倶楽部メモ(489)
平成21年 1月31日〜 2月 4日



投稿者 きむたお
投稿日 2009年 1月31日(土)20時19分17秒
タイトル 昨年12月29日の「日本海」編成
▼ 雑魚様、赤まんと様

昨年12月29日に撮影した上り「日本海」の写真をお送りします。
後から聞いた情報では、この時点で列車は既に回送扱いだったそうで、
当日の下りは金沢発で運行され、大阪→金沢は電車で代走したそうです。

写真ですが、やはり、山には雲がかかっており、きれいには姿を見せてくれませんでした・・・。
また、自称客車マニアが機関車を主役のように撮影したのも反省点でありますm(__;)m
とはいえ、これだけ近づいていないと編成チェックも出来なかったと言い訳をしつつ(汗)

あと、同日に書き込んだ出雲編成はやはり浜田行き(1号)の方で、メモ帳には機関車の番号が不明であったため、
補足で書き足し、あたかも機関車が反対側に付いているようになっておりました。
今更ですが、補足させていただきます。




投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 1月31日(土)22時52分34秒
タイトル すばらしいですね。
きむたお様こんばんは。
私は撮らずにただただ黙々と編成記録収集に励んでいる状況なので、投稿を拝見するたび、
「やはりデジカメの一つでも買っておき、末期の上野口ブルトレを画像に・・・」とおもうのですが、
なかなか行動に移せずにおります。
さて、先日29日に、久しぶりに友人が下り「日本海」の編成記録を送ってくれましたが、
さすがに長距離走破だけあり、12/29編成から大部分の車両が入れ替わっていました。
今回画像のEF81次位に写るオハネフ25 125はそのままでしたが・・・。
本格的な雪と荒天の時季、北に向かう列車には受難といいますか、試練の季節ですが、
雪まみれで走る姿には、だからこそ胸を打たれるものがあります。
近年は利用率低下と安全の確保等から、比較的すぐ運休の断が下されますが、こうして投稿や友人の話をききますと、
「日本海」はそのなかでも、大幅な遅れを出しながらも何とか出来得る限り運行させている様子が伺えます。
春からは最古参のブルトレになる「日本海」ですが、頼もしい限りです。



投稿者 bell
投稿日 2009年 2月 1日(日)01時50分59秒
タイトル 『日本海』ですね
きむたお様、赤まんと様こんばんは。
寝台特急『日本海』ですが、このところ風の影響で遅れが生じることが多いですね。
昨日も湖西線内強風のため、大阪行は米原経由となり30分ほど遅れたようです。

『日本海』は3回ほど利用しておりますがいずれも区間乗車でしたので、
関西にいるうちに全区間乗車を目論んでいる今日この頃です。
なお、添付しました画像は平成20年12月30日の大阪駅にて、発車直前の風景です。




投稿者 青列車
投稿日 2009年 2月 1日(日)11時33分46秒
タイトル 【1レ】ミニオフは叶わぬまでも…
ご無沙汰しております。
さて、いささかお見苦しい画像で恐縮ですが、今朝(2009/02/01)の1レ「はやぶさ・富士」です(東京発1月31日)。
山陽本線嘉川〜本由良間で撮影しました。
実は今回「撮り」に赴いたのは、過日いただいたメールがきっかけでした。
客車に造詣が深くこちら様の常連でもあられるクモイ103様がこの列車にご乗車になり九州に赴かれるとのこと。
従前よりネット上では何かとお世話になり数多ご教示もいただいているのですが現在はお互い遠隔地に暮らすゆえ
未だにご尊顔を拝する機会を得ていません。せめて!と思いその列車を撮影したものです。

生憎F値の暗いズームレンズしかないため陽射しこそありましたがシャッタースピードが稼げず
被写体ブレを起こしてしまいました。
因みに牽引機はEF6647。1号車はおそらくスハネフ15-21、7号車がスハネフ15-20、12号車がスハネフ14-6です。
去る1月6日、徳山〜小倉間「はやぶさ」の「ヒルネ」を利用した時の編成が
スハネフ15-20+オロネ15-3002+オハネ15-2002+オハネ15-6+オハネ15-1246+スハネフ14-6でした。
若しかしたら同じ編成かも知れません。

「Xデー」まであと6週間。有終の美を飾って欲しいものです。

投稿者のホームページ



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 2月 1日(日)15時44分57秒
タイトル 蛍の光
▼ED76 109様:
> 先達の皆様方の「青函連絡船」の想い出は如何だったでしょうか。

