倶楽部メモ(452)
平成20年 9月 6日〜 9月11日



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 9月 6日(土)18時17分32秒
タイトル 看板旅情
▼ED76 109様:
>「金鳥の蚊取り線香」(中略)「ナショナルの電灯」等のホーロー製看板です。

水原弘の「ハイアース」は地元でも割と散見されます。数年前、撮影で赴いた水郡線
沿線域では「ウメ星デンカ」を描いた「小学館の雑誌」や「ハヤシもあるでよ〜」で
一世を風靡した「オリエンタル・カレー」も一瞥しました(^^)

車窓から見た看板として特に印象深いのは、福島・宮城県域の丘陵斜面に設けられた
型抜き文字による「酒は大七」で、あの看板を見ると、今でも旅情が高まる思いです。

>「日高本線」の「静内〜浦河」は、碍子の付いた「ハエ叩き」が(中略)健在です。

初めて渡道した四半世紀前、確かに当該区間で「健在」だった印象があります。当時、
月形・浦臼町域の札沼線でも見かけた記憶がありますが、こちらは、どうなのやら?

> 以前、雑魚様からの書き込みのあった「旧池北線の置戸〜小利別付近」と双璧

改めて調べた処「藻岩車掌所」なるサイトの「ふるさと銀河線の話」の項に、最近の
廃線跡レポートがあり、北見都市圏の西富・西訓子府両駅跡の付近では、少なくとも
今年の春には「ハエタタキ」が原型の侭、残っていた事が判ります。

個人的に最も気になるのが、東海道線の真鶴〜湯河原に残る「首都圏最後の一本」で、
これは「ハエタタキ 真鶴」または「ハエタタキ 湯河原」にて画像検索が効きますが、
現在も残っていれば、是非、写真に記録しておきたい逸品ですね。

また、手元の運転室展望DVDを改めますと、89年10月17日収録「あずさ」における
中央線塩崎駅や、00年01月14日収録「えびの」における吉都線小林〜西小林(小林西
高校付近と推定)でも「ハエタタキ」が数本映っており、これまた気になる存在です。

後者では、谷頭駅における「構内のみの電化区間」も映っています。大村線の大村や
川棚でも見た事があるこうした施設は、訓練用と思われますが「トワイライト魂」を
揺さぶる代物ですね(^^)

最近見かけた、もしかすると現役かも知れない「ハエタタキ」です。長野電鉄長野線
須坂〜北須坂にて。




投稿者 「ED76109」
投稿日 2008年 9月 7日(日)17時45分12秒
タイトル 汽車旅の旅情
「ED76109」でございます。
ものずきヲヤヂ様
>車窓に現れるのを見て「ノ・ノザキってなんじゃあ〜?」
 小生、東京を離れて来年で四半世紀になりますので、古くから設置されている架線柱が
少しずつ取り替えられているかも知れませんが、幼い頃は上り「桜島」や「はやぶさ」等の長距離列車から
「ノザキのコンピーフ」を眺めると、「旅の終焉」を感じたものでした。
また、「肥薩線」の「人吉〜吉松」の「ループ線」に乗りたい衝動に駆られる今日この頃です。

雑魚様
>月形・浦臼町域の札沼線でも見かけた記憶がありますが
 5年前に「乗り潰した」時は、「健在」であったと記憶しています。
ただ、JR北海道の現状を考えると、撤去する「予算」が厳しいと考えられることから、
しばらく「健在」だと思われます。
>「ハエタタキ 真鶴」または「ハエタタキ 湯河原」
 まだ、「ある」のですね(!!)。数年前、乗車した上り「富士」から「健在」であったのでうれしく思いました。
大きな「ハエ叩き」ですよね。
「はと」、「つぱめ」がお世話になっていたと思うと、何とか残せませんかねぇ・・・。

 また、投稿致します。大逆転の機会を逸し、「終戦」を迎えた「道民球団応援団」の「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 Uzu
投稿日 2008年 9月 7日(日)23時54分7秒
タイトル 臨時みずほ
寝台特急みずほの件で質問です。
みずほは94年12月改正で臨時格下げになったという記事を発見しました。
この臨時みずほはどのような編成で運用されたのでしょうか?



