倶楽部メモ(422)
平成20年 5月12日〜 5月14日



投稿者 赤まんと
投稿日 2008年 5月12日(月)10時38分23秒
タイトル 投稿遅れ失礼致しました
先月末に「10系客車のディーゼル駆動音」についての質問を投稿しておきながら、
そのままになってしまい大変失礼いたしました。連休こそ働き時(?)な職種なもので...。
12系や14系ほどの大きさではないため、さほど騒音は気にならなかった、という体験談が多かったですね。
ただスキマ風はおおきな問題だったようで、こういったナマの体験談というものは印象的です。
鉄道誌も、車両そのものの特集の際、こうした体験談をもう少し組み込んでもよいような気がします。
消滅へのカウントダウン状態になり、なにやら夜行列車への注目度が高まってきていますが、
とくに入れ換え作業による組み換えが発生する客車列車については、
編成記録にもう少し光が当たってこないものかと感じています。
オハ35のような形態差に乏しいからか、14系、24系の編成記録はほとんど見かけません。
夜行列車末期の今、これらニューブルートレインと呼ばれた世代の形態や編成記録も、
後になればなるほど、貴重なものとなることはまず、間違いないと思います。
「ああ、あのときもっと突っ込んだ調査をしておけば」と。
「はやぶさ/富士」もいまや傷みが激しく、末期の10系そのものの疲れ具合です...。



投稿者 赤まんと
投稿日 2008年 5月12日(月)10時52分25秒
タイトル 一方で...
ど素人様の投稿には「全車両にエンジンが響きわたり」とあり、夏場の使用時はやはり結構な音だったのでしょうか。
外観だけ見ますと静かな車両に見えますから、特集記事を読み重ねるにつれ、興味が深まります。
じつは私も電源エンジン音が大好きなクチで、東日本が機関更新したカニ24の音は全くツマラナイと感じています。
14系もスハフの、より甲高い音を好みます。
10年近く前になりますが、正月に「出雲」到着を見に行ったところ、いつものように周期的に負荷音が高まった
カニ24 101の排気口から突如、真っ黒い排気ガスがもくもく出始め、大いに驚いたことがあります。
カニは腹に響くロックな重低音に痺れます。
電源車のあの起動時の、なんとも野蛮な音もたまりません。
排気ガスの臭いも全く気にならず、ここまでくるともはや、ビョーキです。
話が脱線したうえ連続で、重ねて失礼致しました。



投稿者 東京支部
投稿日 2008年 5月12日(月)18時52分49秒
タイトル 今年2月の臨時北斗星東日本編成の車番について
 はじめまして。東京支部と申します。よろしくお願いします。
 どなたか今年2月の臨時北斗星東日本編成の車番を控えた方、いらっしゃいますか?
当方メモを紛失してしまいました。
同じように控えている方を見かけたので、わずかな望みを託した次第です。よろしくお願いします。



投稿者 bell
投稿日 2008年 5月12日(月)22時27分2秒
タイトル 夜行列車はいいですね
雑魚様 こんばんは。先日は北海道の夜行列車についてコメントありがとうございました。
5月7日のご投稿にありました『北斗星トマムスキー』や『北斗星トマムサホロ』は
普段、客車列車が走らない区間を走行するため、乗車したい列車でしたが実現の機会に恵まれませんでした。
派生列車としては唯一『北斗星ニセコスキー』を札幌出張の帰路に利用しましたが、
大雪の中の函館本線峠越えなど、ファン的視点からは贅沢な旅でした。
さて、本日は東京出張でしたが、『銀河』なき今、どうやって東京へ行こうかと思案しました。
結局『サンライズ出雲』に落ち着きましたが、東京まで6時間30分は短い時間ながら、
夜行列車は最高だと再認識するに十分でした。

平成13年2月9日の編成記録
9006レ⇒8006レ 北斗星ニセコスキー 札幌16:31−大宮9:50
  DD51 1102 函   小樽−函館
  DD51 1138 函   札幌−函館
  マニ  24 502 札サウ
11 オハネフ24 502 札サウ  B寝台
10 オロハネ25 552 札サウ  ロイヤル・デュエット
9  オロハネ25 558 札サウ  ロイヤル・ソロ
8  オロネ 25 502 札サウ  ツインDX
7  スシ  24 503 札サウ  グランシャリオ
6  オハ  25 551 札サウ  ロビーカー
5  オハネフ24 501 札サウ  B寝台
2  オハネ 24 504 札サウ B寝台
1  オハネフ25  7 札サウ B寝台
  DD51 1102 函   札幌−小樽
   ED79  14 青函 函館−青森(信)
  EF81 136 青  青森(信)−上野



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 5月13日(火)09時07分45秒
タイトル 山線
▼bell様:
> 大雪の中の函館本線峠越えなど、ファン的視点からは贅沢な旅でした。

