倶楽部メモ(256)
平成16年12月 2日〜12月13日


投稿者 EF57-11
投稿日 12月 2日(木)14時18分43秒
タイトル 43-10と東北線
 43-10改正は東北本線全線電化完成に象徴されるように、
それまで東海道中心だった鉄道の近代化がやっと東北に回ってきたと言うことで意義深いものがあったと思います。

 それでもなお、普通列車を中心に古い客車による長距離運行と言った形態がまとまった形で残ったあたり、
当時の国鉄の東北に対する見方がよく分かります。
東海道あたりだともう電車でも80系から113系へ世代交代の時代ですから。

 でもまだまだ国鉄が輝いていた時代で、特急列車もさることながら、
この季節になると思い出すのは、上野駅の帰省ラッシュなんかがすごかったこと。
夜行列車待ちのテント、数え切れないほどの夜行臨時列車。
上野駅が満杯になって品川から山手貨物を経由して東北線へ向かうものがあったり、
機関車が足りなくなって普段は荷物用のEF56が旅客の先頭に立ったり、とても賑やかな光景が展開しました。
 客車も予備車のかき集めらしく、茶色のオハ35やスハ32はもちろん、
ひどいのになるとオハ61なんかも混ざっていましたね。
61系は台車が悪いので80kmくらいになるとピッチングはひどいし、シートピッチもせまく、おまけに背中は板張り。
こんなのでよく急行券を取れるなあと思いました。

 今は新幹線になったからというわけでもなさそうですが、年末年始もあそこまでの混雑は無くなったし、
何よりかつての始発駅上野も新幹線の途中駅となってすっかりさびしくなってしまいました。

 43-10から東北新幹線開通あたりまでの時代の東北線上野口は、
新しいものと古いものが入り混じって、眺めていて飽きなかったですね。



投稿者 あさかぜ
投稿日 12月 2日(木)18時19分2秒
タイトル 残念の一言です。
 はじめまして。このコーナーは、よく見ているのですが、掲示するのは、はじめてです。
この前決まったあさかぜ、さくらの廃止がとても残念です。
特にあさかぜは、はじめてのった寝台列車だったのでざんねんです。



投稿者 キハ26 421
投稿日 12月 4日(土)20時01分18秒
タイトル 何とかならないのか・
はじめまして。寝台列車がまた廃止となりますね。
私は、長崎に住んでおります。
家族で関東方面へ旅行、または出張などでよくあさかぜを利用していました。
さくらは、正午近くに東京に到着するのであまり利用しません。
TDRの開園にも余裕で間に合うし、会議にも間に合うなどかなり便利な乗り物です。
でも、致命的な欠点である料金がちょぴり高いということです。
このあたりを改善すると新しい客が開拓できるのでは?と考えますが、いかがなものでしょうか。
JRさんも国鉄的発想をやめて、航空会社に奪われた客を取り戻す努力をしてもらいたいものです。


投稿者 浪速の某
投稿日 12月 4日(土)21時42分27秒
タイトル いまの意識では。
いや、「客車=国鉄時代そのもの」だから、はやく脱却したいのでしょうね。
しかし、そっちのほうに意識を囚われているあまり、
航空会社やマイカーに奪い去られた客を取り戻す努力には、ついに目を向けずに
終わりそうですね。


投稿者 ア・ドン
投稿日 12月 5日(日)11時21分32秒
タイトル 秋田のスユ16
 秋田に所属していたスユ16は、旧客との連結シーンばかりが写真で見ますが、
50系との併結運用はあったのでしょうか?
 今となっては古い時代のために資料が足らず、模型編成の際に困っています。
 MR管は新製時にはなかったのはわかるのですけど、後年の改造もありえますからね。
 資料お持ちの方、できればよろしくおねがいします。



投稿者 ウイッシュ
投稿日 12月 5日(日)20時59分45秒
タイトル オハフ33
 稚拙な質問ですが、オハフ33 285という客車に中学生の頃、鳥栖から佐賀まで乗車した記憶があります。
車内の設備がすべて木製でサッシや、ブラインドに至るまで職人が丹精込めた作品ともいうべきインテリアでした。
このオハフ33は大所帯とは知っていますが、製造された年代を示す資料がありません。
どなたかご存知であれば、ご教示お願いします。



投稿者 旧保津峡駅
投稿日 12月 6日(月)01時08分7秒
タイトル オハフ33 285
>ウイッシュ様
鉄道ピクトリアルによると、お尋ねの車両は1941年3月8日に落成されてると
なってました。製作は梅鉢車両です。


投稿者 103列車機関士
投稿日 12月 6日(月)20時41分5秒
タイトル またいい本が出ますね、
みなさまお疲れ様です。
今度、カツミから「国鉄鋼製客車オハ31のすべて」なる本が
出る模様ですね、収録内容から見ると、憶測なんですが昔鉄道ファンで
連載されていた国鉄鋼製客車の復刻なのではないか?といった内容です。
今回は上巻と言う事なのでかなり期待できそうです。
戦災復旧車も含まれるのでしょうか?楽しみです。

