倶楽部メモ(189)
平成15年 2月12日〜 2月16日

投稿者 TSO
投稿日 2月12日(水)10時46分05秒
タイトル 「日本の客車」について
初めてカキコします
いろんなサイトで紹介されている日本の客車という本はどんな内容なのでしょうか?


投稿者 もん
投稿日 2月12日(水)13時29分34秒
タイトル Re:山陽地区でのスニ41
セノハチ様
はじめまして。私と同学年でしたので書き込みさせていただきました。
小学校の教室から山陽本線がよく見えていましたので、荷物列車の通過も楽しみにしていました。
マニ44が投入されはじめたのは80年頃のことでしょうか、
33レの最後尾に連結されているのを見たのが最初です。
この掲示板の主旨からはずれてしまいますが、ワサフ8000も懐かしいですね。
実車は今でも東小倉構内にて現存しています。鹿児島本線下りの車内から見ることが出来ますよ。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 2月12日(水)21時38分57秒
タイトル Re:「日本の客車」について
TSO様
「日本の客車」についてですが、正式名称は「写真で見る客車の90年 日本の客車」、
著者は「日本の客車編さん委員会」、出版社は「鉄道図書刊行会」、発行は昭和37年です。
内容的には日本の鉄道創業期の客車から20系客車まで、客車の形式写真を中心に車内の写真など、
合計約590枚の貴重な写真と各形式の説明を掲載した、日本の客車の集大成といった書籍です。
とても貴重な書籍で非常に入手困難なのですが、交通博物館及び交通科学博物館の図書室で
閲覧可能なほか、各地の大きな公立図書館などにもあるところがあるようで、
ちなみに東京都立中央図書館・神奈川県立図書館・兵庫県立図書館にはあるという話を聞いています。
客車ファンであれば、必ず一見の価値がある書籍ですので、ぜひ探し出してみて下さい。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 2月12日(水)21時50分19秒
タイトル ワサフ8000
ナハネフ23様、セノハチ様、もん様
ワサフ8000やワキ8000についてですが、確かに分類上は貨車なのですが、運用上は
荷物車そのものであった車両で、荷物列車や急行列車など客車列車に連結されていた車両ですので、
この掲示板での話題としてまったく問題ありません。
恥ずかしながら、今回話題に上がるまで、私もあまりよくわからなかった車両であったので、
今後よく調べて、当サイトの各種資料にも可能な限り掲載していこうと考えております


投稿者 鐵工房
投稿日 2月12日(水)23時22分56秒
タイトル ReRe: 質問:連合軍客車
車掌@仙コリ様 らいちゃん様 情報ありがとうございます。
いずれも私の所有する文献ですが、なかなかマークが写ってる写真や色までは解りませんね!
気長に調査します。ありがとうございました。


投稿者 まろねふ
投稿日 2月13日(木)19時13分33秒
タイトル これで出来るよね…?

みなさん、こんばんわ

>セノハチさま
やはり、来ましたね(笑)
これだけ、資料が揃えばがぜん作る気力が沸くでしょう…?

>みなさま
実は、セノハチさんは私の友人であったりします。


投稿者 セノハチ
投稿日 2月13日(木)19時45分07秒
タイトル 山陽地区の件とマニへの疑問

もん様、初めまして、こんばんは!
同学年ですか!これからも仲良くしてください。
私は今は広島市民ですが、生まれも育ちも山口県ですよ。列車を見るポイントは山陽線の下松駅でした。
おかげで旧型客列に縁が無かったのですが、よく考えると市内にもう一つ岩徳線があり、旧客走ってました。
当時私はミーハーブルトレ少年でした(今も好きですが)ので、
旧客には目もくれず50系の置き換えと同時に飛びつきました・・・無念。よく見ておけばと後悔です。
ところでワサフ残ってるのですね。
旧門司操基盤整備と北九州貨タ開業によりどうなったか心配してました。安心です。
余談ですが、吹田貨車区で保管してたワキ8000は数年前に解体されました。合掌。

みなさま、こんばんは。
以前からの疑問ですが、マニ35とマニ36には同じスハニ35改がありますが、
なぜ形式が分かれたのでしょうか。既に解説済だったらすみませんが私には違いが解りません。
よろしくお願いします。
それでは失礼します。


投稿者 もん
投稿日 2月14日(金)12時51分40秒
タイトル Re:山陽地区の件
セノハチ様、こちらこそ仲良くしてください。まろねふ様のお知り合いだそうですね。
岩徳線の50系は同線撤退後広セキにやってきましたね。
荷レに連結されて回送されていたのを見たことがあります。
当時は自分もブルトレが好きで、毎日チェックしていました。
今は夜中に通過する所に住んでいますので、辛うじて上りなはを見るのがやっとです。
目の前に山陽本線が見えるのですけどね。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 2月14日(金)18時36分23秒
タイトル Re:マニへの疑問

セノハチ様
>マニ35とマニ36には同じスハニ35改がありますが、なぜ形式が分かれたのでしょうか。
荷物車にはあまり詳しくはないので推測なのですが・・・
マニ35とマニ36の違いは、基本的に
 マニ35は座席荷物合造車(スハニ等)から全室荷物車への改造車
 マニ36は主に優等座席車(オロ・スロ等)からの改造車
という点なのですが、確かに例外的にスハニ35は両形式になっているのですよね。

