倶楽部メモ(229)
平成16年 3月 5日〜 3月10日


投稿者 きむたお
投稿日 3月 5日(金)23時03分29秒
タイトル 御礼・ほか

▼ 管理人様

お怪我ですか?快方に向かっているとのことで、まずは一安心。
お大事になさってください。

さて、先日はたくさんの写真の採用、ありがとうございます。
今後も各地で出会う客車をたくさん記録していくよう、努力いたします(^^)

・KATOオハ35・オハフ33
私も本日、青色のみ6両、購入しました。
現在、同じくKATOのマニ60やオハネ12、青色のスロ60(スロフ53あたりを想定)と組んで、山陰線の夜行列車の雰囲気で楽しんでおります。
ア・ドン様のおっしゃるとおり、オハフのテールライト点灯側の室内の扉のモールドが良い感じですね。
はやくクリーム色を差してあげないといけませんね!


投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 3月 6日(土)00時04分12秒
タイトル Re:オハフ33・青の奥羽車

ア・ドン様

奥羽本線系統で今回発売されたカトーのN・オハフ33(青)の形態に近い車両はという事ですが、
細かい形態は実車を見ない限りわからないのが旧客の特徴なのですが、
可能性のあった車両という事で奥羽本線で運用されていた青色のオハ35・オハフ33を調べてみました。

旧客の現役晩年の昭和58年時点では、奥羽本線での旧客の運用は
秋田運転区(秋アキ)  青森−院内
山形客貨車区(秋カタ) 福島−東能代
福島客貨車区(仙フク) 福島−秋田−男鹿

といった区間で運用され、うち秋カタと仙フクにオハ35またはオハフ33が所属していました。
そのうち丸屋根で青塗装の車両は非常に少なく
秋カタ オハフ33 2083 2241
仙フク オハ35  2556
    オハフ33 2268

以上の4両のみが該当していたようです。
そのうちの何両が(青車体・リベットつき・扉Hゴム)といった形態に合致するかはわかりませんが、可能性としては高いのではと思います。
資料から調べられるのはこの程度だと思いますので、さらに詳しい記録をお持ちの方のフォローを期待したいと思います。

昨日書き込みをいただいた皆様へ

私の目の怪我についてご心配いただきありがとうございます。
昨日の書き込みが中途半端であったので、自分への戒めの意味も兼ねて状況を報告いたしますと、
先週仕事で使う部品の加工をしていまして、鉄板の加工をしていた際になにかが目に入ってしまい、
その時はたいした事が無かったのですが、次の日になってゴロゴロ感やそのうち痛みも出てきたため眼科に行ったところ、
鉄粉が目に刺さっているという事で、鉄粉そのものはすぐに取れたのですが目に傷をつけてしまい、しばらく眼帯をした状態で
なれない片目であったのでパソコン等の目を酷使する作業は困難であった状態でした。
今は眼帯はとれたのですが、まだ治療中で正常な状態ではないため、少々不便な状態といったところです。
ほんの少しの作業ということで、本来であれば防護メガネ等をするべきところをしなかった
自分自身のミスでしたので、皆様もそのような際は充分ご注意ください。
私事にたくさんの皆様からお見舞いの言葉をいただき本当にありがとうございました。


投稿者 秋田県秋田市、細田 喜仁、26歳
投稿日 3月 6日(土)06時42分7秒
タイトル クモイ103様、
青函連絡船二代目津軽丸型の車輌甲板が改造で「客車航送」に対応可能な設計であった事は初めて知りました、
ありがとうございます(ちなみに、鉄道ピクトリアル誌の何号ですか?)。
私も鉄道連絡船好きでもありまして、現在、たまたま「森下研著、興安丸」を図書館から借り、読んでいたところでした。
私は主に青函連絡船洞爺丸型末期(重油焚き、後部水密扉、舷窓水密丸窓、改造後)について研究致しております。


投稿者 マロネロ38
投稿日 3月 6日(土)12時05分1秒
タイトル クモイ103様
管理人様から承諾がありましたので、「徳寿丸」、「興安丸」を一両日中に管理人様に送りますが、
古い写真なので状態が良くありませんので、その辺りご諒解下さい。


