅ができたとは、小生には「羨望」の一言のみであります・・・。

 長々と失礼いたしました。以上、現在は「札サウ」に世話になっている東京出身の「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 高速貨A
投稿日 2009年 2月 8日(日)22時50分7秒
タイトル 20系の保存車両(北海道)  投稿
北海道の新得町に3両の20系車両が9600形蒸気機関車とともに保存・展示されているのは皆様方承知済みと思います。
列車ホテルとして活用されていたのですが、列車ホテル廃業後、長い間放置されていました。
数年前に塗装など整備が行われて、見違えるほどきれいになったようです。
少し古い話ですが、平成19年7月に訪れた時は、内部を見学することが出来まして
ナロネ21やナロネ22の室内を十分に見学しました。
50年近く前の水準を考えると、A個室は展望車同様、高嶺の花・別次元の世界ですね。
イマイチの出来ですが個室の写真を添付します。なお内部公開は期間限定のようでした。




投稿者 ED76109
投稿日 2009年 2月10日(火)21時21分53秒
タイトル 「新内駅」跡の車両ですね
 飽きることなく楽しませて頂いております。「ED76109」であります。

 高速貨A様
 >北海道の新得町に3両の20系車両が(中略)保存・展示されている
    初めまして。小生、平成元年〜同4年春まで「新得高校」に勤務しており、
 当該の「公園」に毎年遠足に生徒を引率した想い出がございます。
 当時の「20系」は、塗装も剥げて薄汚れていたように記憶しております。
 「旧新内」は、昭和41年の「新狩勝隧道」の完成に伴い、ルートから外れて廃駅となりました。
 かつては「日本三大車窓」の一つに数えられていた名駅であります。(現在ルートでも、美しい風景は天下一品です。)
 しかし、この新ルートについては、当初様々なコースが想定され、
 一時は「広内信号所」から「十勝清水」にルートを設定した方が、距離的にも「根室本線」全体の利益に叶うとのことで、
 「新得駅廃止」が北海道総局で真剣に論議され、新得町が全町をあげて反対したという逸話が残っております・・・。

 長々と失礼しました。以上、「日本三大車窓」を全て「旧客鈍行」で旅した経験を持つ「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 きむたお
投稿日 2009年 2月10日(火)22時00分5秒
タイトル DE10牽引客車列車
みなさまこんばんは。
突然ですが、某NゲージメーカーよりDE10がリニューアル新発売されることが決まりましたので、
それを記念して私が記録したDE10牽引列車の中からいくつかの編成をご紹介いたします。

1995/4/16 1831レ
DE10 1175↓
スハフ12 62↓
スハフ12 32↑
オハフ13 7↑


1995/4/16 1826レ
DE10 1172↑
オハフ13 71↓
オハ12 138↑
スハフ12 84↑

1995/4/17 1820レ
DE10 1173
オハフ13 70↓
オハ12 48↑
 スハフ12 59↑

1995/4/17 1824レ〜1826レ
DE10 1133↑
オハフ13 7↓
スハフ12 32↓
スハフ12 62↑

1995/4/17 1829レ
DE10 1207↓
スハフ12 25↓
オハ12 137↓
 オハ12 61↓
 オハ12 1288↓


1995/4/17 1831レ
DE10 1173↓
スハフ12 59↓
オハ12 48↑
オハフ13 70↑

1995/8/14 1825レ
DE10 1206
スハフ12 44
オハ12 137
オハ12 1289

1995/8/15 1825レ
DE10 1173↓
スハフ12 59↓
オハ12 138↓
オハ12 1288↓

1995/8/15 1820レ
DE10 1175↑
オハフ50 1277↑★
オハ50 1089↑
 オハ50 1180↓
 オハフ50 1278↓★


なお、DE10の「↑」は機関が載っている向き、
12系客車の「↑」は洗面所のある向き(オハ12 1288・1289は車掌室の向き)、
50系客車の「↑」は方向幕準備窓のある向き、50系客車の「★」は屋上通風器なしを示します。
無印は調査してないということですm(__)m

