倶楽部メモ(290)
平成17年 9月13日〜 9月23日


投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 9月13日(火)23時35分44秒
タイトル 宇高連絡船
貨車は航送していたみたいなのですが長い歴史のなかで客車はどうなんでしょう?
本州から松山行き、高知行きとかあったのかな?
詳細はわかりませんが青函連絡船で上野札幌間があったのは知っています。
いつも教えて君ですみませんm(__)m
今日つくばエクスプレスに乗ってきましたv(^^)v
P.S意地で東北新幹線に新古河駅できるかな(爆笑)



投稿者 EF5841
投稿日 9月14日(水)07時51分38秒
タイトル >航送
宇高連絡船でも、青函連絡船同様、客扱いの航送していました。
確か、東京ー高松(?)
しかし、洞爺丸沈没以降、一切の客扱いの航送は取り止めになりました。


投稿者 てりてり
投稿日 9月14日(水)19時20分11秒
タイトル 客車航送について
初めてメールいたします「てりてり」という者です。
宇野高松間の連絡線客車輸送についてはニュース映画で取り上げられております。
日本ニュース1949年3月8日、第165号・時の話題より「客車を乗せて(香川)」とあります。詳細は不明ですが、確かにあった様です。

投稿者 EF6480
投稿日 9月15日(木)00時45分23秒
タイトル 宇高連絡船の客車航送
 こん**は。

 宇高連絡船の客車航送が話題となっておりますが昭和25年10月改正時より開始されています。
列車ですが大阪ー宇和島、須崎間の307,308レで下りでは深夜2時頃出港の連絡船で航送されています。
しかし昭和30年5月の宇高連絡船の衝突沈没事故だったかな?これを機に中止されたようです。

参考資料:鉄道運輸年表、時刻表(昭和25年10月、29年10月)
投稿者のホームページ


投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 9月15日(木)06時19分15秒
タイトル 宇高客車航送
EF6480さん、てりてりさん、EF5841さんありがとうございますm(__)m
本州から四国行き列車はあったのですね。
つくばにも過去の列車にも夢がたくさんです。
いつも皆様の知識の深さに頭が下がりますm(__)m今後ともよろしくお願いしますm(__)m
私もわかる限り弱小ながら情報提供します。ちょっと危なっかしいけどf(^^;



投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 9月17日(土)04時37分14秒
タイトル 1/1です。
 何時も大変勉強になります!西口は縁が無くて宇高航路でそんな事をしていたなんて・・・いや、びっくりです。
 さて資料整理をしましたら、こんな画像が出て参りまして、
手前味噌ですが1989年3月28日運行「足尾エクスプレス」(上野〜足尾間)の「復路便」です。
 真新しい前橋駅に停車中のEF5889機+在来型一般車+DE101705機なんですが、
なんだか鉄道模型みたいで・・・
 実はこの前日に「会津ムーンライトエクスプレス」で帰って来た編成がそのままなので、
足掛け4日間スハフ32車掌室で暮らしていました(笑)
 そう言えば下総守様、17〜19日午前中まで北鹿浜公園(東京足立区)で「レールフェステ」開催してますから、
是非レトロ〜な列車をお持ち下さいませ。本線1本御提供致します!

投稿者のホームページ



投稿者 Y駅長
投稿日 9月18日(日)18時56分55秒
タイトル またまた質問で・・・
管理人様、いつも丁寧なご教示ありがとうございます。
それで、またまた寝台車の質問ですが、95年頃、すでに「みずほ」も廃止された後、
熊本運転所に14系15型やオハネ14 700番台が配置されていたというのは本当でしょうか?
それから、97年秋の改正直後の「さくら」にはまだオハネ14型が使用されていたのでしょうか?
この年の暮れにはオハネ15 1100番台が登場していますが。
また、「さくら」の関門牽引機はJR貨物機でしたよね。



投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 9月18日(日)22時35分31秒
タイトル 行ってきました。
レールフェステに安房殿のお誘いで青大将をお供に出かけました。
見学の人もたくさん来たのですが当然チビッ子とそのご両親は知らない世代。
年配者も当時のつばめ、はとと言えば現在の国際線飛行機以上のものだからわからない。あれ何だろうって感じでした。
自分がアキバ系鉄道部門にハマっているような実感が
(^^;安房殿、局長殿、本線提供などご配慮頂きありがとうございましたm(__)m
今度はチビッ子受けするようにドラえもん海底列車かアンパンマン列車か。
でも持っていないし電車気動車ですから!残念!