投稿者 クモイ103
投稿日 3月 6日(土)20時31分52秒
タイトル 津軽丸の航送設備のことなど

>仙コリ(管理人)様
 遅ればせながら、お怪我が大事に至らず何よりでした。また、鉄道連絡船についての話題を承認していただきありがとうございます。

>細田 喜仁 様
 該当のピクトリアル誌は、第158号(1964年6月号)です。巻頭の記事「青凾連絡船津軽丸竣工」(石黒隆氏筆)に、
「2番線3番線にはボギー客車9両を積載でき,若干の改造を行なうことによって,寝台車航送も行なえるように考慮している.」
と述べられています。
 余談ですが、この号の表紙は「根岸線をゆく」、桜木町−磯子間の開業に備えて試運転する73系電車です。
また、当時1ページしかなかったカラーグラフに「津軽丸試航」、
そして目次の脇の「今月の話題」は「新幹線大阪地区で初の長距離試運転」と、
試運転づくしになっている事が、いかにも、未来がバラ色に輝いていた時代を偲ばせます。

>マロネロ38様
 感謝に堪えませんm(_ _)m。

 父が船員だったもので、連絡船は鉄道との接点でもあり、その点でも興味がありました。
 細田様は船の構造や性能に深く関心をお持ちなのでしょうか。
私はどちらかと言えば、運航ダイヤや配船運用、船のたどった経歴、航路史といったものがメインです。
「日本国有鉄道百年史」の航路関係のところだけ、山のようにコピーを持っていたりします(^^ゞ。


投稿者 マロネロ38
投稿日 3月 7日(日)09時18分43秒
タイトル 控車+9600、摩周丸
昭和27年に北海道からの帰途「摩周丸」(初代)のボートデッキから、9600が控車を摩周丸に押し込んでいる場面を写してあります。
航送の過程が良く解かるので、ネガが見つかれば、管理人サンに送っておきます。


投稿者 ア・ドン
投稿日 3月 7日(日)15時14分35秒
タイトル お礼その他

まずはお礼・コメントより。
>仙コリ(管理人)様
オハフ33の車番、ありがとうございます。おそらく秋カタの2083番はリベット付きだと思うのでそれにしようかと・・・。
自分の持っている既配置のオハフとダブって無くてよかった・・・。
それにしても、転属・廃車による減少等もあるのでしょうが、青の35系の奥羽線系統少ないですね・・・・。
 怪我の件ですが、こちらも昨年に仕事上のトラブルで「うつ」になっており仕事が出来ない状態です・・・・。
病気、怪我にはお気をつけを・・・。

>きむたお様
青のスロ60ですか・・・・懐かしい製品ですね。生産はたしか80年代半ばまでだったのでは?
(小学生のころ、Nゲージをはじめたばかりの時(S61年)見た覚えが・・・・。
青のスハニ35は持ってました。・・・・18年も前の話なので荒い扱いで潰してしまったのが惜しい。)
ただ緑帯が入っていないのが痛い製品ですね・・・。緑帯を入れるのは難しいし・・・。
(トミックスのサロ165・キロ28等のインレタを転用すると言う手もありますが。)
充実、頑張ってください。


投稿者 秋田県秋田市、細田 喜仁、26歳
投稿日 3月 8日(月)09時44分15秒
タイトル クモイ103様、
鉄道ピクトリアル誌158号ですね、ありがとうございます。
各鉄道連絡船の中でも私が一番興味を持っているのはやはり、青函連絡船ですね。
本州と北海道を結ぶ大動脈として、鉄道と鉄道の接点として鉄道車輌航送用設備を持ち、
津軽海峡という場所柄外洋船舶並の航海性能を備え、各時代最先端の技術水準で船が作られましたからね。
また、この航路の歴史の中で特徴あるのが、輸送能力が出来るだけ低下しないように、
緊急時には他航路から鉄道車輌航送用設備が無い船でも応援に来ていた事ですね。
鉄道連絡船の各型の船1隻ずつ、海上ホテルなり、博物館として残っておれば・・・とかなわぬ事を想っている今日この頃です。


投稿者 ア・ドン
投稿日 3月 9日(火)11時02分39秒
タイトル オユ14/スユ16をNで作る時。
つい数日前、去年分の源泉徴収が帰ってきまして、その足で近くの立川の「キョーサン」に行くと
「荷物車・郵便車の世界」が入荷してまして、以前入手できなかったので予定にもあった事にもあり、早速買って帰りました。
 そして、以前秋田にいたスユ16の項を見ていたのですが・・・・・GMキットのオユ14/スユ16に大きなミスがある事を発見しました。
 すでにお気づきの方も居られるかと思いますが、「2−4位側」(トイレのある側面)の区分室明かり窓が
本来6枚無ければならないところが5枚しかありません。
 また、「1−3位側」のベンチレーターが「2−4位側」と対称になってしまっています。(写真ではいわゆる「千鳥配列」よね・・・。)
その他にもあるべきものが存在しなかったり、余計な出っ張りがあったり・・・。
そして、トイレと対称になる部分の「1−3位側」の窓も10系タイプの上昇サッシ窓のはずがHゴム窓になってしまっていました。
 どうしてこんな事になってしまったか、と言う事ですが、GMのオユ14キットは非常に古い代物です。
・・・・おそらく「国鉄客車・貨車ガイドブック」の1枚の写真と公式図面だけを参考に設計したからでしょう。
公式図面自体は「第一種」のものなのですが、区分室明かり窓の数が実車が6枚のところが、
驚いた事に公式図面にもかかわらず5枚しかないのです。
また掲載されている写真は「1−3位側」なのですが、後ろ半分にあたるトイレと対称になる部分の「1−3位側」の窓の部分も不鮮明、
と・・・・。(GMカタログと「荷物車〜」を比べていただければ良く解かります。)
結局、リサーチ不足で設計してしまったんですね・・・。そして改修されないまま、と・・・。
 需要が少なくなった今としては金型改修は望めず、自分で改造するしかありません。
その為には区分室明かり窓を全て埋めなくてはなりません。表現に差ができてしまうからです。
新しくつける区分室明かり窓にはタヴァサの「PN−411」の103系等に使う側面方向幕のパーツが14枚必要になります
(事実上、「PN−411」がふたつ必要だと言う事。「PN−411」には8枚しか入っていませんから・・・。)
 その他屋根上モールドは全て削ってつけなおす必要もあります・・・・
幸い、GMはガーランドベンチレーターの別売りをしているのが救いです。
まあそれでも金属製コンバーションキットやカトーのオユ10改造するよりかは楽ですが・・手間はかかりますね。
区分室窓も「アルテコSSP]等の非収縮性パテを使って埋めなければいけないでしょう。
経年劣化を考えた場合、そうでないと不安です。
まあ、根気だけあればできる工作なのでやってみるつもりですが。
皆さんもオユ14キットを組むときは気をつけてください!
では。
 
 P.S せっかく車体改造しても台車をTR55・60等(見た目はTR217とほぼ同じ)にしなければ
「オユ11 101〜/2501〜」になってしまいますよ。
殆んど同型の車体ですからね・・・・・・。


投稿者 きむたお
投稿日 3月 9日(火)19時51分48秒
タイトル GMのオユ14・スユ16

▼ ア・ドンさま

この件はむか〜しから有名なエラーですね。
まぁ、キットは安価ですんでベースとして楽しみましょう。

私も同じ疑問にぶつかってだいたい同様な差異を見出しました。
↓のURLに私が作ったGMのスユ16を上げておきます。

工作内容は・・・
1.明り取り窓:目をつむりました(^^;)
2.屋根:配置しなおしました。
中央にある不思議な出っ張りがちょうど反対側の通風器に相当する位置ですんで位置決めは簡単ですね。
排風機?か何かはプラ片で自作です。クーラーはTomixのキハ58用です。
3.Hゴム窓:モールドを削り落として窓セルにテープを貼ってサッシを表現しました。
4.台車:KATOの24系用の首を短くしました。
5.床下:Tomixカニ24から切り出した燃料タンクをつけた他、資料を見て配置替えしてます。
6.妻面:郵袋室側を板戸にしてあります。

これでも十分雰囲気出てると思います(^^)
GMのキットはやはり楽しいですね。みなさんで見守って行きましょう!

http://ww2.ctt.ne.jp/~kim-rr74/040309-gm-suyu16.jpg


投稿者 ア・ドン
投稿日 3月10日(水)13時24分26秒
タイトル オユ14/スユ16・補足。

うーん、きむたお様、良く出来てますね。(区分室窓に白か灰色9号が入っていればベストでしたね。)
まあ、区分室窓は自分の性格上ほっとけない性質なので、挙げた次第。
ちなみに方向幕パーツを使うと言うくだりは、
RMMの「キユ25を現行製品のキハ28ベースで作る」と言う記事(HYPER MODELING収録)を参考に挙げた次第です。
 屋根上の排風機はやろうと思っていたのですが、機器配置をオユ10と比べるに、オユ10にある床下の排風機は、
増設した機器の関係上設置できなくなったので屋根上に装備したのではないかと思われるのですが・・・・。
郵袋室側(前位側)の貫通扉の窓ふさぎは必須ですよね・・。
台車は旧製品の余っている20系を使うと言う手もあります。(中古で台車目当てに手に入れても良いのでは?)
なお、屋根上の塗装ですが、秋田の車(2008・2009等)は全検は土崎工場施工なのでねずみ色で間違いないと思いますが
(他に10系等もも土崎施工車は同様にねずみ色。)、
オユ11−100/2500や他区所の車は銀色の可能性もあります。誰かご存知でしょうか?

・・・なお、ボナファイデのオユ14(第一種)コンバージョンキットも出ていますが、
GM同様公式図面に「だまされて」、「2−4位側」の明かり窓が5枚になってしまっています。
・・・かなり痛いですね・・・エッチングキットは修正がプラ製と比べて極めてむずかしいし・・・。(第二種の車は正しいんですが・・・。)
 きむたお様の作例で目立つ、スユ16の燃料タンクですが、
同型の車体のオユ14やオユ11−100/2500は剥き出しの通常のかまぼこ形タンクですので、
北陸トンネル火災を教訓にした防火対策と思われます。
・・・塗装に失敗して(車体もクラックが入って割れてしまったため再生不能・・。)
放置中の旧製品(初代)のトミーのカニ24がありますので、そいつから切り出しますか。
レザーソーが必要になりますけどね。ちょうど一両で秋田にいた4両分キープできますし。
(カトーのアッシーパーツのカニ24床板でもできると思います。)

 ちなみに昨日秋葉原のGM他ありそうなめぼしい模型屋各店を回ってきましたが
(所用で都区内の病院に行っていたので。都区内フリーきっぷ使用しました)、
なぜか(立川のキョーサンを含め)オユ14(とタヴァサのPN−411・・方向幕パーツ)は何処も売り切れ
(方向幕パーツもキョーサンで残り一個だった・・・
私は一個以前から(別のものに使う予定で)キープしておいたんで製作には問題ないんですが)
という不思議?な事態が発生しており、大久保のタヴァサでようやく見つけました・・。
(一つ前の製品で、屋根上ベンチレーターが残っている代物・・少し埃被ってました。)「荷物車〜」の影響でしょうか?
(ボナは間違えてる事がわかったのだし。)
秋葉原店に行った際GMの店員さんに、金型改修の可能性を聞いてみましたが、
やはり需要の関係上、予算がおりないであろう、との話を聞きました。・・・・まあ、時代と言う物でしょうか・・・。
では。


投稿者 出羽
投稿日 3月10日(水)19時11分59秒
タイトル 高崎の旧客
こんばんは。
本日の試8637〜試8636でEF8177[長岡]牽引によりスハフ422173とスハフ322357が土崎工より全検出場しています。


投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 3月10日(水)20時36分42秒
タイトル 「客車列車写真館」更新いたしました
遅くなりましたが、今月の客車列車写真館の更新といたしまして、
番外編?ではありますが先日こちらで話題になりました鉄道連絡船の特集を組んでみました。
今回もマロネロ38様の提供による貴重な写真を掲載させていただきました。
話題に参加された皆様にとって、とても参考になる写真ではないかと思います。


投稿者 クモイ103
投稿日 3月10日(水)23時55分15秒
タイトル ありがとうございます

 元関釜連絡船、徳寿丸・興安丸の写真、私の勝手なお願いで客車のHPにもかかわらずUPして頂き、感謝感激です。
マロネロ38様、仙コリ(管理人)様、ありがとうございます。

 改めて画像で見ると、興安丸のファンネルマークが、流転の経歴を物語っていますね。
戦後すぐに国鉄の手を離れ、「引き揚げ船」として名を馳せた後、最後に巡礼船(でしたっけ?)となって外洋を渡っていた頃には、
おそらく日本の多くの鉄道ファンから忘れ去られた存在だったのではないでしょうか(今は津軽丸がそういう状態?)。
昭和45年、廃船・解体となった時には、TVで特番が組まれたと聞きます。
戦後の日本人にとって「引き揚げ船・興安丸」は忘れ得ない存在だったのですね。
NHKだったら、川口の「NHKアーカイブス」に行ったら見られるのでしょうか。

 徳寿丸は最後まで国鉄にありました。写真でも「工」のファンネルマークが読めますね。
戦後、空襲で壊滅した青函航路への一時助勤の他、引き揚げ輸送や朝鮮戦争時の米軍輸送にも駆り出されましたが、
何と言っても同船の経歴を深く印象づけるのは、昭和29年、台風で沈没した洞爺丸に代わって、正式に青函航路に転属したことでしょう。
船齢32年の老朽船に突然降って湧いた「現役復帰」で、初代十和田丸が建造されるまでの3年間、よく北の大動脈の役割を果たしました。
最後に「鉄道連絡船」として花道を飾った徳寿丸は、悲劇的なエピソードばかり目立つ末期の関釜連絡船にあって、
結果的に最も堅実な人生(?)を全うした船という気がします。

 またまた船談義で失礼しましたm(_ _)m。



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