我が青函連絡船の初体験は、1980年代半ばの夏でした。貧乏学生の強い味方「北海道
ワイド周遊券」を片手に、14系「津軽」で正午に青森到着後、一便見送り「北斗」の
最終便に接続するタイミングでの乗船でした。

船中で「海峡ラーメン」を頂いた後は、カーペット室で、車中連泊の強硬日程に備え、
寝貯めした為、然したる印象もありませんが、青森離岸時のドラの音と「蛍の光」の
演奏は、当初「訳ありの離別」を惜しむ客が乗り合わせたか と勘違いしたほど(^^)
情感豊かな印象でした。この「蛍の光」は「ヨナ(四七=ハ長調で「ファ」「シ」に
相当)抜き音階」と、何とも日本的な旋律ですが、元々はスコットランド民謡らしく、
同地の「五音階法」と「ヨナ抜き」の符合性は、偶然だそうです。

連絡船を介し赴いた道内各地の街の交差点で、信号に連動して「通りゃんせ」と共に
用いられた「麦畑」も、終盤の一音を除き「ヨナ抜き」ですが、これらの曲を聞くと、
又候、旅行の虫が疼きます(^^)以上「ヨナ抜き」といえば「笑点のテーマ」を先ず
連想する雑魚の「旅先音楽」ウンチクでした(^^)

>「旭川」で「特快きたみ」から「DC急行宗谷」にいつも乗り換えておりました。

現在でも「きたみ」には、急行「礼文」と共通運用だったアコモ改造車が用いられて
いるのでしょうか。只でさえ、列車本数が少ない石北線の事、北見まで運転するなら、
各駅停車で良いので、更に美幌・女満別・網走まで直通しても良さそうなものですが、
北見市の人口が網走市の三倍以上という事で「おおぞら」が根室に直通しない事情と、
概ね同義なのでしょうね(ちなみに、釧路市の人口は根室市の六倍以上)



投稿者 雪だるま
投稿日 2009年 2月 1日(日)19時05分47秒
タイトル 連絡船の思い出
青森からの帰りに青森出港前に「本日は後部船室は締切、食堂は休業、甲板に出られません」
という便にあたり身構えました。
寝ていても下北半島を過ぎる頃にはピッチングがすごくて目が覚めました。
船室が狭い改造船には乗らずに終わりました。
小樽潮まつりに合わせて摩周丸、羊蹄丸が小樽港で一般公開したことがありました。
前日の夕方函館を出て松前沖経由で翌朝小樽着のダイヤでした。

10年位前北海道の新聞で旅行客が地中海方面で連絡船を見たという記事がのりました。
長々とすいません。



投稿者 てりてり
投稿日 2009年 2月 2日(月)00時00分46秒
タイトル 少し話がずれますが…
 ご無沙汰しております。てりてりであります。
 皆様の青函航路の思い出を拝読しておりました。
さて、青函連絡船の歴史として忘れてはならない悲しい歴史に1945年7月14・15日の空襲があります。
現在でも津軽丸、第三・第四青函丸が津軽の海に眠っているとの事です。
 朝日イブニングニュース社・坂本幸四郎著『青函連絡船』によりますと、
その後の船舶応援で海軍から『千歳』と言う軍艦が応援に来ていたとの事です。
その時は余り気にしていなかったのですが、その後、久留米市にあります水天宮を訪れた時に
『軍艦千歳』の碑というものを見つけました。
正確には空母だそうですが、当初はこれが応援に来ていたものと思い込んでいました。
しかし、1944年10月19日にレイテ沖海戦にてにて没したという事で一時期混乱してしまいました。
後日調べましたところ1945年7月17日より『特設砲艦「千歳」』が応援に来たとの事です。
 もともとは涼みに来た、列車の撮影に立ち寄った
(鹿児島本線久留米駅より徒歩10分位の距離で鉄橋を通過する列車の音が聞こえます)のがきっかけですが、
「千歳」と言う名前が北海道ではなく福岡の筑後川(千歳川・JR橋梁は「千歳川橋梁」)である事に驚くばかりでした。
                                 それでは



投稿者 クモイ103
投稿日 2009年 2月 2日(月)22時53分0秒
タイトル Re: 【1レ】ミニオフは叶わぬまでも…
青列車様

お膝元をただ通過するだけの非礼にも関わらず、わざわざお出向きの上の撮影、恐れ入ります。
先ほど無事帰宅しました。後日写真データを整理の上、この場できちんとツアーのご報告をいたします。
と、それだけの書き込みではナンなので、1/31東京発1レの編成記録など。
機 EF66 47
(1) スハネフ15 21
(2) オロネ15-3005
(3) オハネ15-2004
(4) オハネ15-4
(5) オハネ15-1122
(6) スハネフ14 5 (ここまで「はやぶさ」)
(7) スハネフ15-20 (ここから「富士」)
(8) オロネ15-3002
(9) オハネ15-2003
(10) オハネ15-1201
(11) オハネ15-1246
(12) スハネフ14-6
九州内「富士」の牽引機はED76 69でした。関門間および「はやぶさ」牽引機は、諸般の事情で不明ですm(_ _)m。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 2月 2日(月)23時15分16秒
タイトル 天国と地獄は「鉄」的な映画ですね・・・
 また、失礼致します。「ED76109」であります。

 雑魚様
 >青森離岸時のドラの音と「蛍の光」の演奏
  旅情溢れる「海峡」の風物詩ですね。後は岸壁から投げられる「見送りのテープ」。
 これらが、まさしく「連絡船見送りの三種の神器」でしょうね。懐かしい「昭和の鉄道風景」ですね・・・。

 >美幌・女満別・網走まで直通しても良さそうなものですが
  「キハ54の特快きたみ」は、上下とも「北見」で「釧網本線直通」の接続列車がありますので、
 一考に値すると思われます。
 しかし、「オホーツク」もほぼ「遠軽」と「北見」で70〜80%の乗客が下車してしまいます。
 しかも、「北見」で接続するのは「釧網本線直通のキハ40」。
 これで「十分用が足りる(せいぜい直通客は20人程度)。」とJR北海道は判断しているのでしょうね。

 ところで、今、隣室の愚息が「BS放送」の黒澤明特集である「天国と地獄」に夢中になっています。
(明後日が大学受験だというのに・・。)
しかし、「151系こだま」から身代金を投下させ、「田町電車区」の聞き込みシーンで「113系」が登場。
さらに、古い「江ノ電」・・・。
いつの間にか、愚息よりも「天国と地獄」に夢中になっている「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 2月 3日(火)17時01分5秒
タイトル 北見
▼ED76 109様:
> これらが、まさしく「連絡船見送りの三種の神器」でしょうね。

東海汽船便での経験から申すに、教え子に見送られつつ、涙ながらに離任の途に就く
うら若き女性教師がいれば、完璧でしょう(^^)

> 上下とも「北見」で「釧網本線直通」の接続列車がありますので、一考に値する

旅客導線から考えるなら、網走を結節点とした方が、より合理的かと思えるのですね。
釧網線といえば、今正に「流氷ノロッコ号」のシーズンですが、地球温暖化の影響か、
流氷の到来が今ひとつとされる昨今、今冬の状況や如何に?

>「遠軽」と「北見」で 70〜80%の乗客が下車してしまいます。

そう言えば、キハ80系時代の函館直通「おおとり」は、北見で増解結を行いましたね。
駅前に「東急」を擁し、非電化路線には珍しい地下区間もある北見の街は、網走支庁
随一の賑わいが感じられ、支庁舎は北見所在と、永らく勘違いしていました。同市は
06年の再編で、西は石北峠から、東はオホーツク海沿岸(サロマ湖畔)までを編入し、
市の面積としては全国四位と、かなり広域化しているのも特徴ですね。

一方、自治体人口23千人を擁する遠軽での乗降需要は、名寄線が接続した名残りから、
代替バスへの乗継客も少なくないのかと勘ぐりますが、紋別に関しては、浮島隧道を
経由する札幌・旭川直通バスが、圧倒的に優位なのでしょうね。

>「151系こだま」から身代金を投下させ、

151系の側窓は「ウィキペディア」によると 二重硝子の複層固定窓とされていますが、
どの部位が開くのやら。ともあれ御子息様の大学受験、御健闘を御祈り申し上げます。
呉々も、試験会場で「あれ、先輩、御久し振りです」などの禁句は、封印されます様。
以上、共通一次試験の会場にて うっかり「地雷」を踏んでしまった雑魚でした(^^)



投稿者 理左衛門
投稿日 2009年 2月 3日(火)21時20分17秒
タイトル 皮肉
新しい25型100代が廃車になっているのに、14系14型や24系25型の一桁の番号のものが
活躍中というのは、皮肉なものですね・・。
ただ、個人的には丸みのあるこれらのほうが、平面的で色気ない100番台より好きなので
嬉しいといえば嬉しいのですが・・・。



投稿者 雪だるま
投稿日 2009年 2月 3日(火)21時51分44秒
タイトル 百貨店
雑魚さま
きたみ東急は07-10に閉店しました。
いまや道東の百貨店は帯広の藤丸デパートのみとなりました。
今日は札幌と旭川の西武が百貨店から業態転換されると発表されました。
北海道は誠に寂しい状況になっています。



