倶楽部メモ(382)
平成19年 9月22日〜 9月28日


投稿者 理左衛門(バロン)
投稿日 2007年 9月22日(土)11時56分54秒
タイトル D51
やはり磐越西線にはC57よりD51、12系よりスハ32が似あうと実感しました。
試運転のときとことなりヘッドマークがついているのが残念です。
またスハフ32に無線アンテナがついていたのが驚きでした

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投稿者 雑魚
投稿日 2007年 9月22日(土)20時33分18秒
タイトル SL 会津秋まつり
▼理左衛門(バロン)様
> やはり磐越西線にはC57よりD51、12系よりスハ32が似あうと実感しました。

やはり、存在感が違いますねぇ。私は下り便のみの追い掛けで、三箇所で撮りました。
画像は、猪苗代のI.C.の至近の国道陸橋からの撮影です。稲刈間近の田圃が広がる中、
正に「日本の秋」という風情でした………暑かったですけどね。

午前中でバテたので、午後は優雅に裏磐梯で避暑三昧でした(根性無し)




投稿者 理左衛門(バロン)
投稿日 2007年 9月24日(月)18時04分19秒
タイトル スハフ32
雑魚さま
 やはり、数ある客車の中でも、国鉄蒸気機関車に一番に合うのはスハ32だと思います。
このスハフ32.正真正銘磐越西線のもので、里帰りなんですよね。

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投稿者 雑魚
投稿日 2007年 9月25日(火)17時53分9秒
タイトル 広田にて
▼理左衛門(バロン)様
> このスハフ32、正真正銘磐越西線のもので、里帰りなんですよね。

妙に窓割が細かい車両だな、という程度の印象でしたが(^^)実は思いきり由緒ある
名車だったのですね。

画像は広田駅です。かつては入替機が多々活躍したであろう構内配線が、窺えますね。
同様に貨物取扱があった磐梯町や東長原に立ち寄ると、側線類はほぼ撤去されており、
ちとがっかり。然したる再開発の予定が無ければ、線路を残しても良いのに、などと
感じるのは「トワイライタ〜」のエゴでしょうかね(^^)こうしたレイアウトもまた、
蒸機列車を引き立てる様に感じるのですが………

一方、こうした電化区間を走る蒸機を目る度、排煙は架線に悪影響を与えないのかと、
妙な心配をしてしまうのでした。




投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 2007年 9月27日(木)15時30分43秒
タイトル 白鳥の離れ業?
管理人様、皆様、ご無沙汰しております、岩崎安房でございます。
 雑魚様、ぱわつよ様
 五能線「白鳥」迂回は地元(深浦)で伺った事があります。
 昭和47(1972)年10月2日D改で白鳥が485になる以前の事とかで、80系がそのまま入れたそうです。
但し有効長の関係から「特設ダイヤ」を引き、対向するローカル便を全て駅へ収容しての「花道」運行だったとか・・・
 迂回運転時の基準で、本来当該列車停車駅以外の客扱はしない(例外はありますが)ので、
能代も通過(運転停車はあったやも知れません)したのでは?深浦は「運転停車」だったそうです。
 ただこの迂回は2度程あったと伺っております。
 北斗星系統が常磐に迂回した時には全線「客扱無し」で何と東北本線経由と「同時刻」運転をしておりましたし、
「第1・2チャンネル継送列車」指定便ですから推測ですが深夜の貨物便に客扱をして3D接続としたのでは無いでしょうか?
 ところで手許の資料ではスハフ322357は福島区となっています(昭和50年3月末現在)が、
該車は磐越線「専用」だった様な(郡山客貨車区の配置時期があった様な・・)記憶がございます、
過去の会津ムーンライトエクスプレスでこの車の編成にかなり粘りまして、
その殺し文句が「故郷に帰らせたいのですよ」でしたから(笑)
 スハフ32の車掌室はとても落ち着きます。
 42とは違い「後部確認窓」が無く、ブランデーブラウンのニス塗装にこじんまりとした部屋、
TR23特有の軽やかな調べの中で飲むコーヒーは格別でした。
 当時は転落防止柵が無かったのでこの車掌室区画でゲストは「足留め」にしていたもので、
天井の白熱灯の優しい色が開けたままの引き戸から入り・・・やはり夜行に最適の機材です。
 オハニ36も中々ですが、乗務員室は解放設計で出入りが多く、殊に本番運転車掌さんはそちらへ「追い出す」ので
「鉄サロン」となっていましたが、32の車掌室は豪華な個室(笑)、今考えれば至極の贅沢はこの車掌室だったと、
雑魚様や理左衛門様の写真を拝見してつい思い出してしまいました・・・
 春浅い会津と・・・その翌日の「酷寒」足尾線と・・・

