倶楽部メモ(378)
平成19年 8月25日〜 8月29日


投稿者 雑魚
投稿日 2007年 8月25日(土)13時42分30秒
タイトル 会津憧憬
好天の今週末、磐越西線では相変わらずの 583系による快速運用やSL列車の運転で、
暑さをものともしない「ツワモノ共」多数が三脚構えているのでしょうね。私も是非
参戦したいのですが、取引先が関係するイベントの手伝いで、水戸を離れられません。

どうせなら 583系が喜多方まで直通するという来月18日に、代休貰って行こうかなと
考えましたが、SLも捨て難いんですよねぇ。ちなみに私は磐越西線というと、専ら
喜久田・猪苗代・塩川など平坦な直線を好みます。以前は磐梯町域でも撮りましたが、
並行県道の踏切が解消され、反って「足場確保」が困難になったほか、後追いを含め、
編成全体を収めたく、欲張ってしまうのですね(^^)そんなこんなで、郡山が地元の
管理人様が羨ましく思える今日この頃です。あ〜会津に行きたい………

画像は四年前の今頃、会津若松〜堂島での撮影です。奥に見えるのが会津若松の街で、
スイッチ・バックの手前、広田〜会津若松でも、似た構図が確保できるのが面白い処。
この後に通過した 583系「白虎」は、高速道を介して、磐越西線で三箇所、東北線で
一箇所、無理せずに「追い駆け」が効いたオトクな内容でしたっけ。




投稿者 クモイ103
投稿日 2007年 8月26日(日)21時06分42秒
タイトル 客車列車の記録
>日野実験線様

> 私たちの世代は、客車の黄金時代には間に合いませんでしたが、自分で実際に客車を経験
し、記録することが出来た世代です。

 その通りですね。ということで今は無き客レの風景の中から、猛暑の折、涼しい画像で皆様に残暑お見舞い申し上げます。

 私の知り合いに、マイネやマロネなどの優等客車が好きで、
出身地最寄りの常磐線の歴史に残る1201-1202列車に思い入れがあるという20代の若?者がいますが、
本人は415系の「赤電」を見たことがないと聞き、まさに _| ̄|○ でした(笑)。


 ところで、「つばめ」「はと」引退後、鹿児島に転属したナロ10に、青大将のままのものがいた様です。
 「国鉄 懐かしの特急列車」(別冊歴史読本02)1999.1.4 新人物往来社 P.27にある急行「霧島」の食堂車の写真
(昭和35年6月29日東京駅にて撮影)で、メインの被写体である5号車オシ17 1とともに、
隣接するナロ10も、反対側に連結されたナハと全く異なる明るい色をしており、青大将色と思われます。




投稿者 日野実験線@台湾
投稿日 2007年 8月26日(日)21時20分29秒
タイトル スキャン画像から
単身赴任の辛さ(楽しさ??)で暇な日曜日に相変わらず古いネガをスキャンしています。
今日は少し珍しい(?)画像が出てきましたのでアップさせて頂きます。
客車には様々な試験が実施されましたが、検査が実施されている車の検査票差は赤く塗ら
れており、又、妻面には試験内容及び検査日が表記されていました。
検査票差が赤く塗られている車は見かけましたが、試験表記は妻面にあることから、中々
撮影できませんでしたが、尾久客車区見学会で幸運にも妻を出した試験車に出会い、撮影
したのが、この画像です。「スラックアジャスタ」はブレーキの自動隙間調整装置で、
これを装備したTR47はTR47Bという名称になりましたが、この車はTR23を付
けていたので、試験のみで終わってしまったのかもしれません。
実際TR23にはTR47のようにスラックアジャスタ付の形式はありませんでした。
赤い検査票差付の画像が出てきたら又アップします。




