倶楽部メモ(315)
平成18年 3月26日〜 3月28日


投稿者 てりてり
投稿日 3月26日(日)21時36分56秒
タイトル 14系座席車について
 ご無沙汰しております。
何せ最近気が抜けた状態でいたものですから。皆様の書き込みを呼んでおりました。
さて、所謂「急行」用として12系座席車が登場した後「特急」用として14系座席車が登場したのは御存知の事と思われます。
その14系ですが「つばさ」「あけぼの」が臨時特急として使用されましたが、他に使われた事がありましたでしょうか?
思いつくものが在りません。
「銀河」「雲仙」「霧島」「十和田」「八甲田」「大雪」「まりも」「はまなす」
と言う名前が出てきますがいずれも急行列車です。
 私もNゲージで7両保有していますが、何か特急列車を再現してみたいものです。
恐れ入りますが、御協力の程をお願いいたします。



投稿者 旧保津峡駅
投稿日 3月26日(日)21時51分57秒
タイトル 14系臨時
テリテリ様
ヘッドマークはなかったですが、EF81の引くL特急雷鳥の臨時が14系の12両編成でした。
どうどうたる青い「雷鳥」の姿に当時は興奮したものです。1983頃の話です。


投稿者 急行音戸
投稿日 3月26日(日)22時25分39秒
タイトル 14系臨時その2
てりてり様
はじめまして、急行音戸と申します。1
4系座席車使用の臨時特急ですが、実見したことは無いのですが、山陽特急の『しおじ』はいかがでしょうか?
私もNで所有してますが、K社(社名って書き込んでいいのでしょうか?)の場合、
『踊り子・つばさ・臨時・しおじ』とサインがありますので、
同社から発売されている、『EF65-500or1000番台初期型』に牽引させてたらドンピシャ!と思います。
幸い、1000番台初期型の方は、『しおじ』を牽引した、下関運転所所属時代の『1018・1022』のナンバーが付属しています。
もちろん両機とも当鉄道に所属しており、『14系しおじ』の運用に入ってます(笑)
鉄道ピクトリアル757号に詳しく記載されていますが、S47.3.15のダイヤ改正で、
しおじ、あかつき、つばさ、ゆうづるといった予定臨時列車が設定されてます。


投稿者 ガンバレール
投稿日 3月26日(日)22時55分15秒
タイトル 14系と24系
 話題に上っている14系座席車は既にJR東日本に無く、
14系のエンジン音を上野駅の車止め付近で楽しめるのは北陸号だけ。
座席車は、臨時のEL&SL奥利根号のみ(12系)という寂しさです。
 私も、叶う事ならばスハフ14のエンジン音を子守唄代わりに、
上野から十和田や八甲田にもっともっと乗っておけばよかったなぁと、今更ながら後悔しております。
 しかし、北斗星は先日のダイヤ改正で本州内(青森信号場〜上野間)で編成の向きが逆転しています。
 国鉄時代の「ゆうづる」や、デビュー間もない頃の北斗星のように、
電源車カニ24を毎日上野駅の車止め(中央改札)方向に向けている光景は、
私のように三十路過ぎの客車ファンには懐かしい姿であり、旅情を感じさせるものと思います。

 しかし、スハネフ14のエンジン音も高らかに東京駅を旅立ってゆく「14系」の姿には、
往年のさくらやみずほの面影が重なります。
投稿者のホームページ


投稿者 雑魚
投稿日 3月26日(日)22時58分1秒
タイトル 痛恨の 14系
>「急行」用として12系座席車が登場した後「特急」用として14系座席車が登場

……であるにもかかわらず、使い勝手の為か、JR東日本では、12系よりも早く
淘汰されたのは皮肉な話でしたね。画像は、丁度四年前に上野−黒磯を往復した
惜別記念列車です。往路は、御覧の様に青い電機が、そして復路は、赤い電機が
それぞれ重連で牽引するという、ニクい演出がありましたが、より絵になる筈の
復路便は、なぜか悉くピンボケになってしまい、何とも悔しい限りでした。

