倶楽部メモ(276)
平成17年 6月 6日〜 6月12日


投稿者 浪速の某
投稿日 6月 6日(月)00時41分30秒
タイトル 旧客運転
安房守義将さま

>今日ではJR東日本の在来型一般車は「定型区間」(高水・高横・郡若間)以外での
>「社外需要」は原則「門前払い」とされておりまして、霞ヶ関経由で話をするしか
>ございませんが
 
よろしければ詳細をお話くださいませんでしょうか。
なぜ容易ではないのでしょうか。
人間といっしょでいつまでも永遠に稼動はしないですから
場合によってはその霞ヶ関経由でも辞さない考えでおります。



投稿者 スハ32
投稿日 6月 6日(月)01時29分24秒
タイトル 定型外の運転
 最近のJR東日本の運転状況みていると、逆に定型区間外の運転の方
が主流ですね。あぶくま新緑や去年の長野や新潟、只見遠征もそうですが・・・。
特に仙台支社が積極的に運行してたと思います。只見線などは、地元から
旧型客車を指定され、去年の冬の運行は12系で決まってた所が急遽旧客に
変更されてます。蒸気暖房の使用は、車体を傷めるのか余り使いたがらないのは、
事実ですが。
 今年あぶくま新緑号に乗りましたが、あれほど現役時代に近い列車も
無かったです。滝桜用の臨時も兼ねてたので、一般の年配客も
多かったんですが、凄く驚いて、乗車も楽しそうでしたよ。
 個人的には、43系客車も好きです。特に元水ミト車は、北オクで
常磐線仙台行きや急行十和田・津軽で”実際に”使われた生え抜きです。
安房守義将さんも国鉄時代に何度も目にしたかもしれません。
内装塗りつぶしのスハフ42の1両くらい登場時のニス塗りに復元して
欲しいなとは思いますね。・・・しかしスハフ44は、残念です。
何とかすれば、まだ使えたと思うのですが・・・。


投稿者 安房守義将
投稿日 6月 6日(月)03時46分22秒
タイトル 「900223奥只見号計画原案」
管理人様、度々失礼を致します。
スハ32様、小生も常磐221・223・425とあの扉を開け閉めして、重いサボを入れ抜きしました、懐かしいです。
小生の駅務員としての最後の仕事が1982年11月14日の11M(みちのく)の放送と425列車(平行)の入線放送でしたので・・・
只見と言えば・・・1990年2月23日に只見町の只見総合開発センターで講演会(鉄文協・工藤専務理事と同席)をしまして、
その時の運転計画資料がございます。
只見線にSLを・・・の構想は1989年から只見・金山・柳津で盛んとなり、
現地では「只見〜会津柳津間」となっていたのですが、
提出した資料(運転計画・警備諜報工作専任でしたので小生が見積もりまして・・・誤算箇所が幾つもありましたが)では
「カマはC58(秩父)かC11312(大井川)で在来型一般車3B・ワカ〜タミ間往復でアタ〜ミヤ間補機1E」
(会津若松運転区を基地として只見まで1往復/日、会津高田以降会津宮下間補機1機連結で客車3両)で
1セット3500万円と試算しております。
当時、仙鉄は「12系4つで全区間PP、機関車はD51498機で検討」で、
「橋梁等改築工事費別途」と凄い条件を回答して居たのです。
軌道条件としてD51は論外でしたが、C11312機は当の大鉄が「保安装置取り付けは折半でも可能」とまで・・・
在来型一般車は「扉の保安都合上ダメ」と・・・
しかし、運輸省の見解は非公式ですが、
「他社やJR東日本管内で運行許可をしているのにここだけダメとはいかないでしょ?」
と言う事で、2月23日の講演会に望んだと言う次第です。
その後、忘れた頃の「奥只見」、ダイヤも内容も提案通りで自己満足ではございました。
ただ、真岡鐵道の機関車で運行する事は予想外に嬉しい事ではございましたが・・・
仰る通りです!せめて一つ位ニス内装・白熱灯「風」(某電器メーカーでとてもらしい雰囲気のものが出ておりまして、
中はパナボールなので省電力です)のものを拵えたらと思います。
浪速様へ・・・構想とされている区間が具体的にございますか?
団臨はいわゆる「規程」以外での取り扱い事項が多く、実は運転系の経験者で無いとスジを読んだり立てたりが出来ない為、
窓口の交渉の段階で足踏みをしてしまう事が殆どです。
霞ヶ関を経由した場合でも、団発(団体乗車券発行箇所)の担当者のカオは立てませんと厳しいですし、
通り一辺倒の担当者ですと「団券(団体乗車券)額は機材定員の90%の無割引大人運賃」
なんて時代遅れの事を言い出し兼ねません。
「局扱」「社扱」(つまり会社内で立案された企画)は「特例」として無理を通せるものの、
オーダーメイドですと「面倒」とされてしまうのです。
御参考までに、弊連盟「鉄道浪漫派掲示板」に若干追加情報を載せて置きますので、宜しければ御参照下さい。
顧みれば、12や14が壊滅状態で、むしろ在来型一般車が残り活躍の舞台を拡げている昨今ですが、
JR東日本では東北・常磐・高崎・上越羽越奥羽を除いて臨も含めて「機関車牽引列車」を廃止したい意向だとか・・・
全く危機管理意識皆無でございます。
その中で「使用実績」が客車列車の存続にかなり大きな要素となっているのも事実です。
高崎運行部・佐久間部長の先見の明には脱帽のこの頃でございます。
皆様、失礼致しました。
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投稿者 太田拓也
投稿日 6月 6日(月)20時22分35秒
タイトル 難しい事情があるようですね
旧客に人気があるならなぜ「ばんえつ物語号」に使わないのか?という疑問がある太田拓也です。

しかし書き込みを拝見しているとどうやら営業以上に役所の事情が大きいようですね。
1989年にSLブームそっちのけで大量の旧客(国鉄末期から留置されていた)を解体したあたり、
会社のやる気にも問題がありますし。
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投稿者 山電
投稿日 6月 7日(火)01時05分10秒
タイトル 在来型客車
皆様こんばんは。
そしてご無沙汰しております。

山電(元やまだ)です。
在来型客車(旧客)について話題が出ていましたので・・・
旧型客車の集客能力はやはり切符を取る段階で痛切に思い知る事が多いですね。
指定券発売日に仕事帰りに・・・
なんて悠長な事を思っていると指定を取れなかった経験がこれまで何度あった事でしょうか。(笑)
東京から近いせいでしょうか、EF55の高崎・上越線運転時の指定券確保は毎度の事連敗しております・・・

私の地元、埼玉のパレオエキスプレスも乗車人員の低下から冷暖房完備の12系に変更にして冷房化を売り込みましたが、
見込み違いで乗客は減る一方との話も聞いた事があります。
SLに乗る(体験する)という事の意義を忘れた為の結果でしょう。
SLの煙の匂いや外からの風や空気の薫りを感じられない車輌ではSLに乗っ感覚はイマイチないですからね・・・

旧型客車、フルで12連ぐらい車籍復帰できない物でしょうか・・・
検査や行楽シーズンの複数の列車での使用にも対応できますし、
合わせて扉の自動化やトイレの黄害・バリアフリー対策も
今の技術をもってすれば改修出来るの筈だと思うのですが如何でしょうか・・・
(オハニ36の荷物扉などは車椅子の乗降に便利かと思われます)

復帰させる客車は越後中里に纏まった数がありますよね。
陸送作業の足場も駐車場で良いですから実現させるなら1番作業し易い客車達では・・・と思われます。
あの客車を使ってもう一度、上野駅から出発する12連の旧客を見てみたいものですね。



投稿者 スハ32
投稿日 6月 7日(火)12時34分39秒
タイトル 旧客復帰
 一度車籍を抜いてしまった車は、復帰させるのは難しいと聞きましたが、
JR東海、JR西日本には、車籍を持ったまま保留(休車)になってる車が
6両もあります。あれが何とかならないものか・・・といつも思いますね。

只見線の6月中の運行は、比較的空いてる様です。去年秋に乗ったときには、
かなりの乗車だったんですが、やはり梅雨時なので、空いてるみたいですね。
旧客3両ですが、途中の1000分の25をC11が本気出して登る姿は、
なかなか迫力があります。夕暮れ時、旧客の車内で聞く汽笛とドラフトは、
最高の贅沢でしたね。今年の秋には、C57が旧客6両を牽きます。
会津キャンペーンの最後に持ってくる辺り、JR東日本もなかなか演出が
旨いですね。今年一番の注目の列車だと思います。


投稿者 丹波
投稿日 6月 7日(火)17時49分5秒
タイトル 客車の向き
昭和36年交友社発行の客貨車関係法規便覧を閲覧してきましたのでご報告いたします。
手入力のため誤字があるかもしれませんがご容赦ください。
以下は昭和33年9月の総裁達第494号を昭和35年5月12日付け総裁達第25号で改訂したものと思われます。

客車の種別 定位
(1)食堂車 料理室を反対寄
(2)2等室と食堂車の合造車 2等室を反対寄
(3)片出入台の客車 出入台を基準寄
(4)1等緩急車 車掌室を基準寄
(5)2等寝台車 給仕室を反対寄
(6)2等寝台と他の車室との合造車 2等寝室を基準寄
(7)2等寝台緩急車及び2等緩急車 車掌室を基準寄
(8)2等室と他の車室との合造車 2等室を基準寄
(9)2等車 便所を基準寄
(10)2等緩急車 車掌室を反対寄
(11)荷物室と他の車室との合造車 荷物室を基準寄
(12)郵便室と他の車室との合造車 郵便室を基準寄
(13)郵便車及び荷物車 車掌室を基準寄
(14)前各号以外の客車 任意

これを見ると教えていただいたとおり回廊のある寝台車は例外なく山側通路になるようです。

昭和17年のものについては現在請求中ですので、入手次第改めてご報告いたします。


投稿者 安房守義将
投稿日 6月 8日(水)12時02分1秒
タイトル 客車の復活
度々お邪魔致します。
山電様の仰る中里の機材は「奥羽C623計画」の頃に調べた事があります。
結果として、台枠に歪みや亀裂が出ているもの、構体が致命的に傷んでいるものが殆どで、
改修して旅客営業に耐え得るものは2つだけでした。
この頃札転の44は未だ健在ではございましたので、参考として調べた程度ですが、
十年前ならば未だ良いものが全国に点在しておりました。
実は近年までJR基準で在来型一般車を復帰(一度廃車されたものを再び営業用とする)させるには、
運輸省法令で困難な点がございまして、秩父も真岡もそれで「専用在来車」を断念した
(そればかりでは無いのですが)事がございます。
それは一度廃車されたものを復帰させるには新造車と同等の安全基準に沿わなければならない、と言うもので、
扉の自動・客室内の防火・制動装置のレベルは無論、当然並行して便洗は排水タンク装備としなければならない・・・
となっておりました。
これは近年若干緩和されて、排水と扉の自動(運転中開閉出来ない状態ならば可)となり、
故にJR東日本で一旦廃車とした在来車をJR北海道が「クズ鉄」として格安で購入し、
タンクと扉固定装備を付けただけで新規登録した・・・言わばウルトラCをやってのけた訳でございます。
何れにせよ、機関車本体には民間企業も個人も寄付・協賛が付き易いものの、
「客車」は鉄道会社の「持ち回り」と考えられておりまして、
蒸気機関車の復元・運行費用は第三者が全額負担してくれるものの、
その企画が永く続かない場合は高額の修復費と整備に関する設備費の償却が出来ない、と言う恐さがございます。
ただ、事実として小海線や陸羽線で数年前に浮上した企画の様に、
「機関車有りとて客車が成らず」で断念・・・などと言う「本末転倒」な事も起こっております。
賛否両論ありましょうが、今後も鉄道の持つ「浪漫」と「技術文化」、そして「地域活性化」の可能性を開拓するには、
客車に関しては新造する以外無いと弊連盟では結論(調査研究チーム結論=昨年11月)しております。
第一、機関士さんの技量が国鉄時代とは異なり、それこそ定期的に運用があれば「慣れ」「コツ」も得られるのでしょうが、
忘れた頃に運行するのでは、技量は低下する、これは当然の事で、機関士さん達の熱意に左右される事では無いのです。
小海線の場合、簡易線で軸重制限が大きく、C56機かC12機で無くば走れないのですが、
33パーミル連続の勾配路線でもあり、
牽引定数は100トンで高崎所管機材で「最軽量編成」(オハニとオハ)だけとしても70トン、
運転時にはそれで定数ギリギリになってしまいます。
今日、231や207の生(艤装していない構体)ならば17〜18トンで、1両25トン以下の機材を造る事は可能で、
それに「らしい」筐体を乗せる・・・と言う様な事でもしませんと、
在来車の221列車や803列車の復活!と言う訳には行かない様です。
一方で、在来型一般車は部品さえ確保出来れば蒸気機関車同様半永久的に現用できるもので、
肝心なのは日々の「お守り」なのだと言われました。
しかして、最も重要な事は、皆様の様に在来車を愛して、情熱を持たれる方の存在です。
自己満足の趣味の領域とは言え、その「志」が複数集約されればそれは「力」になります。
その「力」で、荒唐無稽と見られる事でも実現し、継続されれば、それは「文化」に変じて参ります。
全て理想通りとならないかも知れませんが、案外「上野発在来車12B」は実現出来る「不可能」なのやも知れません。
投稿者のホームページ


