倶楽部メモ(410)
平成20年 3月18日〜 3月24日



投稿者 きむたお
投稿日 2008年 3月18日(火)18時51分35秒
タイトル 24系25形900番台
こんばんは。
表題の写真もありましたので上げておきます。

'95/2/11、9501レ、「夢空間ハッピートレイン」、東富山→水橋にて。
EF81 127
カヤ24 1
オハネフ24 12
オハネ25 218
オハネ25 151
オハネフ25 205
オロネ25 506
オロネ25 901
オハフ25 901
オシ25 901

*ここの撮影ポイントも最近はぜんぜん行かなくなってしまいました。




投稿者 雑魚
投稿日 2008年 3月19日(水)11時33分48秒
タイトル 「夢空間」 最終運用
▼きむたお様:
>「夢空間ハッピートレイン」、東富山→水橋にて

見事な雪晴れの立山連峰を背景に、至高の構図という趣ですね。ボンネット型の昼行
特急が残るうちに「確保」したい風景でした。立山連峰の残雪時期と、当該箇所での
下り「能登」撮影可能期間に、落とし処が見出せるか否か、2014年に、北陸新幹線の
金沢延伸を控え、あれこれ気になっています。

あの辺りでは、呉羽山から、立山連峰や富山市街を背景に、北陸線と高山線の分岐点
付近を俯瞰する御約束のポイントも、永らく憧憬の対象ですね。風景の撮影だけでも
訪れる価値があると感じます。

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先日発売のDJ誌最新号によると、気になる「夢空間」は、先週末の運用が取消され、
昨年初夏の 高崎 12系における回送経路変更よろしく、運転日ギリギリの情報変更に
翻弄された方も少なからずいらっしゃった事と拝察します。一方、今月の最終週末に、
最終運用として盛岡まで往復する様ですから、今月後半の週末・祝日に仙台 583系が
充当される「あいづライナー」3・4号を絡め郡山界隈で撮る事で、先月、磐越西線の
SLを撮り損ねた溜飲を(未だネに持つ雑魚でした)少しでも下げたい処です(^^)



投稿者 赤まんと
投稿日 2008年 3月19日(水)21時34分19秒
タイトル 実に興味深い編成内容です
「夢空間」は雑魚さまの投稿にもありましたように、今月最終週29日がラストランとなるようですね。
朝日夕刊に載りました。
きむたお様の投稿「夢空間ハッピートレイン」は運転区間、牽引機、編成内容いずれも大変興味深い内容でした。
5〜7号車B寝台と電源車に青森車が充当されており、しかもカヤ24です。
B寝台はこの2ヶ月前の博多「あさかぜ」廃止とともに青森に移って日が浅い金帯車で、
まだ「あさかぜ」当時のままの3両ブロックで組み込まれています。
これら3両は現在も青森にあって「日本海」「あけぼの」に活躍中です。
カヤ24 1は24形余剰老朽廃車第1号となって、この95年9月に廃車されていますから、そのことも含め貴重な記録です。
オハネフ24 12は当時東日本「北斗星」用でしたが99年に「カシオペア」が登場したのに伴い、99年末に青森へ移り、
やはり今も「日本海」「あけぼの」運用で活躍中です。
写真と付帯してこのように編成記録も取っておられるのを見ると、
「編成記録を取っているのは自分だけではないんだ」と心強く感じます。
編成記録という分野は近年ほとんど忘れられているような状態ですので...。
客車列車の斜陽、列車そのものの個性が希薄など、さまざまな理由があるのでしょうが...。



投稿者 ヒゲ無し雷鳥
投稿日 2008年 3月20日(木)09時41分15秒
タイトル 銀河の出生
お久しぶりです。あかつきのカマ交換写真を投稿いたします。
ところで銀河の出生についてですが、東京大阪間夜行急行の戦後復活と考えると
S.20.11.20改正ではないかと考えております。
東京大阪103・6レ21:40>9:50 20:00>8:06
不東京大阪7・104レ21:00>8:52 21:00>9:06
S.20.12下旬の廃止後、S21.2.25に復活し、S.21.11.20に103.104レに整理されたのち
S.21.12.20〜S.22.1.4の間で廃止。そしてS.22.6.21の復活となります。
つたない資料での推察ですので、ご指摘事項等がございましたらご教示のほど
よろしくお願いいたします。




投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2008年 3月21日(金)01時37分59秒
タイトル Re:銀河の出生
ヒゲ無し雷鳥様
ご指摘ありがとうございました。

銀河のルーツについては諸説があるといいますか、どのように捉えるかで変わってくるようで、
さかのぼれば戦前の名士列車17・18列車などの夜行列車、さらにいえば明治22年の東海道本線
全通時に誕生した初の直通夜行急行列車がルーツであるとも言えそうです。

ただ、やはり戦後に復活した東海道夜行急行をルーツとするのが一般的で、各鉄道誌でも
昭和20年11月20日と記載されている書籍もあれば昭和22年6月21日とする書籍もあるようです。
私的には途中廃止を含まずに直接つながっている昭和22年6月21日をルーツとして記載したの
ですが、戦後初めて復活したという書き方から言えば確かに昭和20年11月20日と記載するべき
であり、私の記載ミスであったため先程訂正させていただきました。

少々あいまいな書き方となってしまいましたので、これといった決定打をお持ちの方が
いらっしゃいましたら、ご教授いただければ幸いです。

投稿者のホームページ



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 3月21日(金)16時01分58秒
タイトル 14系 ハザ、汝もか !!!
本日発売のRF誌の投稿記事によると、宮原の国鉄色14系座席車編成が「リゾート&
シュプール」編成の一部車両を従え、廃車前提で先月、幡生に回送されたとの事です。
場所が場所ですから撮りに行くのは諦めていましたが、これで残る国鉄色14系ハザは、
急行「はまなす」を残すのみ、という事でしょうか。

青森駅と新青森駅、そして津軽線の位置関係に鑑み、2010年度予定の新幹線の新青森
延伸時には、少なくとも「はまなす」の客車運用は解消されると予想する手前(既に、
JR北海道のリゾート編成による気動車特急が、隧道区間では電機に牽引される事で、
東北線に直通した実績がある為、技術的には然したる困難は無いとの印象を受けます)
こちらは、折を見て記録して置きたいところですね。

更に 2014年(前倒しの可能性あり)の北陸新幹線の金沢延伸時に予想される「北陸」
および「能登」の淘汰を加味すると、残る定期運転 ブルトレは「北斗星」「日本海」
そして「あけぼの」のみ、という事になりますね。願わくば「日本海」の存在意義が、
北陸線金沢〜直江津の経営分離と関連付けて議論される事の無い様、祈るばかりです。
一方「この際『カシオペア』編成を増備して定期化し『北斗星』から置換しては」と
主張する知人がおりますが、剣呑剣呑………

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幡生に近い下関港からは、京都・宮原・下関に留置されていた余剰14・24系寝台車が、
譲渡先のタイに向け、船積みされたとの事。せめて、新天地で大いに活躍して欲しい
ものですが、そのうち、旧国鉄車目当てで、サハリンにおける「鉄撮ツアー」の類が、
タイでも活況を呈して来るのでしょうねぇ………



投稿者 青列車
投稿日 2008年 3月21日(金)20時18分34秒
タイトル 【14系ハザ】幡生080321
>>雑魚様
詳細は後日弊ブログにて紹介する予定ですが、3月21日、所要で福岡市に出掛けた帰りの列車が幡生駅を発車した時、
構内に14系ハザ車の緩急車の姿が2両、車掌室側を向かい合わせにして停めてあるのが見えました。
生憎上半身のみでしたのでそれがスハフなのかオハフなのかまでは判りませんでしたが、
窓ガラスやデッキのドアなどが全て外された状態でしたので、おそらくこれから「三途の川」を渡るものと思われます。
奥の方には昨年乗車した事のあるクハ115-191の姿も見えました。
一瞬の事で写真を撮る余裕も無く、証拠を示す事ができないのが恐縮至極でありますが
取り急ぎ見たまま情報とさせていただきますm(_ _)m

画像がないのは寂しいので、2月1日に撮影した1レです。
撮影ポイントは…今更申し上げるまでも無いでしょう(^^);時刻は午前8時頃です。

投稿者のホームページ



投稿者 bell
投稿日 2008年 3月21日(金)22時47分30秒
タイトル 客車列車健在
JRの客車について寂しい話題が多い状況ですが、ムーンライト高知・松山・九州の運行が始まります。
今朝、島本駅近隣で『ムーンライト高知』を出迎えました。
EF65+12系ロザ3両とはいえ客車列車健在なりと感じました。
ムーライトは臨時列車とはいえ知名度が高いようでして、昨年7月に『九州』を利用した際は満席。
数年ぶりでスハフ14に乗車することになりました。




投稿者 赤まんと
投稿日 2008年 3月22日(土)11時20分5秒
タイトル 「松山」「高知」はまだ残すようですね
「鉄道ファン」最新号の宮原14系座席幡生回送の記事は、昨日私も目を通しました。
先週、廃止夜行ウオッチングに大阪入りした際、友人と宮原の様子を歩道橋から眺めましたが、
以前収容していた線に14系がいないと言っており、気になっていました。
回送先、状況から見て解体はまず間違いなさそうで、残念、寂しいかぎりです。
今回回送された国鉄ルックのものは新製後広島、岡山地区に配置されたもので、
近年は宮原に転じ、集約臨のほか「ムーンライト」にも使われたはずです。
10年前までは「銀河81、82号」にも使われ、東京に姿を見せていました。
ただし、高知の12系は昨年11月に全検出たということで、「ムーンライト高知、松山」は
まだしばらく残す意思がある、ということでしょうか。
「九州」は西日本の車を使っており、保守、管理面でやはり効率が悪いでしょうから、
個人的には西日本のお家の都合優先でなくしてしまいそうに思えます。
「銀河」の歴史の捉え方が話題になっていますが、たしかにルーツをたどれば、おおもとは明治にまで行き着くと思います。
戦後以降に限定すれば1945年11月運転開始の列車がルーツ、という捉えかたは間違いではないと私も思います。
が、私はやはり名称が与えられた1949年9月を「銀河」の歴史の始まりと捉えています。
各人捉えかたに差異があり、一概にどれが間違い、正しい、とも言えない気がします。
最も一般的なのは名称がついた1949年〜であり、
さらにルーツをたどると1945年11月から、もしくは1947年6月からと考えることもできる、といった感じではないでしょうか。
早くも廃止から1週間です。今日、高校野球が開幕しました。
いままで「銀河」で甲子園に向かっていた人たちのことを考えると、固定需要もあっただけに改めて残念な気持ちになります。
資料や模型、個人的に10数年とりためた編成記録等で楽しむしかありません。
あとは、残った夜行列車に乗る機会を作る、というところでしょうか。
最後まで「客車区」の名を守った尾久に休む夜行列車は最大4本のみ。40両程度とは...。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 3月23日(日)15時12分22秒
タイトル 甲子園
▼青列車様:
> 撮影ポイントは…今更申し上げるまでも無いでしょう(^^)

午前八時頃というと、電化の意義が良く判らない、美祢線〜宇部港の石灰石貨物列車
専用線が並行していた辺りですね。貨物列車が興産道路のトレーラー輸送に切り替り、
美祢線もかなり静かになった印象で「幹線扱い」に往時の名残りを感じるばかりです。

▼赤まんと様:
> いままで「銀河」で甲子園に向かっていた人たちのこと

日本海縦貫線の沿線域の場合、24系・485系・583系など用い、応援ツアー用の団臨が
仕立てられた事もありますが、今後、こうした運用も縮小の一途を辿るのでしょうか。
かかる団臨は全て大阪で折返し、甲子園口への直通事例は皆無ですが、甲子園口駅の
外側快速線は、ホーム柵が等間隔で取り外せる構造だそうで「一応は」団臨の発着を
想定している様です。

甲子園といえば、本日第四試合で我らが水商(漫画で有名な「都立」ではなく、茨城
県立なので念の為)が強豪・鹿工と対戦予定。水戸納豆の如く、粘り強く戦うものと、
期待しています。

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来週末、仕事が入りそうで、最期の「夢空間」の撮影が怪しくなった事から、せめて
仙台 583系だけでもと、昨日、磐越西線を訪ねました。さすがに、この時期になると
積雪は殆ど見られませんが、誇張無しに雲ひとつない快晴の下、完全結氷の桧原湖や、
猪苗代湖畔での落日など、風景撮影もあれこれ楽しめ、充実の一日でした。

改めて、磐越西線が身近な管理人様やバロン様が、羨ましく感じられます。




投稿者 VIVIO T-TOP
投稿日 2008年 3月23日(日)22時33分8秒
タイトル 質問です。
初めての投稿で質問を失礼します。
先日、北関東をドライブ中にこの客車を見つけたのですが、詳細をお分かりの方はいらっしゃるでしょうか?
特徴は、1.ダブルルーフ、2.20m級客車、3.三軸ボギー、
4.銘板によれば昭和5年川崎車両製、昭和33年長野工場更新修繕、とあります。車番等はありません。
三軸ボギーということでこの車両の出自がとても気になります。ご存知の方がいらっしゃったらよろしくお願いします。




投稿者 bell
投稿日 2008年 3月23日(日)23時57分23秒
タイトル 14系ハザについて
赤まんと様 こんばんは。
JR西日本の14系ハザについて先行き厳しいようですが、
今朝の京都行ムーンライト高知・松山ではオリジナル塗装の車両が頑張っておりました。
松山編成にはオハ14 176が入っていたように見えました
(RF誌2007年7月号では大ミハ・京キトともに配置がありませんので165の見間違いでしょうか)。
塗装のひび割れなどもなく、これからも、末永く活躍してもらいたいですね。
なお、ムーンライト九州は白地に赤帯の200番台塗装で颯爽と駆けていきました。
また、客レではありませんが、『あずさ』塗装の183(189)系が大阪方面に向かっていきました。
団体と掲示されてましたので、甲子園出場校の応援列車だったのかもしれません。



投稿者 壁線
投稿日 2008年 3月24日(月)14時02分24秒
タイトル 寝台急行のマーク
お久しぶりです。
さて、3月15日にダイヤ改正で廃止になってしまった『銀河』は最後の寝台急行だったわけですが、
JR唯一の寝台急行でもありました。
テールマークの左上には寝台特急と色が逆のマークがきちんと表示されています。
このマークも時刻表から消えてしまいました。




 
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