倶楽部メモ(338)
平成18年 9月 7日〜 9月 9日


投稿者 雑魚
投稿日 9月 7日(木)08時48分53秒
タイトル 筑豊線 と 長崎駅
>「あかつき」の佐世保編成は門司で分割し、そこから先、DD51の牽引でした。

御教示有難うございます。やはり門司が結節点でしたか。国鉄九州総局の前身である
門司鉄道管理局の名称を踏まえた時、関門海峡に面した交直流切替点が、運行管理上、
北九州市内随一の要衝である小倉を凌駕する一大拠点として機能した事は、地勢的に
面白いものを感じます(さながら、山陽線の糸崎と三原の関係に通じる様ですね)

突放禁止様の御教示に鑑みて「国鉄の車両/九州各線」で筑豊線の項を改めました処、
車両は不明ながら、1965年に新大阪〜佐世保で設定された「みどり」が、筑豊線初の
特急との事。また「あかつき」が設定された1975年に特急「かもめ」急行「天草」が
廃止とあります。これが御指摘のキハ82編成という事でしょうか。筑豊線での同型の
雄姿は、一度拝んで見たかったですね。

筑豊線の線形は、筑豊地区〜若松港の運炭が第一義ですが、旅客列車が集中する博多
周辺における「客貨分離」を意図した発想も感じられます。同様に一大産炭地だった
北海道における、札幌と室蘭線沼ノ端以北との関係の如しですね。しかし桂川以東が
福岡都市圏の通勤路線「福北ゆたか線」として整備された今日、凋落した以西区間の
落差は大きく、冷水峠を越えるローカル旅客需要の希薄振りが窺えます。

> そういえば「ながさき」が時間稼ぎのように大村線を経由してましたね。

「ながさき」は早岐経由でしたか。私は利用した事がありませんが、周遊券を介した
九州の貧乏旅行で、友人達は相当重宝していた様です。当時、長崎発着の大村線便は、
喜々津−浦上で旧線を経由する事が多かった様に記憶しますが「ながさき」の場合は、
どの様な状況だったのでしょうか。

子供の頃、長崎線の写真と言えば、旧線の東園〜大草と思われる大村湾岸を通過する
各種特急の雄姿が憧憬の対象でした。この区間、長崎都市圏から外れる長与以東でも
一時間に一本程度の運転体制ゆえ、上記の筑豊線の桂川以西とは異なり、安泰という
印象を受けます。

数年前、長崎を旅行した際、車両基地の俯瞰が効く駅前のホテルを利用したのですが、
その後の一大再開発により、件のホテルからの基地展望が覚束なくなったとの事です。
当時の長崎駅は、スルー構造の線路を跨線橋代りの平面通路で塞ぎ、臨港線に通じた
線路敷地は、架線を残しつつ舗装で塗り固めた駐車場と化すなど「トワイライト」な
雰囲気でした(^^)現在は、屋内の頭端式構造が確立されたそうですが、函館駅でも
同様の事情なのでしょうかね。往時を知る者としては、ちと寂しい気もしますが……



投稿者 突放禁止
投稿日 9月 7日(木)11時54分4秒
タイトル 関西→九州DC特急
筑豊経由の元祖はみどりです。
関西から九州方面のDC特急は名称と行き先の編成が激しく、初代みどりは61.10デビュのー大阪→博多間でした。
これは東海道新幹線開業と山陽線電化で151系化され、はとに改称されます。
二代目は新設の新大阪→宮崎間の特急になりました。
その後、65.10に大分回転編成を転用する形で筑豊経由佐世保行きが設定されました。
さらに67.10で581系がデビュー、同時に大分電化で新設の特急にみどりの名前が再コンバート(かなりややこしい…)
元のみどりはいそかぜに改称されます。
ここまでかもめは全く関係がなかったのですが、68.10いわゆるヨンサントオの改正でDC特急が再度再編されます。
元のかもめ京都→西鹿児島・長崎行きといそかぜ新大阪→宮崎・佐世保行きを入れ替え、
西鹿児島行きをなは、宮崎行きを日向に改称、長崎/佐世保行きを両方かもめに…        
京都→長崎・佐世保     かもめ(門司まで併結)  
大阪→西鹿児島・宮崎  なは・日向(小倉まで併結)
筑豊経由の特急はみどり→いそかぜ→かもめと短期間で名前を変更されました。
なぜか今となっては知るよしもありませんが…かなり長くなりましたが参考まで



投稿者 突放禁止
投稿日 9月 7日(木)12時00分50秒
タイトル 使用車種
DC特急は国鉄末期、いそかぜに181系が投入されるまでキハ82が例外なく使用されてました。
山陰特急がやくもから転用の181系化されてからも元祖博多まつかぜにキハ82が使用されてたのは
九州総局が研修等の絡みで投入を拒否ったとのこと…労使問題が見え隠れします…


投稿者 シングル
投稿日 9月 7日(木)16時30分29秒
タイトル オロネ25-0の床下
模型がらみのことで恐れ入りますが詳しい方ご教授願います。
最近NゲージでTOMIXの24系25形寝台客車セットが発売されましたが、そのなかのオロネ25-0の
床下がオシ24-100の床下と同じに変更になっていました。
TOMIXの旧2533 オロネ25の床下はオハネ25-100と同じ床下になっていました。
双方とも実車のオロネ25-0とは異なっておりタイプに
なるかとは存じますが、オシとオハネのどちらの床下が実車のオロネ25-0に近いものでしょうか?


投稿者 尼港線
投稿日 9月 8日(金)10時54分37秒
タイトル Re: オロネ25-0の床下
> シングル様
それは当然、オハネ25-100番代だろう…と思っていたら。
意外や、調べてみればオシ24の方が近いようです。
床下でいちばん目立つ水タンクと、他の機器の位置関係からそうなるようです。
思い込みはいけませんね。

重量バランスの問題からか、重い水タンクは廊下側(非寝台側)に吊るようです。
オロネ25とオハネ25は寝台がある側が逆ですから、水タンクの位置も逆。
結果的に、非厨房側(これも重量バランスの問題?)に吊ってあるオシ24とオロネ25が
同じ側に水タンクを持つ=床下機器の配置が似たものになる、ということになるようです。

ああそうか、だからオハネ25改造のオロネ25-300番代などは、0番代と寝台(個室)がある側が逆なのだな…
と今さら気付いた、お恥ずかしい次第(笑)



投稿者 あさかぜ
投稿日 9月 8日(金)17時34分37秒
タイトル 20系
初投稿です。よろしくおねがいします。
突然ですが、このたびKATOから20系基本が再生産されましたので、これであさかぜを
フルで組もうかと考えました。そして、どうせなら一番豪華な編成を組もうと考えたのです
が、EF60牽引時代の編成か、EF65の編成か、どっちにしようかと迷ってしまいまし
た。そこでどちらがいいかみなさんの意見を参考にしようと考えました。無理をいって申し
訳ありませんが、ご返答おねがいします。
以上、長文しつれいしました。


投稿者 よし
投稿日 9月 8日(金)22時53分8秒
タイトル 115系の編成
電車の編成で申し訳ありませんが
山陰線の電化の時に走っていた(米子〜知井宮)3両の115系(湘南色)
の編成をご存知の方お教えいただけないでしょうか?


投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 9月 9日(土)04時48分55秒
タイトル スハニ35のミキスト
 管理人様、皆様御無沙汰致しております。
 何かと催事・調整・役場回り、そしてレイアウト製作で目の回る夏でした。
 さて、従前交通公園活性化として鉄道模型を展示する奇妙なボランティア活動をしております弊連盟ですが、
毎度毎度のユニトラック組み上げも辛い・・・
更に「近代的電車」がやはり主役となる大形仮設レイアウト(N6回路・1200×3600mm)では
なかなか「交通文化財」的ローカル機材(蒸機や客車、気動車など)が活躍しない事の不満もあり、
ローカルムード満載の固定式を投入して「設営時間」短縮と附随アトラクションの創造を図った・・・のですが、
12年のブランクは辛く、更に2・3両で済むローカル列車が・・・
 実は「機材」は後回しとしておりました時、
鉄道模型趣味別冊「シーナリーガイド」で川俣線(松川〜岩代川俣間12.2km)の記事があり、
C11機がスハニ35を一つ牽いた画像が・・・
 昭和49年初版のものですが、47年5月13日に廃止となっているのでそれ以前、
しかし元々「東海道系特別急行列車機材」として誕生したものが、まさかローカル線でCタンク機に独りでなんて・・・
 記事は折り返し時にワムを一つ貰って「ミキスト」で折り返すものでしたが、「事実は模型より奇なり」です。
 尚、この路線での塗装はぶどう2号でしたが、未確認の話しでは青15号のローカル用スハニ35もあったらしいです。

投稿者 EF5841
投稿日 9月 9日(土)05時47分27秒
タイトル >スハニ35のミキスト
「さぬき」の運用に入っていたスハニ35は、青15号でしたね。


投稿者 クモイ103
投稿日 9月 9日(土)09時40分17秒
タイトル 海水浴臨/客車列車の分割併合
コスモス様

遅レスとなりました。
かつては、各地で「海水浴臨」が運転されていたことを思い出しました。
愛称名は「かっぱ」というのが定番?だったような気がします。
首都圏各地から逗子などへ向かう臨電は、出発地の線区で定期運用されている形式の予備車をかき集めて運転され、
山手貨物線を通るものもあり話題性に富んでいました。
時刻表で見て圧倒されたのは、山形県内陸部の各地から羽越本線へ直通する「鼠ヶ関かっぱ」です。
これは気動車ならではの機動性で、区間によっては定期列車に増結され、
線路容量に余裕のない単線のローカル線を巧みに渡り歩いて運転されていました。

高崎・宇都宮と常陸多賀を結ぶ臨時列車があったとは、初めて知りました。
(子供の頃時刻表では眺めていたのかもしれませんが(^^;)。
昭和60年頃?まで、大宮からやはり常陸多賀へ運転されていた「かわらご」が懐かしいです。

客車列車の分割・併合は、今の感覚からするとたいへん手間のかかる「厄介な仕事」のように感じますが、
昭和40年といえば、どこでも普通に行われている日常の風景だったと思います。
特急列車でさえ、分割した付属編成に電源車を増結して支線区へ乗り入れていた時代です。
何より、それこそ全国津々浦々で貨車の入れ換え作業が行われていましたから、
とにかく機関車で押したり引いたり突放したり(乗客の乗った客車を突放はしないでしょうけど(笑))、
何の抵抗もなく普通にやっていたのではないでしょうか。

投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 9月 9日(土)09時46分3秒
タイトル たしか日中線でも
C11にスハニ35の編成があったような(^^;
通学時間帯はスハ2両で満席状態だったらしいのに。
客車半室に学生達と一緒に押し込められたらと思うとちょっと(^^;
でも暖かくなると皆自転車通学に切り替えてたみたいですけどね。
何年か前日中線記念館に行ってきました。
なかなかきれいになっていて中には展示物が。
鍵は線路の反対側にある民家で管理しているらしいのですが訪ねてみたら留守でした(-.-;
でもここは熱塩加納村、過去を偲びながらゆっくりした時間を過ごしました(^^)


投稿者 雑魚
投稿日 9月 9日(土)18時22分9秒
タイトル レス 諸々 01
> 山陰線の電化の時に走っていた(米子〜知井宮)3両の115系(湘南色)の編成を
> ご存知の方、お教えいただけないでしょうか?

「岡山地域鉄道部の鉄道・バスのページ」というサイトに 岡山電車区115系に関する
詳述があり、そちらに御探しの情報があるかも知れませんので、御参照下さい。

> 山形県内陸部の各地から羽越本線へ直通する「鼠ヶ関かっぱ」です。

海沿いを行く羽越線の村上以北は沿線に海水浴場が多く、並行する 国道345号線では、
拡幅工事が完了するまで、海水浴期間には渋滞対策として、北向きに延々と一方通行
規制が敷かれた様ですね。当該期間中、間島・越後早川・桑川・今川から村上以南に
車で移動する場合、物凄い迂回を強いられた事になりますね(^^)

国道七号線沿道の鼠ヶ関には、確か急行「月山」の鶴岡側編成が発着した事もあると
記憶します。同じ山形県内ながら朝日連峰で隔てられた奥羽線と羽越線、それぞれの
沿線域は、古来よりの広域文化圏も微妙に異なるなど、地勢的差異が大きい様ですね。
それだけに 1981年の国道112号線の全面整備(湯殿山麓付近のバイパス開通)までは、
陸羽西線の地位は相当高かったものと感じます。

> 高崎・宇都宮と常陸多賀を結ぶ臨時列車があったとは、初めて知りました。

高崎界隈での海水浴臨時列車というと、1968年以来の伝統を擁する「マリン・ブルー
くじらなみ」に象徴される新潟方面志向の方が、むしろ主流という感覚もありますね。
多少遠くても、日本海側の方が、混雑度も小さく、海が綺麗であろう点が好感されて
いるのかも知れません。最近は、運転頻度が縮小された反面、特急型車両が充当され、
上越線内では格好の被写体にもなっていますね。

長くなるので、ログを改めます。


投稿者 雑魚
投稿日 9月 9日(土)18時23分55秒
タイトル レス 諸々 02
> 客車列車の分割・併合は、今の感覚からするとたいへん手間のかかる「厄介な仕事」

現行の定期列車では、門司での「富士/はやぶさ」と鳥栖での「あかつき/なは」の
二例ですが、上り便の連結作業時における機関車の遣り繰りは、相当複雑そうですね。
実際には、どの様な段取りになるのでしょうか。

> 日中線記念館に行ってきました。なかなかきれいになっていて、中には展示物が。

写真を見ても、整然とした感じが好ましいですね。これで線路が残っていれば、なお
良かったのですけどね。日中線の命名は「日本と中国を結ぶという、壮大な構想」に
由来するという冗談がありましたね(^^)実際には、熱塩北方の日中温泉に由来した
命名ですが、実際に沿線域とはならなかった温泉名を用いる感覚は珍しいと思います。
なお日中温泉は一度、堰堤湖に沈んでいますが、1993年に新源泉を掘り当て、現在に
至っています(一軒宿)

> ここは熱塩加納村、過去を偲びながらゆっくりした時間を過ごしました(^^)

旧熱塩駅の現在の住所は「福島県喜多方市熱塩加納町熱塩」………ややこしいですね。
昨年までは熱塩加納「村」だったのが、広域化した途端に「町」になったというのも
面白いと感じます(^^)


投稿者 クモイ103
投稿日 9月 9日(土)20時59分12秒
タイトル Re:20系
>あさかぜ様
 当HPの8号車リンク集にある「ARC資料館」の中に、
「編成表のページ」というコンテンツで、「あさかぜ」を含む多数の優等列車の編成の移り変わりが紹介されています。
ご質問の「一番豪華な編成」というのが具体的にどのようなことを指すのか、個人的感覚の世界なので判然としませんが、
ここへ行けばご期待に添う情報があるかもしれません。



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