倶楽部メモ(316)
平成18年 3月29日〜 4月 1日


投稿者 雑魚
投稿日 3月29日(水)09時17分38秒
タイトル 常磐線事情
> 急にエンジン音が止み車内は静かになりました。

不具合ではありませんが、旧客で通学していた頃、駅に停車して音が静かになる度、
雑談に興じていた乗客は皆、ヒソヒソ声になるのでした(^^)

> 同時に照明も消え、非常灯の小さな淡黄色の電球が点るのみ。

日没時間帯に常磐線を利用すると、取手−藤代では交直流切替の為、最大で約20秒
非常灯のみとなり、ある時、事前案内が不徹底だったか、遠来と思しき乗客の方が
すわ事故発生かと、驚いた様子でした(^^)

自前のデータ・ベースを漁っていた処、常磐線と思しきを走行する、14系の画像が
見つかったので掲出します。撮影は2002年の年明け早々で、青列車様が乗車された
惜別運転の少し前ですね。両数も同じですから、案外、同一の編成かも知れません。

> 次の富海駅を発車すると、戸田駅までの僅か一駅間に長短都合4つのトンネル

瀬戸内海の眺めが綺麗な箇所ですね。パシナ倶楽部による下り「あさかぜ」広島→
徳山→下関の運転室展望映像でも見所のひとつで、時々、在来線としては画期的な
超高速運転(再生)で、束の間の瀬戸内旅情を楽しんでいます(^^)



投稿者 うめ さん
投稿日 3月29日(水)20時43分52秒
タイトル はやぶさの旅
約30年ぶりに はやぶさ(広島〜東京)を利用しましたが、まず第一印象は 古さを感じましたね 
そろそろ JRさんも 新しい寝台車の開発を望みますね、、、
だた EF66の機関車の力強さを感じましたよ。昔は EF66は貨物専用だったと思いますが、、、
出発の時の あの ゴトンがなんともいえない感じで 最高でしたが 
家内は その ゴトンのおかげで 全く寝れなかったみたいですがね。夜景をみながらの B寝台の旅でした。
翌朝 子供達が(小 2と幼稚園)楽しみにしていた 富士山もきれいに見えてとてもよかったですよ 
ただ 弁当がね、、、 私たちは 車内販売にすぐに注文したので 富士山を見ながら食べられましたが 
ほかの人たちは 朝ごはんは 抜きだったみたいですよ JRも
そんなことも考えて欲しいですね。食堂車の復活を待っています


投稿者 うめ さん
投稿日 3月29日(水)21時44分9秒
タイトル 追伸
4月23日に総勢10人で SLやまぐち号に乗りますよ 今から楽しみです
感想はまた後日、、、


投稿者 てりてり
投稿日 3月29日(水)22時11分26秒
タイトル 有難う御座います。
 岩崎安房守義将 様。貴重な情報を有難う御座います。災害による特発列車であったようですね。
「あさかぜ」の登場当時、東海道山陽線で遅れた場合に本列車を門司で運転を打切り
門司博多間は4〜5両の客車による通称「門鉄あさかぜ」が運転された、
と何かの本?に書いてあった事を思い出しました。
 雑魚 様。常磐線事情は興味深く拝見させていただきました。
親の実家が沿線に在り、年に何回か利用しました。
その行き帰りに利用した所謂国鉄車(DC急行ときわ・旧客普通を除く)は当該区間は非常灯だけになり、
小さい頃は確かにドキッとしたものです。
尤も、その後上り列車では「いよいよ電車区間に入ったよ」、反対では「ではまたね」と言う合図のような気がしました。
何年か前、久方ぶりに利用したE501型でしたか電車では明かりが消えない事に「あれ?」と意外に感じたものです。
 オッサンの昔話が入った事をお許し下さい。また寒い日が続きます。どうぞご自愛下さい。それでは。


投稿者 雑魚
投稿日 3月30日(木)08時18分48秒
タイトル 定点観測
> 常磐線事情は興味深く拝見させていただきました。

ここ一年ほどの間に、友部−内原の上下線分離区間(現在は電車基地が所在)にて
各種客車を「定点観測」した様子を紹介します。概ね「星カマ」牽引が定番ですね。
最下段に写っているのは、おまけの「乗務員訓練車」です。これはこれで、貴重な
代物ですが、交通博物館の後継施設(さいたま市)に「殿堂入り」が決まっており、
遠からず(あるいは既に?)引退という事の様です。



投稿者 雑魚
投稿日 3月30日(木)13時01分9秒
タイトル 桜と音楽
昼のTV報道によると、東京・千鳥ヶ淵の桜が、見頃となっている様ですね。毎年、
今頃になると「今年こそは宮城県の船岡城址公園に……」と念じています。眼下を
流れる白石川の築堤沿いに走る東北線も、桜を絡めた撮影の名所ですが、手持ちの
ヤマケイ「20世紀なつかしの国鉄客車列車」でも、満開の桜を背景にED75が牽く
茶色の旧客(1979年撮影)が紹介されており「萌え」な光景ですね。

この区間を初めて通過したのは、1970年代の前半に、仙台七夕を見物した時の事で、
往路は旧客による臨時「十和田」で水戸から、復路は12系による臨時「八甲田」で
宇都宮まで、それぞれ利用したのですが、時節柄、空調無き旧客の居心地の悪さに
辟易した往路に比べて、快適で常磐線の様な交換待ちも無く、スムーズに移動した
復路における車窓風景は何とも印象的で、特に白石川沿いの眺めは、その後ある種
旅の「原風景」となった観すらあります。

特別企画として、昨年大ヒットした歌謡曲「さくら」について、手軽に弾ける伴奏
コードを、こっそり御教え致しましょう。原曲と同じ変イ長調(A♭)で歌う場合、
変ニ長調(D♭)変ホ長調(E♭)ハ短調(C-min)ヘ短調(F-min)の四和音を
全音符(一小節に一音)で繰り返すだけで、あら不思議、伴奏っぽくなるのでした。

平易にハ長調に改める場合は、ヘ長調(F)ト長調(G)ホ短調(E-min)イ短調
(A-min)となります。御自宅に鍵盤がある方は御試しあれ。

実は、ピアノには多少の覚えがありまして、客レの「ハイケンスのセレナーデ」や、
キハの「アルプスの牧場」などの車内放送音楽がレパートリーだったりします(^^)
在京時代は山手線で積極的に、発車ベル音を「採譜」したものですが、地元に戻り
久しい昨今、各駅のベル音もだいぶ変わってしまった様すね。



投稿者 さだお
投稿日 3月30日(木)20時22分47秒
タイトル 表記について教えてください
唐突にすみません。
すごく気になっているのですが、「大ミハソ」とか「東シナ」とか
のあとに、スロ54○○などとなっている写真と、「東シナ」などの下に
スロ54○○などと番号が写っている写真があるのですが、書き方に
何か決まりがあるのでしょうか??
法規か、何かの都合上でしょうか?
ご存知の方、何卒、ご教授をお願いいたします。


投稿者 TR71
投稿日 3月31日(金)00時02分21秒
タイトル スロ54の車体色は・・・
初めて書き込みます。TR71といいます。
いつもROMだけなのですが、こちらのサイトで公開されておられる
「昭和33年編成表」「青大将・はつかり色」を拝見させていただいている最中にふと疑問に思ったことがありまして、
今回掲示板に書かせていただきました。
それは、編成表の“さくら”“のスロ54は青大将であったかどうかです。
「青大将・はつかり色」によりますと昭和33年秋には一般色になっている様子ですが、
昭和33年8月頃は実際どうだったのでしょうか?
詳細をご存知の方、よろしければご教示の程お願い致します。

投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 3月31日(金)00時37分28秒
タイトル 客車機材の選定
皆様如何お過ごしでございましょうか?
 本日は強風の為に東京外環状線を行く貨物列車も停滞気味です。
 青列車様、大変な体験でございましたね・・・
 実は14系も発動機故障の対策はありまして、屋根の箱ベンをオープンにして、編成前の貫通妻扉を開け、
忍び錠で各車の貫通扉を開いて解放し、外気を入れると言う原始的なものです。
 485や583の様な電車で緊急時に使われた手(但し東北筋だけだとか)だそうですが、
12系に車軸発電機を付けたのはこんな危機管理意識から、だったそうです。
 確か冷房故障で特急料金の一部払い戻し措置の行列整理をした事が記憶にあり、
通りかかった当該列車車掌が「窓開けたからそんな凄くは無かったけれどね」なんて言っていたのを覚えています。
 20系にも「緊急用」の外気取入方法があったのですが・・・失念!
 雑魚様、大変懐かしく思われる不思議ですが、小生も常磐族なもので
「デッド」(上野では「国境」と言っておりました)の一瞬真っ暗!は「常磐」の証、みたいなものでしたね。
 冷房故障や扉開閉不良より始末に悪いのが「万歳」・・・つまり交直切換失念でして、年に幾度かは・・・
 一度常磐線221列車牽引EF80機が「万歳」してしまって、朝から大混乱になった事がありました。
 法人化してから全く縁が遠のいた団臨ですが、以前は盛んに活動しておりまして、
ウチはJRさんから見れば嫌なお客だった筈です。
 大抵打ち合わせの相手は支社・運行部の運転車両担当様でしたし、
機材(車両)の現認(現場確認)は直接基地まで押し掛けたものです。
 企画は先ずダイヤの確保、線路図の確認又は作成からスタートで、季節・団体構成から機材の選定をするのですが、
弁積(弁当積み込み)の有無でほぼ機材が決定しました。
 積み込み有りなら在来型一般車(オハニかスエ)・12系、
特装列車なら尾客欧(レインボー)か仙台運転所和式「中華(オリエントサルーン)」或は高崎和式「くつろぎ」・・・
これらは窓の開閉か資材積み込みを考慮した設計がされていて、短時間の荷扱が容易だったのであります。
(電車なら三鷹電車区展電「アルプス」か勝田電車区欧風「ゆう」)
 また発動機故障の際の対処や、急病人発生時の緊急搬送先等の確認、
その後運転ダイヤ(乗務員ダイヤ付)を作りまして当局へお伺いを立てるものですから・・・
まぁ大抵やり取りの相手は上野時代の先輩だったりして、仕方無いねぇ〜と言われて承認を頂いたものです。
 列車番号も機材もほぼ「申請」通りになる上、沿線の鉄道マニア対策で「対策班」を潜行させる事も多く、
ダイヤ呉れだの停車時間増やせだの、随分無理を言いました・・・
 お陰でJRを除き在来型一般車列車運行実績は最長(JR化以降)、無事故で無死傷を作れたのですが、
臆病な程のイレギュラー対策は何より必要なのやも知れません。
 なのでMoonLightExpressは小生の密かな誇りでもございます。
 沿線で撮影されていた方にも随分失礼致しましたが、全ては「安全・定時」の為、
これが重なってイベント列車は1本1本運転を続けて行けるのです。
 在来型一般車は他者による運行事故が引き金でJR以外の運行が実質ダメになりまして、
「夜行のスハフ32」を皆様に御提供出来なくなったのは残念です。
 そう言えば・・・14系がイベントに適している1点があります。
これは客室内に100ボルト家庭用交流電源端末がある事で、
配電盤をいじるとスハフからテレビ放送中継が出来るだけの電源確保が容易に出来る点です!
(尾客欧客で38時間中継として列車内放送中継をした事がありました・・・)
 団臨や企画臨の話題は余りございませんが・・・もしかすると板違いかも知れません!その節はお許し下さい。
投稿者のホームページ


投稿者 雑魚
投稿日 3月31日(金)12時54分23秒
タイトル 画像 クイズ
>「デッド」(中略)の一瞬真っ暗!は「常磐」の証、みたいなものでしたね。

事情を知らない周囲の乗客の反応が楽しみだったりします(^^)

さて、唐突ですがクイズです。画像の客車基地は何処でしょうか……って、右上の
高架線でバレバレですね(^^)四年前の撮影ですが、これらの座席車は何の運用に
供していたのか、未だに良く判りません。

この後、並行私鉄で三駅分、大きな河の鉄橋を介して、某要衝駅まで、二時間近く
ブラブラ散歩したのですが、要衝駅の裏手に広がる広大な貨物駅は、現役ながらも、
程良い草生し具合で、雰囲気満点でした。NHK番組「その時歴史が動いた」では、
東京駅で1930年に発生した浜口首相狙撃事件を、この貨物ホームで再現しましたが、
浜口首相が乗車する予定だった「つばめ」に似た編成を横付けする様な細かい芸は、
さすがにありませんでした(^^)

場所が場所なので、いつ再開発の対象になっても不思議は無く、今後の動向が注目
されますね。


投稿者 クモイ103
投稿日 3月31日(金)22時32分31秒
タイトル Re:表記について教えてください
 久々に私の出番(笑)…
 さだお様、はじめまして。客車の所属を表す標記方法は、年代によって変遷しています。

 ご質問にあるような、所属標記が車号標記に隣接していたのは、昭和20年代前半から30年代半ばまでの時期でした。
はじめは左に所属、右に車号が、それぞれ上下2段で書かれていました。
しかし昭和27年8月20日の図面変更により、上段に所属、下段に車号という並び方に変更されました。
なお、その後昭和34年6月には、車両塗色及び標記方式規程の改定に伴って、
所属標記は現在のように車体側面左下隅に移動しています。

 所属標記は、もともと戦前は現在と同じように左下の隅でした。
それが車体中央の目立つところに出てきたのは、実は戦後の混乱期の事情だったのです。
物資が不足していた当時、すり減ったブレーキシューを交換できないまま走り続け、
運用途中で危険と判断され、編成から抜かれて所属区に戻れない客車が続出したといいます。
また、運用上入区してきた他区の編成から状態の良い車輌を抜き取って、
自区の状態不良車と差し替えてしまう…という行為があったとも巷間言われています。
とにかく、「混乱した客車の所属を一目で識別し易くする」ために、標記の方法が変更されたようです。
 昭和34年の規程改定で、戦前と同じ標記方法に戻ったことは、
「もはや戦後ではない」と言われた時代背景と、無縁ではないように思います。


投稿者 クモイ103
投稿日 3月31日(金)22時56分15秒
タイトル Re:スロ54の車体色は・・・
 TR71様、はじめまして。
 手元になく記憶頼りですが、いさみやロコワークスから出ていた編成記録の本から、
昼行不定期時代の「さくら」のスロ54は、最後(昭和33年夏期の運転)まで青大将だったと思います。
 なお、33年5月16日の時点ですが、当HPの編成記録に出てくる4両のスロ54のうち
少なくとも20、21は青大将だったことが、過去のピクトリアル誌の記事から読みとれます。


投稿者 103列車機関士
投稿日 3月31日(金)23時04分38秒
タイトル
雑魚様。
大ミハですか?
天リウは今どんな風になっているのかご存知でしたら
ご教授ください
なにか面影がありましたら偲びに行きたいと思います


投稿者 さだお
投稿日 4月 1日(土)00時05分30秒
タイトル ありがとうございます
クモイ103様。ご丁寧な解説、ありがとうございました。
時代が偲ばれる改定なのですね。
昭和34年6月といいますと、つばめ、はとが青大将色で
走っていましたよね。
この車両達も、順次、標記が変更されて行ったのでしょうか?
それとも、最後まで変更はなかったのでしょうか?
話しは変わりますが、ナロ10の出入口の表示が、特別2等から
ただの2等になったのも、このときの改定なのでしょうか??
料金にも違いがありそうですね。
また、3等車は3等車のままなのでしょうか?
ほんとに、考えだすと、奥が深くて眠れない思いです。



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