倶楽部メモ(277)
平成17年 6月13日〜 6月25日

投稿者 ED12
投稿日 6月13日(月)13時33分53秒
タイトル “しぼり”について
旧客32、35系等車両には、車端に大きな“しぼり”があります。
カーブ通過等のため車両限界を考慮した設計がされたのでしょうが、他にも大きな理由があるのでしょうか?
同時代の同大きさの電車等には“しぼり”がありません。
その後の客車設計で“しぼり”をやめるためにどんな条件が必要だったのでしょうか。
近代ではブルトレ客車等に小さな“しぼり”があります。
旧客の車端“しぼり”は日本の客車デザインの大きなポイントと感じています。



投稿者 ア・ドン
投稿日 6月13日(月)22時13分26秒
タイトル RE:しぼり
 鉄道ピクトリアル2004年7月号「オハ35系」特集(1)の星 晃氏のインタビューによれば、
最小半径300mで角と角がぶつからないように、という計算を当時考え直し、
考えられる一番悪い状態でも大丈夫と言うところまで考慮して作り方を簡単にし、最終的に完全切妻にしたのだそうです。
 とにかくカーブの時に角がぶつからないよう昔からあの形になっていたそうですが、
「もう一度調べて見ろ」と言う話が島 秀雄氏から出て計算をやり直したところ、
当時実在の曲線なら心配ないことがわかり、
(最小曲線は『ある車両メーカーの引込み線から出るところだけ』という話だった)
それで切妻になったのだそうです。
ただ、切妻に雨どい管をそのままの寸法でつけると困るので、
平べったいものに直してそれで解決したのが鋼体化客車やスハ43から現在に続く今の形なのだそうです。
 オハ35を設計した人は木造車からやっていた、他の仕事から移らずに鋼製車を続けていた人なのだそうです。
車端を絞ると言うのは木製車時代から続く伝統のため、なかなか変えられなかったということもあったそうです。
客車にしても島氏に言われなければ車端が切妻にはならなかったのではないか、と供述されています。
 作りやすさを考えると、つまり最初から考え直すと言うやり方が戦後入ったということでしょう。
ご参考になったでしょうか?



投稿者 ア・ドン
投稿日 6月13日(月)22時24分22秒
タイトル しぼり補足
12系、14系等の車端部絞りは併結・解放時の作業性のためであろうと思います。中間部分は完全切妻ですし・・・。
オハネフ25 100番台では作りやすさから完全切妻になりますが
のちの200番台では「作業性」との理由から再び軽く絞りが付きます。
・・・・・ただ、これは当時の「奇怪かつ複雑な労使関係」も有ったものかと思われます。
50系客車も「しぼり」や「業務室」が有る分収容能力が減っているわけですし・・・。


投稿者 ED12
投稿日 6月14日(火)08時18分58秒
タイトル REしぼりについて
ア・ドン様ありがとうございました。 
余談ですが、東京メトロ「05系」の後期車両に“しぼり”があります。
これも「作業性」のためでしょうか?


投稿者 安房守義将
投稿日 6月14日(火)09時32分29秒
タイトル 参考にならないかも知れませんが
こみや様、激励ありがとうございます。
 今後より一層、頑張って参ります。
 さて、35系等妻絞に関してですが、札車の乗務員の台詞として
「こいつ(スハフ44)は角張ってるから、入れ替えの時には気ぃ付けないと」
の様な事を言っていたのを記憶しております。
 40系から導入されたスタイルの車掌室、客扉が内側に寄ったものは、車掌室が寒いとも言われましたが
(確かにスハフ42の車掌室は寒かったものです)、
その設備が端へ来た事も「角張った」理由の一つ?と勝手に解釈しておりました。
 確かに客扉内側に車掌室が来るオハフ33やスハフ32では「後方監視」はしにくかった印象があります。
 ただ、12・14系は車体長さがあり(スハフ42は20000、スハフ12は21300で、
車体幅もスハフ42が2865でシル・ヘッダー厚みを加えた総幅2900、スハフ12は単純に2900です。単位ミリ)
この分で曲線限界の当たりを減らしたのやも知れません。
 ちなみにスハフ42よりもスハフ32の車掌室の方が楽でしたし、
スハフ14よりスハフ12の車掌室の方が落ち着けましたが、
空調が効くと言う歩では在来車より新系列の方が「仕事場」としては人気?があった様です。
 ちなみに某鉄管局制作のイベント用客車は
後尾車の展望室(別に作ってくっ付けたもの)の切り落とし寸法が30ミリだか間違っていて、ちょいと反っていたので
「乗務員指定位置」が決められており、試運転便で窓硝子が凄い事になった・・・と言う噂がございますが、
今日では確かめようもございません。
投稿者のホームページ