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 2月 3日(火)22時57分2秒
タイトル 雪だるま様の後追いですが・・・
 おばんでございます。「ED76109」であります。

 雑魚様
 >駅前に「東急」を擁し、網走支庁随一の賑わいが感じられ・・・
  雪だるま様の後追いでありますが、「スーパーカムイ」や「すずらん」、「スーパー北斗」等で、
 札幌までは「1.5〜3時間弱」。
 日帰りで「大丸」や「ステラ」で買い物と食事をして・・・。
 これでは、「小樽」や「苫小牧」の「丸井さん」が無くなるのも無理はないでしょうね。
 特に、遠軽に在していた頃、「北見バスのマーク」や「東急百貨店のロゴ」は、
 東京出の小生に懐かしさを感じさせてくれました。
 ところで、廃止された「ふるさと銀河線」を活用して、「オホーツク」を「帯広経由」で運転し、
 「札幌・北見間」を約4時間で結ぶ計画がありました。
 しかし実現していれば、「石北峠」も「常紋峠」も鉄路が無くなっていたことでしょう・・・。

 >釧網線といえば、今正に「流氷ノロッコ号」のシーズン
  先週末から「運行開始」です。今週、流氷が南下しているようですが・・・。
 また、この時期は「札幌・網走間」に「レインボーEXP」が運転されております。
 もう一つ、「デュアル・モード・ビークル」が夏期に運転されております。
 先達の皆様方、「DC」と「バス」を組み合わせたこの「代物」に是非ご試乗ください。

 >御子息様の大学受験、御健闘を御祈り申し上げます
  ありがとうございます。
 あまり「鉄」の趣味はないようですが、大学入学後は「一人旅がしてみたい」と言っておるようです。
 まあ、どこか引っかかってくれれば・・・。

 長々と失礼しました。
以上「遠軽在職時」は、「NHK北見」、「北海道放送」そして「北海道テレビ」のモニターで、
「鉄」費用を稼いでいた「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 2月 4日(水)09時16分53秒
タイトル 池北線
▼雪だるま様:
> きたみ東急は 07-10に閉店しました。

あれまぁ……それでも「東急イン」は健在の様ですね。ここは、JR時代の池北線を
乗り潰した日に投宿した事があり、翌朝、14系「大雪」から釧網線、そして「高床式
G車」を奮発した「おおぞら」に繋ぐという行程も相まって、私なりの「セレブ」の
象徴でした(^^)なお、これに先立つ根室線の池田駅では、ハザのみの14系が一編成、
素性が判らぬ侭に留置されていたのが印象的でした。

> 今日は札幌と旭川の西武が百貨店から業態転換されると発表されました。

昨年夏の渡道の際、札幌駅前における「西武」は割と印象的だったのですが、何とも
厳しい事になりましたね。商業集積性の比較において、札幌の足元にも及びませんが、
地元・水戸でも、駅前の大型店舗が近く閉店、更に隣接する大手私鉄系のホテルでは、
清算手続が開始され、駅を挟んだ「南高北低」状況も相まって、寂しい限りです。

一方、最近、家族での「ここ一番の買い物先」は、車でのアクセスが容易で内原駅に
近接する大型SCですね。上階駐車場から御覧の様な視点が確保できるなど、家族が
用事を足している間、運転手役の「鉄」な御父さん方にも、配慮が成されているのが
嬉しい限りです(^^)

>「オホーツク」を「帯広経由」で運転し「札幌・北見間」を約4時間で結ぶ計画

1932年に石北線が北見(野付牛)に到達するまでは、旧池北線が、北見・網走に至る
幹線格で、1961年までは「網走本線」を名乗っていた程ですから、かつて池北線には
札幌発着の遠距離優等列車が設定された可能性を感じますね(1980年までは、帯広〜
北見で急行「池北」が運転されていました)

後発の石北線が、遠軽で大きく「方向転換」している背景には、上記・旧池北線との
棲み分けにおいて、まず湧別・紋別への到達ありき、という位置付けから敷設された
事情が大きいのではないかと、改めて感じるのでした。

>「デュアル・モード・ビークル」が夏期に運転されております。

我が地元・ひたちなか海浜鉄道でも、導入が検討された事がある様ですが、那珂湊を
中間交換駅としてパターン・ダイヤが組まれている為、並行道路の混雑も勘案すると、
定時性確保の問題もあって、意外に難しいかも知れません。

それにしても、線路走行時のあの「傾き具合」乗り心地は如何でしょうか(^^)




 
 
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