倶楽部メモ(308)
平成18年 2月17日〜 2月24日


投稿者 てりてり
投稿日 2月17日(金)19時29分14秒
タイトル 真打登場ですね
 失礼します。雑魚 様。何時か出るなと考えておりました。
あの曲を聴くと、日本ではC53で採用された『3シリンダー』の旋律をオネゲル氏は入れたのではないかと考えています。
と申しますのも映画『鉄道信号(1940年鉄道省製作)』の最終部分、
京都駅を出発する時にはっきりと3シリンダーの音が聞こえますが、
これが『パシフィック231』の冒頭部分の旋律に似ております。
欧米では3シリンダー方式が多く採用されたと聞き及んでおります。
作曲時期は1930年前後のはずですから多分は…と思います。
 参考までにC521(8200号/ALCO・米)は1925年10月製造、C531号(汽車製造)は1928年3月製造との事です。
 ドヴォルザーク氏の鉄道好きは聞いた事があります。
『アメリカ』と言う曲の中に列車音を思わせる場所があると聞いたことがありますが、
さて何処でしょうか?今でも謎です。
 漫画『究極超人あーる』は以前飯田線を主な舞台としたアニメーション作品がありました。
劇中の「飯田線のバラード」はいい曲ですね。
丁度その頃、所属していたサークルが正に『光画部』状態でした。
携帯もパソコンも遠い存在でしたが、今以上に鉄道という趣味にハッスルしてた今はただ懐かしの思い出です。
 モーツアルトの頃は鉄道はありませんでしたが、
後のシュトラウス(一家)作曲に『観光列車』『テープは切られた』がありますね。
 何やら可笑しな方向に行ってしまった事をお許し下さい。それでは。



投稿者 雑魚
投稿日 2月18日(土)08時12分24秒
タイトル パシフィック 231 (2)
> これが『パシフィック231』の冒頭部分の旋律に似ております。

NHK「新日本紀行」主題曲を手掛けた冨田勲氏も同曲のシンセサイザー編曲版を
手掛けています。以前、あるTV番組で、蒸機のブラスト音の合成方法を紹介して
いた事がありますが、同様の手法が多々盛り込まれ、かなり重厚な仕上がりでした。
確か、警報機が鳴る踏切を「ドップラー効果」で通過する演出もありました(^^)

> 飯田線を主な舞台としたアニメーション作品

下山村→伊那上郷(飯田市街)の迂回区間でのトライアルは、自分と同じ様な事を
考えている手合いがいたかと、思わず、ほくそえんでしまいました(^^)原作では
信州方面と思しき夏合宿旅行で「岡科駅」という、いかにも信州風の架空の駅名が
登場したのが傑作でした。


投稿者 てりてり
投稿日 2月19日(日)18時24分7秒
タイトル パシフィック231について
雑魚 様。貴重な情報を有難う御座いました。
今日、確かに電車を題材にした曲はありますが、もうこの様な蒸気機関車(列車)を題材にした曲はあまり出ないのでしょうか?
そう言えば、以前ニュース映画でC62型機関車が登場した時(1948年1月)の背景音楽に流れておりましたが、
確かあの車軸配置なら『ハドソン232』では無いかしら…と突っ込んでしまいました。
 漫画ですが、確か「ベッカン湖」で釣り人の人を釣り上げましたね。
「記念に魚拓でも採るか」「リリースしてあげなさい!」のやり取りも笑えました(解らない方、申し訳ありません)。
もう20年前の漫画ですが、同時期を似た様な事ばかりやっていた私と重なります。
 またおかしな方向に行ってしまった事をお許し下さい。それでは。

投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 2月19日(日)23時54分28秒
タイトル 出雲に乗ってきました
大盛況満席でした。
ただし堅気の者(?)は少なくて車内販売は浜坂鳥取間のみで車内巡回無し。
しかも営業していない食堂車にある自販機は故障。廃止やむなし。
ここまで落ちぶれると情けないやら悲しいやらで危篤の年寄りを見舞いにいった心境と同じになりました。
雑魚様私もSL=どっこい大作です。
あのオープニングの映像とテーマ音楽が(^^)映画で私が好きなのは古いイタリアで鉄道員。
冒頭部分で走る列車と音楽がベストマッチその後のストーリーは悲しいけど。
管理人様ごめんなさいm(_ _)m私は竹の子の種(?)を蒔いてしまったようですf(^^;


投稿者 雑魚
投稿日 2月20日(月)08時06分48秒
タイトル 「出雲」 憧憬
> 出雲に乗ってきました

おお、羨ましい。山陰線の沿線は、三脚組が多数出没していた事でしょうね。大山の
冠雪振りも見事だったと拝察します。雪の秀峰を背景に「♪一度限りの〜一度限りの
人生を〜」と、ゆっくりと、然し力強く驀進する様子は、さぞ絵になった事でしょう。
これで「喜劇・急行列車」よろしく故・渥美清さんが車掌を務めれば完璧かも(^^)

残念ながら、私には「出雲」に惜別乗車するだけの金も暇も体力も(女房殿の許可も)
ございません。せめて、子供を連れて「SLもおか」でも乗りに行きますか。



投稿者 雑魚
投稿日 2月20日(月)16時56分31秒
タイトル 何てこった ……
常磐線周辺の情報で定評がある「さんすけ写真館」なる個人サイトを、何気なく見て
いましたら、昨年の今頃以来、一年間、待ち焦がれていた水郡線の12系団臨が、何と
この週末に運転された様なのです。鉄道誌の運転情報など、注意した積もりでしたが、
何たる不覚………思い切り凹んでいます。余りにも悔しいので今夜は同僚を無理矢理
赤提灯に誘って自棄酒に走ろうと思います。

※画像は昨年運転の様子です。水郡線静−常陸大宮にて



投稿者 千コノ
投稿日 2月21日(火)17時15分4秒
タイトル 出雲に乗ってきました
18日東京発の出雲に乗ってきました。
同業者が大変多くて殺伐とした感じでしたが,
東京口から食堂車つきの正統派ブルトレの最後の生き残りを
堪能してきました。
EF65 DD51 オシ24 オロネ25ついこの間まで
当たり前だった車両たちですが,改めてみると伝統の最後の継承者は
出雲だけになっていたのですね。
 同行者と内田百關謳カを偲んで食堂車でお行儀の悪い長尻(笑)
 (豊橋までがんばりましたが記憶がありません)
 出雲市でとんぼ返りなどをしながら堪能してきました。
 オシ24で呑んだ一夜は貴重な思い出になることでしょう。
 出雲市駅で引き上げる出雲を見たときは,余命いくばくもない友人の病室を辞すようでした。
 出雲号も,まもなく内田百關謳カのところへ発車してしまうのですね。
 内田先生!このたびのダイヤ改正で,そちらの列車がまた1往復増発されるそうですよ。


投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 2月21日(火)23時34分14秒
タイトル とんぼ返り
千コノ様も出雲市には何も用事がないのに(^^)
私もそばとしじみの味噌汁食べに行ったような感じ。
帰りは飛行機で中部国際空港に飛びミュースカイに乗ってきました。
ただでは帰って来ないこみやさんです(^^)
内田百關謳カは高校時代に教師から教わり読みました。
あの頃は旧型客車の暖かいぬくもりがあったのですが。
でもまだまだ用事のない旅はこれからも。
帰り道には大切な用事がありますけどね(^^)



投稿者 白星屋伊豆兵衛
投稿日 2月21日(火)23時37分27秒
タイトル キリ番を記念して
いつも拝見しているだけだったのですが、思いがけず784000のキリ番を踏ませていただいたので、
記念に一枚貼らせていただきます。
昨年1月東京駅で撮影した末期の「さくら」です。
幼時から20系寝台列車に憧れながら、乗車できたのはただ一度。
それも昼間利用の「さくら」ナロネ21での博多−佐世保の往復旅行でした。
1971年の事でしたから、後から考えれば14系に置き換えられる直前の事だったのですね。
その14系の「さくら」も消えると聞いて、何とかもう一度乗車したいと願ったのですが果たせず、
この時東京駅で見送ったのだ最後となりました。
今年もまた「出雲」が消えようとしていますが、残念ながらこちらにも乗れそうにありません。
この「さくら」の写真を撮った頃には、夕方の東京駅でブルトレの撮影チャンスが
まだほとんど毎時一回ずつくらいはあったものが、3月以降は僅か2回になってしまうのですね。
本当に寂しい限りです。

