倶楽部メモ(351)
平成18年11月20日〜11月24日



投稿者 急行音戸
投稿日 11月20日(月)10時46分2秒
タイトル re
>これは初耳です。この「プルニエ」という言葉…

鉄ピクの食堂車特集に、昭和30年代初めの主要列車のメニューの縮小版が載っており、
「スペシアル ビーフ定食」「グリルチキン定食」とともに、この「プルニエ定食」なるものが、メニューにあるのです。
前者2つは、だいたいどのようなメニューか想像つくのですが…

>KATOのロクヨン、そのままでは米福型は厳密に言うとちょっとした・・・・

突放禁止さま
書き込みした後、気づきました^^。
確かに、テールライトの形状が違いますね。
手持ちの、何ちゃって1号機は、プロテクター装着で、お茶を濁してます(笑)



投稿者 日野実験線
投稿日 11月20日(月)14時18分36秒
タイトル 「大いなる旅路」
皆様、ご無沙汰しております。
「大いなる驀進」で思い出したのですが、1972年頃、国鉄100年記念に合わせ、
確か日本テレビ系列で「大いなる旅路」という番組が放送されていた記憶があります。
主題歌は小椋圭が歌ってましたね。鉄道開通の頃からの100年をドラマ風に紹介した
もので、保存車両なども結構出演していた様な記憶があります。
DVDにはならないのでしょうか・・・もう一度通しで見たいドラマです。



投稿者 あさかぜさくら
投稿日 11月20日(月)18時20分1秒
タイトル DF50の飾り帯 訂正
 昨夜うろ覚えのまま発信してしまい不正確になりました。1959年色見本帳では次の通りです。
白(N9.2)フタル酸樹脂エナメル 電気式ディーゼル機関車(DF50)の車体外部の帯と規定されています。
また灰色2号[N5(B−0.3)]フタル酸樹脂エナメル D特50形ディーゼル機関車のスカートとあります。



投稿者 突放禁止
投稿日 11月20日(月)20時50分15秒
タイトル 恐縮です…
急行音戸様:私ごときが突っ込みを入れて大変失礼しました。
私もKATOのロクヨンを2機持っています。
最初は中央西線のきそを牽かせるべくハネとハザを集め、レイルロードのスユニ61キットを組んだのですが…
見事に失敗しました(泣)
米福はテールライトやプロテクタに自信がなく、中央東線の客車レに食指が行きました。
甲府区にはスハニ37やスハフ36といった濃い面子がそろっていますので
こりゃえぇわ〜とホイホイ気分でおったのですが…
そんな時代の中央東線客車運用表なんかある訳ありません…と言う訳で引き出しの奥で休車になっております。



投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 11月20日(月)23時13分5秒
タイトル プルニエ定食?
気になって調べてみました。どうやら魚介類を主体としたものみたいです。
あさかぜのメニューを見るとビーフシチュウ、サーロインステーキとか肉料理ばかり。
魚料理が無いことからも納得できます。
街の洋食屋さんでも見たこと無いですよね。死語になっているか絶滅?
名前からすると南仏の香りがしますね。
食堂車は無理でもプルニエ定食を探そう(^^)/
昔、北斗星には魚主体のディナーがあったような。(^^;



投稿者 あさかぜ
投稿日 11月21日(火)17時17分46秒
タイトル ありがとうございます
<急行音戸さま
ご丁寧な解説どうもありがとうございます。
福米のロクヨンは、1968年のED78配置によって他区へ転属されてしまい、(記憶が正しければ)
わずか3,4年の活躍だったとおもいます。それにしても、インレタかうなんて、出費が・・・・
(ロクヨンかうのにかよ)
ちなみに、米沢から先は、今所有しているDD51に牽かせることにします(本当はDF50なのだが)
あとスロ62の屋根かえなきゃ・・・



投稿者 あさかぜ
投稿日 11月21日(火)17時39分48秒
タイトル そうなんですか?
連レスすみません。
<突放禁止さま
スレ読まないで投稿してしまいました。聴くだけでは小さな違いかもしれませんが、
これって意外と目立つんですよね。(運転会の時友達に指摘された経験あり、小さく
てそのころは気づかなかった)
うちにあまっている塗装用のスプレーか絵の具があったら、トライしてみようと思
います。(友達にこれ押し付けられたので)



投稿者 尼港線
投稿日 11月22日(水)23時43分22秒
タイトル プルニエ定食
「プルニエ」という言葉自体、国語辞典に載っています。
元はフランス語で、皆様お察しの通り「プルニエ定食」とは魚介類の定食という意味のようです。
「大辞林」からのコピペで恐縮ですが、以下の通りの意味です。

プルニエ【prenier】
パリの魚料理専門レストランの名前から
フランス風の魚料理。また、フランス風の魚料理専門のレストラン。



投稿者 尼港線
投稿日 11月23日(木)00時09分30秒
タイトル 南海サハ4801及び借入車の暖房
連続投稿、失礼いたします。
今日の、私の本題はこちらの方です。
今、南海電鉄のサハ4801について少々調べているところですが。
題名に書いた通り、暖房をどうしていたのかが分かりませんので、
ご存じの方がいらっしゃいましたら、ご教示をお願いいたしたく存じます。

当時の紀勢西線は非電化ですから、当然、走っている国鉄の各客車は蒸気暖房で、
サハ4801も同様であったと考えられます。
では、南海線内では、暖房はどうしていたのでしょうか?
蒸気暖房はあり得ませんから、電車と同様の電気ヒーターを装備し、牽引する電車から給電していたのか?
まさか“非暖房”であったのか?

南海の紀勢西線乗り入れには、国鉄からの借り入れ客車も使用されていたことが、
鉄道ピクトリアルの「南海特集」に掲載の写真からも伺えます。
では、この借入車も、南海線内の暖房はどうしていたのでしょうか?
こちらの方はそれこそ、南海本線に入ると“非暖房”になってしまっていたように思えてなりません。

よろしくお願いいたします。



投稿者 クモイ103
投稿日 11月23日(木)07時56分39秒
タイトル Re:南海サハ4801及び借入車の暖房
尼港線様

 手元の鉄道ピクトリアル第76号(1957-11)「私鉄車両めぐり(29)南海電鉄[6]」(小林庄三氏筆)によると、
サハ4801には、「国鉄同様の大気圧蒸気暖房装置を取り付けた外,社線内でモハに連結した時には
200V500W電熱器8個を使用できるようになっている」とのことです。ちゃんと考慮されていたのですね。
 借入車の暖房については記述がありませんでした。

 余談ですが、この直後には「冷房装置がないのが惜しいところ」と述べられています。
これが書かれた昭和32年には20系客車もこだま型電車も登場しておらず、
国鉄の冷房車は1等車と一部の優等寝台車・食堂車だけだったことを考えると、
ものすごい高望みを言っている様にも思えます。
しかし、戦前すでに冷房車を登場させていた南海電鉄に関する記事なればこそ、
文章の流れとしては自然なことと言えましょう。
国鉄は認めなかったと思いますけど(笑)。



投稿者 尼港線
投稿日 11月24日(金)09時54分36秒
タイトル Re:Re:南海サハ4801及び借入車の暖房
クモイ103様

ご教示ありがとうございます。
サハ4801にはやはり、電車と同じようなヒーターが装備されていたのですね。
いくら温暖な南紀向けの車両とはいえ、大阪でも寒い時はふつうに寒いですし。

国鉄借入車の暖房は、本当にどうしていたのでしょうか。
手元の鉄道ピクトリアル1995-12増刊の「南海電気鉄道特集」には、
なんとナハフ11が借り入れられて南海本線を走っている貴重な写真が掲載されていますが、
撮影日付を見ると、1968年1月3日となっています。
真冬もいいところですけど、果たしてこういう場合、「非暖房」で割り切られたのか、
あるいは別な手だてが考えられていたのか。
謎は深まりますが、なお調べてみたいと思います。



投稿者 DD5433
投稿日 11月24日(金)18時29分6秒
タイトル オロフ33 等級帯と外部塗装について
いつも興味深く拝読しております。
オロフ33の模型を作成中ですが、等級帯と外部塗装の組み合わせが判らず困っております。
いろいろ写真等も見ておりますが。白黒が多く、色の判別ができません。
ご存知の方宜しくお願いいたします。



投稿者 急行音戸
投稿日 11月24日(金)18時54分38秒
タイトル プルニエ定食
>下総守こみやさん(^^) 様 尼港線様
プルニエ定食の件について、教えていただきありがとうございました。
しかし、フランス風の魚料理、
昔の食堂車、さすが紳士・淑女の社交場?お洒落な(ハイカラ?)なメニューがあったんですね。



 
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