写真は1995/8/15、夜明における1825レと938D(キハ58 768+キハ65 63)の並びです。
当日は一眼レフが壊れてしまい、「写ルンです」による撮影でした(T_T)




投稿者 太田拓也
投稿日 2009年 2月11日(水)09時09分7秒
タイトル 遠目で見たことはあるのですが
ED76109様>

新得ショートカット案ですが、新得の反対というよりも石勝線とルートを共有できて
トータルの建設費を減らせるメリットを重視したのではないでしょうか?

例のナロネ、ある用事で通りかかったことはあるのですが、
近寄ることできず車の中から見るだけだったのが心残りの太田拓也でした。
投稿者のホームページ



投稿者 きむたお
投稿日 2009年 2月11日(水)09時38分2秒
タイトル DE10牽引客車列車その2
おはようございます。
ナロネ22の話題が非常に気になりますが、現物を見ていないだけに皆様の情報を眺めているだけであります・・・。
さてさて、昨日の続きではないですが、優等列車の牽引例もありましたので上げておきます。

1996/8/5 9748レ「マリンたかはま」
DE10 1106↓
スロフ14 703
オロ14 706
オロ14 708
 オロ14 709
 オロ14 710
 スロフ14 704

※福知山→大阪、逆編成、DD51 1193牽引。

1996/8/5(5日京都発) 8221レ「ムーンライト高知・松山」
DE10 1090↓
スロフ12 6↓
オロ12 6↓
オハフ15 11↑
 スハフ14 11↓
 オハ14 89↑

 オロ12 10↓
※京都→岡山はEF65 1134牽引。

1996/8/6(6日京都着) 8222レ「ムーンライト高知・松山」
DE10 1090↑
オロ12 5↑
オハ14 88↓
 スハフ14 32↑
 オハフ15 42↓

 オロ12 9↑
 スロフ12 3↑

※岡山→京都はEF65 1134牽引。

1996/8/6(6日松山発) 9122レ「ムーンライト松山」
DE10 1138↑
オロ12 10↑
オハ14 89↓
スハフ14 11↑

1997/1/22(22日青森発) 1002レ「あけぼの」
DE10 1649
DE10 1202
オハネフ24 27
オハネ24 63
 オハネ24 59
 オハネ24 25
 オハネ24 7
 オハネ24 1
 オハネフ24 9
 オハネ24 554
 オハネ24 553
 スロネ24 553
 オハネ24 20
 カニ24 114

※青森→新庄はED75 768(先頭)+ED75 730(次位)、小牛田→上野はEF81 96牽引。

↓写真は今話題の(?)小浜にて発車を待つ9748列車。




投稿者 彩稀
投稿日 2009年 2月11日(水)16時15分13秒
タイトル 金フイの81系について
金フイの81系をNで作りたいのですが、編成の写真は見かけるのですが、各車の特徴を捉えた写真が見つかりません。
スロフの貫通路の柵がどうなっていたのかわかりません。よろしくお願いします。



投稿者 急行越前
投稿日 2009年 2月11日(水)23時47分57秒
タイトル Re:金フイの81系
彩稀さま、はじめまして。
金フイもちだった「急行越前」をHNにしております急行越前と申します。

手元に小さい写真がありました。思い切りトリミングしたのでかなり不鮮明ですが。
神社の鳥居のカタチのような柵が写っている様な...