投稿者
投稿日 6月14日(火)23時24分57秒
タイトル ナハ10・11の座席の色について
皆様こんばんは。
いつも興味深く拝見し、勉強させていただいています。
K社のナハ11(N)を塗り替え、色差しをするために調べていて気が付いたのですが、
製造当初ナハ10試作車の座席モケットの色がみどり色だったというのを、鉄道雑誌を見て知りました。
で、その後のナハ10量産車やナハ11の登場時の座席モケットの色はどうだったのでしょうか。
後年の写真では、おなじみの紺色(青色?)になっています。
どなたかご存じの方いらっしゃいましたら、ご教授願えますでしょうか。お願いします。



投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 6月15日(水)00時07分57秒
タイトル しぼりですが
素人考えで申し訳ないけど資材節約もあるのでは。
たとえばジュースの缶もしぼってあるだけで経費は安くなっているし。
安房殿(これが正式なお呼びのしかた)のご指摘は後方確認ですよね。
でも後方確認しやすくなったのは20系より後の車じゃないかな。
工賃が安い切妻と資材節約でしぼりをつけるかで考え方が違っているように思うけど。


投稿者 ア・ドン
投稿日 6月15日(水)01時01分31秒
タイトル 05系は
05系の車体角の「しぼり」は事故時のクラッシュ時に車内のダメージ低減を目的としたものと読んだ気が。

結局のところ工作の手間・人件費にも拠るのですね。
戦中のモハ60からモハ63へ移行する時、丸妻であった前面を切妻にしていますし・・。
一体抜き加工の缶とは違い骨組みや強度部材などを考慮すると手間も資材もかえってかかるでしょうね。
(その頃の日本では今のような一体抜きアルミ缶など量産できませんでしたが。
もっともモハ63はそれ以外のところも極限まで省略してますが・・・。)


投稿者 安房守義将
投稿日 6月17日(金)16時51分29秒
タイトル 恐縮でございます
急曰
 管理人様並びに皆様、下記投稿は小生がC623機に関係しておりました折りに大変お世話になった方の御家族でございまして、
もしかすると人違いかも知れない、と言う事でこちらに投稿し、呼び掛けたものである事が判明致しました。
 大変御迷惑お掛け致しましたが、お蔭様で十数年の時間を超えてあの頃の情熱と感激を再び感じる事が出来ました。
 深くお詫びと共に、感謝を捧げさせて頂きたく存知ます。

 下総守様、多分に「現場での感覚」と「設計の内実」の違いは大きくある、と存知ます。
 その辺の設計サイドの詳細は判りかねますが、客扉の内側にある車掌室の窓から後方確認をする場合、
端妻に窓がついている訳では無いので、車掌や添乗者は窓から身を乗り出して・・・なんて状態になります。
 その視角が広くなっているのでは?と言う「現場人の推測」と言う事でして、貴殿やア・ドン様の仰る事が正しいと推察致します。
 実は数年前に蒸気機関車新規復活に関係した新規客車製造と言うお話が某関係者から出た際に、まぁアイデアを求められまして
「スハフ32の模写は如何?」と御提案し、早速代理店を通してメーカーに尋ねたところ、
「車体端部絞りは工賃が増加しますよ」と回答されて、
「平成のスハフ32」は見事に水疱に帰したと言う辛い?記憶があるもので・・・
(それ以前にバスの値段を基準にスポンサーが鉄道車両の制作費を甘く見ておりまして、
全く実現性は無かったものではありましたが)
※ただ、例えばスハフ44をスハシ44に改造した経費総額と、
某社の軽量電車1両の平均価格(共に手数料・税額込み)は同額です。
何だか納得出来ませんでしたし・・・現在もそうなのですが・・・
投稿者のホームページ