そこで両形式の違いを調べてみると、おおまかな構造や荷重は一緒なのですが、
車掌室部分の面積が異なっており、それに伴い荷物室の容量が異なっています。
 マニ35は88.1立方メートル
 マニ36は86.2〜86.9立方メートル
改造年を調べると、
 マニ35は昭和37年〜42年
 マニ36は昭和41年〜51年
さらにスハニ35改造車の改造年を調べると、
 マニ35が昭和40年〜41年
 マニ36が昭和44年〜45年
となっていますので、マニ36となったスハニ35が改造される時点で
改造荷物車はすべてマニ36タイプとなっていたため、
マニ35とはせずに荷物室容量をマニ36にあわせて、形式もマニ36となったものと思われます。


投稿者 セノハチ
投稿日 2月14日(金)21時14分19秒
タイトル マニの件有難うございました

車掌@仙コリ様
マニの疑問の解説、ありがとうございました。
私には詳しい資料がありませんので謎でしたが、資料により詳しく解説していただきましたので
長い間の疑問が解決しました。改造車の謎解きは楽しいですね!私も勉強してみます。

もん様
50系の転配を荷物列車で行った話、面白いですね。初めて知りました。
そういえば荷物列車にカニ21が付いてたのを見たことがあるのですが、それも回送でしょうね。

まろねふ様
もう正体がバレてしまいましたね(笑)。
まろねふさんには投稿を秘密にしてひっそりこっそりしてるつもりでした。
お互いに刺激しあいながら荷物列車の製作に励みましょう。


投稿者 Satokawa
投稿日 2月15日(土)11時22分34秒
タイトル スハニ35=>マニ35/36もう一つの解釈
車掌@仙コリ殿、セノハチ殿、こんにちは。
実は私もこれに対しては常々疑問に思っておりました。
そして仙コリ殿の解釈のほかにもう一案の解釈を持っておりましたので記述してみたいと思います。
マニ36が元優等車を格下げした改造車であることは有名ですが、
この優等車の解釈ははたして“ロ”だけであったのでしょうか?
マニ36の計画図にスハ44/スハフ43改造の車両が計画されていたことを見いだし、
元優等車とは“特ハ”も含むのではないかと考えたのです。
その考えをたどればスハニ35のハ室は “特ハ”ですから、合点がいきます。
スハニ35の合造車という二面性を両面から捉えた解釈です。
はたして真偽のほどは解りませんが、こんな解釈も成立すると思います。
実際にはスハ44/スハフ43からの改造車は登場せずに終わってしまいましたが‥‥。
ちなみに、ジェイズ殿の客車図面集50年版に載ってます、幻のマニ36が‥‥。 


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 2月15日(土)14時32分17秒
タイトル Re:スハニ35=>マニ35/36もう一つの解釈
Satokawa様
スハニ35からマニ35・36のもう一つの解釈ありがとうございます。
マニ36への改造種車についてなのですが、実はすべての車両が元優等車からの改造ではないのです。
昭和41〜42年に改造された最初のグループ(1〜97及び201〜211)は
優等車(スロ43やオロ35等)及びその格下車(スハ50やオハ55等)からの改造なのですが、
昭和44年以降に改造された車両はスハ32やオハ35から改造された車両が多数を占めていますので、
残念ながら元「特ハ」というのが関連している可能性は低いものと思われます。
とはいっても確かに改造順を追っていくと、大まかには「ロ」「特ハ」「ハ」の順になるので、
「ロ」から「ハ」への橋渡し的役割を果たしたと考えられなくもありません。
改造荷物車は(も?)奥が深く本当に難しいですね。


投稿者 まろねふ
投稿日 2月15日(土)22時57分34秒
タイトル 私の解釈…

みなさま、こんばんわ。

セノハチさんのご質問について私はこのように解釈しました。
スハニ35改造のマニ35とマニ36の決定的な違いは貴重品室の有無にあると思います。
ピクトリアル702“60系鋼体化客車(U)”特集のP21のマニ60のオハユニ61、スハユニ62改造車の一文
「…前略…オハニ61などと比べると車掌室が狭くなっている。
この為貴重品室は無く、新たに荷物専務車掌室を設けている。
…中略…使い勝手が悪い事もあってかオエ61の種車になるものが多く、廃車も比較的早くから始まり…」
これと同じ事が言えるのではないでしょうか。
つまり、マニ35は現場サイドからの要望で貴重品室が無いので取付を求められ、
新たに貴重品室を取り付けた車両を設計した為に別形式となり
マニ36のグループに編入されたのではないかと私は推測します。

みなさま、そしてセノハチさま、いかがでしょうか?


投稿者 オハ47 2006
投稿日 2月16日(日)00時42分44秒
タイトル 現場の声
昭和40年代から50年代にかけては、当時の国鉄における時代背景なのか、
現場で使い勝手の良し悪しにおけるモデルチェンジが多いようですね。
マニ50が新製された頃も新しくていいんだけれど、乗務員スペ−スの不満があったみたいですよ。
郵政省所有車も注文が多かったみたいですね。


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