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 9月 8日(月)15時05分2秒
タイトル ループ線
▼ED76 109様:
> 当地も、道東や道北で鉄道がなくなった町村の多さが著しいですね。

道内では歌志内・三笠・紋別の三市が該当しますね。もっとも三笠市は峰延駅付近で
函館線を辛うじて「視界射程」に納めている様です。歌志内の人口は既に五千人割れ。
現在は合併の予定も無いそうで「平成の大合併」後の市としては、特異な存在ですね。

> 名寄本線が廃止された当時、オホーツク沿岸の「紋別市」は

廃止後も暫くは、時刻表巻頭地図に「みどりの窓口設置駅」表記が残っていましたね。
鉄道が廃止された後の街にあって、どの程度の需要があったのやら、少々懐疑的です。

> 鉄道があってもなくても、道央以外の人口減は歯止めが効かない状況です

人口動態の大まかな目安として、電化区間沿線とそれ以外に大別される印象でしたが、
結局は「札幌都市圏」の一人勝ち、という事の様ですね。二番手の旭川は不明ですが、
三番手の函館では、札幌に発着する旅客需要の殆どが空路経由となった為、現在では、
中核市指定時の人口要件・30万を割り、新幹線延伸がどの様に資するか注目されます。

>「肥薩線」の「人吉〜吉松」の「ループ線」に乗りたい衝動に駆られる今日この頃

とりあえず添付画像のループ線で御辛抱下さい(^^)ところでこの区間、通過列車の
頻度に鑑みて、JRでは、新清水隧道のみを残しての単線区間化も検討した様ですね。
確かに、然したる不具合は無さそうに思えますが、はてさて………?

> 撤去する「予算」が厳しいと考えられる事から、しばらく「健在」だと思われます。

趣味の観点から歓迎したいのですが、木製柱ゆえの朽廃進行を考えると、安全管理上、
特に宅地が近接する場合は、いつまでも放置しておく訳にも行かないでしょうね。

>「はと」「つぱめ」がお世話になっていたと思うと、何とか残せませんかねぇ…。

いっその事、鉄道博物館に「移設」して欲しいくらいですね。なお、私が子供の頃は、
電化前後の過渡期の名残りとして、前出・長野電鉄の如く「ハエタタキ」を併設した
架線柱が東北線(小山付近)常磐線(土浦付近)日光線(鹿沼付近)で見られました。
非電化線では、一線区当たりの碍子配列パターンのバリエーションが最も豊かなのが、
地元に近い水郡線で、常陸太田支線を含めると、十種類以上ありました。

私鉄では、架線柱と「ハエタタキ」が一体化したものが、東武鉄道や名鉄で度々目に
しましたが、首都圏では、千住大橋〜京成関屋で常磐線を跨ぐ京成本線や、柏付近の
東武野田線が印象的でした。

かかる「ハエタタキ」と客車列車の好ましい組合わせは、片上鉄道で比較的最近まで
御馴染みでしたね。人気の「ブルートレイン」が吉ヶ原折返しという事で、乗り潰し
優先の立場から一般気動車便を選んだ事が、今となっては少し悔やまれます。