投稿者 スハ32
投稿日 6月 9日(木)00時50分49秒
タイトル 客車の整備
安房守義将様
詳しく事情を説明して頂きまして恐縮です。客車もいかに維持していくかが、大切なのが
痛切に感じられます。客車の車籍復帰については、逆に緩和されてるとの事は、少々
驚きました。在来系客車も、JR任せだけにせず、ファンの手でも守り、大切にしていく
事が大事であることが判りました。陸羽西線の事だと思いますが、こちらはC11+旧客
で実現してますね。小海線も補機付きであれば、問題ないと思います。現在運転中の
只見線の1000分の25を補機無しで喘ぎながら上ってくのは、むしろ牽引に余裕の
あるC57やD51よりも迫力があります。現役時代並みの峠越えが楽しめる貴重な列車
ですね。
 客車の新製は、欧米の保存活動に比べると、日本の蒸気保存が客寄せパンダ
的で、機関車さえあればOKみたいな感じがして、どうも好きになれないのです。
私が住んでたアメリカの田舎でさえ、現役時代に牽いていた客車を大切に整備し、
そのまま使用して保存運転が行われています。
 ここで、お知らせしたいのですが、某bbsの有志がJR東日本に問い合わせ
たところ、先方では、旧型客車を二度と製造できない貴重な文化財(産業遺産)
と捉えれおり、直ぐに廃車する様な事はせず、全般検査も行うと回答がありました。
その後、今年までに、スハフ42の1両以外は、保有6両の全てが全般検査をパス
しており、継続して使用する事が可能となっています。赤帯で残ってるスハフ42
も全般検査を行うものと思われます。少しづつ考えも変わってきてるのかもしれません。


投稿者 安房守義将
投稿日 6月 9日(木)09時32分7秒
タイトル それは大変嬉しい事です。
日参してしまっておりますが、管理人様恐縮です。
スハ32様、何より御同意頂きまして感謝致します。
C623機計画におりました頃、幾度か海外の鉄道保存団体の方の警護で同行したのですが、
欧米の「産業文化財保存」は日本とは全く異質で、流石に誇りを重んじる気風なのだな、と感心しました。
客車にしろ、機関車にしろ、その保存・管理・運営・運行に「市民団体」が直接関れるのですね、
更にどこかの島国と違い「文化財」と「運輸産業機材」は別のものとされているのです。
ですから、安全基準も違うし、寄付金を受け付けて運用する「市民団体」も原則「商売」が許可されており、
同じNPOでもあちらは全然違います。
その最先進国・連合王国の視察団の方は、「この企画の素晴らしさは庶民が、特に青年が活躍している事にあります。
日本では困難な事だったでしょうが、貴方達青年がそれを変革して行く事が、鉄道文化なのです。(趣意)」と。
JR東日本が在来車を潰せないには政治的理由があります。
しかし、それを「文化遺産的価値」として公表した事は多いに喜ばしい限りです。
しかし、スエ7815は床板修繕したのかしら?発電機ベルトの緩み直したかしら??
ええ・・・高速運行中外れ掛かり凄く恐い思いをしましたので・・・
ただ、問題はその数少ない在来車がJR東日本の社宝となっていて、
今後蒸気機関車計画が持ち上がった際に「専用」と出来ない事でございます。
JR北海道に譲渡した車は、窮余の策でしたから例外としても、
この先「鉄文協方式」「パレオ方式」の「主催団体完全管理」で運行される場合は客車が無い!と言う事になります。
原則として高崎の在来車は本社運転車両課長決済のカテゴリで、修繕経費全額本社給付なのだそうですが、
支社で自由に出来るものでも無いとか。
それに、磐越東線で実証されている様に、在来車は蒸気機関車同等の「引っ叩き」がある箱で、
それにJR東日本も気付いたからには、簡単に「年間100日貸してよ」とは言えないのです。
それと、国鉄時代から変わらない事ですが、「現場」の「役所」(ここでは運転区所や駅・地区と本社や支社)は
「言葉」も「人間」も「哲学」も「根性」も「精神」も全く別なのです。
現場の高崎客車区(当時)は「どんどん使え〜」と色々便宜を計って下さったにも関わらず、
「役場」は「そんな・・・無理・無茶・出来ない・やる気しない〜」と来るのです。
が、それは「JR東日本の総意」では無いと申し上げます。
この掲示板の皆様の様に、熱い鉄道屋はまだまだ居ます。
ただ、それら「国鉄時代からの猛者」が生き残っているうちに何とかしないと・・・いけません。
長文失礼致しました。
投稿者のホームページ


投稿者 吊り掛け丼
投稿日 6月 9日(木)11時27分54秒
タイトル 皆様、はじめまして
暇潰しに(失礼!)携帯よりアクセスいたしました。皆様の投稿、大変興味深く拝読させていただきました。
私も旧客大好きで、よく小学生の頃、実家の土浦に帰省するのに、
上野駅20番線で223レ乗りたさに、一人で2時間前から並んだりしたものです。
入線時のアナウンス、ドアを開ける時の何とも言えないドキドキ感、ゆったりした深い屋根と独特の臭い、
発車時のショックとオルゴールの調べ、ポイントを渡る音、鋳鉄シューの軋む音と舞い上がる鉄粉の臭い、
膝の上に置いて開くただの幕の内弁当が、どんなにか美味に感じた事か。
何だかこのメールを打ちながら、本当にジーンと来てしまいました。
サイト名、旧客倶楽部に変えません?(笑)


投稿者 こみやさん
投稿日 6月 9日(木)23時18分30秒
タイトル 安房守義将様
今高崎にある車を大事に使い保存していくことが一番だと思います。
新造したり公園とかの保存車を現役にするのは大変です。
約20年前にオリエント急行が日本を走りました。
それにかかわった人達は義将様のような熱血ある鉄道屋です。
義将様の今後の活躍に期待しますm(__)m
それにしても熱血ある鉄道屋が上から下までいないね。
だから尼崎の悲劇が信楽の悲劇が(;;)


投稿者 丹波
投稿日 6月12日(日)00時11分20秒
タイトル 客車の向き
昭和17年の客貨車関係法規便覧を入手しましたのでご報告いたします。
結論から申し上げますと、今回入手した資料には該当の項目は含まれておりませんでした。
前回閲覧した昭和36年の法規便覧では
第1章:運転、
第2章:検査、
第3章:修繕
と続きその後の第4章:輸送の中に該当部分が記載されていましたが、今回のものは
第1編:建設規程、運転規則その他、
第2編:車両称号、塗色及び標記その他、
第3編:検査、
第4編:輪軸及び軸箱、
第5編:担バネ、
第6編:自動連結器及び暖房装置、
第7編:ブレーキ装置、
第8編:修繕及び掃除、
第9編:省外貨車、
第10編:貨物輸送、
第11編:雑、
といった内容で旅客輸送に関する規程は含まれていませんでした。
別の資料でそれらしいものがありましたので現在そちらを手配中です。
結果がわかりましたらまたご報告いたします。




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