倶楽部メモ(474)
平成20年11月27日〜11月30日



投稿者 ED76109
投稿日 2008年11月27日(木)19時37分19秒
タイトル 先達の皆様方の後追いなのですが・・・
失礼致します。「ED76109」でごさいます。

 「雪だるま」様及び「雑魚」様の後追いですが、本日の北海道新聞に「北斗星」減便による余剰客車「24系」8両が
陸路「川崎港」まで回送され、「ミャンマー」へ輸出されるという「記事」が掲載されました。
「釧路駅構内」の留置線から、狩勝・石勝の峠を越えて、遙々「川崎港」まで・・・。
道中の無事を祈念するとともに、「ミャンマー」での活躍を期待いたします。

 以上、「戯言」情報でした。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年11月28日(金)16時50分12秒
タイトル 常磐線沿線の思い出
常磐道が高萩以北に達する以前は、国道六号線がいわき方面に向う定番道路でしたが、
鵜ノ岬入口を過ぎて間も無く前方に平坦地が開けると、ホエ7030様の画像にある様に、
丘の陰から現れた常磐線が次第に近づき、常磐線の遥か後方に林立する、旧KDDの
巨大パラボラ・アンテナ群と相まって、独特の雰囲気がありました。

この辺りの風景で、比較的大きな変化といえば、国道 461号線が、渋滞の名所だった
常磐線踏切を数年前に解消し、大きく迂回する陸橋(いぶき橋)に移行した事ですね。
その先、高萩市街に入ると、かつては側線に貨車が多数屯した製紙工場の異臭振りが、
ある意味で風物でしたが、その工場も既に消滅。

製紙工場の側線から更に枝分かれする形で分岐していた炭鉱線については、辛うじて
現役時代の様子を記憶していますが、当時は、高萩〜平の各駅から炭鉱線が分岐して
いた様に思います。高萩にしても確か、手綱地区に延びる専用線が、別途ありました。
現況は存じませんが、磯原から分岐していた重内炭鉱線の終端部ヤードには、永らく
線路が残っていましたっけ。また、勿来駅の北側で、何かの専用線が海岸方向に分岐、
国道六号線と平面交差していた記憶もあるのですが、詳細は一切不明です。

画像は昨年、常磐道いわき中央I.C.付近で見た好間炭鉱(内郷分岐)専用線の跡です。
かくも明瞭に線路が残っている例は、珍しいと言えるでしょう。




投稿者 赤まんと
投稿日 2008年11月28日(金)20時33分38秒
タイトル 「夢空間」編成例
ご無沙汰しております。元・尾久の住人、赤まんとです。
週明けのGE999様の投稿に応える形で、「夢空間」編成記録を・・・。
1997/10/17 9009レ「夢空間北斗星81号」
 オシ25 901
 オハフ25 901
 オロネ25 901
 スハネ25 703
 スハネ25 702
 オハネ24 701
 オハネ25 17
↑オハネフ25 12
↓カニ24 504
 EF81 80
 ※この中で現在も営業運転に就いているのはオハネフ25 12のみです。
 カニ24 504は99年12月1日に青森へ転じ、06年春に再度尾久へ舞い戻ったものの、
先日10月23日に長野へ、「ゆとり」中間車とともに廃車回送されたとのことです。

1996年2月から本式に始めた編成記録は3822本にもなり、
「夢空間」の記録を探し出すのは結構時間が要りますので、
また見つけ次第、投稿したいと思います。
オロネ24 501とオロハネ24 501は「北斗星3,4号」や、
「夢空間北斗星」などの臨時に割と重点的に使われているイメージがありましたね。
以上、少しでも参考になれば嬉しいです。



投稿者 雪だるま
投稿日 2008年11月28日(金)21時58分0秒
タイトル ミャンマーへ売却の件
釧路のミニFM局のブログを見ますと10月末には北斗星用車両がミャンマーへ行くことが決まっていたようです。
このブログによるとJR北海道の車両とJR東日本の車両が留置されていたようです。
海外へ渡った車両が雑誌で紹介されるとあまりいい状態で運行されていません。
今回の車両たちも大事されればと思います。



投稿者 ED76109
投稿日 2008年11月28日(金)23時43分50秒
タイトル 「EC」鈍行の「戯言」です・・・
 またまた、失礼致します。「ED76109」でございます。
 世間では「0系」の引退で、「鉄」的な盛り上がりを見せていますね。
JR西日本では、12月中旬の「さよなら運転」まで厳戒態勢で警備に当たるとか・・・。
話によると「銀河」のラストランの1.5倍の人出を予想しているようであり、
無事にラストランが迎えられるように祈るばかりです。
今回も「戯言」を述べさせていただきます。
いつものように「先達」の皆様方の話題に数えていただけれは眼福の極みであります。

