倶楽部メモ(284)
平成17年 8月20日〜 8月25日

投稿者 ED12
投稿日 8月20日(土)17時09分29秒
タイトル 夏の話題
東京有明・東京ビックサイトの「第6回国際鉄道模型コンベンション」が昨日、今日と大盛況です。
せっかくの機会ですから「旧客」を実感するコーナーをどなたか設けてくれればと思いました。
“オジン鉄チャン”派としては「鉄道模型趣味」(機芸出版社)の参加がないのも寂しく感じます。



投稿者 EF5841
投稿日 8月21日(日)09時31分34秒
タイトル EF58の色
クモイ103教授 殿
原典を探しましたが、見つかりませんでした。
いずれにせよ、話の原点は「星 晃 氏」であったと思います。
58でも新型車体からです。
混乱させるとして、先般は記しませんでしたが、高速試験時のEH1015もぶどう2号です。



投稿者 クモイ103
投稿日 8月21日(日)20時06分24秒
タイトル Re:EF58の色
>EF5841様
 ゴハチのぶどう色2号は、やはり新型車体からですか。ご教示ありがとうございます。
危うくKATOのNゲージ製品をぶどう色1号に塗るところでした。
旧型車体は1号に塗って良いのですね。

# 大先輩から「教授」とは畏れ多いです…


投稿者 にんにくたあ
投稿日 8月21日(日)20時31分44秒
タイトル 桜島・高千穂の思い出
スハ32様、123レの情報をありがとうございました みなさまの情報で本当に賢くなります
 ところで私の旧客デビウは1971年夏の急行(桜島・高千穂)でした
 全区間完乗と言えば自慢できるのですが、静岡〜浜松間の短い乗車でした
 子ども心にこの列車は同じ急行でも(東海)より格上であることはわかりました
 当時の(桜島・高千穂)はブルーの10系主体の編成で、時たまそこにスハ43が混じることがありました
 受け持ちはシナだったと思います
 サボは紺地に白文字で「西鹿児島行き」と入っているところに何とも風格がありました
  グリーン車はオロ11で、桜島編成・高千穂編成にそれぞれ一両連結されていました
屋根が平べったくて、窓の大きなこの客車はとてもスマートでいつか乗りたいと思いつつとうとう機会を逸してしまいました
 いつ見かけてもがらがらでした
 そして食堂車も連結されていました 食堂車は桜島編成についていたと思います
 名車オシ16でこちらも昼下がりがらがらで走っていました
 食堂車のおかげで車内販売もありました
 ナハ11の座席に腰をかけ、窓をいっぱいに開けて、車販のアイスクリームを食べたことを今でも覚えています
 旧客の魅力の一つに、窓を全開できることにあると思います
 夏の旅で窓を全開する爽快さは、エアコンつきの車両では味わえない贅沢さです
 うちに帰って髪の毛を洗うと鉄臭い列車のにおいがしました
 (桜島・高千穂)は東海道新幹線開業から11年もたった、1975年まで走り続けました完乗できなかったのが悔やまれます


投稿者 EF5841
投稿日 8月21日(日)23時19分51秒
タイトル >桜島・高千穂
桜島・高千穂の受け持ちは、鹿カコであったかと思います。
その前身の霧島・高千穂の編成は、確か霧島についていえば、開聞と共通運用であったかと記憶しております。



投稿者 急行ときわ
投稿日 8月22日(月)11時39分0秒
タイトル オハ50系牽引の交流機
いつも楽しく拝見させていただいています。

レッドトレイン、こと50系(オハ50、オハフ50)の牽引機
ですが、九州でED76他交流機との組み合わせはあったのでしょうか?
また、北陸ではEF70との組み合わせはいかがだったのでしょう?

東北地方ではED75やED77など交流機牽引列車がありましたが。

宜しくお願いします。



投稿者 青列車
投稿日 8月22日(月)22時05分54秒
タイトル 【50系】牽引機
お邪魔しますm(_ _)m
>>急行ときわ様
お尋ねの件ですが、九州地区では少なくとも定期運用でED73、ED75の出番はありませんでした。
(言うまでもなくSGが使えないからです。同じ理由でEF70、ED74も出番なし)
ED72に関しては寡聞にして存じませんが時代的にもあまり重ならず(数年)、
確か晩年はSGが機能していなかったはずですから定期運用での牽引実績は皆無ではないでしょうか?

北陸本線では確か金沢地区で1往復、EF70-1000の牽引実績があります。MR管引き通しの関係で
EF70のうち1000番代限定運用だった由。分割民営化直前の頃でした。
取り急ぎ…

尚、EF30の50系定期客車列車牽引実績はあります(これは1984年実見しました)。


投稿者 Y駅長
投稿日 8月23日(火)00時27分29秒
タイトル さくら はやぶさ
99年12月改正で登場した「さくら・はやぶさ」ですが、
当初熊本所属のはやぶさ編成にはオハネフ25−0番台が使用されていたようですが、晩年は見る事がありませんでした。
オハネフ25−0番台はいつごろまで使用されていたのでしょうか?
また、熊本運輸センターのオハネフ25、オハネ25は「はやぶさ」「なは」共通で使用されていたのでしょうか?


投稿者 急行ときわ
投稿日 8月23日(火)11時06分54秒
タイトル 50系情報有難うございます
青列車様

50系の牽引機に関してご教示くださり有難うございます。
九州では、やはりSG絡みで、ED73、74、75などの出番は、
ほとんど無かったのですね・・・

EF30が定期列車を牽引ということは、50系の関門トンネル
通過運用があったのですね。

北陸のEF70の牽引実績の件もとても参考になりました。

旧客党からは悪者扱い(?)の50系ですが、赤い交流機
との組み合わせは、編成美を感じました。

重ねまして御礼申し上げます。


投稿者 青列車
投稿日 8月23日(火)13時41分37秒
タイトル 【50系】EF30の事例
お邪魔しますm(_ _)m。先般発言した件ですが、当時撮影した写真がありましたのでUPさせていただきます。
生憎日付等データは残っていませんが時期的には1984(昭和59)年12月〜1985(同60)年03月までの間頃です。
門司発山陰本線直通列車で客車は50系です(写真では見え辛いのですが)。
撮影ポイントは関門トンネル下関側出口。彦島です。
この時、後追い撮影もしており、そこにはしっかりと、EF30にエスコートされる50系客車の姿も写っていたのですが…
当該の写真をどこに仕舞い込んだやら…m(_ _)m

拙い写真ですがご参考までに


投稿者 急行音戸
投稿日 8月24日(水)23時55分5秒
タイトル re【50系】EF30の事例
久々です。青列車様の写真拝見しました。下関側の彦島出口でしょうか?
私も『サンマル』牽引の50系は見たことあります。
恐らく、米子行きの828レではないでしょうか?スユニ+マニ+50系4両だったような?・・・
乗車したこともありますが、SG無しの『サンマル』牽引にもかかわらず、(前日の829レの折り返しだったと思います)
寒くなかった?ように記憶してます。
59.2ダイ改直前に下関まで『ゴハチ』を撮りにいきましたが、その時下関駅で撮影しているのは旧客の時です。
下関口の客レは、下関持ちは比較的早く50系化されましたが、米子持ちは50系化が遅かったように記憶してます。


投稿者 急行音戸
投稿日 8月25日(木)00時11分26秒
タイトル 追伸re【50系】EF30の事例
青列車様、すみません、『撮影ポイントは・・・』で彦島出口と書いてらっしゃいましたね。
すみません。よく見てませんでした。
ちなみに『サンマル』亡き後はEF81-300&400が牽引を努め、
JR化後も、長門市-門司の840・841レが平成3年3月の改正まで存続してました。
841レは、長門市口の始発(ちなみに滝部発3:27の851Dが日本で一番早い始発と本に書いてありました)
で、前側3両?(先頭はスハフ42改造のオハフ41でした。)が『行商専用車』でした。
折り返しの840レは、魚臭い列車でした。


投稿者 青列車
投稿日 8月25日(木)11時56分29秒
タイトル カンカン部隊
お邪魔しますm(_ _)m
>>急行音戸様
拙文のことでしたらお気になさらずに(^o^)/
さて、お話にあった、山陰線の鮮魚の行商人さん。確かカンカン部隊と呼ばれていませんでしたっけ?
海の幸の豊富な日本海沿岸ですから、この「おばちゃん」達は重責を担っていたのですね。
あれは確か1982年頃でしたか、大学時代帰省の際、出始めの青春18(のびのび)切符で
わざと遠回りした際に乗った山陰線の客車鈍行で、この「おばちゃん」達と乗り合わせました。
一仕事終えた帰りの便だった模様で、皆さんリラックスモード。
確かに年齢的には妙齢というには少々…(以下自粛)(爆)でしたが、流石は地元の「おばちゃん」元気はつらつ。
女子高生グループもたじたじ(笑)。

当時は各地に最新鋭の50系客車が導入されていた頃で、確かに旧型客車ファンには「レッド」はヒールでした
(誰です?客車の電車って呼ぶのは?)(^^);
朝方の下り列車だったと思いますが、DD51にエスコートされる1両目にオハフ41、
2両目に青いオハ46(スハ43改名のタイプII)、以下50系…という列車に、幡生のあたりで擦れ違った事があります。
お話の841列車でしょうか?

同じ頃の山陰線、石見益田から乗り換える予定だった出雲市行き客車鈍行。
旧型を期待していたら50系!(でも最後尾に丸屋根の茶マニがいました。
マニ35かマニ36のいずれかですね。よく見ておけば良かったものを・・・orz。
後で浜田市出身の後輩に聞いたら、地元で1往復走り出した列車だった由)。
一方、日豊線城野駅で密かに50系を期待して待っていたら、やって来たのは旧型編成。
同行の高校時代の同級生は「宇部線ちっくぅ〜…」(そのオトコは山口県吉敷郡小郡町の出身)と叫んでいました
(尚前出の後輩、後出の同級生いずれも「鉄」分のない「堅気(!)」です)。
厨年おやぢの昔話でしたm(_ _)m


投稿者 仙コリ
投稿日 8月25日(木)12時22分52秒
タイトル Re:さくら はやぶさ
Y駅長様

熊本配置のオハネフ25−0番台についてですが、
「さくら」併結化(平成11年12月4日)前の時点では5両存在しましたが、(車番は23・24・26・27・29)
27を残して4両が翌年の平成12年2月3日付けで廃車となり、27も保留車となっています。
併結化に伴う編成短縮で車両が余剰となり、最も車齢の高い0番台から廃車となったようですが、
併結化から2ヶ月後に廃車となっている事から、0番台が使用されたのは、ごく短期間のみであると推測できます。

ちなみに近年の熊本配置のオハネフ25について調べると

平成 7年度当初  総両数12両(0番台は0両) はやぶさ・富士 所要両数2両×4編成=8両

平成 9年11月29日 運転区間短縮(東京−西鹿児島→東京−熊本)基本編成が鹿カコから熊クマに移管

平成10年度当初  総両数21両(0番台は5両) はやぶさ・富士 所要両数4両×4編成=16両

平成11年12月 4日 「さくら」との併結化による編成両数減

平成12年度当初  総両数17両(0番台は1両) はやぶさ・富士 所要両数3両×4編成=12両

その後さらに編成両数減

平成14年度当初  総両数11両(0番台は0両) はやぶさ・富士 所要両数2両×4編成=8両

平成16年     「なは」の運転区間短縮に伴い鹿カコ車5両が熊クマに転属

平成17年 3月 1日 14系化(「富士」との併結化)

平成17年度当初  総両数16両(8両は保留車・0番台は0両) はやぶさ・富士 所要両数0両

となっています。

また、熊本運輸センターのオハネフ25・オハネ25が「はやぶさ」「なは」共用かとの事ですが、
手持ちの鉄道誌の編成記録を調べたところ、両方の列車に使用されていた車両がありましたので、
間違いなく共通で使用されていたものと思われます。



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