投稿者 赤まんと
投稿日 2007年 8月27日(月)10時20分3秒
タイトル 意外な盛況でした。
みなさまこんにちは。
小売業に身を置く人間には奇跡の一週間休みを戴き、大阪、香川をまわってきました。
良い上司に恵まれると本当に幸せです。
夜汽車に乗りたくて行きかえりとも「銀河」を利用。
どちらも3号車が取れていたのですが、いまはちょうど6号車オハネフ25 132が
4年半ぶりの全般検査に入っていたとみえ、運用離脱。
予備にまわっているオハネフ25 136が代わりに充当されていたので、大阪着後、窓口で6号車に替えてもらいました。
この車両は洗面台の更新がされ、床にカーペットも敷かれているので、「日本海」運用が多く、
おそらく最後まで残ることと思います。2006年1月下関にて全検済みです。
肝心の乗車率はなかなかよく、空いた区画を目で追う方法で乗車数を数えたところ、
20日下りは132、25日大阪発は170でした。
6両編成で定員194ですから、それぞれ68.0、87.6パーセントと出ます。
(昨年3月下旬から2号車がオハネフに変わったため、定員が2減っています。A寝台の車掌室は使わなくなったようです。
「あさかぜ」から奇跡の復活を遂げたオハネフ25 133、140、150のいずれかを主に充当)
A寝台は相変わらず乗車率がよく、行きは23、帰りは24席が埋まっていました。
帰りの車内では、
「本日全ての席に予約が入っております。A、B寝台の変更、上下段の変更、車両の変更はできませんので、
お手持ちの乗車券をよくお確かめの上、お間違いのないようにお乗りください」
と数回アナウンスが流れたほどです。こんな放送は初めてです。
帰りはなんと4、5号車は満席。一番乗車が少なかったのは珍しく我が喫煙車6号車で、13の寝台が空きでした。
行きはともかく帰りはまあまあ運転がうまく、ガクンという衝撃は少なめだったように感じました。
大阪発車時はとくに滑らかでびっくりしました。
3月の改正で下り静岡停車の時間が変更になり、運転停車ダイヤがどう変わったかも気になっていました。
結果は浜松停車が10分長くなり、熱田と名古屋で1本ずつ貨物を退避するのにはちょっと驚きました。
30年の車齢にムチ打ち頑張って走ってきましたが、今回の「j-train」「レイルマガジン」の特集の組み方は
いかにも「銀河」来春廃止を暗示させる内容で、夏に「銀河」で大阪の従兄弟宅に遊びにでかけるのも、
今年が最後かもしれません。
それだけに、今回の高い乗車率はかなり印象深いものでした。学生の姿も結構見受けられました。
行きに隣になった子はなんと群馬から甲子園見にきた高校生で、話が弾んだのです。
本当のところ、どうなるかはわかりませんが、やはり今のうち、今のうち。
機会あるたびできるだけ多く寝台列車に乗っておきたいところです。
先に挙げた2誌の特集、お薦めです。一度書店で確認しできれば購入しお手元に...。



投稿者 日野実験線@台湾
投稿日 2007年 8月27日(月)14時08分16秒
タイトル Re:客車列車の記録
>クモイ103様

>私の知り合いに、20代の若?者がいますが、本人は415系の「赤電」を見たことがないと聞き、
まさに _| ̄|○ でした(笑)。

415系の「赤電」を見たことがない世代の方がマイネやマロネなどの優等客車が好きで、
1201-1202列車に思い入れがあるとは・・・
私の常磐線のイメージは401系なのですが・・・・_| ̄|○|||

ところで、ナロ10の青大将色から一般色への変更ですが、御指摘頂いて履歴票を見直した
ところ、5月末で「つばめ」「はと」の運用を終了し、ほぼ全てのナロ10が2,3日の
うちに鹿児島に転属していました。塗色変更は7月一杯位まで順次鹿児島工場で実施され
ましたので6月29日の段階ではまだ青大将色のナロ10が運用に入っていたものと考え
られます。紛らわしい表現をしてしまい申し訳ありませんでした。



投稿者 雑魚
投稿日 2007年 8月27日(月)18時07分27秒
タイトル 赤電
▼クモイ103様:
> 本人は415系の「赤電」を見たことがないと聞き、まさに _| ̄|○ でした(笑)

常磐線に思い馳せし者が「赤電」に触れざるは、鶉の卵無き「峠の釜飯」の如しなり。
されば「赤電」を知らずして常磐線を語る勿れ………というのが、茨城人民としての
所感ですが(^^)かくも若年の方が一部とはいえ往時の名列車に思いを馳せる事自体、
襟を正すべき事かも知れませんね。

赤まんと様御指摘の「銀河」来春廃止を暗示させる記事にも鑑み、機関車が旅客用の
車両を牽引する概念自体「ト○ビアの泉」のネタとなりかねない日々も、遠い事では
無さそうです。