 1 「品川駅」というと、小生は件の「臨時ホーム」を想い出します。
昭和40〜50年代、盆暮の「帰省ラッシュ」に係り「津軽」等の夜行急行が北に向けて出発していた光景は、
季節を表わす風物詩の一つでした。
一方、「トカホセ鈍行」の始発駅の役割も果たしていました。
小生が小学生の頃、よく世話になったのは8時前に発車していた「325M浜松行」。
「相模灘」や「丹那隧道」などが楽しめる約4時間半の「1人旅」は、手頃な鈍行紀行でした。
また、微かな記憶の欠片ですが、3歳頃(昭和41年の春)両親と「品川始発の旧客鈍行」で
「熱海温泉」に出かけた経験もしています。

 2 「山陽新幹線」の開通から早30年以上が経過し、「山陽本線」には往年の姿はありません。
しかし、「岡山」から「下関」まで都市間連絡の「直通」が走っており、約360qのロングランは魅力的です。
平成15年の春、全区間を「乗り鉄」しましたが、全区間制覇を目指す「老若男女の鉄ちゃん」で車内は大盛況。
「瀬戸内海」を眺めながら、「セノハチの歴史」を奥様に熱く語っていた「御夫婦」らと御一緒させていただき、
久しぶりに一昔前の「出会いある旅」を経験しました。

 3 邪道かもしれませんが、東武鉄道、野岩鉄道、そして会津鉄道を5時間弱で走破する「浅草・会津田島」間の
「6000系仕立ての快速電車」は「乗り鉄」的魅力に溢れています。
平成17年の晩秋、東京出張の折に「制覇」しましたが、ローカル色溢れる「奥会津の山並みと紅葉」、
「新藤原」と「下今市」での増結作業、そして関東平野に沈んでいく真っ赤な夕日。
小生、もし可能であればJRから「165系」を買い取って運行させてはと考えます。
「会津荒海」あたりの雰囲気は、絶対「撮り鉄」の先達の方々に魅力的に思われるのですが・・・。

 「旧客」ではない、「EC」鈍行の話題で失礼しました。また、投稿致します。
以上、「期末考査」の問題作りに勤しむ「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2008年11月29日(土)09時46分26秒
タイトル 鉄道ファン卵時代のテストと0系
ED76109様
期末テストですか--採点も大変でしょうね。
御書込みで思い出しましたが、父がよく東京、北陸へ出張していたのでいつも
ダイア改正の度に新しい時刻表(戦前は時間表)がありました。
お陰で敗戦後5年生の2学期末テストに「全国の県庁所在地名」(地理)全問正解
で学校生活で只一度の「秀」(今の5)?沖縄県だけが出題されていなかったのが
残念で。(那覇---の難しい字を苦労して覚えたのに)最後のは20年1月改正号で後は
ぺらぺらの地図も出て居ない時刻表が暫く続きましたね。

0系は試運転に名古屋まで往復乗車してから長い事乗りました。今残っているのは100
番台が多い様ですが、三島の試運転線時代に見学して、種々の窓の形や座席の種類を
見たのも忘れられません(後の軌道架線テストの黄色電車)
雪に弱くて関ケ原で度々遅延した時に、「週刊朝日」の表紙に0系と「オバQ]のイラ
ストが出て「ぼくは雪には弱いんだ」とあったので「噴出した」事がありました。
「新幹線」というとどうしても「0系」の顔が浮かびますね。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年11月29日(土)10時23分23秒
タイトル 呉線の事
▼ED76 109様:
>「岡山」から「下関」まで都市間連絡の「直通」が走っており、

これが呉線経由ですと更に嬉しいのですが、広島都市圏の輸送を重視する観点ゆえか、
通勤型車両運用が主流となりつつあり、旅行者の立場としては、少し寂しい印象です。

呉線における、往年の優等列車と言えば「安芸」「出島」「音戸」が挙げられますが、
C62+10系客車の編成が被写体として人気を博した急行「安芸」の愛称は、1970年の
呉線電化を機に「あさかぜ」運用への集約を以て、一旦解消しています。

1972年の新幹線岡山延伸の際、新幹線連絡の、岡山〜呉・広島の急行として再編され、
1975年の新幹線博多延伸時は、急行「音戸」格上げの、EF58+20系による新大阪〜
下関の寝台特急として、客レ「安芸」が復活していますが、呉線内では深夜・早朝の
通過となり、せっかくの編成美も撮影不可と、三脚組泣かせだった様ですね。

