倶楽部メモ(442)
平成20年 7月28日〜 8月 2日



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 7月28日(月)19時57分53秒
タイトル 素晴らしき勇払原野
▼ED76 109様
> この書き込みをご覧になる前に、機上の方となっていらっしゃるかもしれませんが、

搭乗の数時間前、旅行支度に手間取り、飛行機に間に合うのかと、我が家では夫婦間、
親子間で罵声の応酬状態でした(^^)

> 少なくとも今週末道内は「晴天」の予想です。どうぞ安心してご来道下さい。

確かに快晴続きで、関東に比べ格段に凌ぎ易い中、観光にはうってつけの陽気でした。
しかし「撮影本番」当日の午前中に限って、御覧の様な空模様。加えて、岩手県北部
地震を受けた被災区間での徐行に伴い「北斗星」「カシオペア」では、二時間前後の
遅延が慢性化しており、相当時間、待ち惚けを食いました。更に、その待ち惚けの間、
何と「こだま色」キハ 183系(団臨?)が函館方面へと走り去り(足場の関係で撮影
不可)トドメとして、最後の被写体となった下り「北斗星」通過後、天候が急に回復。

余りの運の良さに(^^)暫しの虚脱状態を経て、ウトナイ湖畔で吼えました(^^)




投稿者 雑魚
投稿日 2008年 7月28日(月)20時20分6秒
タイトル 素晴らしき札幌駅前
▼拙稿:
>「余りの運の良さに(^^)暫しの虚脱状態を経て、ウトナイ湖畔で吼えました(^^)

それでもまぁ、画像の様な「手抜き」ながら、今となっては貴重な寝台・座席混成の
急行「はまなす」を撮れたので良しとしますか(^^)改めて編成を見ると、牽引機は
一両のみで、上り便の「渡島砂原迂回措置」の必然性が良く判ります。

機関車の塗装さえ度外視すれば、悪友の彼女が堪能したという下り「天北」の編成を
彷彿とさせますね。以前申し上げたと記憶しますが、上り「宗谷」と共に、寝台車を
座席車扱いで連結した下り「天北」は、私も利用した事があります。特に「空気輸送
状態」となった浜頓別以遠では、夕闇迫る宗谷丘陵を通過中、轍の音だけが、周囲の
荒涼とした風景に響いていた寂寥感が、何とも云えない旅情を醸し出していましたね。




投稿者 雑魚
投稿日 2008年 7月28日(月)20時48分3秒
タイトル 素晴らしき食堂車
▼ED76 109様
>「スハ14」の指定席で一夜を明かす羽目に…。

この際ですから「喧嘩両成敗」よろしく、妙齢の女性と仲良くハザで……というのは
如何でしょうか(^^)これまた以前、申し上げた様に記憶しますが、初めて渡道した
その晩が「まりも」ハザ泊で、翌朝目覚めると、隣に座っていた、見ず知らずなれど
可愛い女性が私の肩を枕に安らかな寝息を立てており、正に、今回の渡道であちこち
散見された「まりもっ○り」に通じる心境の如しでした(^^)

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そうそう、旅行直前に発生した地震の影響か、土壇場で復路「北斗星」に乗れました。
予約が間に合わず、正式ディナーは頂けませんでしたが、救済枠「パブ・タイム」で、
食堂車「グランシャリオ」を利用する機会に恵まれましたよ。オーダー・ストップは、
青函隧道に差し掛かる辺りで、茂辺地辺りでは、津軽海峡に展開する烏賊釣り漁船の
鮮やかな照明群が車窓に広がり、それを肴に、杯を重ねたのでした。




投稿者 らん丸
投稿日 2008年 7月28日(月)21時37分39秒
タイトル 旧型客車の特急列車
旧型客車で運転された特急列車は定期列車が「みずほ」、臨時列車においては「お座敷踊り子(スロ81にて運行)」ですが、
「12系による臨時特急」を運行する時(14系座席車誕生前)、スハ44+スロ54(もしくはスロ62)による臨時特急の
運転は選択肢に入っていなかったのであろうか?
「冷房が・・」という話もありますが、当時、キハ17やオハ60を平気で臨時急行(それも全車指定で)に使っていたのだから
「旧型客車による臨時特急」があっても良さそうですが・・・。

EF57牽引のスロ62+スハ44で編成された「つばさ51号」「はつかり51号」なんて見てみたいと思いませんか?



投稿者 雪だるま
投稿日 2008年 7月28日(月)23時38分45秒
タイトル ほっかいどう
雑魚さま
思わず夢が叶ってよかったですね。
北斗星などは撮影出来ましたか?
最近は東北地方の地震による徐行で北斗星は2〜3時間の遅れて札幌着になっております。
本日は折り返しも1時間遅れで札幌発となっています。
トワイライトは雨の影響で6時間遅れで久し振りに五稜郭で打ち切りになっています。



投稿者 50号
投稿日 2008年 7月29日(火)07時34分27秒
タイトル 50系の屋上機器配置について(ご質問)
初めて投稿させていただきます。
現在自作で50系客車を模型で製作している者です。
製作に際していろいろ資料を調べているのですが、わからないことがありました。

現在製作している車両に、50系3000番代(ビュートレイン用、元アメトレ)があるのですが、
その屋上機器(冷房装置、ベンチレータ)の配置がどうなっていたのか調べています。

手元には50系5000番代(海峡)の屋上機器配置の図面はあるので、
当初それと同じかと思っておりましたが、
どうもそれとは違うという情報もあり、
両車両の配置の異同が確認できませんでした。

どなたかもしご存知の方がいらっしゃいましたら、
3000番代の機器配置(5000番代との異同)について、
誠に恐縮ではありますが、ご教示いただけませんでしょうか。
宜しくお願い申しあげます。



投稿者 ED76109
投稿日 2008年 7月29日(火)15時58分20秒
タイトル VIVA HOKKAIDO !!
 「ED76109」です。
 雑魚様
 苫小牧は、この時期海風が入ると雲や海霧が発生することがあり、ベストの撮影とは行かなかったようですね。
 帰路は「北斗星」に乗車され、「グランシャリオ」で漁り火を御覧になったとのこと。
 北海道はご堪能できましたでしょうか。またのご来道をお待ちしております。
 そういえば、以前「あさしお」のタイフォン音が「ドスコイ」と鳴いたらおもしろいという「与太話」との
書き込みがありましたが、同僚に「関西(奈良県王寺)」出身がおり、この書き込みのことを話したところ、
「『あさしお』やったら、気づいたら『城崎』ではなく、『敦賀』に行ってまうかもしれんで・・。」
と高砂親方の現役時代を彷彿(!?)とさせるような「戯言」を言っておりました・・。
 失礼しました。また投稿致します。
 以上、「グランシャリオ」の写真を指をくわえて眺めるだけの「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 7月29日(火)21時37分32秒
タイトル 北斗星の遅延
▼雪だるま様:
> 東北地方の地震による徐行で北斗星は 2〜3時間の遅れて札幌着になっております。

私が沼ノ端〜植苗で狙った下り「北斗星」は、所定より約二時間遅れての通過でした。
帰途の利用便は、少なくとも函館発車までは定時運行で(画像の「北斗星」も札幌を
ほぼ定時に発車した処です)翌朝目が覚めたら、二時間強の遅延が発生していました。
丁度、仙台付近で通勤ラッシュ時間帯に掛かり、先行電車の影響から仙台到着の直前、
数分停車していました。この措置、いつまで続くのでしょうね。

この遅延で、特急券が払い戻しとなり、思わぬ処で財政的に助かりましたが、かかる
事態が予想されても、運転しなければならないJRは、辛い処ですね。それもこれも、
夏期の旅客需要が多い対北海道の直通列車ならではの措置でしょうか。




投稿者 雑魚
投稿日 2008年 7月29日(火)22時25分42秒
タイトル トワイライト、汝もか
▼ED76 109様
> 苫小牧は、この時期海風が入ると雲や海霧が発生することがあり、

平坦地が連続しているので札幌と同一視していましたが、やはり太平洋岸は、天候が
一味違うのですね。ちなみに日本山岳会によると、千歳線沿線における中央分水嶺は、
新千歳空港付近で、標高は僅かに20m以下だとか。前出の札幌駅と共に、千歳駅でも
保険を掛けて置いたのですが、こちらでも肝心の被写体が通過する前後数分間に限り、
曇天でした(滂沱)

>『あさしお』やったら、気づいたら『城崎』ではなく『敦賀』に行ってまう

1964〜68年に金沢〜出雲市で運転された気動車急行の事でしょうか。現代の感覚では、
必然性が良く判らない運転区間設定も、都市間移動における鉄道への依存度がかなり
高かった時代には、多様性の一端として、かかる列車も少なくなかったのでしょうね。

この「あさしお」を併結、後に吸収した名古屋発着の急行「大社」にしても、京都を
度外視してまで小浜線を経由した辺りに、当時ならではの作風が伺えます。あるいは、
京都界隈の山陰線の線路容量に、余裕が無かった事情でもあったのでしょうか。




投稿者 雪だるま
投稿日 2008年 7月31日(木)00時08分17秒
タイトル 今日の北海道
雑魚さま

7月から8月上旬にかけて千歳はスカッと晴れることがありません。晴れてもガスってます。
今年の7月は札幌周辺は曇りの日が続きました。
千歳は晴れていても支笏湖上空に雲がわいてきて日が陰ることがしばしばあります。

本日の下り北斗星は南千歳に1330過ぎに到着しています。まだ遅れが続きそうです。



投稿者 ED76109
投稿日 2008年 7月31日(木)16時52分4秒
タイトル 鉄道の復権はありやなしや・・
「ED76109」であります。
度々御邪魔して失礼申し上げます。「鉄」分がどうも不足しているのですが、金も暇もない状況は如何とも・・。
この書き込みで「フラストレーション」を解消している状況です。御容赦ください。
さて、「経済界」という雑誌に、「環境問題」に係る「貨物列車」を中心とした鉄道復権の内容が掲載されているようで、興味津々です。
一読して「ネタ」になるものがあれば、後日また報告致します。
今日は、いつものとおり過去の「鉄」話を「戯言」致します。先達の皆様方の話題の一つにしていただければ幸甚の限りであります。

1 昭和46年の盛夏、「鉄」親父と「肥薩線の大畑ループ線」に初乗車。
 八代から「C57」牽引の「オハ35」の旧客鈍行「人吉行」を楽しみ、いよいよ「D51」が前後に付く「吉松行の混合列車」に。
 清流豊かな球磨川の流れ、スイッチバックとループ線、雄大な霧島連山の眺め、哀愁漂う「真幸」駅、
 そしてカメラ片手のたくさんの「鉄」ちゃん(おそらく現在は五十代後半から六十代半ばの「鉄」の先輩!)・・・。
 峠越えに黒煙を吐き続けた「D51」の姿とともに、小学3年の小生には強烈な印象が残りました。
 その後二度再訪しましたが、もう一度訪ねてみたい路線です。

2 昭和58年の黄金週間、五能線の旧客鈍行に乗車。
 日本海の眺めはただただ「秀逸」の一言で、「深浦」辺りの海岸線は「山陰本線の浜田〜益田〜萩」に匹敵する美しさ。
 まさしく「青松白砂」のイメージでした。そして、「鰺ヶ沢」辺りからの林檎畑と岩木山の眺め・・。
 「オハ35」の刻む轍の響きに、汽車旅の素晴らしさを痛感しましたが、ただ一つ「津軽弁」について多少勉強
 おけばよかったと後悔しました。(女性客は美人ばかりなのに何を話しているのか、全くチンプンカンプン・・)

3 昭和58年の初秋、前日見学した八尾の「風の盆のしなやかな踊り」の感動覚めやらぬまま、
 「高山本線」のディーゼル鈍行で富山から岐阜まで「乗り鉄」。
 北アルプスの山並みや飛騨川の渓谷など、山岳路線の「キハ26(?)」の旅を堪能しておりました。
 しかし、「下呂」から名古屋へ帰る中年の女性客のグループが乗車してムードは一変。
 「温泉は最高だがね!」と賑やかな一言を聞きながら、列車が「太平洋側」へ移動したことを強く体感(!!)しました。

また、投稿致します。以上、風景以上に「女性の様々な言動」に地域性を強く感じた「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 キハウニ
投稿日 2008年 8月 2日(土)20時22分48秒
タイトル 二時軸客車やエコレール
お世話になります。

大正9年に買収された路線にいた車両について調べています。
蒸気機関車は「蒸気機関車小史」などのすばらしい資料でわかったのですが
客車(二軸)については写真以外のうまい資料がみつかりません。
客車形式図に買収会社の情報も図書館に、大正2年と昭和2年の客車形式図がありまして、
前者はまだ買収前で情報がなく後者は一部の郵便車両しか情報がありませんでした。
ハやハフもいたことは別資料で確証をえているので、大正後期までに廃車になったのか・・・
形式図がどのくらいの間隔で現存しているかわかりませんがこの間の形式図はあるのでしょうか?
以前ご紹介頂いた車両台帳は図書館になかったのでそちらから探るのは難しそうです。

また別で、昭和30年以前の客車・動力車の配置を異動を調べています。
国会図書館へ鉄道公報を見に行ったのですが、ボリュームがすごいこともあり
異動に関しするそれらしい情報を見つける前に、流れる文字に酔ってしまいました(笑)
「達」の項をみていけばいいような気がしましたが、探し方のコツなどありましたらお教え頂けないでしょうか。
すみません。

>鉄道と環境問題
コンテナのステッカーでエコレールというのがありますがうちの地元は非電化区間でして毎日ディーゼルが煙をあげてます。
ガス代が高いので車を控えて鉄道を薦めても家族には「どこがエコや」と突っ込まれています(笑)



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2008年 8月 2日(土)20時43分8秒
タイトル 「富士」「はやぶさ」の画像募集
最近の鉄道専門誌各誌でも、またこの「客車倶楽部」でもたびたび話題になっていますように
寝台特急「富士」「はやぶさ」の来春をもっての廃止が噂されており、これが現実となりますと
東京駅はもちろん、かっての日本における鉄道の大動脈であった東海道本線・山陽本線、及び
九州地区からブルートレインが消える事となってしまいます。

そこで、なんとか末永くがんばってもらいたいとの祈りもこめて、
 最後の東京駅発着ブルートレイン・寝台特急「富士」「はやぶさ」写真館(仮称)
と題した写真館を新設しようと思います。

私自身も先週「富士・はやぶさ」を中心とした撮影旅行に行ってきましたので、皆様の自信作や
懐かしい写真などございましたら、ご協力いただけると助かります。
最近の画像はもちろん、20系時代や旧客時代など「富士」「はやぶさ」に関する画像であれば
大歓迎です。
いつもと同じように、この掲示板に投稿していただくか、アンケートコーナー等より連絡して
いただければ幸いです。
ご協力よろしくお願いいたします。

投稿者のホームページ



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 8月 2日(土)21時09分15秒
タイトル 侮り難し千歳
▼雪だるま様:
> 7月から 8月上旬にかけて千歳はスカッと晴れることがありません。

御話を伺うに、肝心の撮影時間帯を除き概ね晴天だったのは、運が良かったのですね。
既述の様に沼ノ端〜植苗での撮影終了後、ウトナイ湖畔に移動する僅かな時間の間に
画像の様な青空が回復し、西方の恵庭岳も西日に美しく映えていたのでした(涙)

この日は、ウトナイ湖畔や千歳駅を経て、新千歳空港にて、買物や食事を済ませた後、
南千歳から「北斗星」に乗りました。画像は、新千歳空港三階展望室からの眺めです。
御覧の様に、望遠を効かせれば千歳線も良く見え、天候も回復した事だし、ここなら
まずまずの構図で「北斗星」が撮れるかなと、自身がこれから利用する事を一瞬忘れ、
本気で思案したのでした(^^)

> 本日の下り北斗星は南千歳に1330過ぎに到着しています。まだ遅れが続きそうです。

上り便も推して知るべしですね。栃木・福島県内では久しく撮影していない為、近々
行こうと考えていましたが、これ程の遅延幅で時間が読めないのは、少々辛いですね。

▼ED76 109様
>「深浦」辺りの海岸線は「山陰本線の浜田〜益田〜萩」に匹敵する美しさ。

私が五能線を乗り潰したのは、20年ほど前、丁度今頃の季節でした。青森発の快速を
五所川原で降りて一泊。翌朝、名物の朝市を一瞥後、始発列車で東能代に赴きました。
この日は実に爽快な快晴で、夏の日本海の碧さが、何とも気持ちの良い眺めでしたね。

その後、花輪線経由で盛岡に抜けた際、東能代〜大館は、14系「津軽」で繋ぎました。
一応、夏期繁忙期でしたが、下り便の秋田以北は御約束のガラガラ振りで、米代川と
白神山地の絡む様子を「ボックス占拠」状態で眺め、上記の五能線と併せ、この日は
素晴らしい一日となりました。




 
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