倶楽部メモ(281)
平成17年 7月22日〜 8月 5日

投稿者 クモイ103
投稿日 7月22日(金)22時11分46秒
タイトル Re2:急行さぬき・2両のみ茶?
 ご乗車の皆様、ご無沙汰です。オルセン様、こんばんは。
 すでに話題になっていたと思いますが、「車両塗色及び標記方式規程」が改正され、
一部の客車に対して青15号塗色が指定されたのは、昭和39年9月26日でした。
40年10月改正ということは、それから約1年後ですね。
当時の客車は検査回帰も短かかったはずなので、1年もすればかなりの車両が工場入場を経て、
塗り変えられるべきものは塗り変わっていたのではないかと思います。
 当時の「さぬき」使用客車の中で、下り方2両のオユ12とスハニ35は塗り替えの対象外でした
(オユはその後昭和44年9月20日に青色化指定)。
3両目以降、オロネ10・スロ54・オシ16・ハネ車は、
すべて前年の規程改正により青15号化の対象となっていますので、
オユ+スハニがぶどう色、あとは青色、というのがまあ妥当でしょう。
可能性として、たまたま工場入場のタイミングが合わず、1年経っても茶色のままの車両があったかもしれませんが、
実際の編成記録や目撃情報などがなければ事実上検証不可能ですので、ある程度割り切ることも、やむを得ないと思います。



投稿者 赤車
投稿日 7月23日(土)20時17分1秒
タイトル 山陰本線で活躍した50系客車
模型のインレタ絡みで申し訳ございませんがお教えください。
50系レッドトレインのことでお聞きしたいのですが、「米イモ」の山陰本線で実際に活躍していたのは
オハ50(255・257・261・290)
オハフ50(5・63・171・253・418・437)
上記のうち該当する番号をオハ・オハフそれぞれで、ご存知のかたは教えていただけないでしょうか?
よろしくお願いいたします。



投稿者 まろねふ
投稿日 7月23日(土)21時23分38秒
タイトル Re:山陰本線で活躍した50系客車
>赤車さま
初めまして。
さて、お尋ねの米イモの50系客車ですが、手元の84年版時刻表より下記の車両が配置されています。
オハ50…255・256・257・290・291・292
オハフ50…2・3・4・5・382・383・384・432・433・434・435・436・437
これらのうち、オハ(255・256・257・290)、オハフ(382・383・384・432・433)は出雲区への新製配置車、他は転入車です。

参考までに米鉄局では、81年より米子及び出雲区に50系が新製配置され、鳥取〜米子と出雲市〜益田間で限定使用され、
82年11月改正で運用区間が拡大されました。
当初は区間列車での使用でしたが、57年11月改正より長距離運用の旧客列車が系統分割されてゆきました。
84年の配置表を出したのは訳がありまして、60年3月改正で出雲区は無くなり、
米鉄局管内の50系は浜田区に集約配置となりましたので、最後の配置というわけです。

実は私は山陰出身で、この当時はリアルタイムで50系を見ておりました。

参考資料  交友社刊:84年国鉄車両配置表


投稿者 オルセン
投稿日 7月25日(月)13時55分50秒
タイトル 急行さぬきについて
クモイ103さんと青列車さん多大なるご協力ありがとうございます。
またその時のさぬきのスロ54は非冷房車だったのでしょうか?
また質問になりますがよろしくお願いします。


投稿者 青列車
投稿日 7月26日(火)23時33分6秒
タイトル 【特ロ】冷房化直前の頃
お邪魔しますm(_ _)m
>>オルセン様
お尋ねのスロ54ですが、昭和40年に限定すると非冷房車でも差し支えないかと存じます。
特ロやハネ車の冷房化が始まったのが昭和41年からではありませんでしたか?
もしかしたらマロ55が入っていた可能性が無いとは言い切れませんが…
ただ、冷房化自体は昭和43年頃には終わっていたようですから(随分突貫工事だったようですね)
昭和42年か43年頃になると冷房化されたスロ54が入っていた可能性が高いです。
あまり参考にならなくて申し訳ないですm(_ _)m



投稿者 すいせい
投稿日 7月27日(水)00時06分52秒
タイトル 急行さぬきについて
オルセンさま
手元の資料(1968年2月25日の編成ですが…)では、全車両とも青色で、
スロ54は冷房化になっていました(1966〜1967(昭和41〜42)年に冷房化)。
オルセンさまが言っています昭和40年10月改正の編成ですと
非冷房となりますね…



投稿者 オルセン
投稿日 7月29日(金)10時38分48秒
タイトル 急行さぬきについて
皆さんご協力ありがとうございます。
この結果に則って作りたいと思います。


投稿者 103列車機関士
投稿日 7月29日(金)21時00分21秒
タイトル 欧亜連絡用の客車
皆様ご無沙汰しております。
模型制作がまた戦前の客車に戻ってまいりました。
お尋ねしたい事が御座います。
何時の称号で書くべきか迷うのですが
マイロネフ37(マイネロフ37と並べてニヤニヤ笑ってます。)を組み込んだ
急行列車を知りたいと思います。
手元に何時の号か失念しましたが鉄道史料にあった
昭和15年11月1日現在の『旅客列車編成牽引定数表』名鉄の複写があるのですが
どうも「マイロネフ37280」が組み込んである急行が見当たらないのでこれ以前の
列車なのでしょうか?何に組んで走行させようか悩んでおります。
同様に皇族貴賓客用マイロネフ38もどんな列車に組み込まれていたのかご教授お願いしたく思います。


投稿者 EF6480
投稿日 7月30日(土)00時54分10秒
タイトル re:欧亜連絡用の客車
 103列車機関士さん、皆さんこん**は。

 マイロネフとマイネロフでは混同しそうな形式ですね。(笑)
さて、マイロネフ37の組まれた編成は37か38かは確証出来ませんが
昭和7年10月時点で戦前の名士列車である17,18レに東京ー米原間
(ウラジオストック航路運航日に合わせて東京ー敦賀間に運転)マイロネフが組み込まれた実績があります。
その後昭和9年頃からは2等寝台、座席合造車に替わっていますので連結期間はそう長くなかったようですね。

当時の編成ですがカニ+マイロネフ+マイネフ37230(2両)+スロ+スシ+マロネ37300(3両)
+マロネフ37500です。模型で再現すれば大変重厚な編成となりそうですね。
(参考資料:鉄道省発行客車運用表、昭和7年10月)
投稿者のホームページ


投稿者 EF5841
投稿日 7月30日(土)22時39分14秒
タイトル マイロネフ38
マイロネフ38 は皇族等専用車両です。
このため、一般の運用には使用されませんでした。
戦前の場合、御召列車が仕立てられたのは天皇の行幸等限られた場合で、
それ以外の皇族や御用邸へ行かれるときは、一般の列車の編成に組み込まれておりました。
葉山の御用邸へはクロ49が使用されましたが、一般の列車編成の2両目に連結されました。
沼津の御用邸へは、この板の湘南列車の記述の中にありますので参考にしてください。

マイロネフ37 については、手元に資料がないので、確証はもてませんが
昭和12年頃まで連結されたのではないでしょうか。

日本が国際連盟を脱退するとき、松岡洋祐全権大使が東京ー敦賀間乗車しました。
そのおり、「幸先一番」のげんを担いで、1番寝台を充てたという逸話があります。

丹那トンネル開通後の17・18列車の編成は、
下り(神戸寄) スニ36500 マイロネフ37230 マイロネフ37230 マイネ37100
         スロ30850 スシ37800 マロネ37350 マロネ37350
          マロネ37350 マロネ37350 マロネフ37550 マイロネフ37280

上り(神戸寄) マイロネフ37230 マイロネフ37230 マイネ37100 スロ30850
         スシ37800 マロネ37350 マロネ37350 マロネ37350
          マロネ37350 マロネフ37550 マイロネフ37280 スニ36500

荷物車の位置が、上りの場合、上野への回送の利便性を考え東京寄になっております。


投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 7月30日(土)22時53分57秒
タイトル マイロネフですが
EF6480さん103列車機関士さん楽しい情報ありがとうございますm(__)m                  
37は昭和6年小倉工で製造。38は昭和13年鷹取工。という事は東京敦賀で使われていたのは37だと思います。
38は当時東京京都間利用の皇族が多かった為そこを走る急行に連結されていたような気がします。
特急冨士の車掌が皇族利用を想定して貴賓室の使用要望を断った記述があります。
だとすると臨時じゃないような気もしますね。
ちなみに38は戦後昭和25年に復活しています。東京大阪急行に使ったのかな。(^^;
               
参考 鋼製客車形式図集 鉄道史資料保存会編 昔の冨士は今いずこ 西沢有著


投稿者 103列車機関士
投稿日 8月 1日(月)21時49分18秒
タイトル 有難う御座います
EF6480様、EF5841様、下総守こみやさん(^^)様
有難う御座います。
やはりマイロネフ37は17.18列車だったのですね!
この列車は以前相談いたしました「マロネ37400使用時期があったか?」
で2等寝台車の工作が止まってましたのでこれを機に
マロネ37350を製作しまして「名士列車」を完成させたいと思います。
有難う御座いました


投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 8月 3日(水)00時43分42秒
タイトル また房総線m(__)m
欧亜急行が花かりし昭和6年頃房総半島が全線開通しています。
当時の時刻表はあるのですが車両はさっぱり(--;)
二等車も連結されていたのは間違いないo(><)o
地方では木製鋼製の過渡期なので。
ハチロクが牽引していたのはなんとなくわかるけど。教えてくださいm(__)m


投稿者 EF5841
投稿日 8月 5日(金)21時10分58秒
タイトル Re:
>地方では木製鋼製の過渡期なので・・。
昭和6年当時、ようやく、東海道・山陽の優等列車が鋼製客車化された状態で、
普通列車はナハ22000系が幅を利かせていました。
地方線区にあっては、ナハ22000系は稀で、ホハ16000系等の中型客車が中心で、
というよりまだ明治期の雑形ボギー客車も幅を利かせていました。
房総方面というと やはり 錦糸町に配属されていた3軸客車がポイントでしょう。



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