いわゆる「セノハチ越え」が隘路となりがちな山陽線の補助経路として、山陽線とは
一線を画した海際の経路が呉線の持ち味ですが、山陽線西条を中心とする東広島市が
2005年の広域化で、呉線の沿線(旧安芸津町)にまで及ぶ事となり、時代を感じます。

583系「はと」などの紹介写真で御馴染みだった 山陽線「内陸ルート」は、三原から
一貫して沼田川を遡りますが、盆地が展開する西条界隈では、呉を河口とする黒瀬川
水系(河口付近の呉線鉄橋が撮影名所ですね)と然したる分水嶺も無く錯綜する一方、
広島寄りに「セノハチ」の一大峠を擁する辺りに、地形的な妙味を感じます。



投稿者 GE999
投稿日 2008年11月29日(土)10時59分58秒
タイトル Re:「夢空間」編成例
赤まんと様、はじめまして。
「夢空間北斗星81号」編成記録ありがとうございました。
また、現在の運行状況等も大変参考になり感謝しております。

大変な数の記録ですね、赤まんと様のお時間が有るときにでも 記録が見つかりましたら、御伝授頂ければありがたいです。

今後もよろしくお願いいたします。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年11月29日(土)11時38分1秒
タイトル 野岩鉄道〜会津鉄道の事
▼ED76 109様:
> 東武鉄道、野岩鉄道、そして会津鉄道を5時間弱で走破する(中略)快速電車

2005年までは、元「りょうもう」用の 350系を用いた急行「南会津」もありましたね。
JR以外の三社線に跨りつつ、座席指定が設定されるという、稀有な存在でした。

この筋は、名鉄「北アルプス」改め「AIZU マウント Exp.」を東武特急に接続させる
方式に継承されましたが、その背景として、国道 400号線の尾頭隧道の開通を受けて、
本来は野岩鉄道が受け持つべき、首都圏〜南会津の旅客需要が、那須塩原駅における
パーク&ライドに移行しつつある事情が指摘されています。その場合、塩原温泉街の
通過に伴う渋滞遅延が懸念されるのですが、実際には、然したる問題は無いそうです。

十年ほど前、会津鉄道の田島駅北側にて、明らかに電化の準備工事と思われる電柱が
延々と設置されているのを 一瞥しましたが、今秋、国道289号線の甲子隧道が開通し、
芦ノ牧・湯野上温泉や大内宿への観光需要が、新白河駅基準に移行する可能性があり、
東武快速そのものが、朝の一部下り便を除き、区間快速に格下げされた事、あるいは、
浅草駅の拠点性の相対的低下から、一部の東武特急がJR直通となった事にも鑑みて、
野岩鉄道・会津鉄道の、広域路線としての位置付けも、色々と変わって来そうですね。

なお、会津鉄道の前身である会津線に関して、大川堰堤湖建設に伴う切替前の区間で、
蒸機列車の写真が定番的に紹介されていたのを思い出します。それにしても、現行の
芦ノ牧温泉駅は、温泉街との位置関係および連絡手段において、どの程度、実効的な
命名感覚なのか、良く判りません。さりとて、旧称「上三寄」の侭では、野岩鉄道の
上三寄塩原温泉口駅と紛らわしいですね。う〜む………

最後に、磐越西線、只見線のSL列車を是非、会津鉄道でも運転して頂きたいですね。




投稿者 ED76109
投稿日 2008年11月29日(土)20時42分30秒
タイトル 時刻表は用途の広い「参考書」?
  また失礼致します。「ED76109」でございます。

 マロネロ38様
 >2学期末テストに「全国の県庁所在地名」(地理)全問正解
  小生も、「地名」や「漢字」を憶えるのに「時刻表」を活用しておりました(笑)。
マロネロ38様のお話で、小生は拙娘の受験の際に、某私立高校の「社会科の出題」で「秋田新幹線の正式名称は何線か。」
という問題が出題され、「判るわけない!」と拙娘が憤慨していたことを想い出しました。
「田沢湖線だな。」と即答した小生に、
「先生に、『○○高校には親父みたいな鉄ちゃんがいるから、時刻表を読んで勉強したほうがいい』って言う。」
と悔しそうにしていた拙娘の姿が記憶にあります。