あさかぜ、さくらの報、残念です。私の世代はブルトレブームにドンピシャ
なんです。あこがれましたねー、


投稿者 こねこ
投稿日 12月 7日(火)20時55分31秒
タイトル オハ31
103列車機関士様、おひさしぶりです。

オハ31つながりをひとつ。
津軽鉄道のオハ31が大宮の新交通博物館に保存されるリストに入ったようです。
保存状態も??だったようなので動向が気になっていました。


投稿者 準急ながら
投稿日 12月 8日(水)22時26分48秒
タイトル マイ38
お久しぶりです。KATOの青大将「はと」の詳細が判明。
特別二等はスロ54で行くようです。加えてマイ38の増結セットも出るようです。
自分は東海道沿線に住んでますのでマイ38購入すると思いますが、もっと他に出すものがあるような......
非冷房時代、茶色時代の10系とか、正確な寸法でクロ151やクハ151やモハシ150を出すとか。
営業を考えてもそのほうが売れるのではないかと思います。
カトーは時々マイナーに走りますね。スロ60もたしか100番台。
皆さんはどう思われますか?

そういえば早くも「さよならあさかぜセット」も出るようです。


投稿者 廣瀬
投稿日 12月12日(日)18時13分54秒
タイトル 国鉄鋼製客車史を入手
注文していた、国鉄鋼製客車史第1編上巻「オハ31形(オハ44400)の一族」
が鉄道史編さん会から届きました。
予想に違わず、良い本です。始めにグラフページが有り、前半の解説に続いて、詳細図が続いています。
膨大な資料を集大成したものであり、客車研究・模型制作には欠かせないシリーズとなりそうです。
続刊を期待しています。
この内容・ボリューム(430ページ)で、8500円は安いと思います。
投稿者のホームページ



投稿者 紀州
投稿日 12月12日(日)23時44分28秒
タイトル 紀勢線の客車準急下り「南紀2号」
初めて投稿させていただきます。
突然違った話題を挟んでしまい大変申し訳ありません。
昭和30年代には、ほぼDC化を終えた紀勢線の優等列車ですが
不思議なことに、下り天王寺行の「南紀2号」のみ定期でありながら
SLが重連で牽引する客車列車でありました。
私の疑問は何故、片方向のみの定期準急客車列車が存在したのか?
この「南紀2号」は一時DC化されたものの、またわざわざ何故SL牽引で
客車列車として復活したのか?
そして、東和歌山ではED60の牽引力の関係で列車は二分割され先発と後発に分かれて
天王寺へと向かったらしいが何故ED60を重連にて牽引できなかったのか?
子供の頃からの長年の疑問です。
どなたかお分かりの方がおられましたら是非ご教示くださいませんでしょうか。
よろしくお願い申し上げます。


投稿者 クモイ103
投稿日 12月13日(月)22時53分55秒
タイトル Re:紀勢線の客車準急下り「南紀2号」
 紀州 様、はじめまして。
 手元の時刻表をひっくり返して見ました。
◆昭和34年7月号…
 紀勢本線全通時のダイヤでは、客車・気動車の上下のバランスはとれていました。
◆昭和36年9月号(※注)、昭和39年9月号、昭和39年10月号…
 準急「南紀」3往復のうち、下り2号(現在は「上り」となっている新宮→天王寺方向)だけが客車で、
 他の2.5往復は気動車です。
 さて、この時代の紀勢本線和歌山口のページをよーく観察すると、思わずニヤリとしてしまいます。
 なんと、名古屋−天王時間を走る普通客車列車(新宮−天王寺間夜行、のちの「南紀」→「はやたま」)が、
 下りのみ新宮で打ち切られ、そこから天王寺までの夜行区間は気動車普通列車が接続しているではありませんか。
 つまり、準急「南紀」のうち上下各1本は、普通列車とペア運用を組み、
 その片方が客車運用だったというのが、種明かしということになりますね。
 そこで、なぜこのような運用が組まれたのか、と考えますと、
 もしかして、南海直通客車の関係だったのではないかと思い当たります。
 下り新宮発天王寺行き準急「南紀2号」と、上り天王寺発名古屋行き夜行普通列車には、
 いずれも難波−新宮間の南海直通車が併結されており、
 これがうまく1日で往復する運用が可能なダイヤになっていたのです。
 これが、かの有名なサハ4800の運用だったのですね。
 (※注)昭和36年9月号では、下り「南紀2号」にも他の南紀号と同じく気動車マークが付いています。
 しかし、表定速度が他の2本より格段に遅い点、また、南海電鉄のページには気動車マークが無い点、
 そして南海直通列車の客車・気動車のバランスの点から、気動車マークは誤植で、客車だったのではないかと思われます。
 ちなみに、列車番号の末尾にM(電車)、D(気動車)をつけて区別するようになったのは、
 その翌月の36−10白紙改正の時からでした。
◆昭和42年9月号…
 天王寺口の定期優等列車から客車の運用はなくなり、
 名古屋−天王時間の夜行普通列車は、往復とも全区間客車の通し運転が復活しています。
 なお、南海直通客車は、上り(新宮行き)が従前通り名古屋行き夜行に併結ですが、
 下り(難波行き)は新宮を朝方に出る上り昼行普通列車に併結で、
 ねぐらの住之江検車区に戻る運用となっているようです。

 なお、阪和線内で2分割されたというお話、時刻表からは読みとれませんでした。
 ご指摘のおかげで、今まで気が付かなかったことに気付かせて頂きました。
 いや〜、時刻表って、ホントに面白いですねー。



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