倶楽部メモ(238)
平成16年 5月30日〜 6月 9日


投稿者 まろねふ
投稿日 5月30日(日)16時59分9秒
タイトル Re:塗装
>旧保津峡駅さま
はじめまして。当方は島根県の出身で懐かしい番号も見受けられます。
さて、私の手元に昭和57年4月1日現在の国鉄部内用客車配置表があります。
それによりますと、お尋ねの車両は次のようになります。

オハフ33 21(廃車) 223(鳥取) 284(廃車) 290(廃車) 394(浜田) 567(福知山)
スハフ42 2103(浜田) 2198(福知山)…全て体質改善車
オハ47 17(福知山)…体質改善車
オハ35 1028(福知山) 3224(→オハフ333541)…1028は体質改善車
オハ46 47(浜田) 2040(浜田)…体質改善車

仙コリ様が書かれた通りの車体色に加えて、スハフ422103は間違いなく青色です。実際に見ていたのと写真があります。
また、オハフ33223と567は体質改善未施工車なので茶色ではないかと推測します。

参考資料:国鉄内部資料客車区別配置表
     客車データベースキット



投稿者 旧保津峡駅
投稿日 5月30日(日)23時56分14秒
タイトル たびたびすいません
まろねふ様貴重な目撃談ありがとうございます。
あまり詳しく知らないので、こうやってお二人の方々からの情報は大変うれしく思います。
ところで、体質改善工事を受けた車両は必ず青色塗装になっていると考えて差し支えないのでしょうか?
またご存知の方、情報知ってられましたら宜しくです。


投稿者 ストーブ列車
投稿日 5月31日(月)00時23分27秒
タイトル ありがとうございます
クモイ103様、情報ありがとうございました。
観光団体列車のことがだいぶわかってきました。

旧保津峡駅様の「体質改善工事を受けた車両は必ず青色塗装?」
私も詳しく知りたいところです。
10系を含めた旧客は調べれば調べるほど疑問がわいてきますね。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 5月31日(月)11時21分26秒
タイトル 体質改善工事と青色塗装
旧保津峡駅さま、ストーブ列車さま

体質改善工事と青色塗装については過去に何度か話題になっておりますが、
客車の青色塗装については、主に昭和30年代に行われた近代化改造工事を施行された車両が青色塗装化されたもので、
昭和50年前後に施工された体質改善工事とは基本的に無関係であるようです。
とはいえ体質改善工事は近代化改造工事を施行された車両を中心に行われたようですので、
ほぼ体質改善工事を受けた車両イコール青色塗装と考えても良いようです。
ただし「近代化工事は施工されたが体質改善工事は未施工」・「近代化工事は未施工だが体質改善工事は施工された」車両が
少数ながら存在するようで、必ずイコールとはなっていないことを注意しなければならないようです。
ちなみに前回参考文献とした「JRR国鉄気動車客車編成表」の83年版以前には車体の色と体質改善工事施工の状況が
記載されており、83年版の旧型客車の座席車(オハニ等の合造車を含む・すべて青色の10系以降は除外)を調べてみると、
当時在籍した約1,400両のうち、体質改善工事未施工だが青色の車両が21両、体質改善工事施工車だが茶色の車両が13両
となっています。
全体から見れば1〜2パーセント程度ですが例外は存在するということで・・・


投稿者 こう
投稿日 5月31日(月)15時42分11秒
タイトル 体質改善工事・・
昭和50年前後に施行された体質改善工事とは、配管、配線、その他車両の保守上必要な部品類の
根本的な延命工事だったのではないでしょうか・・
これと室内外の工事は同時に行われる時と、必要な部分のみ至急で行われるときがあったように思います。
今、この記録を探していますが、なかなか見つかりません。
車体の青色塗装は、昭和30年代後半からの近代化改造(当時の急行型電車に準じた内装にする工事)
施行済み車は大体青でしたが、これにも支社工事と本社工事があり、微妙に内容が異なっていたようです。
オハ35に内外装とも近代化された車があるかと思えば、スハ43に車内ニス塗り、茶色の車体のクルマもありました。
ただし、昭和50年ころになると、あまり近代化改造はされなくなります。
12系が登場し、その必要がなくなったからでしょうか・・
投稿者のホームページ



投稿者 103列車機関士
投稿日 5月31日(月)20時19分45秒
タイトル 戦前客車の屋根、
皆様!ご無沙汰しております。
今まで古い客車の屋根は黒っぽく塗装していましたが
スハ33000など新製配置の印象でピカピカに塗装したい
と思います。GMカラーで言いますと屋根は35番、ガラベンはねずみ1号
がセオリーですが戦前の場合どうなのでしょう?落成写真などを見ると
明るい灰色のような印象を受けます。


投稿者 旧保津峡駅
投稿日 6月 4日(金)22時19分27秒
タイトル 奥深いですね
車掌@仙コリ様・こう様ありがとうございます。

なるほど、青色塗装と茶色塗装車には異例もあると言うことですね。
それにしても旧一般型客車とひとくちにいっても、所属区や生産工場などによって
いろいろな形態があって奥深いですね。


投稿者 エアスマップIRE
投稿日 6月 5日(土)22時30分7秒
タイトル ぼくと客車列車
ぼくが。初めて。客車列車に乗ったのは。若杉学園(京都市南区東九条)に通っていた時で。
お母さんが。郷里の福知山に。帰省していたときのことです。
朝。山陰本線の福知山駅から客車列車に乗って。京都駅まで行ったことがあります。
オハ35系客車が中心で10系客車や43系客車などが。福知山客貨車区だけで。
当時は。たくさん在籍していたそうです。
DD51型(1000番台が主に使われ。500番台・700番台が牽引する時もあった。)
に牽引されて。福知山を出た。客車列車は。綾部・園部を経て。無事に。京都に着いたそうです。
あれから。数年がたち。ぼくが乗った。旧型客車列車が。走った。
山陰本線の。京都−福知山間は。今は。183系特急型電車や113系(115系)近郊型電車が走る。
電化路線へと変貌を遂げたそうです。
ぼくが乗った。旧型客車が。発着した。福知山駅も。高架駅に生まれ変わろうとしている一方で。ぼくが旧型客車を降りた。
京都駅も。今はJR京都伊勢丹デパートが入っている。京都駅ビルが建っている駅となっているようで。
ぼくと旧型客車の想い出は。心の中で輝いています。


投稿者 こう
投稿日 6月 6日(日)18時35分49秒
タイトル 簡易寝台車
>エアスマップIREさま。。大切な思い出ですね。
僕も良く山陰線や福知山線の列車には乗りました。きちんと記録しておくんだったと悔やんでします。
その記録がきちんと出来ていない話の続きですが・・

先日来、高砂工場関係の資料を色々漁っていました。
その中に僕自身の作業手帳・・最初の1冊だけが見つかったのですが・・これに簡易寝台車の車番が何両か出てきました。
所属はいずれも大ヒメだったと思います。
スハ432488、オハ462042、スハフ422303、スハ432489でした。あと2両ほどあったかと思いますが、
自分が担当したクルマしかメモをとっていないので、現状でわかるのはこれだけです。
実際にこれに乗車された方、寝台を使われた方はあるのでしょうか?
車両の中身は・・座席部分のつくりは良く覚えていますが、
背もたれに載せる板がどんなだったかは簡易寝台廃止後の工場では知る由もなく、当時、不思議に思った記憶があります。
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投稿者 こう
投稿日 6月 8日(火)10時25分48秒
タイトル 画像BBSに
連続で失礼します。簡易寝台車の室内画像を門タケさまから、僕の画像BBSに送っていただきました。
実際の運用状態は知らなかったので、これはすごい画像だと思いました。
興味のある方、下のホームページから、画像BBSへすすんでくださいませ。
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投稿者 クモイ103
投稿日 6月 8日(火)22時27分51秒
タイトル Re:簡易寝台車
 こう様の画像BBSから、「簡易寝台車」の話題を勝手に転線(?)します(笑)。
 最近神保町で、鉄道ピクトリアル449号(1985年6月・<特集>スハ43系客車)を入手しました。
小野田滋氏による解説記事の中に、
「改造は高砂工場で行われ,全車宮原客車区に所属して“リラックスカー”の愛称で団体輸送に利用された.」とあります。
こう様のお話では姫路所属とのことですが、実際には姫路区で管理していたのでしょうか。
 葛英一氏、小野田滋氏、勝村彰氏による車歴表には、対象車9両の車番と改造・復元日が記載されています。対象車は、
・スハ43 2240・2488・2489
・オハ46 2040・2042・2043
・スハフ42 2110・2121・2303
 簡易寝台車への改造はS.44年8〜10月、復元はS.53年7〜8月、全て高砂工場施行とのことです。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 6月 9日(水)01時28分37秒
タイトル Re2:簡易寝台車
こう様、クモイ103様
簡易寝台車(リラックスカー)については鉄道ピクトリアル719号(2002年7月・<特集>スハ43系(2))にも記載があり
23ページの「リラックスカー改造」の説明文には449号と同様に、9両が改造され宮原客車区に配置とありますが、
同書の29ページに対象車のスハ43 2488の客車履歴票が記載されていて
簡易寝台取付が昭和44年10月、同取外しが昭和53年7月、どちらも高砂工場で施工
簡易寝台取付時の配置は宮原ですが、昭和47年10月に姫路に転属とあります。
おそらく他の車両も同時期に転属していると推測できるので、こう様のご記憶はこの時期であろうと思われます。

それよりも問題となるのは改造台数ですよね。
同書にも実際に客車履歴票で確認されたのは5両とありますし、なによりも改造の現場にいられたこう様のご記憶が
6両ほどだったということは、本当に9両が改造されたのかどうか・・・。


投稿者 こう
投稿日 6月 9日(水)14時08分59秒
タイトル Re3:簡易寝台
僕が高砂工場に入社したのが昭和51年で、実際に客車の仕事を始めたのは昭和54年です。
ですから取り付け、復元の工事は知る由もないのですが、復元工事といっても、ごく一部の部品の撤去でした。
いつでも、また使えるようにはしてありました。複雑な座席も全般検査でも、そのまま整備して出場させていました。
さらにはそのまま金属窓改造がなされた車もありました。
両数については確たる証拠はありませんが、9両もあったかな・・そういう気持ちですね。
85年のピクトリアルは我が家にもあるかと思いますので一度見てみますね。
姫路に移ってからのこれらの車は通常の運用で播但線で使われていました。
投稿者のホームページ



投稿者 クモイ103
投稿日 6月 9日(水)22時00分11秒
タイトル Re4:簡易寝台車
>車掌@仙コリ様
 直近の特集号のことを忘れておりました(^^ゞ。
以前交博で85年の特集を一部コピーして持っており、さらに最近原本を入手したところだったので、
「そういえばあそこに載っていたような・・・」という単純な発想だけでした。

>こう様
 現場のからの貴重なお話し、ありがとうございます。
 復元工事の様子について、85年の方(小野田滋氏)は
「昭和53年に諸設備を撤去して旧に復したが,金属製の背ずり枠などにその面影を残している.」、
2002年の方(岡田誠一氏)は「復元後も特徴ある背ずり枠はそのまま残っていた.」と記述されています。
こう様の言われる「いつでも、また使えるように」してあったことは、ピク誌からは読みとれない情報です。


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