さて同系車両の運用ですが、特急用として設計されながら、特急としての運用は
殆ど思い当たるフシがありませんね。御座敷「ゆとり」の前身「サロン東京」が
一時期「そよかぜ」運用で碓氷峠を往来した事はありますけど。この車両または
やはり欧風改造車の「レインボー」が、上野−会津若松の臨時運用に就いた事は
ありますが、これは急行扱いでした。そういえば「レインボー」は、1987年春の
デビュー直後に「レインボーまつしま」として上野−仙台を往復しており、私も
仙台観光の帰途、乗り合わせた事があります。なお、車内で上映されていたのは
あの人気時代劇「必殺シリーズ」でした。

14系ハザというと、私が経験したのは「利尻」「天北」「津軽」「八甲田」及び
臨時「銀河」ですかね。常磐線沿線の癖に「十和田」は旧客仕様の臨時(1973年
当時)しか利用した事がありません。



投稿者 青列車
投稿日 3月27日(月)00時11分20秒
タイトル 【14系座席車】お世話になりました
お邪魔しますm(_ _)m
おや?14系座席車のお話ですか?大好きな車種です。
急行音戸様ご指摘の山陽L特急「しおじ51〜55号」、幼い頃憧れの目で見ていました。
昼間走る客車特急。田舎の鉄道少年(当時)は萌えました(爆)。
しかし哀しいかな、定期列車でない故か?先頭に立つEF65にはヘッドマークもなく、
またグリーン車はともかく(異世界の存在でした…下層階級の家庭の、しかも後妻の子の立場だった私には)、
食堂車がないのはとても寂しく、物足りない思いでした。
最初は12系で運転され程なく14系に変わりました。
サボ受けの「Lしおじ」の標記も懐かしく思い出せます。
ただ…文献などではEF65-500のエスコートする雄姿の写真が紹介されているのですが、
私の記憶では専ら1000番台車ばっかりです。
当時の下関にはあのEF65-1019もいたはずですが、特別な印象は残っていません
(それがまさか後にあんな目立つ存在になるなんて…当時の小学生鉄ちゃんが予想できるはずもありません。
もっとも、その頃はカマの個体識別はさして意識していなかったのですが…)。
臨時しおじ、臨時あかつき、臨時金星…14系座席車による特急列車は結構頻繁にあったのですが、
結局特急列車での14系座席車体験はできずに終わりそうです。
私の14系「初体験」は1975年8月、15歳の時の事でした。
夏休みに運転された海水浴客輸送用の臨時快速列車になんと!14系が投入されたのでした
(列車番号から客レだという事は事前に判っていたのでこの列車の時間に合わせて出かけました)。
「阿蘇」号、「銀河51」号、「能登」号、「加賀」号…いずれも急行(定期・不定期)列車。
流石に客レだけあって、車内は静かでした(言うまでもなくスハフは別ですよ)(^^);。
ただ、「能登」での体験で印象に残っているのが…スハフの隣りのオハに乗っていたのですが、
走行中は殆ど気にならないスハフのエンジン音が駅に停車中却って目立つ事
(どうやらホームの側壁で音が反射するせいのようです。
同じ理由で?特にトンネル内では音が急に五月蝿くなりましたから)でした。
「銀河」51号利用の時は嬉しい事に先頭に立ったのがEF5861!カマが何であれ、客車の乗客には直接関係は無いものの、
そこはそれ、特別なカマがエスコートしてくれるとなるとより嬉しいのが「鉄」もののサガです。
ところで…雑魚様の撮られた写真は2002年3月の東北本線最終運転の時のものでしょうか?
実は私、その列車乗っていました(^^);後ろから2両目。進行方向右側、但し通路側のB席。
因みに車内も「鉄」様御用達。
あちこちの「お立ち台」で三脚や脚立や路上駐車(笑)が所狭しと林立するさまには皆さん注目していたんですよ(^^);
往きのエスコート役はEF651101+EF651100。
元東京機関区花のブルトレ組のメンバーです(なんていうと某少女アイドルチームの卒業生みたいな言い方ですね)(笑)。
先日総武快速E217の車内から、新小岩駅で発車待ちのこのEF651101号機に再会したのですが、
身に纏う「制服」が変わっていました。国鉄特急色が何時の間にか…JR貨物更新機塗装に。
あれからそろそろ4年、決して短いとは言えない時間が経った事を改めて思い知らされたのでした。



投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 3月27日(月)00時20分10秒
タイトル 14系ハザ
踊り子とつばさしか思い浮かばない(^^;
485つばさに比べればグリーンも無いし食堂車も無いし。波動輸送とはいえ薄命の原因はこれでしょう。
ちょっと自信がないのですが能登とか妙高にも使ってなかった?