投稿者 PF
投稿日 6月24日(金)20時49分51秒
タイトル お久しぶりです
こんばんわ、いきなりですが質問があります。
旧形客車などはなぜ蒸気を吹いたりするのですか?あと牽引機もなぜ吹くのですか?
教えてください。


投稿者 ア・ドン
投稿日 6月24日(金)22時46分33秒
タイトル 蒸気発生装置
 蒸気暖房用に機関車に蒸気発生装置を積んでおり、そこから蒸気が供給されているからです。
蒸気暖房は牽引する蒸気機関車の蒸気を暖房主管から各車に供給するシステムであり、
昭和30年代半ばまで列車暖房の主力でした。
動力近代化に伴う電化、ディーゼル化により蒸気機関車以外が牽引する列車の暖房が課題となり
暖房車を連結しその蒸気を利用する方法
重油燃焼式の蒸気ボイラを使用する方法(EF56・57)
蒸気発生装置(SG)を使用する方法
(EF58・EF61・ED72・ED76・DF50・DD51・DD54・DE10・DE15)
交流1500V電源を利用する方法
(EF57《改造後》・EF58《改造車》・EF62・EF64・EF70・EF71・EF80・EF81・
 ED46(92)・ED70《改造後》・ED71・ED74・ED75・ED77・ED78・ED79
等ができました。

SG搭載機は蒸気を発生しているため余剰蒸気が排出されます。
また、客車は凍結防止等のために水分等を排出する弁がありそこからも蒸気が排出されます。

現在はこれらの機関車側の暖房機関を使用する客車はほとんど姿を消してしまいました。
(ついでですがなぜ復活蒸機列車にあまり旧客を使わないかということについてですが、
蒸機の出力低下を極力ふせぐためと聞いております。
12系・14系はスハフにディーゼル発電機を搭載して客車側で自力で暖房・冷房が供給できます)

ご参考になったでしょうか。また、供述間違いなどあれば皆様ご指摘ください。
参考文献
鉄道ピクトリアル2003・12増刊 鉄道友の会50周年記念「車両研究」
 〜列車暖房装置を搭載した機関車と列車運行の一考察
鉄道ピクトリアル1985・6月号「スハ43系」特集


投稿者 ED12
投稿日 6月25日(土)11時46分16秒
タイトル ステンレス車体について
国鉄時代に、電機、電車等ではステンレス車体が試作や量産がされましたが、客車ではどうだったのでしょうか? 
試作や設計ぐらいはあってもよさそうに思いますが…。


投稿者 PF
投稿日 6月25日(土)18時13分15秒
タイトル (無題)
ア・ドン様ありがとうございます。


投稿者 ア・ドン
投稿日 6月25日(土)21時07分11秒
タイトル RE:ステンレス車体
 設計は知りませんが、試作はありませんでした。客車の日本国内用ではE26系「カシオペア」が初ではないでしょうか?
 なお、日本国内でステンレス車が205系まで国鉄では本格実用化しなかった理由はパテントにありました。
国内純正では当時コスト・技術的にうまくいかず、アメリカのバッド社との技術提携した東急車輛が
国鉄に積極的に働きかけをして納入したのがキハ35 900番台でした。
ですが試作の10両を除き増備されることはありませんでした。
 これには東急車輛が気動車メーカーから電車メーカーへと国鉄より指定替えされたことも要因ですが、
もう一つは外国メーカーがパテントを保有していたことも関係していました。
当時の国鉄は基本的な部分はメーカーとの共同設計により図面を作りどのメーカーでも製造出来るように指導していました。
しかし外国メーカーがパテントを公開しない場合は他のメーカーが共同設計に参加できず
「足並みが乱れる」ことになるとのことでした。(シュリーレン台車がオシ17以外には使用されなかった例も同様)
また、以外に製造コストがかかることや予想よりも軽量化できないことも
国鉄でステンレス車両が普及しない要因でもありました。
このほか、無塗装によるランニングコストの軽減が期待できたのですが塗装職場を失いかねないことになるので、
労働組合としては反対の方向であったようです。
このような事情があって国鉄ではステンレス車の実用化が遅れ、
205系まで待たなければならないことになりました・・・・。

参考文献
 鉄道ピクトリアル2004年2月号
  キハ35系・45系特集〜オールステンレス製ディーゼル動車の嚆矢 キハ35形900番台〜より



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