倶楽部メモ(267)
平成17年 3月30日〜 4月 9日


投稿者 クモイ103
投稿日 3月30日(水)20時14分8秒
タイトル どこまでお調べでしょうか
>準急ながら様
 今さらですが、改めてお伺いします。
ご質問の昭和38年当時の急行西海の編成について、これまでご自身ではどのような資料をお調べになり、
どのような情報をお持ちでしょうか?
それをお示し頂いた方が、回答し易くなることもありえますので。



投稿者 準急ながら
投稿日 3月31日(木)00時47分42秒
タイトル 急行西海
>クモイ103様

急行西海に米軍関係の荷物車が連結されてた話は、あるNケージのブラス客車メーカーのサイトで知りました。
そのメーカーの製品にマニーM3212があり、その説明文から得た知識です。
米軍荷物車はマニ32からの改造車だけと思ってましたが、倶楽部メモを拝見したところ
マニ31からの改造もあったようでこれらも使用されてたのかなあと思い質問させていただきました。
米軍関係の荷物車は隔日で上り下り交替で西海に連結されたことは、編成表の多く載せてくれているサイトで知りました。
そのサイトでは具体的な荷物車の形式名は不明と書いてあったので
常時連結されている荷物車の形式がわかればなあと思い質問させていただきました。
マイクロエースが昨年彗星セットを発売してくれたので、
カトーの客車を茶色に塗ったりするだけで昭和30年代後半の東海道経由の客車急行が
Nケージでかなり再現できるようになりました。もちろん細かいことにこだわらなければの話ですが。
いろいろ寄せ集めて「霧島」は再現することができました。
「雲仙西海」はスロ51だったようで、プラの製品だけではなかなか再現できないようですが、
いつかは再現したく思ってます。その時のためにお聞きした次第です。


投稿者 ウィッシュ
投稿日 3月31日(木)10時33分11秒
タイトル オハフ33
また、くだらないことをお聞きします。
この旧型客車に使われる電装設備のことですが、照明や、扇風機など電圧は、24Vなのでしょうか?
台車に付いてる発電機は、車速が何km/h以上で有効な電圧を発生するのでしょうか?
どなたかご教示をおねがいします。 
急行西海が話題ですね。大阪万博のときに、雲仙に乗った記憶があります。10系客車だったと思います。
満員で、通路に新聞を敷いてお酒を飲まれてた人からピーナッツを頂いたことも思い出しました。


投稿者 クモイ103
投稿日 3月31日(木)22時15分2秒
タイトル 急行西海のMマニ
>準急ながら様
 “あるNゲージのブラス客車メーカー”とは、某埼玉県北東部のK店ですね。
あそこのキットは、車体全体の印象把握から細部に至るまで唸らせる出来映えですよね。
説明書も実車解説が充実していて嬉しいです。私もお値段なりの価値を認め、いくつか買っています
(予算の都合で多くは買えませんが(^^;)。
 “編成表を多く載せてくれているサイト”は、本HPのリンク集の4番目でしょうか。
やはりそのあたりは皆さんチェックなさっているのですね。

 それはともかく(早く本題に入れ(爆))、
交通博物館にある客車運用表で米軍マニの運用「米専荷1」を調べると、
実は一巡するのに一週間近くかかる雄大なものだった事がわかります。
 運用開始は品川客車区から東高島貨物駅への回送です。
おそらく横浜港で荷揚げされる米軍の荷物を積み込んだのでしょう。
積み荷状態で品川へ戻り、ここで初めて「西海」の編成に連結されて東京駅へ据え付けられます。
下り急行「西海」としてまる一昼夜かけて佐世保駅に着くと、荷物を降ろして編成ごと早岐客貨車区まで回送され、
一息入れます。帰りはその逆の行程を辿り、急行「西海」編成が品川へ入庫した後も、
独り東高島まで往復して、ようやく運用が終わります。
運用開始から実に6日目(曜日の関係で早岐で1日つぶし7日目になることもあり)です。
 さて、このような運用を週に3日実施するには、常時3両、検査予備を考えれば4両の車両が必要であることが、
容易に推測できますよね。
つまり、当時在籍した4両の“Mマニ”は、すべてきっちり使用されていた事になります。
 実際、一番古いダブルルーフのマニM−3203(マニ31 18)が
昭和40年代に入っても使われている記録があることなどから、
この4両は、最後まで一緒に仕事をしていたようです。


投稿者 準急ながら
投稿日 4月 1日(金)00時43分16秒
タイトル ありがとうございます
>クモイ103様

ご返答ありがとうございます。米専用荷物車の運用の話、鉄道趣味以外の観点からもなかなか面白いですね。
戦後という言葉を強く認識してしまうお話です。
モデモのマニ31を持ってますので、それを代用しましょうか(笑)

それにしても、出張は全国日帰りが可能、株の取引も時間外で短時間で膨大な取引ができる現在の感覚からすると、
新幹線開業前の交通手段、輸送手段は恐ろしくノンビリしてますね。

しかし、かえって移動にこれだけ時間がかけられること自体、贅沢で豊潤なことに感じてしまいます。

そんなこともあって、当時の客車急行時代は小生にとっては「おとぎの国」、とてもいとおしく思えます。



投稿者 たくたく
投稿日 4月 2日(土)17時00分47秒
タイトル オユ14の屋根の色は?
皆様、客車初心者にお教えいただければと存じます。
オユ14の屋根は何色に塗るのがもっとも現実味があるでしょうか。
GMのキットを組み立てておりますが、どうしようかと迷っております。
皆様、お教えいただければと存じます。



投稿者 P教授
投稿日 4月 5日(火)11時05分49秒
タイトル 10系寝台の編成について
初めまして。P教授と申します。10系寝台車の編成についてお教え頂けましたら幸いでございます。
10系寝台車は、S41年頃から冷房化が進み各車両の形式変更も行われたそうですが、
この間冷房車と、非冷房車の混結編成というのは存在していたのでしょうか。
(オハネ17+スハネ16のような。。。)色々自分なりに調べてみたのですが、分かりませんでした。
また、質問ばかりで恐縮なのですが、オハ46をNゲージ(スハ43、関水金属社製)で再現したく調べた所、
扉窓がHゴム化された物しか出てきませんでした。
製品のままの原型?窓のオハ46は存在はしないのでしょうか。
いずれもNゲージの編成で再現してみたく、また実車に知識が無い為質問させて頂きました。
恐れ入りますがどなたかご教授頂けましたら幸いでございます。


投稿者 準急ながら
投稿日 4月 6日(水)00時55分18秒
タイトル オハ46の扉
ピクトリアルの特集ではオハ46としての新製車は最初から扉は1枚プレスだったようです。
スハ43からの編入車は29年度の1次新製車からだそうです。スハ43の1枚プレス化は2次からだそうです。
カトーのスハ43はプレス2枚合わせ扉の表現だと思います。
つまり29年度1次車からの編入車に1枚プレスでなかったオハがあった可能性があります。
スハ43系の2等車近代化は昭和36年ごろから始まったようです。
ですので昭和40年代はほとんど1枚プレスでないオハはなくなってたと推察されます。
以上ピクトリアル読んでの推察です。

ちなみに小生はカトースハの屋根を銀色に塗ってオハに見立ててます。
屋根の押さえ板はそのまま、扉もそのままですが、走らせればそれなりに見えます。
まあ、道楽ですからそれくらい寛大な気分でやるのもいかがでしょうか。


投稿者 クモイ103
投稿日 4月 6日(水)21時13分13秒
タイトル オハ46の扉2
 私も準急ながら様と同じくピク誌の43系特集しか情報源がないのですが、若干補足をさせていただきます。
 スハ43の昭和29年度1次車は344〜423の80両で、そのうち昭和30年度にオハ46に編入されたものは374〜398の25両です。
 これらは、少なくとも当初はKATO製品に該当する2枚合わせのプレス扉を持っていたはずですが、
準急ながら様も触れられているように、後年の改造で扉が交換されている可能性があります。
 ただ、どのような場合に扉が交換されるかは、一定の基準がなく、
地域または検修担当工場の特性によるところが大きかったのではないでしょうか。
扉の交換は近代化改造の必須項目ではなく、
現にスロ53では、近代化改造後も2枚合わせのプレス扉をつけていた車両があります。
昭和58年末に乗車した室木線のスハ43など、オハ35のような木製扉でした
(近代化改造は受けていないと思いますが)。
以前話題になった窓枠のアルミサッシ化と同じように、扉の交換についても、
結局は現車1両1両をあたらなければ確かなことが言えないような気がします。
「昭和40年代はほとんど1枚プレスでないオハはなくなって」いたと判断するのは、
少し慎重になった方がよいのでは…と思います。


投稿者 P教授
投稿日 4月 6日(水)21時58分42秒
タイトル ありがとうございます。
準急ながら様、クモイ103様
色々事細かくお教え頂き有難うございました。
各工場によって改造も様々なのですね。そうなるとなおさら特定にするには骨が折れそうですね。
準急ながら様の仰いますとおり、模型では番号を変えて楽しむくらいの方が肩が凝らなくて宜しいかもしれませんね。
10系客車の件なのですが、S41年頃の「安芸」に混結の編成が存在した「らしい」との事を知りました。
色々質問ばかりで申し訳有りませんが、引き続きご教授頂けましたら幸いでございます。
どうも有難うございました。


投稿者 準急ながら
投稿日 4月 6日(水)22時59分6秒
タイトル オユ14の屋根、昭和38年の宮原運用
>たくたく様

雑誌で推察するに、12系、14系客車と同じような色で塗られてたような印象ですね。
自分ならカトーの12系と同色に近い色でぬってすこしウェザリングしてみます。あくまで推察です。

ところで、小生は昭和38年10月頃の東海道優等列車の再現したく思ってますが、
どなたかこの当時、つまり広島電化後から新幹線開業直前までの
宮原のEF58、EF61の運用について詳細をご存知の方はお見えでしょうか?
わかれば、この当時EF61が牽引してた優等列車が判明します。
下りのあさかぜ(EF60に交替直前まで)、上りの霧島は確かみたいですが、
彗星、あかつき、すばる、明星、月光、金星・出雲などはどの機関区の運用だったのでしょうか?
ご存知の方ご教授下さい。


投稿者 廣瀬
投稿日 4月 8日(金)21時45分59秒
タイトル オハ46の扉(関連情報)
準急ながら様、クモイ103様、P教授様

オハ46への直接の情報では有りませんが・・・

クモイ103様のおっしゃるように、「現車1両1両をあたらなければ」はっきりしたことは、言えないようですね。
小生も、C55時代の急行「利尻」を作ろうと悩んでいます。
 
そこで弊サイトでは、北海道の43系であるスハ45とスハフ44の個別調査を、写真で試みています。
形態調査の途中結果は、「北海道の客車」→「客車形態分類」にUPしています。

この調査結果でも「昭和29年9月以降製」の新製車は、「1枚プレス」の扉だと推察しています。
しかし、調査結果を見ていただければ、分かるように、プレス2枚合わせ扉
(弊サイトでは単に「プレス」と表記しています)も結構残っていました。
(調査時期はサイトでは明記していませんが、昭和50年以降です)

まだまだ、空白の部分が有るので、ぜひ写真を見せてください!
特に、1970年以前の写真が見たいです。
投稿者のホームページ


投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 4月 9日(土)00時38分37秒
タイトル RE:オハ46の扉
>P教授様
オハ46でHゴムではない扉はかなりレアなようですね。
私の写真でもこれ1両しかありませんでした。

昭和56年11月13日 若桜駅 322レのオハ46 379

投稿者のホームページ


投稿者 たくたく
投稿日 4月 9日(土)01時20分5秒
タイトル オユ14の屋根
準急ながら様、

お教えいただき有難うございます。
私が参考にすることが出来た写真が白黒のものばかりでしたので、色々と迷っておりました。
うっかり銀で塗らなくてよかったです。本当に有難うございました。



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