倶楽部メモ(266)
平成17年 3月12日〜 3月30日

投稿者 EF6480
投稿日 3月12日(土)20時37分7秒
タイトル RE:急行まりも
 陸奥光政さん、はじめまして。

 急行「まりも」については急行越前さんよりコメント有りましたが、私もわかる範囲で補遺させていただきます。

1.食堂車ですが昭和40年10月改正でそれまで函館ー釧路間で運転されていた「まりも」は
函館ー札幌間が「ていね」、札幌ー釧路間が「まりも」と分割されて食堂車は「ていね」のみの連結となっています。

参考資料:鉄道ジャーナル74年6月号

2.車体の色ですが青塗装となったのが昭和39年からです。
レイルNO9に昭和41年の「ていね」の写真がありましたが
この時点では青なので「まりも」も同様に考えてもいいでしょう。

3.牽引機関車ですが、昭和39年10月時点では小樽築港ー富良野がC57、富良野ー釧路がD51です。
狩勝峠新線が開通した昭和41年10月より富良野ー釧路間がDD51となっています。
参考資料:主要客車列車編成順序表(S39.10)、北海道鉄道100年史。

4.スハネ30は昭和36年頃に連結されていた事はありますが昭和40年代は?です。
ちなみにこの車両は小樽ー釧路間に運転されていた夜行普通列車の423,424レで
昭和49年にお世話になった事あります。(^.^)
投稿者のホームページ



投稿者 急行越前
投稿日 3月12日(土)21時12分53秒
タイトル RE:まりも 続き
すみません。さきほどは途中で投稿ボタンを押してしまいました。

ピクトリアルアーカイブセレクション7の巻末についていた
68年度の配置表(67年度末現在)を見ると
スハネ30の配置は小樽に2両だけです。
EF6480さまのレスによるとこれはまさしく夜行普通列車用ですね。

しかし、昔は夏季は本土から客車が多数応援に渡道していたようですから、
冷房のないスハネ30が夏季に応援に来ていた可能性が100%ないとはいえませんが、
応援だと実際編成をメモした記録や写真ががないと無理ですね。

ちなみに編成表としてはこういうサイトもあります。

http://urawa.cool.ne.jp/beppu/


「ARC資料館」→「編成表のページ」→「まりも(客車急行)」
(管理者追記)



投稿者 クモイ103
投稿日 3月12日(土)21時19分53秒
タイトル 「まりも」の食堂車
 皆様こんにちは。急行越前様が引用された「客車空気調和装置資料室」の怪資料(笑)の張本人です。
 あれは元々、そこの掲示板に連載した文章でして、室長殿のご厚意により、HPのコンテンツに加えて頂いたものです。
 執筆してから年月が経ち、その後の調査でいろいろボロが出てきていますので、そのうち更新したいと思っていますが…。

 陸奥光政様からの「まりも」に関するご質問は、すでに急行越前様、EF6480様が大部分お答えになっていますので、
 私からは1点だけ補足させていただきます。

・食堂車の近代化改造について
 「まりも」「ていね」に使用された食堂車はマシ35 1〜3で、近代化改造済みでした。
 特にこの3両は食堂窓がHゴム支持となり、独特な外観となっていました。
 ちなみにこの3両は、昭和33年、登場当初の「はつかり」に使用され、
 「はつかり」の食堂車がオシ17に置き換えられた後は同区間の急行「北斗」に使用されていたものです。
 昭和35年の秋頃(?)に北海道に渡り、五稜郭工場で近代化改造を受けた後、「まりも」の運用に就いた模様です。
 なお、「客車空気調和装置資料室」の資料を書いた時点では、36-10改正前の状況が不明でしたが、
 その後の情報で、春頃からすでに「まりも」に使われていた証拠写真がある…とのことです。


投稿者 陸奥光政
投稿日 3月12日(土)22時00分6秒
タイトル 感謝致します
皆様、二十歳前の若造の質問にお答え頂き、ありがとうございます。
感激であります!

考えた結果、製作する列車の年代を少しずらしてみようと思います。S39.10月時点での編成は、

郵便.オユ10
荷物.マニ60
 1.オロネ10
 2〜5.オハネ17
 6.ナハネフ10
13.スロ52
14.マシ35
15.スハ45
16.スハフ44

上記は急行越前様のご紹介になったサイトに掲載されていたものからです。
これならば、寝台車、食堂車、グリーン車とバランスが取れていますので、
これを基本として製作を進めていこうと思います。

色調をEF6480様の書き込みより、ちょっとあやしいかもしれませんが、All青塗装とします。(郵便・荷物除く)

プラ客車9両、金属客車3両ですので、牽引はライトパシであるC57に幽霊動力ユニットを荷物車に付けて牽かせます。

しかし、やはり問題はスハネ30の増結を個人的にはやりたい・・・・・ので、
強引かもしれませんが連結したいとおもいますが、もし組み込む場合はB寝台車の前端か後端(緩急車を除く)
という可能性が高いと考えた方が良いでしょうか?
尚、急行大雪の編成に組み込まれている写真は

 →http://www.photoland-aris.com/d51515/

「モノクロームの残像」→「北海道1」(管理者追記)

また、郵便・荷物は航送可能車両と考えるのが妥当だと思うので、
隅田川配属の車両という事で考えた方が良いでしょうか?
尚、隅田川配属の車両の場合、マニ61が連結されていた可能性はありますでしょうか?

資料を持っていても、実際の車両の動向が私には全く分かりません。
旧型客車すら、写真の中でしかろくすっぽ見たことがないので。(汗

もう一度、ご指南の程をお願い致します。
投稿者のホームページ


投稿者 クモイ103
投稿日 3月13日(日)11時36分27秒
タイトル まりもの編成
>陸奥光政様

 模型の構想が具体化されたようで、なによりです。

 細かいことですが、念のため補足を。
 「グリーン車」「B寝台車」という用語をお使いになっていますが、
 これらは昭和44年5月10日に登場したものです。
 今回想定されている昭和39年ならば「1等車」「2等寝台車」であり、
 四つ葉のグリーンカーマークは時代考証上誤りとなります。

 急行越前様のご紹介による編成記録は、札幌−釧路間の夜行区間での編成ですね。
 国鉄部内資料「主要客車列車編成順序表」では、2号車がナハネフ10、3〜6号車がオハネ17になっています。
 ハネ車の増結は、常識的には6号車の次(下り列車では前)が自然でしょうけれど、
 ぜったいそうとは限らないのが客車列車の面白さですから…。

 本州−北海道間の航送車は、各所の所属がありましたが、下り17レ「まりも」では、盛航21オユ+東航1マニです。
 39-10改正直後となる昭和40年3月末現在の配置状況から、これらの使用車両を推定してみます。
 まずオユ車について。盛岡鉄道管理局管内の所属車は、青森のオユ10 1017〜1023、1032の8両のみです。
 これでほぼ間違いないでしょう。
 次にマニ車について。東航1は上野から15レ「十和田」でやって来たもので、
 トップナンバーの運用番号からも、尾久の可能性が高いと思われます。
 尾久のマニ車は、マニ31…5両、マニ32…9両、マニ34…2両、マニ35…14両、マニ60…8両で、マニ61はありません。
 マニ34は別格として(笑)、全くの推測ですが、マニ60の他にマニ35も航送運用に使われたのではないでしょうか。



投稿者 陸奥光政
投稿日 3月14日(月)23時15分21秒
タイトル Re:まりもの編成
>クモイ103様
ご指南ありがとうございます。
早速、車両を確保しに行きたいと思います。

手短ですが、これにて失礼致します。
本当にありがとうございました。
投稿者のホームページ




投稿者 旧保津峡駅
投稿日 3月15日(火)22時41分39秒
タイトル C623様
情報ありがとうございますm(__)m倉吉線に実際乗車されていいですねえ。

1982〜1986年ごろの山陰、紀勢、小浜線の旧型客車編成を記録された方いらっしゃい
ましたらご教授よろしくお願い致しますm(__)m
また同時期に走った京都からの急行「白兎」や「丹後」の臨時客車列車のことをご存知
の方いらっしゃいましたら、こちらのほうもご教授の程よろしくお願いしますm(__)m


投稿者 デハ5556
投稿日 3月20日(日)14時48分25秒
タイトル スハシ29・38の室内
初めて書き込み致します。
最近、キングスホビーのスハシ385号と同104号を知人から譲り受けました。
同形車の室内写真では、戦前のものが交友社「100年の国鉄車両」に掲載されており、
戦後のものでは「ファン」77年6月号にスハシ386号のものと
「急行あおばの食堂車」とした、スハシ29100形?のものがあり、
「ピクトリアル」89年5月号にスハシ38102号の現役当時のものがありますが、
長野工場改装のスハシ381〜5号のものはまだ見たことがありません。
旭川工場改装の車(386・21〜23・101〜104)との差異はあったのでしょうか?
乗車経験やご存じの方がいらっしゃれば、ぜひともご教授戴けると幸いです。


投稿者 デハ5556
投稿日 3月23日(水)21時37分33秒
タイトル 切腹!
↓への自爆レスです。

よりによって、ビクトリアル誌5月号の特集が食堂車だったのを見落としていました。何たる不覚・・・・。

で、5月号の42ページにスハシ38二重屋根車の座席室側の写真が掲載されていました。
車内の造りはスハシ386号と同様でしたが、天井照明や帽子掛け、イスの形状は異なっていました。
これが長野工場改装車なのかどうかは判らないのですが、スハシ38については改装所の別なく、
写真のような室内見付だったのでしょうか。


投稿者 C63
投稿日 3月24日(木)21時10分58秒
タイトル 銀河2号
昭和50年1月2日東京発22:45 下り
EF58 ?
 1 オハネフ12  20
 2 オロネ 10   4 日本車輌 S34
 3 スハネ 16 119 幡生工場 S41改
 4 スハネ 16 160 多度津工場S42改
 5 欠車
 6 スハネ 16 181 多度津工場S42改
 7 スハネ 16 255 鷹取工場 S41改 幡生工場 S41改
 8 スハネ 16 164 鹿児島工場S41改
 9 スハネ 16 166 ?
10 オハネ 16 169 小倉工場 S38改 鷹取工場 S41改
11 オハネ 12  36 高砂工場 S45改
12 オハネフ12  24 ?
13 スハ  44  30 汽車会社 S26
14 スハフ 43   3 汽車会社 S26

古い記録で上記のようなものが出てきました。
製造(改造)工場は抜けているところもあります。
乗車したのは3号車で、米原まで乗りました。 
ほんの参考までに・・・。


投稿者 準急ながら
投稿日 3月28日(月)23時00分12秒
タイトル 急行西海の荷物車
昭和38年当時の急行西海の編成を調べてます。
曜日によって荷物車が2両連結されてたようですが、増結される1両はマニM−3212だったのでしょうか?
残りの1両はマニ32だったり、マニ60だったりしてたのでしょうか?

どなたかご教授おねがいいたします。


投稿者 クモイ103
投稿日 3月29日(火)22時14分32秒
タイトル Re:急行西海の荷物車
>準急ながら様
 急行「西海」に曜日限定で連結されていた米軍専用荷物車については、
過去ログ「倶楽部メモ−90」〜「91」にありますので、ご参照下さい。
 毎日連結のマニ車は早岐の車両で、昭和36年頃から昭和41年頃までの配置はマニ60のみでした。
この間、あまり変化はなかった模様です。


投稿者 準急ながら
投稿日 3月29日(火)23時58分34秒
タイトル ありがとうございます
>クモイ103殿

ご教授ありがとうございます。米軍専用車じゃないほうはマニ60だったんですね。
米軍専用車はマニ32改造以外にマニ31改造だったこともあるのでしょうか?


投稿者 PF
投稿日 3月30日(水)12時16分32秒
タイトル 20系客車
久しぶりに来ました、質問があります。
20系客車のドアは開閉のどちらが手動なのですか?
あと寝台急行新星の入線時間と発車時間は何時なのですか?
分かる方、回答をお願いします。




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