倶楽部メモ(293)
平成17年10月 5日〜10月11日


投稿者 EF5841
投稿日 10月 5日(水)21時24分49秒
タイトル >>さくらの食堂車
昭和5年時点の「櫻」の編成は、スハ33900系ハザ 及び スシ37740 です。
櫻の食堂車の記載は和食となっていますが、ホワシ等の和食食堂車は使われておりません。



投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 10月 7日(金)00時17分58秒
タイトル 続々 さくらの食堂車
いくらオール三等の特急でも古い食堂車はないですよね。
でも他の急行とか長距離普通に連結されていた可能性はありますから著者の勘違いなのかな。
問題。私が今行きたい所はどこでしょう?
酒席で聞いてみましたが時期的に紅葉のきれいな所とか外国の都市や田舎。宇宙より難しい所だよ。
一同???その席で答えは言いませんでした。
客車倶楽部の皆さんならわかるよね?(^^;


投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 10月 7日(金)02時51分34秒
タイトル 同意です。
皆様、大変御無沙汰しております。
 下総守様、全く痛い程同意です!
 まぁせめて在来型一般車の・・・スハ32やオハ62なんかとても魅力的なんですが、
スハフ42で我慢して、その車掌室で流れる家々の灯やホームや踏切の水銀灯や蛍光灯、
流れ星の様に現れては消えて行く青から赤へ変わる信号機なんか横目に、
ひとり真っ暗な中でショートピースの紫煙に包まれ、走って行く夜を楽しみたいものです。
 スハフ32の車掌室なんかはニス塗りで更に浪漫感じます。
 時々汽笛が紛れて・・・実際そんな会津や常磐の夜を過ごしたものですから、一入です。
 厳密には食堂車と言えるかどうか・・・なのですが、
乗務として尾客14系欧風車や勝田485系欧風(今は和式ですものね)
のカウンターで珈琲を入れた経験ならばありますが(軽食堂です・・・よね???)
実際に日食乗務員経験のあるウチの専務理事によると、
オシ14・24の「標準式」食堂車の方が、いわゆる「ビュッフェ式」より動き易く、
御客様の滞在時間も長めだったと言っておりました。
 それこそ往時は石炭レンジも現役だったのですから、メニューもまた違ったものだったのでしょうね・・・
 電子レンジ主力の現行食堂車では、如何に豪華を詠っても「格」が違います。
 一時期、過去に日本では未実施だった「ラーメン食堂車」を団臨で・・・と画策し、
保健所・尾客・JR東日本東京地域本社を駆け回った事があります。
 昔から食堂車の「食品営業許可」は「実施事業者」が持つものとなっていて、
運用で業者が変わる・・・なんて大変な騒ぎだったらしいです。
 結果として「ラーメン」は湯沸かし設備が「夢之介」もスシ24もオシ14も不足すると判断されて
「幻」に終わったのですが・・・
 悔しいから尾客14系欧風=レインボーでカップラーメン食べて「仇」を取ったものですが・・・
そんな茶番も過去になる今日の列車、国内旅行需要が減少するのも無理の無いお話でございます。
投稿者のホームページ

投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 10月 8日(土)00時18分29秒
タイトル 私の行きたい所
時は昭和××年。東京駅のホームを歩いています。
後方にある白い帯を巻いた寝台車に乗り込み個室に陣を取りました。
ゆっくり発車すると車掌が検札に。「下関までですね。ありがとうございます」
検札を終え展望車のデッキに出ると横浜の市街が流れていきます。
車内に戻り列車ボーイにカフェを注文。車窓には午後の日差しに輝く海が見えています。
夜の戸張の中食堂車へ。ぎこちなくナイフフォークを使います。
その後ゆったりしているうちに睡魔が。
朝も食堂車へ。やっぱり慣れない手付きで食べていきます。
そうこうしているうちに下関。と同時に目覚まし時計が元気良く。
秋の夜にあった夢でした。またこの続きが見れたらいいな(^^)



投稿者 丙格Q行
投稿日 10月 8日(土)11時36分49秒
タイトル 久大線の牽引機
てつまろ様、情報ありがとうございます。
久大線の客レは大分のDE10が牽引していましたが、
DE10 1133とDE10 1175は大分機ながら客レを牽引する姿を確認していません。
ただし#1133は98年3月廃車、#1175は99年4月現在保留車となっていましたから、他機に比べると確認は出来づらいのですが。
さらに#1133はATS-SK化が行なわれたかどうかも気になるところです。
もし、この2機を確認したという方教えてください。


投稿者 PF
投稿日 10月 8日(土)19時33分10秒
タイトル こんばんは
お久しぶりです。
また質問があります。JR西日本の14系座席・寝台車は何両在籍していますか?
調べましたがよく分かりませんでした、教えてください。
質問ばかりですみません。



投稿者 ア・ドン
投稿日 10月 8日(土)23時57分44秒
タイトル 座席車であれば…
ピクトリアル2005年二月号「12系・14系座席客車」特集に2004年3月31日現在の配置表が出ています。
それによれば
「なにわ」x7
「あすか」x1
オハ14
原型x6 リゾートx12 300台x3
計21両

スハフ14
原型x4 リゾートx4
計8両

オハフ15
原型x4 リゾートx4
計8両

総計45両となります。ただ、無論廃車になったものがいると考えられます。


投稿者 やまはn
投稿日 10月 9日(日)01時19分27秒
タイトル やっぱり客車
イヴェントSL,初めて乗りました。SLあぶくま=いわき→郡山です。
かつて、D60が行き交った道をC11ですから、似合わないって感じですけど、雰囲気は十分!
それに、スハ32はいいですねえ、やっぱり!鉄道が、鉄くさくて騒がしかった頃の脈動がよみがえりました。
ところで、ニス塗りの旧客って、何両ぐらい残っているんでしょうか?
静態保存のものも含めて、今のうちに何とかh市内と早晩朽ち果ててしまうのでは・・・・


投稿者 森井 義博
投稿日 10月 9日(日)23時51分55秒
タイトル スシ37の台車
形式図等を見ると二重屋根のスシ37740系の台車はTR74となっています。
でも、戦後のスシ37の写真を見るとTR73を履いているものもあります。

そこで質問なのですが、スシ37の新製当初は全てTR74だったのでしょうか。
それとも、一部の車輛は新製時からTR73を履いていたのでしょうか。
もし後者であれば、その車輛の番号はわかりますでしょうか。
質問ばかりで申し訳ありません。


投稿者 PF
投稿日 10月10日(月)08時48分20秒
タイトル (無題)
返信遅れて済みません。ア・ドン様
ありがとうございます。


投稿者 クモイ103
投稿日 10月10日(月)09時09分44秒
タイトル Re:スシ37の台車
>森井 義博 様
 初期の鉄道ファン連載「国鉄鋼製客車」によると、スシ37740を含むグループの台車については、
「従来使用されていた釣合梁式(TR71系)をやめて…(中略)…TR73となりました」という記述があります。
そして、マシ293(元スシ37752)の写真解説に「昭和5年製でボギーはTR71をはいている」、
一方、マシ294(元スシ37758)の写真には「昭和6年製でボギーがTR73となっている」とあり、
写真でもその違いが確認できます(71と74の区別は判りませんが)。
どうやら後期製造分は当初からTR73だった模様ですね。

 なお、来る11月には、車両史編纂会から「スハ32形の一族(上巻)」の発売が予定されていますので、
詳しい情報はそれを待つのが吉、だと思います。
 車両史編纂会HP:
http://homepage2.nifty.com/hensankai/


投稿者 門タケ
投稿日 10月10日(月)10時09分58秒
タイトル Re:スシ37の台車
車掌様御無沙汰しております。
森井様、戦後進駐軍用に冷房化改造されたグループはTR73にボギーを変更して駆動装置をつけています。
ただ国内用の冷房化改造では74のままです。
番号などは当HPへ。
投稿者のホームページ


投稿者 森井 義博
投稿日 10月10日(月)16時38分31秒
タイトル Re:スシ37の台車
クモイ103様、門タケ様
早々のご回答ありがとうございます。
スハ32形の一族は予約しているので、原形でのTR73の使用については、それを待ってみることにします。


投稿者 マロネロ38
投稿日 10月11日(火)17時04分18秒
タイトル TR74?
門タケ様
ご無沙汰!私の年齢には門タタの方が印象が深いですね。(京都−博多、都城行準急)とか--
マシ292がTR74となっていますが、TR71とどこが違うのですか?前から疑問に想っていましたので、ご教示を願います。
それから青ハコのオロ31で、シートの背摺りに詰め物が無くてビロードが2枚だけ貼ってあった車に、
昭和27年8月父と網走ー岩見沢間乗りましたが、不安定でこまりました。
どうしてあんな改造したのか?また該当車の番号が解れば教えてください。
(千代村さんも解らんそうですが)---



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