82年6月30日 田町




投稿者 秋田のHO
投稿日 2009年 2月12日(木)01時59分39秒
タイトル 旧新内駅の[20系客車]
私もいつか現車を直接見たいと思いつつ、今日に至りという状態でございます。
特に[ナロネ22]は、全国でここだけに現存という事もありますが、
基本的に「車輌航送用金具」が車体に装備されていない[20系客車]が、[青函連絡船]に積み込まれる為、
当時応急的に装着されました「車輌航送用金具」の様子が見たく思いまして。

話は変わりますが、
私が子供の頃、寝台券の最高峰であり、いつか乗りたい車輌とあこがれておりました
[オロネ25−0番台(700番台)]も、今は寝台券の最高峰ではなくなり、
[オロネ15−3000番台]となりまして、間もなく引退すると思いますと、
少し体の力が抜けるように感じております。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 2月12日(木)16時16分24秒
タイトル 老婆心ながら
過日、六郷土手(京急)および田町の両駅にて「富士・はやぶさ」と、その回送便を
撮影した知人によると、案の定、結構な「人出」があった様で、特に後者では、度々
構内放送で、3・4番線の東京寄り端部に固まった三脚組に対し、危険行為に及ばぬ様、
注意喚起の構内放送が行われた模様です(当該箇所からの視点は、昨年 6月25日付の
拙稿「遠のいた札幌」を御参照下さい)知人は人混み後方から、僅かな間隙を突いて、
望遠でしっかり撮るという、安全かつ高度な技を披露したのでした。

もう一方の六郷土手駅にしても、ホーム端部は画像の如く、2〜3人が立てばもう一杯。
加えて、京急の上り電車が高速かつ高頻度で通過し、しかもトラスに阻まれ、意外に
列車の接近に気付かない事が多く、要注意ですね。ちなみに、長身の知人は、画像の
手前から、壁際で背伸びしただけで、しっかり撮れたとの事ですが、駅構内での脚立
使用も危険行為になるのでしょうか。

この掲示板に集う、良識ある皆様に於かれては「釈迦に説法」ですが、運転最終日の
来月14日まで、撮影絡みの事故が起こらぬ様、祈念するばかりです。




投稿者 ED76109
投稿日 2009年 2月12日(木)19時37分44秒
タイトル 姨捨、霧島連山、そして・・・
いつものように御邪魔しております。「ED76109」でございます。

 「20系ロネ」に係り、「旧新内」が話題になっておりますので、
「新内・新得」について「釈迦に説法」させていただきます。

 「狩勝峠」越えの工事は枕木の数ほど犠牲者が出たと言われるほど難航し、
特に狩勝隧道(954m)と新内隧道(124m)の堀削工事は、堅い岩盤と湧水のために困難を極め、
ついには人柱まで建てて工事の進歩を図ったとも語り継がれております。
 「新内」は、「狩勝信号所」から新得寄りに、当初は信号所として「明治40年」に開設されました。
その後同42年に駅に昇格し、明治末期には駅を中心に市街が形成され、
山から切り出された木材の輸送が盛んに行われておりました。
現在、保存されている車両は、「59672号機」、「ナハネ20 132・ナロネ21 551・ナロネ22 153」
の4両です。
 一方「新得」は、狩勝峠越えの十勝側の拠点として「新得機関区」が有名でありました。
前述しましたが、鹿追・上士幌方面へ延びていた北海道拓殖鉄道(昭和3年〜昭和43年)の起点でもあります。
実は、狩勝峠は「札幌・帯広」の最短コースではありません。
「根室本線」は、大回りをして「新得」を経由しています
(道央と道東を結ぶ最短ルートの国道274号や道東自動車道は新得を経由しておりません)。
 なお、「新得機関区」の転車台は、「SLニセコ号」運行に伴い,ニセコ駅に移設されております。
さらに駅前には「火夫の像」が設置されており、苦闘の「狩勝越え」を今に伝えています。
また、昭和54年まで「新得・旧新内」間は国鉄の実験線として利用され、貨車の競合脱線のメカニズム解明や、
瀬戸大橋を念頭に置いた橋梁のたわみ量の測定など、数々の貴重な実験データーを提供し、
今日の鉄道の発展に貢献したことは、先達の皆様方の周知の事実であります。

 資料 「新得町史」(新得町教育委員会編)等

  長々と失礼しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でした。



 
 
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