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投稿者 スハ32
投稿日 2007年 9月27日(木)17時09分37秒
タイトル スハフ32 2357
岩崎安房守義将様
スハフ32 2357は、現役時代晩年に磐越西線、磐越東線で乗車しています。
磐越東線では、最後まで残った一両の2131と組んでました。その当時、東北本線
での運用があったかどうかは不明ですが、それより以前では、東北本線でも運用され
ていたようです。個人的には、2131の方を残してほしかったんですが、土崎か
ら選ばれたのは2357の方でしたね。

磐越西線は、どちらかと言うと現役時代もC57のイメージがあります。非電化区間で
C57が旧客7連を牽く姿を是非見てみたいものです。蒸気が現役の時代は、まだまだ
スハ43系は優等列車や長距離列車中心に使用されてました。地方線では、オハ61系
が多かったですね。東日本の保存旧客にオハ35がいないのが少々寂しいですね。



投稿者 理左衛門(バロン)
投稿日 2007年 9月27日(木)20時11分5秒
タイトル (無題)
スハ32様
磐越西線のC57は、たしかに現在の非電化区間の主力でしたね。私は年齢的に見た事がありませんが・・。
C57では中山峠を越えられないはずなので、郡山方はD50・51だったようで、やはりこの区間にはC57は違和感があります。
何よりばんえつ物語編成入線時にデーゼルに押されるのが悲しいです・・。
 それと、保存客車に35系がないのは淋しい限りです。
私が子供の頃、磐越西線は61系と32系で組成され、35系が入っていただけでも驚きだったものです。
 一方で東北本線は、特に末期の頃は殆ど青い43系ばかりでした。
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投稿者 理左衛門(バロン)
投稿日 2007年 9月27日(木)20時16分58秒
タイトル (無題)
岩崎安房守義将 様
私は、どういうわけか子供の頃、必ずこのスハフ32を選んで乗車していました。
このスハフ32を「優等車の格下車」と信じていたからです。サロ45あたりの記事と混同していたのかもしれません。
 32系・35系は車掌室にそう簡単には入れませんでしたが、
61・43系は車掌室が中間だと入れるときがあったような気がします。


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投稿者 虫眼鏡
投稿日 2007年 9月27日(木)21時15分46秒
タイトル Gマークの有無
はじめまして。
旧型客車の横軽通過対策マークについて質問をさせて下さい。
どのような車両が対策車に選ばれたのか、何か法則のようなものは
あったのでしょうか。

というのも、当方、客車時代の磐越西線や水郡線などに興味を持って、
模型を作っているのですが、車番インレタを入れるときに、対策車を
示すGマークが気になりだしました。

Gマーク付きの車両は全国的に分布しているようです。車番(特に
仙コリ、水ミト所属車)によるこのマークの有無をどう調べたら良いか、
ヒントや資料などご存知でしたらご教示願えれば幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします。



投稿者 理左衛門(バロン)
投稿日 2007年 9月27日(木)21時46分1秒
タイトル 団臨
本日、北斗星82号の筋で、85号牽引・24系の臨時列車が運行されました。
機関車はヘッドマークなし、客車は「団体」と入っていました


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投稿者 仙コリ@車掌
投稿日 2007年 9月28日(金)00時46分28秒
タイトル スハフ32 2357について
スハフ32 2357について話題になっているようなので、この車両の晩年の配置、
及び運用状況について調べてみました。

晩年の配置については昭和43年10月に秋アキから仙フクに転属
昭和53年10月に仙フクから仙コリに転属になり、磐越西線・磐越東線で運用
昭和60年3月に休車となり、昭和62年2月に高タカに転属となっています。

晩年の運用としては、

昭和55年4月1日 磐越西線
 郡山→新津(227レ)、新津→会津若松(232レ)、会津若松→郡山(1232レ)、郡山→会津若松(1239レ)

昭和57年4月1日 磐越西線
 郡山→新潟(225レ)、会津若松→郡山(1226レ)、郡山→会津若松(1237レ)
  ※新潟→会津若松の運用は不明

昭和58年4月1日 磐越東線
 小野新町→郡山(1721レ)、郡山→平(726レ)、平→郡山(731レ)、郡山→小野新町(1738レ)

といった運用が組まれていたようです。

参考文献 ジェー・アール・アール 国鉄(気動車)客車編成表 80年版〜83年版
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投稿者 仙コリ@車掌
投稿日 2007年 9月28日(金)01時14分44秒
タイトル Re:Gマークの有無
虫眼鏡様、はじめまして。

旧型客車の横軽通過対策マークについての資料としては、私の直前の書き込みで参考文献とした
ジェー・アール・アール発行の国鉄(気動車)客車編成表があります。
この資料には、当時在籍していた客車すべての配置と横軽通過対策マークの有無が記載されていて、
特に80年版から83年版までには車体塗色や体質改善工事施工車かどうかも記載されているので
非常に貴重で有益な資料だと思います。
80年版は数年前に復刻されたのですが、現在この復刻版も含めて絶版状態ですので、古書としての
入手方法しかないと思われますが、興味があるようでしたら、ぜひ入手されることをお勧めします。

どのような車両が対策施工車に選ばれたのかはわかりませんが、当時の客車は広域的な運用、
転属、貸出し等が行われていたようですので、基本的に全車両を対象としていたのではないかと
思うのですが、九州に対策済みの車両がいる一方、仙フク配置車に意外と未対策車が多かったりと、
不思議な状況です。

参考までに1983年時点での仙コリ配置車の状況を記載しますと(対策車は番号の前に・マーク)

オハ35 ・2021 ・2357 ・2488 2680 2912

スハ43 ・2163

スハフ32 ・2131 ・2219 ・2357 2366

オハフ33 ・2017 2023 2025 ・2051 ・2052 ・2054 ・2060 2063 2065 ・2239 ・2252 2544

スハフ42 2009

といった状況で、約半数といったところでしょうか。
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投稿者 日野実験線@台湾
投稿日 2007年 9月28日(金)11時37分21秒
タイトル Re:Gマークの有無
横から失礼致します。虫眼鏡様初めまして。

横軽通過対策工事は主に自連部分の強化工事で、昭和38年の横川軽井沢間粘着運転開始に
伴って開始されました。
当時は主に当該区間に運用される車(長野、金沢、東京各管理局の所属車が中心でした。)
に施行されており、昭和38年以降、長野、金沢、東京の各区に転入した車についても施行
された模様です。
その他、新潟、福島、盛岡、秋田等の各管理局においても、団体、或いは臨時運用等で当該
区間に運用される可能性が有る車は工場入場時に随時施行された様です。

車掌様の言われるとおり、その後の転属等で横軽対策が必要無いと考えられる地区にも対策
車が移動しましたが、そのままであったと記憶しています。
履歴票には横軽対策工事施工の記載がある車と、横軽通過可能の記載のみが有る車があり、
詳細は明確にはなっていませんが、客車時代の磐越西線や水郡線ということで、所属は郡山
或いは水戸かと思います。

両区とも履歴票調査を行っていますので番号を教えて頂ければ、ある程度はマークの有無を
お知らせできるのではないかと思います。



投稿者 日野実験線@台湾
投稿日 2007年 9月28日(金)15時36分45秒
タイトル 補足:Gマークの有無
連続投稿申し訳ありません。
「長野、金沢、東京の各区」ではなく「長野、金沢、東京各管理局の各区」が正解ですね。
又、前述以外に高崎、名古屋、大阪、天王寺、水戸、の管理局所属車でも施行された車を
見た事があります。
工場で言えば盛岡、土崎、大宮、長野、松任、名古屋、高砂、の各工場が主体であった印象
があります。

以上、横軽対策についてとりとめの無い話をさせて頂きました。
少しでもご参考になれば幸いです。



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