投稿者 赤まんと
投稿日 2008年 9月 8日(月)19時06分44秒
タイトル 臨時「みずほ」に覚えはありませんが・・・
Uzu様初めまして。
ブルトレ編成記録をライフワークにしている、赤まんとです。
たしかに「みずほ」は94年12月改正で臨時格下げ、となりましたが、
記憶の限りでは、一度も臨時運転されることはなかったはずです。
「あさかぜ81、82号」はしぶとく2000年まで設定がありましたが・・・。
博多「あさかぜ」廃止後、初回の「あさかぜ81,82号」は、
まさにその「みずほ」からあぶれた、JR東日本の14系9連で運転されました。
貴重なこの94年12月末の記録をとったのですが、6月に尾久から埼玉に引っ越した際、
仕舞った場所がわからなくなっており、編成記録を載せられないのがつらいところです。
たしか5号車にスハネフが、しかも下り方向を向いて組み込まれていて、いかにも予備車かき集め然とした内容でした。
EF66牽引です。
その後は熊本で当時予備扱いになっていた15形に、長崎の14形を1両借り入れ組み込みの7両で運転され、
ときに宮原の「だいせん」「ちくま」用15形のこともあり、たいそう驚かされたことがあります。
「みずほ」廃止で浮いた東日本の14系は、96年夏に全て廃車されました。
予備車の運用両数から考えても、残念ながらハナから臨時「みずほ」設定は半ば無理があったと思っています。
純日本の、美しい名の列車だけに、車両がボロボロにくたびれ果てる前に廃止になったことは、
ある意味救いだったなあと、さいきん感じます。
「みずほ」にも使われた今の「はやぶさ」「富士」の車両は、無残にボロボロなものが見受けられますので。



投稿者 Uzu
投稿日 2008年 9月 9日(火)00時20分45秒
タイトル 臨時みずほの件
赤まんと様、大変丁寧なご教示ありがとうございます。

やはり、臨時みずほは事実上無かったんですね。
しかし、臨時あさかぜ運用に宮原車や熊本車が使用されていたとは驚きですね。
前々から、熊本の臨時用15形はあまり活躍の場が無さそうだなと思ってたんですが、
このような運用に就いていたんですね。



投稿者 赤まんと
投稿日 2008年 9月 9日(火)22時59分30秒
タイトル 巡り巡って、酷使されております。
Uzuさまご指摘のように、熊本にいた15形は、国鉄最後のダイヤ改正で転属したもので、半ば予備的な存在でした。
「みずほ」「さくら」に数両混じったり、集約臨時列車に駆り出されたりしていました。
転機は97年11月改正で、オハネ15 4を皮切りに大掛かりなリフレッシュが行われてから。
このとき九州からはオハネ14が全車引退し、「さくら」は14系と15形の混結となりました。
残念ながらリフレッシュは全車に及ばず、オハネ15 5とオハネ15 7が廃車されたりしています。
現在「富士」「はやぶさ」に運用されている15形0番台がまさに、かつて「あさかぜ81,82号」に使われていた車両です。
余談ですが、91年秋、私が高校2年の九州修学旅行に乗った「さくら」はオハネ15 5に当たりました。
廃車になってしまったのは残念です。
車歴も辿っていくと結構、面白いものです。



投稿者 Uzu
投稿日 2008年 9月10日(水)00時40分23秒
タイトル そうですね
赤まんと様、
私も現在「はやぶさ・富士」の車両を見ると、彼らの歴史を辿ったりしてしまうものです。
最古参のスハネフ14 3は昭和46年に14系試作車として登場し、翌47年まで急行「瀬戸」に連結され試験されてましたよね。
この車両は10系客車と手を繋いだこともあるのかと思うと何とも言えぬ感慨に耽ってしまいます。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2008年 9月10日(水)13時37分4秒
タイトル オハネ14-15系
私は「嫌い」でしたね。「日本海」が14系になって食堂車が無くなり、秋田出張に「パン
とジュース」や弁当とお茶を買って乗り込んだり「時代に逆行」と、スハネフに当た
って喧しいのに閉口、オハネでも20系の如く床下機器が少なく走行音が響くのと、
重心が高くてフラフラ揺れるのが嫌いでした。(スハネフは停車中にエンジン音が
煩くて)
寝台幅が狭くても乗り心地は20系が最高でしたね。TR55の乗り心地の良さが忘れ
られません。「銀河」が20系の時代は良かったですね東京出張はいつも「銀河」でした。