どうも、お邪魔いたしました


投稿者 雑魚
投稿日 2月22日(水)11時30分50秒
タイトル 阿房列車
> 出雲号も,まもなく内田百關謳カのところへ発車してしまうのですね。

「阿房列車」ですか。汽車旅そのものを目的とした内容は、同様の趣旨に基く旅行で
周囲から奇特視された学生時代、ちょっとした心の支えでした(^^)宮脇俊三さんも
自らの先達と見られていた様ですね。

> ただでは帰って来ないこみやさんです(^^)

う〜む、私と同じ発想の方がいらしゃいましたか。試乗の機会があれば、以下の様に
画策しておりました(思い切り願望倒れですけどね。しかし急行「かすが」が上手く
組み込めないのは残念至極)

一日目)下り「出雲」車中泊。
二日目)出雲市まで完乗。出雲大社・松江を観光後、上り「出雲」を介して鳥取投宿。
三日目)鳥取発「はまかぜ」で大阪に出て、近鉄特急で名古屋へ。あおなみ線および
    名鉄空港線を乗り潰し、名古屋で飲んだ後「銀河」で帰途に就く。

さて、不覚にも撮り逃してしまった水郡線の12系団臨ですが、今年から前後の回送は
従前の両毛線・水戸線経由から高崎線・常磐線経由に変更されたとの事です。つまり
画像の様な場面は過去帳入りという事で、そう考えるとほんの少しだけ溜飲が下がる
気が致します(^^)


投稿者 うめ さん
投稿日 2月24日(金)00時51分34秒
タイトル 急行(きたぐに)青森〜大阪
昭和48年でしたが 大の鉄道ファンの私が 高校の冬休みを利用して 
北海道列車の旅に広島から 急行(つくし)で名古屋 ハイウエーバスで東京、
上野から青森(列車名 忘れる)青森、青函連絡船で 函館から札幌に急行(宗谷)で稚内に急行(利尻)で札幌へ 
帰りは札幌から急行(忘れる)函館、青森から急行(きたぐに)で大阪にそして 広島に無事帰り着きましたが 
10日間くらいで 冬の北海道を満喫?網走とか帯広にまで とにかく
列車の旅をしたことを良く覚えております。私も50を過ぎ 忘れていました
本当の旅を 時間をかけてゆっくり行きたいですな 新幹線、飛行機も良いのですが
やはり 夜行列車は最高でした


投稿者 雑魚
投稿日 2月24日(金)07時07分37秒
タイトル きたぐに
> 青森から急行(きたぐに)で大阪に

昭和48年というと、北陸隧道で不幸な事故があった翌年ですね。小学生だった私に
とっても、当時の報道振りは「浅間山荘事件」同様に印象的だった記憶があります。

なお「きたぐに」が新潟折返しとなったのは、1982年の上越新幹線開業に関連して
新潟以北を「いなほ」として系統分離した為だそうですが、という事は上下便とも
現在と同様、当時も北陸線内が深夜帯の運転だったという事でしょうか。この愛称、
青森に直通するからこその命名と思われ「なは」と同様に、運行実態と命名感覚が
いささか噛みあっていない印象を受けます。その意味で、うめさんの地元と思しき
広島県内を走る芸備線において、木次線への直通廃止後も、松江城の美称に因んだ
命名である急行「ちどり」が暫く残っていたのは、少し妙な感覚でした。

同列車が依然、老朽化著しい 583系を使用しているのは、ラッシュ時間帯にかかる
大阪近郊区間において、客車便だと、加減速機能に長けた通勤電車のダイヤに対応
できない為だそうですね。

来月の改正で「かすが」が廃止されると、残る定期急行は夜行四系統、昼行二系統。
何とも寂しい陣容ですが、JR西日本に多少残っている14系座席車を動員する事で
同系寝台車で構成される「北陸」が「能登」を集約する様な事はなのいか、などと
余計な心配をしております。

> 函館から札幌に急行(宗谷)で稚内に急行(利尻)で札幌へ

学生だった80年代、ワイド周遊券にて何度も訪れた北海道では、何れも14系客車で
急行「まりも」「大雪」「利尻」が定宿でしたね。また「利尻」と共通運用だった
下り「天北」および、上り「宗谷」で、寝台を占拠しての「昼寝」も重宝しました。
来月の改正では「大雪」「利尻」相当筋の夜行特急も不定期に降格されるのですね。



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