倶楽部メモ(385)
平成19年10月 5日〜10月 6日


投稿者 赤まんと
投稿日 2007年10月 5日(金)09時29分13秒
タイトル 同じことをやっておられる方が...
懐古知新様。
「カッターナイフの背中で車番をゴシゴシ...」私もやります。
走らせていればなおのこと、車番など見えませんから、何番だろうが関係ないのですが...。
私は同じ車番が連なるのが我慢ならず、全ての車番を変えます。
カッターを使うのは主に銀文字で、旧客の白文字はさらに掟破り、
GMカラーを筆先につけてよくしごき、上塗りし、乾いたあとトミーのインレタのハ゛ラ数字を転写、
というとんでもないことをやって、1971年ころの「日南」フル編成を仕立てました。
大分、都城配置の車番に変えて、ナハ11の一部はナハ10 900番台にしたりして暗い自己満足です。
夏前に友人経由で70年代後半の客車編成ホームページを知り、そこからこの掲示板にたどりついた私ですが、
「日南」後部は宮崎車だったようで、もう後の祭りです。
国鉄時代は他区からの借り入れ等しょっちゅうだったようですから、まあ、いいかと。
そんなわけで、インレタ採用のトミーは大好きです。
好みの番号がない場合、10のケタまで転写し、末尾をバラ数字転写で、なんて芸当も我ながらスンナリいけるようになり、
勝手にほくそ笑んでいます。
KATOは電車の場合、再生産で車番を変えてきますが、客車は全く変えないですね。
じつに不服です。
尾久やら宮原の車ばかり。
オハ35はさすがに佐倉や福知山に設定していますが。
電暖なしの車番も増やしてほしいなあなんておもいます。
1960年頃の京都周辺。
日野実験線@台湾様ご指摘のとおり、ほとんど電暖車出没の機会はなかったこととおもいますが、皆無ではないはず。
なぜか尾久の車が1両ぶら下がって...なんて、いかにもありそうです。
「完全主義」はある程度守りながらも、国鉄全盛期、まだまだ客車が輝いていた時代。
いまでは考えられない運用だって存在したはず。
模型の世界は、言ってみれば何でもあり、の世界。
たまたま大宮工場、大船工場のキャパがそのときだけ一杯。
高砂に入場する1両としてイレギュラー運用、とか...。
強引でしょうか...。
と言いながら、私もたぶん統一するべく「ウェザリング大会」でしょうきっと。
いい加減KATOキハ82の車番、カッターこすりで変えないといけないなあ。



投稿者 懐古知新
投稿日 2007年10月 5日(金)12時48分47秒
タイトル 進化なのか、後退なのか?
赤まんと様、

読んでるだけで涙が出てきました。こんな阿呆は私だけではなかったのですね。(安堵)

思い返すと、最初に鉄道模型に目覚めたのが1967年。
当時はこんな編成のことなどな〜んも考えてなかったし、いわんや車番や所属など・・・
ひたすらレールを買い増ししては、がんがん走らせてましたね、当時は。(12歳!)

今は走らせる前に、編成が1両揃ってない、とか、車番がおかしい所属がおかしい、とか、そっちばっかりで、
いつにんなってもぜんぜん走り出す気配がありません・・・

これって、趣味の質が、昔に比べて比較にならないくらい進化してる証拠なんでしょうけど、
ちっとも本来の「走らせる」に辿り着きません。



投稿者 懐古知新
投稿日 2007年10月 5日(金)20時31分8秒
タイトル 編成美
連スレになってしまいました。

恐らく、皆様ご先輩方の間で、過去何回ともなく語られてきたテーマだとは思いますが、今一度。

皆様がそれぞれの思い入れの中で、「この年のこの列車の編成が最高!」っていうのはどういうのでしょうか?

私の場合は何と言っても、↓これっ。

<1960年7月頃の「急行銀河」15レ 東京発大阪行き>

EF58―マニ32― マロネ40―マロネ41―スロ54―スロ54―スロ54―スハネ30―スハネ30―ナハネ10―ナハネ10
―スハ43―スハ43―スハ43―スハ43―スハフ42

優等車と普通車のバランス、寝台車と座席車のバランス、当時のお約束の荷物車ぶら下がり、
機関車を含むオール・ぶどう色2号の統一美と5両分連続する青1号帯。
しいて言えば、食堂車が付いてないのが残念ですが、東京―大阪間の中距離寝台だからしょうがないですね。



投稿者 虫眼鏡
投稿日 2007年10月 5日(金)20時38分28秒
タイトル 青色の61系、オハ472327のGマーク
日野実験線@台湾様

早速情報ありがとうございます。お調べになったデータ、すごい
ですね。これだけのデータを私一人で調べ上げるのは到底無理な
ことで、大変感謝しております。

そこでさらに私的な興味なのですが、オハフ612047の
Gマークの有無は(汗)判るでしょうか。
(この掲示板の過去ログを読むと、オハ61はGマーク付きの
 車両は皆無なのですよね。)

それと、この車両がオハフ61オリジナル車かオハ61改造車
なのかも気になりますがご存知でしょうか。

質問ばかりで恐縮です。青色オハフ61をひとつ、作ってみたい
もので・・・


仙コリ@車掌様

お世話になっております。その後、貴サイトをつぶさに拝見
しましたところ、ちょっとした発見をしましたので報告いたし
ます。

先日質問いたしました、仙コリ時代のオハ472327(茶)、
これについてはGマーク無しとのことでしたが、貴サイト
「全国保存客車リスト2 越後中里駅前スキー場」のページ中、
「越後中里 保存客車形態一覧」にオハ472327そのものの
欄があり、横軽対策には●がついていました。

ページ上段の写真にも(再塗装されているようですが)車番に
Gマークが見て取れます。キャプションには

「オハ47 2327 1954年 汽車製造  現役末期(1983年)の
配置 仙フク 福島客貨車区」

とあり、これは福島に転属になった時に横軽対策工事をしたと
いうことなのでしょうね。ひょっとすると、このとき色も青に
塗ったんでしょうか。仙フク転属時は廃車も間近なのに・・・
Gマークも拘りだすと底なし沼のようです。もっとも、そういう
ところに惹かれるのですが(笑)では、長文失礼いたしました。



投稿者 クモイ103
投稿日 2007年10月 5日(金)21時54分55秒
タイトル Re:昭和35年の京都駅
>懐古知新様
> もう昭和36年には進めなくなってしまいました・・・orz
…いやいや、ぢつわ私の場合、昭和36年と言っても5月ですので、青1号時代なのです。
従って手持ちのN客車も青帯車が圧倒的に多いです。
ただ、2等級制移行後ですので、マロネ29などのデッキ横には「1」が入っていますけど。

 KATOの「かもめ」セットは、客車最末期という事でナロ10の帯は淡緑になっていますね。
しかし、ロの帯色に関する規程が改定されたのが36年7月末、36-10改正のわずか2ヶ月前です。
帯色変更は基本的に工場入場時ですから、果たして模型のように3両とも淡緑帯で揃うことが
実際にあったのだろうか? と気になります。
むしろ、懐古知新様のように青帯にしてしまった方が、より実物に忠実かもしれませんよ(笑)。


> 「この年のこの列車の編成が最高!」
…とりあえず1つ挙げるとすれば…

<1960年6月頃の急行「霧島」37レ 東京発鹿児島行き>

EF58−マニ−スニ−(1)マロネ38−(2)ナハネ11−(3)ナハネ11−(4)ナロ10−(5)ナロ10−(6)オシ17
−(7)ナハ10−(8)ナハ10−(9)ナハ10−(10)ナハ10−(11)ナハフ10−(12)スハフ42−(13)スハ43−(14)スハフ42

 東京発車時、なんと堂々16両+機関車という、定期では最長の編成です。
静岡で機関車次位のマニ(名ナコ)を解放、下関で13・14号車(広セキ)が切り離され、
博多では1・2号車(東シナ)が中抜き、熊本でさらに12号車(熊クマ)が落とされて、
鹿児島まで走破するのはスニと3〜11号車(全て鹿カコ)です。
なお、14号車には珍車オハフ33 630が入った記録もあります。
 牽引機は、姫路からC59、広島からC62、関門間がEF10、そして門司から終着鹿児島まではC61でした。
 翌1961(昭和36)年の春頃?には、17mのスニ(75又は30)が20mのマニ60に置き換わって3m長くなりましたが、
敢えて1960年6月を挙げたのには理由があります。
日野実験線様とのお話にもありましたように、この編成のナロ10とオシ17は、
同年5月まで「つばめ」「はと」に使用されていたもの。
そう、一時的に青大将色のまま「霧島」の運用に就いていたのです。
とりわけオシ17については、1往復の運転に4組の基本編成が必要な「霧島」のために、
「つばめ」「はと」の特急2往復分のオシ17(1次車4両)が全てつぎ込まれたという、
たいへん贅沢(!)な急行列車でした。
 私の模型の方は、昭和36年5月仕様にしていますけどf(^^)。



投稿者 懐古知新
投稿日 2007年10月 5日(金)23時34分3秒
タイトル 古い話ばかりで恐縮です・・・
クモイ103様、
毎回、力のこもったレスありがとうございます。とても勉強になります。
特に、「規程の発表、交付から実施までのタイムラグ」には非常に共感するものがありますね。(嬉)

私も同じような考えから、どうしても末期の青大将は残したくて
「昭和35年5月〜6月」という微妙な時代設定にしました。
まあどこで切っても、あっちが立てばこっちが立たないことには変わりませんが・・・。

話はずれますが、青1号って(模型では)何をお使いでしょうか? 
なんか最近「伊豆急ハワイアンブルーのままじゃ、まずいんじゃない?」と思い始めております。



投稿者 理左衛門(バロン)
投稿日 2007年10月 6日(土)01時08分19秒
タイトル 75の客車
見たところ、完全に組みかえられ、スハフ32が仙台方(デゴイチのときは上野方)、中間オハ、上野方スハフ42のようです。
今日C11やDEと一緒に郡山駅にいました
投稿者のホームページ



投稿者 理左衛門(バロン)
投稿日 2007年10月 6日(土)01時13分56秒
タイトル 模型のお話
皆様模型を楽しんでおられますが、拙サイトにもたくさんの客車が所属しております。
http://ngn61.kir.jp/neotetsudosyo/pcfcdc.htm
http://ngn61.kir.jp/neotetsudosyo/bt.htm
 是非御覧ください


投稿者のホームページ



投稿者 きむたお
投稿日 2007年10月 6日(土)07時10分46秒
タイトル 保存客車近況
ご無沙汰しております。
さて、当HPの「保存客車資料室」に写真を載せていただいている
富山市内のオハフ45 2021の解体が昨日から始まったようです。
同車の近所に勤務の方から昨晩一報を受けたため、先ほど、現場を見てまいりました。

今朝6:20時点の状況は以下の通り

*外装
・2位扉(縦長Hゴム支持)撤去・・・(1位には独特の2段Hゴム支持窓が残ります)
・2-4位側板のうち、前位より客室窓4個分撤去
・同上相当屋根撤去

*内装
・座席撤去
・化粧板撤去

これで富山県内から国鉄客車の廃車体は全滅したと思われます。
写真はリバーサルフィルムでしか撮影していないので後日アップしようと思います。



投稿者 赤まんと
投稿日 2007年10月 6日(土)13時57分15秒
タイトル 夢空間
久しぶりに間近で「夢空間」見てきました。
「北斗星82号」のスジで仙台まで運転、そこから常磐線経由で12:26上野着という、優雅なダイヤです。
実際には12:23着でしたが、16番線に入線するのは珍しく、わざわざ入場券を買わなければならない面倒はありましたが、
熱い視線を浴びていました。
「夢空間」車両は今回、全検ではなく、外装塗りなおしと細部の定期検査にとどまったようです。
そのため、妻面表記も「14-1大宮工」が「14-1大宮総合車セ」に書き換えられていました。
ちぐはぐな感じですが、肝心な見た目が格段にきれいになったので、大いに結構なことです。
牽引機はお召し牽引のEF81 81で、堂々ヘッドマーク付きでした。
中旬発売の鉄道雑誌各誌に載るでしょう。
北海道の24系4両と尾久の24系6両の組み合わせで、上野方から順に
EF81 81〜カニ24 502〜Hオハネフ24 502〜Gオロハネ25 551〜Fオロネ25 503〜Eオロハネ24 501
〜Dオロネ25 506〜Cオハネフ25 14〜Bオロネ25 901〜Aオハフ25 901〜@オシ25 901
という編成。電源車とH〜Fが北海道、残りは尾久車です。
今回のヘッドマーク、年末発売の「夢空間」セットにつけてくれたらなあとおもいますが、
どうやら残念ながら「北斗星」のヘッドマークしか付属しないようです...。



投稿者 理左衛門(バロン)
投稿日 2007年10月 6日(土)15時15分3秒
タイトル 120周年号
うーん、やはり3両は物足りないですね・・・。編成は上野寄りからスハフ32+オハ47+スハフ42でした

投稿者のホームページ



投稿者 雑魚
投稿日 2007年10月 6日(土)16時04分30秒
タイトル コンパクトな編成 (1)
▼理左衛門(バロン)様:
> うーん、やはり3両は物足りないですね…。

御意(^^)一昨日の拙稿「週末の優雅なる悩み」にて言及した様に、上り便は、栃木・
福島県境の黒川橋梁で撮りました。件の書込みでは「旧客編成なら(中略)橋梁でも
構図内に編成全体が収まりそうですね」と申し上げましたが「収まり過ぎた」印象が
ありますね(^^)車両は異なりますが、改軌直前の板谷峠を見る思いです。

鉄橋の背景に丘を配したかったので、かなり手前から望遠を効かせましたが、同業者
諸兄は、画像奥の林の陰を流れる黒川の河川敷で、三脚の放列を敷いていました。

足場の並行道路は東北線の旧線跡ですが、道端の標識の文言によると、余笹川氾濫が
大きく報道された1998年夏の水害では、路面から 1m以上の高さまで冠水した様です。
黒田原〜豊原で路盤が流失した東北線では、一箇月ほど普通となり「北斗星」は確か、
常磐線を迂回したのでしたね。




投稿者 雑魚
投稿日 2007年10月 6日(土)16時52分29秒
タイトル コンパクトな編成 (2)
こうして、編成長をごまかせば、それっぽい雰囲気です(^^)




投稿者 雑魚
投稿日 2007年10月 6日(土)16時58分44秒
タイトル コンパクトな編成 (3)
復路便は、黒磯〜高久の新幹線並行区間を跨ぐ国道四号線の陸橋から俯瞰する構図を
考えましたが、足場が確保できるかどうか確証が無かったので、それなら、高原山か
那須連山を絡められる構図を、という事で、高久〜黒田原で布陣。

他に誰もいなかった割には、まずまずの構図です。中央に見える高圧線の陰を、時々
新幹線特急が疾駆して行きました。




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