投稿者 赤まんと
投稿日 2007年 8月27日(月)20時39分3秒
タイトル 今年の夏も何やら気になる波動輸送編成が...
本日尾久の出発収容線ごしに「あけぼの」編成の記録を押さえようと眺めたところ、
青森の24系白帯、金帯混成が電源車こみ11両で待機中でした。
夕方から電源車を起動させたところをみると、ほぼ間違いなく今晩出て行くのだろうとおもいます。
「ダイヤ情報」等を見てみましたが有力情報得られず、いったいなにを目的にどんなダイヤで走るのかが掴めずにいます。
詳細ご存知の方がいらっしゃれば是非ご教示いただきたくおもいます。
たしか昨年も7両編成くらいで同じ青森の予備車かき集めで運転しており、こちらも収容線、回送線で編成を押さえました。
金帯、白帯ごちゃ混ぜ。編成美を求める方には噴飯ものの編成ですが、6両くらいにすれば模型ファンには
お座敷運転にもってこいの内容ともいえます。
国鉄時代、各区よせ集めの臨時列車を思い起こさせる...とは言いすぎでしょうか。
多客期のそんな編成も、私が生まれたころからは減少傾向にあったようですが。
常磐の赤電については私は記憶にしっかり残っており、尾久から上野へ回送される姿をたびたび見ました。
4歳だった私はどういう色の感じ方をしていたのか、今となってはよくわからないのですが、
「焼き芋の皮の色電車」などと言い放ち、親を大爆笑させた思い出があります。
さきにブルートレインに心奪われた私は、詳しいことはわからないまま
なんとなく583系は14系や24系のカタキのように感じ、今に至るまで好きになれずにいます。
しかし「みちのく」「はつかり」のマークはすごく好きで、親や祖父にせがみ、線路脇や上野駅に連れて行ってもらい、
飽かずに眺めたものです。
一人で見に行くようになった6歳、1981年頃でしょうか、
当時「みちのく」は13時半ころになると尾久を出庫していたように記憶しています。
出庫の直前あたりになると、隣に待機している14系寝台がエンジン起動させ、
真っ黒な排気ガスを噴き上げるさまに感動していました。
たまたまどこか出先からの帰り、夏でしたが、自宅近くの尾久回送線の踏み切りにつかまり、
なにが来るかワクワクドキドキしていると、結構なスピードで各車エンジンの轟音高らかに目の前をキハ58系の長い編成が!
サボには「いいで」と書かれています。
初めて動いているキハ58を見たあの感動は、いまも忘れられません。
この時見た何両かはもしかしたらサハリンにわたったかもしれません。
常磐線といえば、田端で「珍しくEF81がいるな」などと大して気に留めていないうち
一気にEF80が駆逐されたことも驚きでした。DD13についても同様の思い出です。
幼稚園は上中里駅近くにあり、スクールバスは田端の青橋(田端大橋は当時まだ青かったのです。地元ネタですみません)
を渡るコースでした。
その青橋からたくさんの初期型DD13を見下ろせたこと。田端機関区の片隅にいつもオエ61 21がいたこと...
32歳という歳の割には我ながら結構マニアックな思い出が多いのです。



投稿者 103列車機関士
投稿日 2007年 8月27日(月)21時29分39秒
タイトル 越後中里に行きました
皆様ご無沙汰しております。
本日温泉旅行を兼ねて川端康成の「雪国」の舞台や中里スキー場に
遊びに行ってきました!
中里スキー場は夏場は打ちっぱなしゴルフになっていてクラブハウスで
アイスコーヒーを飲んで撮影の許可を頂きました
以前より一段と腐食が進んでおります。
今回は全車両の記録に成功しましたので車掌様後日お送りします。
ここは夏に行ったほうがいいかもしれません。
以前12月の初旬に行ったとき猿に囲まれて恐怖に見舞われたことがあります。
連行されるかと思いましたよ、ホントに・・・




投稿者 仙コリ@車掌
投稿日 2007年 8月27日(月)23時15分54秒
タイトル 昨日の磐越西線
雑魚様
>郡山が地元の管理人様が羨ましく思える今日この頃です。あ〜会津に行きたい………
地元ゆえ?あまり意識していなく、出来れば大井川鉄道沿線に住みたいなどと考えているのですが…
確かに最近の磐越西線は面白いですね。来月には旧型客車も走りますし。
雑魚様のコメントに触発されて会津方面に出かけてまいりました。
メインは久しく訪れていなかった日中線記念館のオハフ61の訪問ですが、
昨日もSL列車・583系といった列車が運転日でしたので撮影してきました。
恥ずかしながら磐越西線での撮影は旧中山宿駅近辺でしか経験がなく、撮影場所を探しながらでしたが、
この時期は線路脇のススキや雑草がすごいですね。
最初に撮影した583系「あいづライナー」は車体の半分ほどが隠れてしまいました…
気を取り直して撮影ポイントを探し、猪苗代駅近辺で「SL郡山会津路号」を撮影しました。
なお、日中線記念館のオハフ61の様子は近日中に「保存客車写真館」にアップします。




投稿者 雑魚
投稿日 2007年 8月28日(火)08時43分39秒
タイトル SL 郡山会津路
▼管理人様:
> 気を取り直して撮影ポイントを探し、猪苗代駅近辺で「SL郡山会津路号」を撮影

客車の塗装が変更されましたね。以前の茶色系(掲出画像を参照/ほぼ同じ地点から
二年前に撮影したものです)に比べると、より引き締まった印象です。

DLが後部補機に連結されていますが「C」級では、中山峠や磐梯山麓の勾配区間は、
やはり出力が覚束ないのでしょうか。磐梯熱海〜猪苗代は、各駅停車でも30分程度で
走破するところ、こちらは一時間を要しますしねぇ(一昨年の撮影時は、確か川桁で
長時間停車があり、前後で追い掛けが効いた記憶があります




投稿者 雑魚
投稿日 2007年 8月28日(火)10時21分1秒
タイトル 「ねるとん」 の時代
これは、もう少し会津若松寄りの 国道115号線陸橋から俯瞰した「白虎」で、撮影は
四年前です。前出の画像にも映っている「リステル」スキー場の併設ホテルは、世間
一般並みに、スキー・リゾートに現を抜かした独身時代の象徴的存在でもありました。

あの当時は、女の子を含む仲間と連れ立って忌憚無くスキーを楽しめたのですが、今、
その様な事をしようものなら、磐越西線の通過列車に 気も漫ろになるでしょう(^^)
それやこれやで、スキーも御無沙汰ではや十年。すっかり「鉄」に冒された我が体は、
もはや、スキーすら出来ない状態なのでした(^^)

かように隔世の感に耽りつつ「JR東日本 SKI・SKI キャンペーン」で大ヒットした
ダンス・ユニット「ZOO」の「Choo Choo TRAIN」を聴くと、なぜか 泣けますね(^^)




投稿者 ぱわつよ
投稿日 2007年 8月28日(火)10時36分37秒
タイトル 元鉄道小僧日記(東京編7)
>本日尾久の出発収容線ごしに「あけぼの」編成の記録を押さえようと眺めたところ、青森
>の24系白帯、金帯混成が電源車こみ11両で待機中でした。夕方から電源車を起動させたと
>ころをみると、ほぼ間違いなく今晩出て行くのだろうとおもいます。
赤マント様の予想通りでしたよ。
私が赤羽のジムを出たのが21:05で21:09発埼京線各駅停車大宮行きに乗り遅れ、
21:14発通勤快速は停まらないのでスルーしていたら
4番線を北斗星牽引用のED81(?)に引かれたブルートレーンがかなりの高速で爆走していきました。
あけぼのしにては少し早い時間帯ですし、全くのイレギュラーでしたが、
食堂車を挟まないモノクラス編成で行き先には「団体」としか書いていませんでした。
ジムでこてんぱんにやられた後のボロ雑巾状態で21:19発の各駅停車で帰りましたので、
赤羽駅通過は21:15〜16分くらいかと思われます。
確かに金・白混合帯のいかにも寄せ集め的な編成でしたが、札幌便以外は短い編成ばかりだったので、
久しぶりに堂々とした客車を偶然見ることができました。



投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 2007年 8月28日(火)13時20分20秒
タイトル 日中線記念館
管理人様質問です。
保存客車写真館拝見しました。
オハフ61の車内が紹介されていますが管理している方にお願いすれば誰でも見学できるのでしょうか?
日中線に乗ったのは高校時代。鶴ヶ城を見学してバスで会津若松駅へ向かおうとしたら大渋滞(^^;
バスを待っていたらたぶん日中線に乗れない。で真夏の会津盆地を約3キロ走った
走った(;^^A 間に合わないかなと思っていたら磐越西線が遅れていました。ラッキー(^^)V



投稿者 仙コリ@車掌
投稿日 2007年 8月29日(水)11時09分1秒
タイトル 日中線記念館の客車について
下総守こみやさん(^^) 様

日中線記念館の客車の内部公開についてですが、管理者に問い合わせたところ、
原則的に事前申し込みにより公開しているそうです。(積雪時は非公開)
日によっては日中は公開しているという事もあるそうですが、確実に見学したい場合は
連絡(電話にて)してほしいとの事でした。
なお、以前はいたずらが多く(実際灰皿等は紛失している箇所がほとんどでした)公開していなかったとの事ですので、
今後も公開できる状態が続くことを切に願うしだいです。

連絡先 喜多方市教育部教育課(熱塩加納総合支所)生涯学習係

電話番号はここでの公開はひかえさせて頂きますので、ネット等でお調べになるか、私まで連絡下さい。
(アンケートコーナーよりお願い致します)

ps.だいぶ以前にも書き込みしましたが、私の母親の実家が旧日中線の会津加納駅(終点の熱塩駅の一つ手前)の近辺で、
  日中線は私にとって唯一の現役時代の蒸気機関車牽引列車乗車経験という思い出深い路線です。



「客車列車の旅」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから