倶楽部メモ(441)
平成20年 7月22日〜 7月28日



投稿者 「ED76109」
投稿日 2008年 7月22日(火)09時02分59秒
タイトル WE LOVE HOKKAIDO !!
「ED75109」です。
雪だるま様
>札イワのスハフ32に車掌室の仕切がないのがありました
小生も見た記憶があります。確か、後部デッキに座席がドカンとあって、「手ブレーキ」が剥き出しになっていて・・。
「車掌席」といった感じでした。
今だったら、汽車通の高校生のたまり場になってしまい、JRから「添乗指導」の要請が来るでしょうね。
(小生はキハ40の運転台で喫煙していた生徒達と仲良く(!?)なりましたが・・。)
小生、道内の旧客鈍行のイメージは、まさしく二重窓の並ぶ「スハフ32」です。
初渡道の折、「C55」牽引の宗谷本線(旭川・稚内、「旭アサ」)、「C58」牽引の釧網本線(釧路・網走、「釧クシ」)、
「C57」牽引の室蘭本線(岩見沢・苫小牧、「札イワ」)、
そして「ED75とDD51」牽引の「山線」鈍行(旭川・函館、「函ハコ」)と、すべてこの重厚な「客車」にお世話になり、
「鉄」親父は、「鈍行列車に似合うなぁ。」と呟いておりました。
特に、車内照明が確か「白熱灯」であったことに、筆舌に尽くしがたい「旅情」を感じたものです。
もう、35年経ったのですねぇ・・。
また、雪だるま様の思い出を聞かせていただければ幸いであります。
以上、「メタボ対策」のため、妻と「道民球団の実況放送」をラジオで聴きながら、
「鉄道林」沿いをウォーキングに勤しむ「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 理左衛門(バロン)
投稿日 2008年 7月22日(火)22時58分52秒
タイトル 富士
富士に乗って九州に遠征し、SLを16両も撮ってきました。
特に門デフのC55・57は本州ではほとんど見られないので感激ひとしおでした。




投稿者 EF6113
投稿日 2008年 7月23日(水)15時02分19秒
タイトル 霧島、高千穂、かいもん、さつま
>クモイ103さま

高千穂の運用形態ありがとうございます。
さすがに走行中、対向の同名列車と2回すれ違うだけに4組あったわけですね。

霧島とさつまが共通運用とは思いもよりませんでした。
さつまの運用終了後、オシ17をナロ10とナハの間に挿入して霧島をしたて上京させていたのですね。

ほんとにいつも感謝です。これからもよろしくお願いします。

>理左衛門(バロン) さま

富士の写真ありがとうございます。

関門トンネル開通により実現した東京ー九州直通列車の歴史も来年で終わるとうわさされています。
ほんとだとすれば非常に残念でなりません。



投稿者 雪だるま
投稿日 2008年 7月23日(水)19時58分32秒
タイトル 夜行寝台列車の遅れ
今日、午前中函館周辺と室蘭周辺の大雨で一時運転見合わせとなり、
トワイライト、カシオペア、北斗星が4時間半〜3時間10分遅れで札幌着となりました。

折り返しのトワイライトが3時間30分、カシオペア1時間、北斗星1時間半遅れで運転されてます。

明日東日本管内で撮影の方、編成チェック方は注意してください。



投稿者 理左衛門(バロン)
投稿日 2008年 7月23日(水)23時28分41秒
タイトル 客車2題
http://nesq.heteml.jp/jb_trainbox/suha42p.htm
http://nesq.heteml.jp/jb_trainbox/ohafu33488p.htm
生田緑地と小倉で、珍しい戦後型35系を取材しました。
また、富士・はやぶさ編成中、正規の14系15型が殆どなく、
古い1桁台の14型と24系からの改番車で占められていたのはショックでした。
富士・はやぶさといえば平妻という印象でしたので・・・・。