私にとって「山線」の客車といえば、1980年代に利用した急行「ニセコ」や夜行快速
41レを思い出します。前者は14系ハザによる昼行便で、当時はこれに特急「北海」を
加えた一日三往復体制が「山線」の看板列車でした。

私が利用したのは上り便で、現行「はまなす」と同様、森→大沼では駒ヶ岳山麓での
登坂緩和の為、渡島砂原を迂回しました。当該区間を通過するまで、その事を知らず、
見慣れぬ車窓風景に戸惑ったのも、嬉しいサプライズでしたね。

後者は、接続する青函連絡船からの乗継客が着席確保の為、函館到着の数十分前から
殺気立ちながら下船口に集結、桟橋接舷と同時にホーム目掛けて一斉にダッシュする、
通称「函館マラソン」が風物でした(^^)旧客編成でしたが、確か、カーペット車の
類も連結していた様に記憶します。

事ある度に、長万部〜小樽の存廃が取り沙汰された「山線」ですが、2000年の有珠山
噴火に伴い不通となった室蘭線の代替経路として、存在意義を示した観がありますね。
最近は、ニセコにおける豪州からの観光客増加も、何かと話題ですが、沿線町村(含・
長万部)の人口総計が七万人、小樽市が14万人とあっては、存続の為の人口要件面で、
なお厳しいものを感じます。

現行の優等列車体系から、函館〜東室蘭〜白石を「函館本線」札幌〜小樽を「小樽線」
札幌〜旭川を「道央本線」そして、南千歳〜釧路を「釧路本線」などと改称した方が、
判り易くなるだろうに………と感じる雑魚でした。



投稿者 赤まんと
投稿日 2008年 5月13日(火)09時11分29秒
タイトル 2月8日上野発ですが...
東京支部様から「北斗星81,82号」の東日本編成記録の投稿がありましたが、私は残業で見にいけなかったクチです。
7日、9日の81号は押さえる事ができ、7日はレインボー機が、9日は81号機が先頭に立ち、熱い視線を浴びていました。
私も是非、東日本編成を知りたいので、記録を取られた方、情報をお願いいたします。
bell様の「北海道ニセコスキー」編成記録は手元になく、
当日は流れ星塗装ではなく、青森のヒサシ付一般色が引いていたのですね。
「北斗星」を引く姿を近年もたまに見かけます。
電源車、個室車ともに大部分が今回の改正で保留車になってしまい、たかだか7年前の記録でも貴重です。
編成向きもまだ逆ですね。
オハネフ24 501はいままでまず定期「北斗星」に入りませんでしたが、
最近、個室車の検査時に頻繁に代理を務めるようになっています。
数日前にも姿を見ました。



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2008年 5月13日(火)19時50分1秒
タイトル 軍番号について
少し前に話題になりました、戦後の連合軍における接収車両の軍番号について、簡単にまとめた
ものを作成し「客車資料館」に追加掲載いたしました。
当時の接収車両はかなりの両数に及びまして、今回は分類として一覧表にしただけのものですが、
参考になりましたら幸いです。
投稿者のホームページ



投稿者 クモイ103
投稿日 2008年 5月13日(火)21時53分10秒
タイトル Re:軍番号について
仙コリ(管理人)様
 連合軍専用客車にまで手を広げられるとは、恐れ入りました。私はまだまだ手が出ない世界です(笑)。
 説明文で一点だけ、日本の鉄道を管理したのが「米軍」となっていますが、正しくは「連合軍」です。
 確かに日本の占領政策はアメリカが主導権を握り、占領軍の構成も米軍が大半を占めていましたが、
 少数の英連邦軍も加わっていました。
 前出の書籍「連合軍専用列車の時代」には、専用列車の食堂車に乗務した日本人の苦労話など、
 興味深い逸話が盛り沢山です。
 米軍と英連邦軍では食事の嗜好が違っていたなんて話、面白いですね。



投稿者 ヒゲ無し雷鳥
投稿日 2008年 5月13日(火)23時15分49秒
タイトル (無題)
>仙コリ(管理人)様
早速拝見させていただきました。有難うございます。
>クモイ103様
S.21.5月の時点では連合軍専用列車の運用番号が連1〜10となっていたのが
8月の時点では米臨1〜14(13は欠番)と英臨1になってます。
7月のBCOFトレイン登場により運用番号上、米軍と英連邦軍は分けられたようです。



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2008年 5月13日(火)23時54分33秒
タイトル Re2:軍番号について
クモイ103様
ご指摘ありがとうございました。
一部文章を訂正させていただきましたが、この時代に関しては本当に解釈に苦労します。
(私の歴史的認識度が低いだけかもしれませんが…)
私の認識としては、日本の占領政策を行った連合軍総司令部(GHQ)、交通政策を指導した
民間運輸局(CTS)は、もちろん連合軍の組織であった思いますが、実際に輸送を管轄した
第3鉄道輸送司令部(MRS)や、その下部組織であった地区司令部(DTO)や主要駅等に
設置されたRTOは米軍の組織であったようです。
車両の接収や改造指示についてもMRSが行ったので、接収車の標記も当初は米軍を意味する
「U.S.ARMY」と表示しましたが、連合軍の輸送という事で?英連邦軍側への配慮から
米軍の専用指定車等を除いて、すぐに「ALLIED FORCES」と書き換えたのは有名な
話ですよね。
といった事で、日本の鉄道を管理したといえるのは連合軍の組織であるCTSと見るべきなのか
米軍の組織であるMRSと見るべきなのか…
ちなみに主に参考とした「回想の旅客車」には米軍の管理下…と書かれています。
投稿者のホームページ



投稿者 クモイ103
投稿日 2008年 5月14日(水)07時20分59秒
タイトル Re3:軍番号について
仙コリ(管理人)様
 確かにおっしゃる通り、直接鉄道を管理したのは米軍の部隊だったようですね。
 私の方こそ歴史的認識度が低く、一次資料にも当たらずに、
 また全体の脈絡を考えずに突っ込みを入れてしまい、たいへん失礼いたしました。申し訳ありません。

ヒゲ無し雷鳥様
 情報ありがとうございます。ずいぶん詳しい資料をお持ちのようですが、鉄道公報でしょうか?
 交通博物館にあった公報のマイクロフィルムは大宮に移管されているので、いつかまた見に行きたいと思っていますが、
 平日のみとあってサラリーマンにはなかなか手の届きにくいところです。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2008年 5月14日(水)08時16分30秒
タイトル 進駐軍番号
一時期「英国軍」用のBCOF表記の車両があったと記憶しますが間違いだったでしょうか?
見たのは山陽本線加古川―神戸間でしたが----



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2008年 5月14日(水)09時54分34秒
タイトル Re4:軍番号について
クモイ103様
いえいえ、管理権限?がCTSにあったにせよMRSにあったにせよ、実際の任務は連合軍の
輸送であり、大きく見れば連合軍総司令部(GHQ)の管理下であったとも解釈できますので
連合軍の管理下と書いたほうが間違いないのかとも思います。
これからも貴重なだめだしをよろしくお願いいたします。

マロネロ38様
BCOF表記の車両があったのですか?
サボ等でしたら「BCOFトレイン」等に掲げられていた可能性は高いと思いますが、車体標記で
あったとすると、英連邦軍専用の車両が存在したことになりますよね。
手持ちの資料を探してみましたが見つからなかったので、なにか資料がありましたらご教授
いただければ幸いです。
投稿者のホームページ



投稿者 廣瀬 正幸
投稿日 2008年 5月14日(水)17時38分48秒
タイトル 思い出話
 また、時間を忘れて、みなさんの話しを楽しませていただいております。
本当に楽しい客車列車のお話、ありがとうございます。
さて、また思い出を書き込ませていただきます。何かの話のネタにしていただければ幸いです。

1 昭和53年の夏に「日本海(2号か4号、ちょっと記憶がはっきりしません)」で青森から大阪まで乗車しました。
すると驚いたことに自分の寝台のハンガーに「九鉄」の文字が刻印され、
びっくりして大阪車掌区のカレチさんに尋ねたところ、「このクルマは、あかつきとの共通運用ですよ。」
と笑って説明してくれた記憶があります。
14系の所属区は早岐客貨車区とのことで、今では考えられない車両運用でした。

2 昭和52年の8月の末に、仙台から常磐線経由の上野行の旧客鈍行で
(ただし、時刻表では「平(現在のいわき)」で列車番号が変わる別列車扱いでした。)東北鈍行紀行の最後を満喫しました。
終着間近の「牛久」で、特急「ひたち」の待避待ちの合間、
上野車掌区(水戸車掌区ではなかったと思いますが)のカレチさんが、
当時の国鉄の旅行キャンペーンのテーマソング「夜行列車(唄は森進一さん。題名は確かだと思うのですが・・)」を
流してくれたことが記憶にあります。
粋なカレチさんと心暖まる歌詞に、なぜか心がキュンとなりました。(客車ネタでなくてすいません。)

3 平成17年11月2日、出張で「はやぶさ・富士」に小倉から東京まで乗車した際、翌日熱海付近でダイヤが乱れ、
「新所原」で1時間以上足止めを食いました。
しかし、後続の浜松行等のローカルはすべて先行させ、
「はやぶさ・富士」は所定時刻の「1時間30分」遅れぴったりで東京まで運転。
向かいの下段の「同業者」さん(早稲田の学生さんで、ブルトレフリークでした)が、
「おそらく、以前の『さくら・はやぶさ』のスジが列車遅延用ために設定されているにちがいありません。」
と力説しておられました。真実はいかがなのでしょう・・・。

  また、投稿させていただきます。


 
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