投稿者 赤まんと
投稿日 2008年 9月10日(水)18時55分51秒
タイトル 20系は乗ることなく終わってしまい・・・
マロネロ38さま。
20系の乗り心地が、ニューブルトレと呼ばれた14系以降の車両よりも上手だったというのは、
特集記事や列車追跡でよく指摘されていますよね。
残念なことに、私はついぞ20系に乗る機会を得ぬままになってしまいました。惜しいことです。
1月に「あかつき」のお名残乗車をした際、スハネフ15 7に当たりました。
たしかに振動と唸りは感じられましたが、もともとエンジン音が好きなこともあり、
大して気にならないどころか、音を楽しんでいるところもあり、「結構静かじゃん」なんて思っていました。
15形ほど防音強化されていない14形は、よりうるさいのか、一度乗ってみたいものです。
時間さえ許せば寝台列車に乗ることができるようになって、10年そこそこの私には、
実際に乗った体験談というものが大変刺激的です。
Uzuさまご指摘のスハネフ14 3はよくぞここまで生き残ったもので、
1週間後には車齢37年を数えるこの車両も、いよいよ最後の誕生日のようです・・・。



投稿者 らん丸
投稿日 2008年 9月10日(水)20時41分3秒
タイトル 旧型客車と混結運用した14系
14系のプロトタイプ(46年製グループ)は、最初から蒸気暖房の引き通しが付いていたと聞いたことがありますが、
どうでしょうか?

定期列車で14系+旧型客車の混結編成は「瀬戸」「利尻」「大雪」「まりも」
(瀬戸は14系寝台車+旧型客車の座席車・食堂車。利尻・大雪・まりもは14系座席車+10系寝台車)ですが、
「まりも」に関して色々な話がありますが、
57.11〜58.6(14系化完了時)まで10系寝台車はハネだけでなくオロネ10が組み込まれ、
スロ54もあったという話を聞いたことがありますが、実際はどうなのでしょうか
(あくまでも10系寝台車は暫定使用なのでオロネは無く、座席車も14系だけでスロは無かったという話もある)?



投稿者 ED76109
投稿日 2008年 9月10日(水)22時58分12秒
タイトル 記憶だけの話ですが・・・
「ED76109」でございます。
 らん丸様
>スロ54もあったという話を聞いたことがありますが
 小生の記憶でしかないのですが、確か昭和57年の11月に「ハザ」が14系に変更された際に、
「スロ54」のグリーン車が外されたのではなかったと思われます。
なお、らん丸様御指摘のとおり、「オロネ10」は、昭和58年6月に「まりも」が「ハザ・ハネ」ともに
14系で統一された際に運用が停止されたはずです。
(昭和59年夏の段階では、「ロネ」はもう連結されておりませんでした。)

 以上、「戯言」情報の「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 Uzu
投稿日 2008年 9月11日(木)12時58分43秒
タイトル 鹿児島の24系
14系寝台の蒸気暖房配管は後に撤去されていますよね。

ところで重ねての質問で恐縮ですが、97年頃の「はやぶさ」「富士」運転区間短縮直前の鹿児島所属オハネ25は29両
(オハネ25-125の履歴が不鮮明なので28両かもしれません)となっています。
しかし、「はやぶさ」「富士」基本編成にオハネ25は
4両×6編成=24両
加えて「なは」基本編成には
3両×2編成=6両
の計30両が必要となり不足が生じる筈なのですが、熊本からの借り入れ車両でもあったのでしょうか?



投稿者 マロネロ38
投稿日 2008年 9月11日(木)16時57分21秒
タイトル 蒸気暖房引き通し管
12系には遅くまでついていましたね。「きたぐに」が583系になり新潟打ち切りまで
の青森行PC時代、スロ62が連結されていましたので必要だったのでしょう。12
系のオハになってから寝台車は大阪‐新潟回転になっていましたから。オロネ10
、スハネ16、スハネ30等々



 
 
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