投稿者 ED76109
投稿日 2008年 7月24日(木)09時51分22秒
タイトル 地震関連等情報
 「ED76109」です。
 まず、本日未明に発生しました「岩手県北部」の地震に係り、被災者の方々にお見舞い申し上げますとともに、
一日も早い鉄道の復旧を祈念いたします。
 本日の札幌発「北斗星」については、折り返しとなる昨日の上野発がまだ東北本線で運転再開を待っている状況のため、
運転の目処が立っておりません。
 また、札幌発の「トワイライトEXP」については、大阪発が60分程度の遅延ということで、
ほぼ平常通りの運転を予定しているとの情報です。明日のB.T撮影のご参考に願います。
 さて、前述いたしましたが、8月31日(日)限りで「まりも」号の運転が終了となります。
 札幌駅のコンコースでは「まりも」号のパネルが並べられ、走行写真等が展示されております。御来札の折のご参考まで。
 また、JR北海道のWebページでも、「まりも」号のサイト(キハ183系とDD51の写真が掲載)が開設されており、
歴史及び編成等が公開されております。一度御覧頂ければと思います。
 以上、「戯言」情報でした。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 7月24日(木)11時28分42秒
タイトル 地震再び
▼ED76 109様
>「岩手県北部」の地震に係り、被災者の方々にお見舞い申し上げますとともに、

盛岡の知人に連絡した処、同地は然したる被害も無いとの事でしたが、共に最大震度
六強を記録した先日の「宮城・岩手内陸地震」共々「前門の虎〜」の心境でしょうね。
現地の詳しい被災状況を未だ存じませんが、私からも、被災された方々への御見舞を
申し上げます。渡道を控え、寝台券を確保し損ねた事が皮肉にも幸いした格好ですが、
その一方、道内での「撮影機会」まで損なわれる事の無き様、祈るばかりです。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2008年 7月24日(木)12時19分31秒
タイトル 急行「まりも」
とうとう運転終了ですか。どうして夜行列車が次々無くなるのか?「利用者減」
よりも「JRのエゴ」を感じます。第一に寝台料金が高すぎですよね。半額で
よいぐらい。
私は昭和27年7月‐8月に父と北海道旅行で札幌‐釧路、長万部‐函館間急行
「まりも」に乗車しました。スロ52でしたが、食堂車がW屋根のスハシ37(29)
で朝飯のデサ”ートがメニュウ(保存中)と異なり、大きな西瓜一切れ、チキン
ライスにチキンが一切れも無い「ケッチャップライス」だったり、オロ40型の
車内灯ブラケットがオロ36と同じおわん型(初期のオロ40だったらしい)、
朝3.40に目覚めたらホノ明るく「狩勝峠」の上でした。帯広から「広尾線」の
9600が曳く貨物列車がずっと併走してきたり‐‐‐‐帰りに「本州方面行きの
お客様は連絡船摩周丸です----」のアナウンスに「北海道だったなあ」と感慨
が深かったです。「まりも」号長い間ご苦労様。



投稿者 理左衛門(バロン)
投稿日 2008年 7月24日(木)19時15分37秒
タイトル 夜行
夜行がなくなるのは正直辛いです。特に銀河がなくなってから関西方面での取材が著しく困難になりました。
一方今回の九州遠征では、大分ー南宮崎、宮崎ー行橋で「ドリームにちりん」が利用でき、
時間を無駄にすることなく九州東海岸を移動できました。
今回のルートは、(郡山ー大宮ー横浜ー根岸ー淵野辺ー町田ー生田ー雪谷ー鎌田ー東京)−宇佐ー大分ー豊後森ー由布院ー
大分ー南宮崎ー運動公園ー南宮崎ー国分ー鹿児島中央ー五位野ー鹿児島中央ー隼人ー吉松ー都城ー宮崎ー行橋ー遠賀川ー
黒崎ー八幡ー門司港ー小倉ー東京ー郡山でした。
そのうち、東京ー宇佐(富士)、宇佐ー大分(ソニック)、大分ー森(ゆふ)、大分ー南宮崎(ドリーム)、国分ー中央(きりしま)、
宮崎ー行橋(ドリーム)が特急利用で、2日目の宮崎ー国分、中央ー宮崎(肥薩線・吉都線経由)は全部普通でした。
一度も宿泊せず夜行列車の特性を完全に生かすことが出来ました




投稿者 「ED76109」
投稿日 2008年 7月25日(金)06時59分52秒
タイトル 栄枯盛衰ですね・・・
「ED76109」です。
雑魚様
>道内での「撮影機会」まで損なわれる事の無き様
ひょっとして、この書き込みをご覧になる前に、機上の方となっていらっしゃるかもしれませんが、
少なくとも今週末道内は「晴天」の予想です。どうぞ安心してご来道下さい。

マロネロ38様
以前から歴史を感じさせる大変興味深い書き込みに、いつも小生感銘しております。
昭和20年代の「まりも」の思い出話に、昔の汽車旅への強い憧憬を感じました。
「鉄」親父も小生が幼い頃、仕事で「東京発門司行」や「上野発青森行(奥羽本線経由)」などの「旧客鈍行」を利用した、
昭和20〜30年代の思い出を聞かせてくれ、鉄道黄金期に思いを馳せておりました。
是非、また小生の想像もできない汽車旅をお聞かせ願えればと思います。どうぞよろしくお願い致します。

さて、昨日、札幌ドームからの帰路、札幌駅で「まりも」号を見ました。
「同業者」らしき方々も多く見られましたが、やはり過去の賑わいには・・・。
「はやぶさ」が無理なら、せめて「まりも」だけでもと、強く心に誓った「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 ガンバレール
投稿日 2008年 7月27日(日)03時40分59秒
タイトル ブルートレインブーム(No2)
 今年はブルートレイン誕生50周年という記念すべき節目である。
 ふたたびブルトレブームよ来いと願いつつ、色鉛筆を用いて2007年秋に作成した作品。

 客車と機関車が連結されようとする時、今度はヘッドマークをめがけて走り出す子どもたちも大勢いた。
 今回は、80年代の小学生に流行していたスタジャンや股下の短い半ズボンを描いているだけでなく、
右奥には学生服のまま富士号の旅立ちを見に来た高校生のカップルも出演。
 24系客車の電源車カニ24は、人気が高い0番台前期形のマイクロスカートつきで描いた。

http://blogs.yahoo.co.jp/ganbarail

投稿者のホームページ



投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 2008年 7月27日(日)11時45分44秒
タイトル 特別急行 鴎
C53 43そしてEF55が牽いたことはあるのでしょうか?
時代的(昭和15年頃)にはあったような気がしますが何しろ希少価値の機関車。
資料がなくてご教示いただければ幸いであります・・・



投稿者 EF5841
投稿日 2008年 7月27日(日)20時57分59秒
タイトル Re:特別急行 鴎
既存資料ではありませんね。
マロネロ38様のご登板かと思います。



投稿者 ED76109
投稿日 2008年 7月28日(月)14時52分16秒
タイトル 汽車旅よ永遠なれ・・・
「ED76109」です。
先達の皆様方の書き込みを読んで、「道祖神」からの誘い(?!)を断っている昨今であります。
今日は、道内の「14系客車急行列車」の思い出を「戯言」させていただきます。
いつものように先達の皆様の話題にしていただければ、眼福の極みであります。

1 昭和61年の春、「就職1周年のお祝い(?!)」と称して、
 北海道を訪れた大学時代の悪友たちと宗谷岬を訪ねるためにガラガラの「天北」に乗車。
  最後尾の「スハネフ14」のコンパートを占領し、札幌から道北の旅を楽しみました。
  4月初旬の「天北線」は残雪深く、まだまだ冬の旅の様相。
  さらに土壌がまだ凍っていたのか線路状態が悪く、テーブルのコーヒーがひっくりほどの横揺れ・・・。
  しかし、サイロが点在する原野に沈む夕日に、悪友に同行した彼女は心をとらえられたようで、
 「ここは本当に日本なの?」と一言。
  今は味わうことができない「異国情緒」に富んだ汽車旅を堪能しました。

2 昭和61年の9月、廃止直前の「ニセコ」にお別れ乗車。
  「同業者」が多いだろうと覚悟していたのですが、旧札幌駅の1番ホームは入線10分になっても閑散としており、
 正直「えっ?」という状況。
  札幌車掌区のカレチさんの「急病の新婚客を慌てて倶知安で降ろした」等の思い出話を聞きながら、
 「ED75」、「DD51」をお伴にのんびりとした「山線」の旅を楽しみました。

3 昭和63年の黄金週間に同僚の結婚式が函館であり、帰路利用したのは札幌行「臨時すずらん」のB寝台。
  結婚式の二次会で盛り上がり、発車間際に飛び乗ったのですが、
 小生が寝るはずの寝台には、すでに着替えた妙齢の女性が・・。
  女性の「宇宙人でも見るような視線」を感じつつ、カレチさん(確か函館車掌区の方だと思うのですが・・)
 に確認したところ、「ダブリ」であることが判明。
  ところが、どういうわけか「調整用」の寝台がないのか、土下座をするがごとくに謝るカレチさんに連れて行かれ、
 「スハ14」の指定席で一夜を明かす羽目に・・。

今となっては、懐かしい想い出です。また、投稿致します。
以上、「中年客車鉄ちゃん」でした。



 
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