 >「新幹線」というとどうしても「0系」の顔が浮かびますね
 御意。小生も「新幹線」は「0系」という世代であります。
前述した「修学旅行」の引率の折も、乗車した「ひかり」が大抵「300系」であることに正直違和感がありますね。
 また「新幹線」ネタでは、昭和50年に公開された「新幹線大爆破(東映)」と
「動脈列島(東宝)」の2作品が印象に残ります。
テーマは「パニックアクション」と「新幹線公害」という全く異質なものでしたが、
ストーリーの素晴らしさに加え、様々な意味での「新幹線の重要性」を認識させる映画であったと記憶しています。

 雑魚様
 >広島寄りに「セノハチ」の一大峠を擁する辺りに、地形的な妙味を感じます
 「三原」から「河内」にかけて、「沼田川」を遡っていく山間の風景と「セノハチ」越えは、
雑魚様のお話の通り、小生が気に入っている「山陽本線」のハイライトです。
「鉄」親父は、昭和30年代前半に集金の仕事で利用した「長距離鈍行」が、
補機の世話で「セノハチ」を超える経験を何度もしており、小生には何とも羨ましい限りです。

 >東武快速そのものが、朝の一部下り便を除き、区間快速に格下げされた事
 最近のダイヤ改正での事だそうですね。
「スペーシア」に乗り損ねた「温泉客」が東武版「青春18きっぷ」状態になるのは如何なものかと思われます。
可能であれば、「スペーシア」を増強して数往復を「会津田島」まで延長するとか、
「尾瀬沼ハイク号」や「奥会津スキー号」などの季節夜行を復活させるとか、頑張ってほしいものですねぇ・・・。
奥会津の絶景を走る「野岩・会津鉄道」を応援したいものです。(発想がかなり古いなぁ・・)

  長々と失礼しました。
以上、雑魚様撮影の「松屋浅草店」から「隅田川の急カーブに懸かる狭いホーム」が連想されてならない
「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 クモイ103
投稿日 2008年11月29日(土)21時10分29秒
タイトル Re: 常磐線の普通客車列車
ホエ7030様

遅れ馳せながら、蒸機時代の常磐線普通客車列車の画像、興味深く拝見しました。
当時の常磐線は、多くのハドソン機が活躍していたのですね。
中でも小石川橋梁付近の築堤でのお写真は、長閑な風景の中を駆け抜けていく列車の足音が聞こえるようです。
客車はマニ×3+スユニ+スロハ32+オハ35+…でしょうか。

貴重な画像のご提供、ありがとうございました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2008年11月29日(土)21時27分56秒
タイトル C615(平)
私が始めて「常磐線」を通過したのは昭和27年7月でした。急行「みちのく」でカマ
がC615‐平区(写している--上野の高架線ホーム)。
土浦までノンストップ60分だった思い出があります。あまり特徴が無い機関車でした
がC61は好きな機関車の一つです。



投稿者 太田拓也
投稿日 2008年11月30日(日)07時56分18秒
タイトル (無題)
ED76109様>
旧客世代からは目の敵にされた急行型電車ですが、221系などに慣れた私から見れば
「ボックスシート」「デッキつき」の客車の構造を残す貴重な車両です。
今となっては山陰のキハ126あたりに「客車」を求めるほかないかと。

>東武
6050系は鬼怒川温泉の旅館から日光への小移動に乗りましたが、確かに鉄の心をくすぐるいい車両でした。
ただ観光地となるとリクライニングシートの一般特急車でもダメで
箱根のロマンスカーや伊豆のスーパービュー踊り子に相当するフラッグシップ的な名物特急が必要です。
なまじスペーシアの印象が強すぎて「特急の終点=野岩・会津は存在しない」と思われてしまったのではないでしょうか?
投稿者のホームページ



投稿者 クモイ103
投稿日 2008年11月30日(日)08時13分19秒
タイトル Re2: 「夢空間」編成例
赤まんと様の足元にも及びませんが、偶然出くわした「夢空間」の編成を珍しく記録していましたので、ご紹介します。

平成14(2002)年5月3日上野着「夢空間北斗星」

機 EF81 94 [田]
1 オシ25 901
2 オハフ25 901
3 オロネ25 901
4 オハネフ25 10 ↑
5 オハ25 501 ↑
6 オロネ25 504 ↑
7 オロハネ24 501 ↑(オロハネ25の誤記でしょう)
8 オロハネ24 553 ↑
9 オハネフ25 11 ↑
電 カニ24 508

↑はデッキの向き、客車の所属は全て東オク、機関車のHMは「北斗星」、
カニのバックサインは「夢空間北東北」となっていました。



 
 
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