投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 9月21日(水)00時43分43秒
タイトル ありがとうございました
 下総守様、御来訪ありがとうございました。
 まともに応接も致しませんで、失礼を致しました。
 お蔭様で9月のレールフェステは、3日間で4300名以上の御来訪を記録させて頂きました。
 今月は何故か客車列車が多く、「つくばエクスプレス開業」で沸き立つ足立区の中で
ひっそり抵抗する国鉄派でございました。
 その中で、ナロ10は近代的デザインですから「淡緑」も似合うのは理解るとして、
シルヘッダーを付けた在来型一般車が結構「淡緑」でしっくりと落ち着いて似合うのは驚きでした。
 平成のJR本線上を走っていても古さを感じさせない、
考えてみれば肌色に赤の「特急色」も四十年以上使われていて、古さを感じさせませんし、
単なる懐古でも思い入れでも無く、高度経済成長と「丁寧なモノ作り」の時代に生まれたモノは、
今でも充分通用するのですね・・・
 走るんです=安かろう使い捨て銀電車達が四十年後に・・・存在していないんだろうなぁ・・
その中でスハフ32やらオハ47やらが闊歩していたりいて、
丁寧に作った物は時代を超えて支持される好例が「客車」なのかもしれません。
 でも内心は20系が全滅した事にちょっと心残りなのですが・・・
 どなたか20系を御持参下さいませんか?カニ22じゃ無いのを・・・
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投稿者 太田拓也
投稿日 9月21日(水)11時02分36秒
タイトル ひさしぶりのカキコ
▼Y駅長さん

「みずほ」廃止後は「さくら」に基本編成を2本使ってました。
(現在の「はやぶさ・富士」「瀬戸・出雲」同様、品川で前後入れ替え)
当然ロネ・カルテット・食堂車も2両ずつ入ってました。

 オハネ15-1100は「はやぶさ」「富士」の運転区間縮小で余った
オハネ25の改造なので改正直後はまだオハネ14は残っていたはずです。
申し訳ありませんがカルテットが消えた時期は不明です。

 14系15型はかなり以前から配置されていたはずです。
当初は波動用でしたが、現在は高齢の14型のかわりに使われています。
 とはいえ数が少なく、オハネ14はオハネ25改でまかなえたものの
スハネフ14は結構残っています。

▼下総守こみやさん、岩崎安房守義将さん

話が読めませんが、レールフェステに模型を持ち込めたということでしょうか?
青大将はわずか4年しか存在しなかったので知名度に問題があると思われます。
青大将が絶版になっていた1990年代、高校の文化祭で鉄研が
茶色のEF58つばめを走らせたら宝塚在住の同級生が
反応していたので旧客そのものは若くても知っているのでしょうが。

走るんですの初期車はそろそろ寿命ですが、阪急のアルミ車(1985年以降の製造分)は
VVVF化した上で50〜60年使うという話があります。
(他社でもアルミ車の寿命が48年に設定されている)
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投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 9月21日(水)19時19分53秒
タイトル は・・・半世紀?!
 太田様、アルミ電車が半世紀?!
 流石は民鉄、凄いものですが、経理上はどうなのでしょう?減価償却で半世紀設定は凄い事になります・・・
しかし考えられないものでも無さそうですね、
国鉄は電車30年としていた様ですが、半世紀前は昭和30年、吊り掛け全盛期で東海道本線も全線電化していないのです!
 でも民鉄ならば充分ありそうですね・・・アルミは高いから・・・
 JRの走るんです(209/231/501/531等)は耐用精々20年と言うところでしょうか、
赤箱(50系客車)も20年換算でしたから・・・
 ところが蒸機や在来型一般車はとても長持ちで、手入れさえすれば半永久的
(苗穂工場・小樽築港機関区の担当者談)だとか、
但し耐用年数が始めから20年換算の10系は早くに消えましたね(北陸Tがあって更に加速?)。
 下総守様にはレールフェステに御臨席賜りました。
むしろ何の「構え」も無い小さい子供達は視覚で興味を寄せますから、青大将特別急行列車は新鮮だった様です。

 客車が青に塗装された話で、「ブルートレイン」と呼んでいますが、
あれは南アフリカの豪華列車・・・と言うよりも、Wagon-Litsの青に引っ掛けた様です。
 元々鉄道発祥の頃、ブルートレインは「下等各駅ローカル列車」の意味だったとか、
それを敢て青にしたのは、大陸側欧州人の「東洋」に対する憧れの表現色だったものを採用したとか
(ジョルジュ・ランベール・カシミール・ナゲルマケールス社長の提案とか)。
 「敦賀行名士列車」は浦塩斯得から巴里までの直通急行「シベリアエクスプレス」の日本側接続列車として設定され、
これはWagon-Litsの運営列車で、「伝説」の1906年5月・ベルギー・リェージュのナゲルマケールス自宅での
副社長ジェニファ・カミーユとの会談で「シベリア急行」は日本側にWagon-Lits機材を別途設計し、
浦塩斯得と満鉄・関釜航路経由での東京オリエントエクスプレスとすべしと遺言した・・・なんて事まで伝わっております。
(後に満鉄・関釜航路経由と、上越線開業を見込んで浦塩斯得・新潟経由も提案されたとも付話)

 鉄道模型の世界ではそんな浪漫も有りと思います、ただ現代の列車との違いはソフトウェアサービスなのですが・・・
それを表現出来ないツラさもありますものの、普段見なれた電車の中に威風堂々と「汽車」が快走する様に、
子供達の瞳の輝きは一層増して参ります。
 こちらの先入観を一旦捨てませんと、催事は成功させられない事をこんな瞬間に改めて教えられます。
 お近くならば是非太田様もお出でになりませんか?
 要員一同大歓迎です!(HOもありますから・・・)
投稿者のホームページ


投稿者 ア・ドン
投稿日 9月22日(木)06時59分17秒
タイトル 青帯・緑帯
皆様お久しぶりでございます。
さて、最近旧中村精密時代のスロハ32キットを入手したのですが、困っていることがあります。
昭和34〜36年頃にかつての恩師が当時仙山線沿線の山形側に住んでおり、
ときおり乗っていたということを聞きまして再現したいと思ったのですが(その恩師は病に倒れてしまい現在音信不通)、
その時代と言うことはもちろんスロハ込み・山寺〜作並間ED14/17(ED13改造機)/60
および、作並〜仙台間ED91/90(あの時代ではまだED45/44やも知れませぬが)ということになりますが
(山寺〜仙台間はまだC58でしょうか?電化済みですか?)、
入手したカラー資料(鉄道ファン1976年10月号)が古い時代の写真の上印刷のため
スロハの等級帯の色が判然としないのです。
 困った事にこの時期と言うのは等級帯・車体表記の塗装変更(ブドウ色2号・1号談義は今はここでは置いておきます。
こだわる方がおられるのは重々ご承知ですが当社既配置の旧客群とあわせなければならないので・・・)の時期。
1・帯青・等級表記2等
2・帯青・等級表記1等
3・帯緑・等級表記1等
の3パターンが存在していた可能性があり頭が痛いです・・・・。
以前自分が回答した答えでもありますがこういった境の時期はどうしたらいいのでしょうか・・?
よろしくおねがいします。


投稿者 EF5841
投稿日 9月22日(木)23時54分0秒
タイトル >青帯・緑帯
>昭和34〜36年頃・・・

いずれも存在しますね。
ただ、1等表記と2等表記は、昭和35年7月1日をもって、直ちにというくらい一斉にしたかと思います。
当時のニュースで表記を改めたとすることがニュースとなり、
街頭テレビで表記の書き換えの映像が流されたことを覚えています。

帯の方は、直後の工場入場時まで改めていませんね。


投稿者 ア・ドン
投稿日 9月23日(金)00時40分26秒
タイトル ありがとうございます。
表記は一斉変更ですか…。
そういえばキングスのHPのスロハ32キットの完成品仕様の見本写真でも、
「青帯1等」と「緑帯1等」の両方がありましたものね。(ブドウ1号仕様は製品では「青帯2等」でした。)
ブドウ2号にするならば過渡期と言うことで「青帯1等」でしょうか。
70年代半ば生まれの私には「街頭テレビ」というものは話や資料では聞いたことはあっても、
実際の事は知らないと言うことが正直なところでして、父や母が子供の頃の世代なのですね。
ちなみにそのころは生地の奥羽線はC57やD51が普通で(なお急行津軽はDF50に直後に置き換えられた)、
スハ43系もまだまだニス塗りで急行限定扱い、10系は最新鋭パリパリのころですね。
この頃は普通列車は利用率関係なく1等が入っていたそうですが、見てみたかったところです。
ではありがとうございました。



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