雑魚様 陸羽東線あけぼのはたしか新庄で機関車交代でしたよ。


投稿者 雑魚
投稿日 3月27日(月)10時04分7秒
タイトル 14系諸々
> 座席車は、臨時のEL&SL奥利根号のみ(ガンバレール様)

我が地元に近い水郡線で時々運転される団臨用の編成ですね。JR東日本の場合、
磐越西線のSL列車用改造編成がありますが、原型で残っているのは、この編成
のみでしょうか(他社では 1-2編成が残っている模様ですが、詳細は判りません)
ジョイフル・トレインにしても、現在は「ゆとり」「浪漫」が残るのみと、座席
客車は本当に少なくなりましたね。

>「利尻」「天北」「津軽」「八甲田」及び臨時「銀河」ですかね(拙稿)

「まりも」「ニセコ」を追加します。当時は「北海」「ニセコ」が、山線経由の
貴重な定期便として、函館と札幌を結んでいました。何れも、ストッパー無しの
簡易リクライニング腰掛なので、夜行列車では、寝惚けて「バタン」という事が
あちこちで発生するのが、ある種の風物詩でしたね(^^)

> 2002年 3月の東北本線最終運転の時のものでしょうか?(青列車様)

その通りです。確か、三月末日(日曜日)の運転でしたか。

> 実は私、その列車乗っていました(青列車様)

おや、ニアミスでしたか。窓を開けて手でも振って頂ければ、応えましたものを
……って窓は開きませんね(^^)往復共に乗車されたのでしょうか。黒磯駅では
数時間、折返し待ち時間があったので、何か「鉄」向きのイベントがあるかなと
思いつつ、復路便が来るまでの間、男体山を絡めた鬼怒川撮影に興じていました。

>「お立ち台」で三脚や脚立や路上駐車(笑)が所狭しと林立(青列車様)

画像は宝積寺−氏家の広域農道陸橋からの俯瞰です。開通して間も無い頃ゆえか
意外と人出は少ない状況でした。ここは、水戸郊外の自宅から最も近い東北線の
撮影場所でして、福島県方面に遠征する気力が無い時は、ここで御茶を濁します。

なお、痛恨の復路は、氏家−蒲須坂の水田地帯で撮りました。冬場ですと冠雪の
高原山や那須連山を背景に、なかなかの構図です。添付画像は、同所を通過する
団臨扱い「ユーロ・ライナー」および「エルム」です。前者は五年前の撮影です。
引退直前の約一年前も東北線に入ったのですが、この時は長期出張中で、撮影に
行けませんでした(泣)

後者の場合、上りの通過は11時頃ですので、遠出はしたくない、早起きも面倒な
時には、うってつけの被写体ですね(^^)時刻表の記載が無い日でも修学旅行の
集約臨など(以前より運行頻度は小さくなりましたが)運転されている様ですね。

> 能登とか妙高にも使ってなかった?(下総守こみやさん)

1983年に刊行された保育社「国鉄の車両/上越・信越線」記載の編成表によると
金サワ「能登」北オク「妙高」共に、座席車五両、寝台車三両の14系編成でした。
(ただし「能登」のみマニ連結)

> 陸羽東線あけぼのは、たしか新庄で機関車交代でしたよ(下総守こみやさん)

なるほど、要衝ゆえ機関区はあったでしょうからね。当時、下り「あけぼの」の
陸羽東線通過時間帯は、夏場に辛うじて撮影が効くという感じでしたか。雑誌で
何点か「出雲」風の走行場面の写真を見た記憶があります。


投稿者 青列車
投稿日 3月27日(月)22時09分38秒
タイトル Re.14系諸々
>>雑魚様
02年3月の14系最終運転のイベントですが、黒磯駅では1時間程度のインターバルがありました。
その時はフリータイムでもあったのですが、その際普段は窺い知る事のできない貴賓室を見学する事が出来ました
(といっても、入り口のドアが開けられそこから覗き見るだけですが)(^^);

また、駅に到着した際、大音響が轟きました。
というのも、黒磯駅1番ホームには特設ステージが設けられ、「巻狩太鼓」の演奏が披露されたのです。
おそらく春休み中一生懸命練習したであろう地元小中学生の、まだまだ荒削りながらもその真摯な演奏はお見事。
私も含め乗客達は万雷の拍手で熱演に応えました。

しかし…大幹線である東北本線の、それも要であろう黒磯駅の1番ホームを1時間以上塞いでいたというのに、
定期列車に何ら影響が無い…というのはいささか寂しくもありました。

沿線では「撮り鉄」派の諸氏が、車内では「乗り鉄」派の諸氏が、其々万感の思いを込め、
まだまだ早過ぎる引退を惜しんでいました。
この日たまたま隣りの席だった方はJR東日本の現職氏。初対面では在ったもののそこはお互い「鉄」同士。
いつしか話も弾みましたが、氏の話では、JR東日本内部でもこの働き者の引退を惜しむ声は多いとのことでした。
(居住性に関してはけっして今時のクルマにも劣っていませんし、
車輛自体もさして傷んでいる様子もなく=多少塗装に色褪せはありましたが=走行性能に劣るとも思えなかったのです)。
定年にはまだ遠い働き盛りがリストラで職を失うようなその運命には落涙を禁じ得ない思いでした。
(しかしまさか自分自身が同じ目に遭うとは…その時は予想だに出来ませんでした。
来月からは取敢えず職業訓練学校に通います。40代なかばでの再就職は…茨の道です)。


投稿者 てりてり
投稿日 3月27日(月)23時28分47秒
タイトル 皆様 有難う御座います
 旧保津峡駅 様、急行音戸 様、ガンバレール 様、雑魚 様、青列車 様、下総守こみやさん 様、
皆様、私のしょうがない質問に丁寧なご協力、誠に有難う御座いました。
私の保有しているのは急行音戸 様と同じ「チョットダケヨーン」の会社の14系で御座います。
所謂昭和時代の製品ですが、今なお現役であります。
しかし当鉄道も分散式動力列車の進出で客車列車は些か影が薄くなりつつあります。
しかし、これを機会に機関車客車共に心機一転整備して走行させようと考えております。
 そういえば国鉄時代は、急行「50何号」・特急「80何号」と言うのは臨時列車の番号でありました。
夏の時刻表の「臨時列車」のページを思い出します。
ヘッドマークは無かったと書かれて居りますが、やはり優等列車の風格はあったのでしょう。
12系14系共にオリジナルはおろか改造車両も少なくなり、
一部は日本での廃車後、他国で活躍しているとも聞き及んで居ります。
兎角評価の薄い様な一族ですが影ながら応援をしてまいりたい所存です。
 ご協力を頂きました皆様方には重ねて厚く御礼申し上げます。


投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 3月28日(火)04時20分55秒
タイトル サボについて
12、14系だと行き先方向幕には駅名だけ。種別列車名の表記はありませんでした。
くるくる回していると全国各地の駅名が(^^;ちなみにそれがどこにあるか全部わかっているよ。えっへん!(o^^o)
ところで旧型客車の車体中央についているサボは急行でも行き先だけ表示してあったような。
出入り口には種別と愛称名のサボがありましたが。
気動車電車になってから種別愛称名入りのサボが出入り口の上に。
これは私の記憶だけなので実際のところどうなのでしょうか?


投稿者 雑魚
投稿日 3月28日(火)08時25分1秒
タイトル 黒磯駅
> 普段は窺い知る事のできない貴賓室を見学する事が出来ました

最近は新幹線御利用の場合が多いと聞きます。愛子様は既に御利用になられたかな。

> 黒磯駅1番ホームには特設ステージが設けられ「巻狩太鼓」の演奏が披露

14系ハザという世間一般には比較的馴染みが無い車両の引退記念としては、破格の
待遇という印象もありますね。

> 黒磯駅の1番ホームを1時間以上塞いでいたというのに、

あれだけの要衝にあって、新幹線の駅が旧・東那須野駅に設置されると聞いた時の
黒磯駅関係者の心境たるや、推しているべし、という事でしょうか。塩原温泉郷や
大田原市街の玄関口として機能した西那須野駅との折衷の結果と理解していますが、
運行事情本位で考えれば、やはり黒磯駅に停めた方が諸々の意味で集約的だったと
今でも感じてしまいます。

> 12系14系共にオリジナルはおろか改造車両も少なくなり、

御参考までに「SLばんえつ物語」に使用されている改造12系の画像を添付します。
中間の展望車が特徴的ですね。


投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 3月28日(火)21時24分33秒
タイトル てりてり様へ
皆様御無沙汰しております。岩崎安房でございます。
 さて、てりてり様、イレギュラーとしてですが、57年2月豪雪の際に遅れ第21列車として
「はつかり」1号が7か8両の尾久客車区14系座席で転がされた事があります。(確かスハフ+オハ〜オハ+スハフ)
 記憶違いで無ければEF58機牽引だったと・・・
 上野駅案内所勤務の頃でダイヤが乱れどころか自宅の南流山から上野まで辿り着くのも決死的で、
情報が無くてヘロヘロで地平に降りたら「ブィ〜ン」と発動機の音と煙・・・
 カメラ持って来れば良かった!と後悔・・・したのは数日後でした。
 この他、車が回らなくてたまたま団臨で尾久客車区へ入れようとした14系6両をそのまま「代替ひたち」に使ったとか、
14系は伝説が多く、道内では確か「北海」の代走例があった筈です。
 乗る側から見ると、冷房故障や発動機故障の際に窓の開閉が出来ない14系は「両刃」で、
とある企画で14系が使用機材に指定された際にはクビを覚悟で12系差し換えを進言しに行ったり、
C623機復活の際にも14系を殆ど子供の駄々の様に嫌々して先輩達を困らせたものです。(笑)
 嫌いと言うより、「危機管理」の観点からすれば、窓や扉から手足を出して・・・と言う危険より、
「窒息」の方が恐ったものでして・・・
 蛇足ですが・・・C62ニセコは1度だけスハフ14×1両を「増結」した事があります。
団体輸送の関係だったのですが、とても評判悪かった・・・そうです。
投稿者のホームページ


投稿者 青列車
投稿日 3月28日(火)22時38分16秒
タイトル 【14系】電源故障に遭遇しました
>>岩崎安房守義将様
14系客車には電源故障時の換気…という危惧があったのですか…なるほど、一利用者の立場では思いつきませんでした。
さて、タイトルどおりですが実は私、そんな事態に遭遇した事があります。
今を去る事四半世紀以上も前(!)の1979(昭和59)年8月のこと。
山陽線防府駅から乗ったのは海水浴客輸送の臨時快速列車。
14系座席車6両の編成でした(エスコートするのは広島区のEF58)。
団体需要があったせいか?一般客が乗車できたのは最後尾1両のみ。床下からはエンジン音が響いてきます。
しかし、列車が防府駅を発車して程なく、急にエンジン音が止み車内は静かになりました。
と、同時に照明も消え、非常灯の小さな淡黄色の電球が点るのみ。
時刻は15時台ですのでその時点では特に実害は無かったのですが、すぐに困った事態が発生します。
そう、次の富海駅を発車すると、戸田駅までの僅か一駅間に長短都合4つのトンネルを潜ります
(それが故に山陽本線の電化は広島〜小郡間が最後まで残ってしまいました。
もっともそれ故私もギリギリC62の牽く列車に乗れたのではありますが…)。
トンネル内は当然車内は真っ暗…とはいえ非常灯だけは点いていたので漆黒にはならずに済みました…で通過します。
戸田・福川・周防富田(現 新南陽)は通過し、列車は徳山駅に到着。私はこの駅で下車しました。
乗車時間はせいぜい35分程度でしたので私は特に暑いだの息苦しいだのの感触はありませんでしたが、
8月の山口県の瀬戸内海側、しかも快晴、強い西日が森羅万象を焦がし、気温はおそらく30度ぐらいはあったはず。
この列車は広島県まで走ります。この先光・柳井・岩国・宮島口…車内はどうなっていったのでしょう?
徳山駅到着時、スハフの周りには数人の職員氏の姿がありました。
無事トラブルが解決し、照明もエアコンも復旧したなら良いのですが…
この日は6両編成中、スハフは1両のみでした。
もし前後ともスハフだったら或いは電源供給区分を切り替えるだけで済んだのでしょうが…
189系のように一部の窓が開閉できる構造であればもう少し対応も違ったかも知れませんね。
何故14系座席車にこれが採用されなかったのでしょう?部外者には知る由もありません)。


「客車倶楽部」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから