倶楽部メモ(263)
平成17年 2月17日〜 2月24日


投稿者 紀州
投稿日 2月17日(木)21時04分18秒
タイトル 客車"くまの"・"しらはま"時代
イケトラ様…。
併結は私の早トチリでした。失礼しました。
おそらく、全指定準急「きのくに」のみDCで運転された時代か、それ以前のダイヤと
推測できますね。…と言うことは昭和20年代後半〜30年代前半でしょうね。
しかし2分割された下り天王寺行きは5〜6両であるのに
EF52が重連で牽引する必要はなかったのでは?と思ってしまいますね。



投稿者 EF5841
投稿日 2月17日(木)21時35分37秒
タイトル 御殿場腺
御殿場腺ローカルの場合、5両ないし7両程度が雰囲気的ないます。
東京乗り入れの場合、9両程度です。

30年代の東海道ローカルは、荷物車(合造車の場合もある。)、普通2等座席車(オロ40、オロ35等)
ほか普通座席車6ー10両程度でした。

スハ32が結構幅をきかせていました。
なぜ、スハ32かといいますと、車両の造りはオハ35よりも丁寧で、しっかりしていました。

古き、鉄道華やかなりし頃の贅沢な造りです。
スハ43よりも場合によっては、丁寧なくらいです。

10系客車は見てくれは良くても車体としての中身は貧弱です。


投稿者 オクタゴニアン
投稿日 2月17日(木)23時40分26秒
タイトル City of Tokyo
昭和23年ごろ進駐軍・外国人専用観光列車として満鉄「あじあ」、アメリカ・バット製の
「スムースサイド」の日本版のような流線型の「City of Tokyo」が企画された、
ときいたのですがご存知のかたご教授願います・


投稿者 EF5841
投稿日 2月18日(金)09時36分40秒
タイトル Re:City of Tokyo
外国人の占領下の日本への渡航が緩和されたことを受け、観光客の増加が見込まれることから、
昭和23年頃、外国人専用列車運行の構想がたてられました。
以下のような10両編成(固定編成ではない。)です。

1号車   荷物・電源車
2・3号車 座席車(リクライニングシート、定員27名)
4号車   ロビー(ラウンジ)車
5号車   食堂車
6・7号車 寝台車(1人個室、定員12名)
8・9号車 寝台車(2人個室、定員12名)
10号車  展望車(密閉式展望)

このことについて、星晃著「回想の旅客車(下)」交友社 に詳しい記載があります。


投稿者 やまはn
投稿日 2月21日(月)13時09分17秒
タイトル 御殿場線慕情
最近、御殿場線関係の投稿が多いので、まぜてください。
以前にも投書しましたが、電化当時(1968年)小学校6年生で、
大岡駅近くに住んでいましたので、とても懐かしく、
103列車機関士さんのように、いつの日か、モデルで再現しようと思いながら、齢を重ねてきました。
そうですね、御殿場線客レといえば、狭窓スハ32系が特徴的ですが、
当時としてもレアものだったのが、スハニ31ですよね。
特に、静ヌマには、2両のダブルルーフが配置されていたのが特筆に値すると思います。
これらは2両とも木製の座席でした。
あと、シングルルーフのスハニ31と、オハ35系一族広窓のスハニ32もいました。
その後駅員一人配置になりましたが、当時の大岡駅は交換設備がないにもかかわらず、
数人の駅員がいて、スハニから荷物を投げおろしていたのを思い出します。
鉄道が「鉄臭くて」元気だった時代の話です。
なお、余談ですが、当時は珍しくもなかったバス窓キハ17系一族のキハ51と
これまたバス窓キハ55の混結気動車レも、今となっては、懐かしい鉄道原風景の一幕となりましたね。
奇しくも、関水金属からキハ17系発売とか・・・いよいよ御殿場線レイアウト建設の時期か!



投稿者 EF5841
投稿日 2月22日(火)09時26分43秒
タイトル 御殿場線といえば!!
御殿場線といえば、昭和40年代初めまで、一部区間に本線時代の名残の鉄製枕木が敷設されてましたね!!
鉄製枕木区間の列車の通過音は、キングレコードの日本のドキュメンタリーシリーズの
「御殿場線のD52」に収録されています。
ひときわ甲高い音です。
自動閉塞があたり前となった今では、使用することができません。
タブレット閉塞だからからなせる技ですね!!



投稿者 103列車機関士
投稿日 2月22日(火)21時24分5秒
タイトル おお御殿場線
EF5841さま、やまはN様、
有難う御座います。ほんと機関車のために編成をそろえるだけにしようと
思ったのですが、そう言えばキハ51なんかもいましたよね、
そうなると小田急のキハ5000(でしたっけ?)にと泥沼にはまりそうです。
スハニ31はブドウ色2号のバリエイションと言う事で
早速工作に入りました!今回は有難う御座いました、
みなさま!
この頃の客車の思い出話をお聞かせください!今後の編成計画の
参考にしたいのですが・・・
とくに高崎線や千葉方面を調べたく思います。


投稿者 EF5841
投稿日 2月23日(水)07時36分36秒
タイトル まだまだ、御殿場腺
御殿場腺の最終日は、昭和43年6月30日でした。
当日、4本の「お別れ列車」が運転されました。

684列車 D51389 貨物
926列車 詳細不明
927列車 D5270 編成は沼津寄から スハニ32 スハ32 スハ32 スハ32 オハフ33
929列車 D5272 旅客最終列車 なお、沼津寄は、スハニ32

以上判明しました。


投稿者 やまはn
投稿日 2月23日(水)12時36分44秒
タイトル 御殿場線D52最後のまさにその日
EF5841様、ありがとうございます。実はその日、私は926レ&927レに乗っていました。
日曜日で、学校が休みだったのです。D52の力強いドラフト音と石炭の煤煙の匂いが、蘇るようです。
この、926レ&927レは、沼津から出て、国府津に約1時間停車して折り返す運用だったので、客車は同じです。
ロコはどうだったか・・・
蛇足ですが、翌7月1日は月曜日ではありますが、沼津市の市制記念日で学校が休み。
そこで、電車化された御殿場線に乗ってみました。
当時は、SL客レが消えてしまい、とても落胆していましたが、そのあとやってきたモハ72系(いわゆるゲタ電)も、
今となっては、懐かしい「鉄臭い」鉄道原風景の仲間ですよね(^0^)
あ、そうそう、電車化されて一番つまらなくなったのは、岩波と富士岡のスイッチバックが無くなったことでした。
引き上げ線のない本線上で、そろそろとバックするのは、とてもわくわくしました。
ああいうスイッチバックは、全国でもここだけだったのでは???
ああ、もう蛇足ついでに、そのころ、中央線に初めて乗ったのですが、
韮崎から小淵沢にかけて、何駅もスイッチバックが続くのに、もうそれはそれは感激しました。
御殿場線と違って、引き上げ線有りなんですから・・・EF13が暖房車マヌを従えていましたっけ。
止まらなくなるので、とりあえずこの辺で。


投稿者 EF5841
投稿日 2月23日(水)12時48分19秒
タイトル 房総方面
房総方面 昭和30年代半ばから電化前でしたら
特徴的なのは、
1 キハ35900番台(ステンレス車)
2 青15号のオハ61系
3 海水浴臨時電車 DD13重連、電源車(サハ17改造)の後に、80系、73系
4 キハ15
5 担ぎや専用列車
以上が他線区にないポイントです。
後は、客車はオハ61系、オハ35系  キハ17系気動車  C57、C58、8620以上佐倉区、D51新小岩区


投稿者 EF5841
投稿日 2月24日(木)09時44分53秒
タイトル まだまだ御殿場線
やまはn様は、最終日の列車に乗車されていたのですか。
小生は所要で行くことが出来ませんでした。
昭和43年春が見納めでした。
そういえば、最終日の923列車(旅客一番列車)は、D5272(旅客最終列車を牽引)でしたね。


投稿者 EF5841
投稿日 2月24日(木)09時50分11秒
タイトル 43.10
43.10は、全国的に近代化が加速したダイヤの大改正でしたね!!
その一方で、東海道方面では、長距離普通客車列車が全廃されました。
乗車率の高かった143列車 大阪行も無くなりました。
その代替措置として、ムーライトながら の前身143M大垣行が設定されました。


投稿者 昔の修学旅行生の息子
投稿日 2月24日(木)15時46分55秒
タイトル 玄海と雲仙について
今から約40年前。昭和61年頃、
私の父が高校生だった頃に修学旅行で『京都〜長崎』まで、夜行急行を使ったらしいのですが、
父は列車の名前も覚えてないらしく、どの列車を使ったのかわかりません。
一応調べた結果『玄海』か『雲仙』のどちらかだと思うのですがあってますでしょうか?
あと、父の誕生日に、その時乗った列車のNゲージをプレゼントしようと思うのですが、編成がわかりません。
ご存知の方がいらっしゃいましたら、お力添えをお願いします。


投稿者 EF5841
投稿日 2月24日(木)16時03分26秒
タイトル 玄海・雲仙
玄海・雲仙の乗車区間は、 京都 > 長崎  乗車年は、昭和41年頃 ということですね?

後ほど、編成表を書き込みます。



「客車倶楽部」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから