倶楽部メモ(201)
平成15年 6月 2日〜 6月13日


投稿者 青列車
投稿日 6月 2日(月)01時48分08秒
タイトル 【定期重連】37レでは?

今晩は(^o^)/Satokawaさん、千葉県佐倉市在住の青列車と申しますm(..)m
あさかぜ牽引機故障のピンチヒッターで、ゴッパ−が「老骨に鞭打って」登板した話は、
以前ニフティ鉄道フォーラムでも出ていました。(SYSOP氏の体験談として)
すると、広島区に待機していたカマが登板したのでしょうか?
(FTRAINでの話では、後続の35レのカマを召し上げたらしいとのことでしたから)(^^);
仮にも特急列車ですし、広島にはカマの配置もありましたから、予備機をすぐに調達して、
なるべく遅れないように(特急券払い戻しを避ける様に)努めたであろうことは容易に想像できます。
しかし、広島発車時点で昼下がりになる37レに使うカマが朝の時点で広島にいたとは…
(37レの場合、重連になるのはあくまで回送の都合であり、おそらく列車キロを増やさない為
のものと思われます。列車の定数自体、EF58やEF61で単機で楽勝ですから。)

ところで、ご発言では31レとなっていますが、山陽線広島〜下関間で定期重連を行っていたのは
午後の37レではありませんでしたか?
定期重連になったのはたぶん1978年頃以降だったように記憶しています。
当初はEF58同士、その後EF58+EF61、晩年はEF61同士の重連でした。
(RF誌1982年10月号19ページのお写真のキャプションも37レとありました)
学生時代長期休暇で帰省した時、この列車を「撮り鉄」しようと実家から徒歩数分の撮影地に向かった所、
大畠トンネルから抜け出て、突堤の上を走ってくる37レはこの日に限ってEF61の単機でした…あじゃじゃ〜(^^);

マニ36やマニ61、オユ14、オユ12など引き連れた37レは、駆け出し鉄の目前を走り抜け、
漁港の入り口にもなってる小さな川の河口の鉄橋を渡り、R360の左カーブを場内信号機を赤く染め、
田舎の家並の向こうに姿を消した数分後、再び視界の遠く、波打ち際の堤防越しに姿を見せ、
やがて右カーブで山裾の向こうに消えて行きました。

貧乏学生の身には一眼レフカメラなど遠い世界の代物で、年代モノのコンパクトカメラ
(レンジファインダーとセレン電池の骨董品)でやっとこさ、真似事するのが関の山でした。
(そんな若造が今は大手のDPEミニラボショップで店長なんぞしています)(^^);


投稿者 Satokawa
投稿日 6月 2日(月)08時23分56秒
タイトル Re:【定期重連】37レでは?
青列車さま、こんにちは。
>ところで、ご発言では31レとなっていますが、山陽線広島〜下関間で定期重連を行っていた
>のは午後の37レではありませんでしたか?
大変失礼いたしました。そのとおりです。
どうもEF61というと浜松折り返しの38〜31の印象が強く、勘違いしてしまいました。
あの重連は下関に予備車を送り込むための回送でした。ですから繁忙期で臨時仕業がはいると
下関予備留置をなくして臨時列車に充当、という事だったようです。
そのため前部回送機関車は時期により無かったり、指定機以外の車種が入っていた模様です。
ちなみに38〜31の間の浜松機関区留置も約24時間あり、これも遠方予備機の役割があったようです。
(これは同時、浜松機関区で伺ったお話です)


投稿者 Satokawa
投稿日 6月 2日(月)08時37分31秒
タイトル ↓追記
すいません、書き忘れました。
>(FTRAINでの話では、後続の35レのカマを召し上げたらしいとのことでしたから)(^^);
あさかぜの代理牽引をしたEF5838(広)が臨時特急用として待機していたという話は、
その当日に広島機関区を訪れて運用担当者殿から直接聞いた話なので、間違いないと思います。
荷37レを撮影したあとに、広島機関区東蟹屋派出所(ゴハチが管理されていた派出所)を
撮影のために訪れました。荷37で下関に回送し、そこから関西ブルトレを牽く予定だったようです。


投稿者 急行ときわ
投稿日 6月 2日(月)11時38分46秒
タイトル 中央線の客レ
久々に書き込みします。
都内小金井公園に、昭和40年代の中央東線で活躍していた
スハフ32が保存されているのを知ったのがきっかけで、
中央線の旧客列車を模型で再現したいと思いました。
牽引機はEF13、ED61のほかEF64も存在したのでしょうか?
よろしくお願いします。


投稿者 EF5841
投稿日 6月 2日(月)13時42分19秒
タイトル >中央線の客レ
EF13の後、EF64がその任を受け継ぎました。
ところで、ED61は余り無かったのでは、・・・、少なくとも小生の記憶では定かではありません。
学生時代、425列車長野行で、よく山に出かけたものです。マヌ34を引きつれて・・・。


投稿者 EF6480
投稿日 6月 3日(火)00時33分43秒
タイトル RE:中央線の客レ

 こん**は。

 中央客レといえば結構思い出あるのでしゃしゃり出て来ました。
機関車はEF5841さんの書き込みの通りで客車は私が中学の頃でしたが見た限りでは
勾配の関係でしょうか、オハ35、オハ61、オハフ33などが主で荷物2両+客車7両の編成でした。
かの有名な425レも利用しましたが新宿に4時台に着くガラガラの426レ、
国電区間の通勤客から羨望の目で見られた424レなど思い出は尽きません。

投稿者のホームページ


投稿者 103列車機関士
投稿日 6月 9日(月)21時58分12秒
タイトル 超特急つばめ
皆様こんにちは!
私、エアブラシを買いまして、ブドウ色1号の塗装が出来るようになりました、
これを機に東海道ねたを少し今後の増備計画に入れてみようかと思います。
スロ54とマシ35の青大将もやってみよう!運転会にみんなKATOの持ってくるからつまらないですし・・・
GWに梅小路に行ってきましてC51,C53がとてもカッコよかったので
超特急つばめをやりたくなりました。某メーカーから新京阪P6もでるから競争させよう、
さて前置き長くすみません、出来るだけ安価にするためGMスハ32をつかった
シングルルーフ、C53の編成にしたいと思います。
この場合2等車はスロ30850(オロ35)以外はあったのでしょうか?
たとえばシングルルーフのスロ34(旧番号がわかりません)
とかスロ33とか、、、ちょっと戦前のつばめについていろいろお話し聞かせてください、


投稿者 JIN
投稿日 6月10日(火)09時07分13秒
タイトル re:超特急つばめ

こんにちは。

超特急「燕」の編成ですが。

昭和5年10月1日?
C51+補助水槽車+スハニ36550(スハニ31)+スハ32600(スハ32)+スハ32600+スシ37740(スシ37)
+スロ30800(スロ32)+スロ30750(スロ34)+マイネフ37200(マイネフ37諸説あり)

昭和6年9月4日?
C51+補助水槽車+スハニ36550+スハ32600+スハ32600+スシ37740+スロ30800+スロ30750
+スイテ37020(スイテ48)orスイテ37030(スイテ47)

昭和7年3月15日?
C51+スハニ36550+スハ32600+スハ32600+スハ32600+スシ37740+スロ30800+スロ30750
+スイテ37020orスイテ37030

昭和9年12月1日?
C53+スハニ35700(スハニ31)+スハ32800(スハ32)+スハ32800+スハ32800+スハ32800
+スシ37800(スシ37)+スロ30850(オロ35)+スロ30850+スイテ37020orスイテ37030

昭和12年8月2日?

C53+スハニ35700(スハニ32)+スハ33650(オハ35)+スハ33650+スハ33650+スハ33650+スハ33650
+スシ(マシ)37850(マシ38)+スロ30960(オロ36)+スロ30770(スロ34)+スイテ37020orスイテ37030

調べたところ、上記のような編成がみつかりました。
当時は固定編成ではないのではスロ34は優等列車用に専務車掌室を設置した車輛ですので
ご質問のように二等車にスロ34が入った可能性は高いと思われます。
スロ33は湘南列車用でしたのでほとんど優等列車には使われていないようです。
(急行19列車に使用された記録はあります)


投稿者 EF5841
投稿日 6月11日(水)15時01分22秒
タイトル 19列車というと・・・。
 19列車というと、昭和8年12月1日に営業列車として最初に丹那トンネルを潜った処女列車ですよね。
 一方、御殿場周りの最終列車は名士列車17列車でしたね。
 心憎いばかりの演出ですね!!
 当日の19列車は増号車4−5両を繋げた同道の16両編成・・・。さぞや豪華であったであろう。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 6月12日(木)21時54分34秒
タイトル Re2:超特急つばめ

103列車機関士様
戦前の特急「燕」については、知識も資料も少ししかないのですが・・・
JINさんから書き込んでいただいた編成を見ると、特急「燕」には当時の看板列車らしく
常に最新の車両が投入されていたようですね。
そこで新製車両がシングルルーフとなった昭和7年以降に製造され、
特急「燕」に投入された(と思われる)車両の製造初年を調べると

昭和 7年 スハ32800(スハ32)・スハニ35700(スハニ31)
昭和 8年 スシ37800(スシ37)
昭和 9年 スロ30850(オロ35)
昭和11年 スロ30770(スロ34)・マシ37850(マシ38)
昭和13年 スロ30960(オロ36)
昭和14年 スハ33650(オハ35)・スハニ35750(スハニ32)

となっていまして、おたずねのスハ32800(スハ32シングルルーフ)が使用された期間は
昭和7年から昭和14年頃の模様です。
特急「燕」の二等車としては、基本的には優等列車用として製造されたスロ30750・スロ30770(スロ34)
を中心に使用されていたようですので、その期間の二等車を推測すると、

昭和 9年まではスロ30750(スロ34ダブルルーフ)とスロ30800(スロ32)
昭和 9年からはスロ30850(オロ35)
昭和11年以降はスロ30770(スロ34シングルルーフ)とスロ30850(オロ35)
昭和13年以降は上記2形式+スロ30960(オロ36)

となっていたものと考えられます。
よって食堂車をスシ37800(スシ37)とした場合の二等車はスロ30850(オロ35)
マシ37850(マシ38) とした場合はスロ30770(スロ34シングルルーフ)とスロ30850(オロ35)・スロ30960(オロ36)
のいずれかとすればよいのではないかと思います。(あくまでも推測ですが・・・)


投稿者 103列車機関士
投稿日 6月12日(木)21時56分05秒
タイトル ありがとうございます
JIN様、編成表ありがとうございます。EF5841様、19列車に名士列車、東海道もナカナカ楽しそうですね。車掌様、細かい分類ありがとうございます。早速ノートにまとめよう
そう言えば湘南列車なんてのもありましたね、当時から
電暖車だったやつですよね。これも詳細を知りたい、
青大将のつばめは私はEF5845にしようかと思ってます。
大窓、ツララ切、鋳鋼製台車、個性的ですよね、
台車を緑に塗った奴がいるらしいですが何号機なのでしょう?
どんな緑だったのでしょうか?
JIN様、もしかして鎌ヶ谷の某メーカーに出入りしてませんか?
私も飲み会参加しましたよ、


投稿者 EF5841
投稿日 6月12日(木)23時04分30秒
タイトル RE3: 燕

燕の編成がスハ32600からスハ32800に変わった時期は 9年から10年頃にかけてかと思われます。
ともうしますのは、手元の資料、写真撮影月日がほぼ間違いないものでは、
C5343牽引の燕はスハ32600です。
 当時の客車の仕立て区は、
1・2レ 富士 東トウ
3・4レ 櫻  門セキ
11・12レ 燕 大アカソ
1011・12レ 鴎 東トウ

下関行 5・6レ 東トウ 〔S8、11、30までは1・2・3等急行〕
同 7・8レ 東トウ 1・2・3等急行 展望車付き オイテ2700 後にスイテ37000
同 9・10レ 門セキ

東京ー神戸間の夜のクイーンについては、明日。


投稿者 JIN
投稿日 6月12日(木)23時09分27秒
タイトル re:超特急つばめ

こんにちは。

>JIN様、もしかして鎌ヶ谷の某メーカーに出入りしてませんか?
私も飲み会参加しましたよ、

うぅ、なんでか行動がバレバレになっている・・・
でも某所の飲み会は何故か毎回予定がたたず参加できないでいます。

青大将機の台車の緑は緑3号です。
RMM1995年11月号に色見本が一応ありますが、印刷による変化があるので
あまり参考にならないかもしれません。
うちはタミヤ水性カラーのXF-27ブラックグリーンを使いました。

戦前の東海道本線は僕もテーマにしております。
戦前の旧客は美しいのではまりますよ。

ちなみに件の19列車です。

EF5316+ホヌ6863+スニ36662(スニ30・W)+マロネ37339(マロネ29・W)+マロネ37333+スロ30801(スロ32・W)
+スシ37723(スシ37・W)+スロ31005(スロ33・W)+スハ32699(スハ32・W)+スハ32704
+スハフ34234(スハフ32・W)+スハ32820(スハ32)+スハ32744+スハ32830+スハフ34425(スハフ32・丸)
+スハネ30160(スハネ31・丸)+マロネフ37522(マロネフ29・W)


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 6月13日(金)00時43分39秒
タイトル Re5:超特急つばめ

EF5841様
スハ32600からスハ32800への変更時期のご教授ありがとうございました。
JIN様の書き込みの編成と合わせて判断すると、変更時期は昭和9年の後半のようですね。
先の私の予想では7年から9年にかけてダブルルーフとシングルルーフのデコボコ編成?
になってしまいますものね。
昭和9年になれば展望車を除いてすべてシングルルーフで揃えられますので、
やはり看板列車ゆえ編成美というものも考えていたのでしょうか。

19列車のお話、興味深く拝見しました。
JIN様が編成を書き込んでくださいましたが、その当時は特急でも10両前後であったようですので、
16両編成というのは圧巻でしたでしょうね。
ところで細かい話で恐縮ですが、丹那トンネルの開通は昭和9年12月1日ではなかったでしょうか?

JIN様
特急「燕」および19列車の編成の書き込みありがとうございました。
戦前の列車編成の資料はほとんど持っていないので、とても勉強になりました。
特に19列車の編成、かなり古い記録なのに車番入りの資料は本当に貴重であると思います。
ところで、こちらも細かい話で恐縮ですが、特急「燕」の編成で昭和12年8月2日?の後が
不自然にあいているので、一部書き込みが欠けてしまったものと思うのですが、
最後の編成はスハ33650が入っているあたりから推測して昭和15年頃の編成ですよね。


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