倶楽部メモ(163)
平成14年 9月 8日〜 9月20日

投稿者 クモイ103
投稿日 9月 8日(日)19時52分24秒
タイトル 交通博物館図書室が予約制に

 10月6日(日)より当面の間、交通博物館の図書室は、事前予約・座席定員制となります。
利用の予約は、前日までに学芸課(電話03−3251−8487)または図書室カウンターまで、
午前(9:30-13:00)・午後(13:00-16:30)に分けて先着順で受け付けとなります。
 これは、所蔵図書・雑誌の全面的な整理作業を実施するためとのことです。
また、コピーサービスは廃止され、手荷物はカウンターで預かるようになるとのことで、
この点は弁天町の交通科学博物館の図書室と同じになると考えられます。
これに伴い、9月15日(ということはもう次の図書室公開日)より、閲覧座席数を削減するそうです。混むなー(^^;。
 なお、従来から予約制で行われていた平日のマイクロフィルムの閲覧は、コピーも含めてこれまで通り運用されるとのことです。
鉄道公報はばっちしマイクロフィルムで揃っているので安心です。

(この内容は、HP「客車列車の旅」「70年代後半の客車編成」「客車空気調和装置資料室」の各BBSに投稿させて頂きます。
多重投稿の失礼、どうかお許し下さい。)


投稿者 クモイ103
投稿日 9月 8日(日)19時53分56秒
タイトル 再び「廣」→「広」→「中」

 ご乗車の皆さん、改めましてこんにちは。
 以前(倶楽部メモ(140))で話題に上った、広島鉄道管理局の所属標記文字の変遷について、
「広」→「中」の変更時期がわかりましたのでご報告します。
 鉄道公報号外(昭和36年1月14日(土))総裁達第17号「車両塗色及び標記方式規程の一部改正」の中に、
「広島鉄道管理局 広」を「中国支社 中」に改める旨、記載されています。
なお、同じ公報に掲載された、工作局、運転局連名の「通報」によれば、施行場所は工場又は区、
施工時期は昭和36年1月14日以降現車が入場又は入区の際、となっています。
 この変更の背景には、国鉄の組織の変更がありました。
昭和34年4月8日、中国支社が設立され、それまで西部支社の所管だった広島鉄道管理局が移管されました。
ところが1支社内に1管理局しかない不合理を解消するため、昭和35年8月1日、広島鉄道管理局は廃止され、
その機能は中国支社に統合されたのでした。
同時に、同様の事情をかかえた新潟鉄道管理局も、新潟支社に統合されています。
しかし、新潟の場合は変更されても略号は「新」のままでよかったのに対し、
中国支社なのに車体標記が「広」ではおかしいので、上述のように半年後昭和36年1月14日、
「車両塗色及び標記方式規程」の改正の際に、ついでに(?)盛り込まれて変更となったのでした。
(参考文献:「中国支社30年史」昭和41年10月31日 日本国有鉄道中国支社)

 なお、「廣」→「広」の変更は、5月29日(水)22時56分40秒の私の投稿をご参照下さい。
その後昭和40年代半ばに「中」から「広」に戻ったいきさつは、今後の研究課題とします(^^;。
 ぢつは、大キトさんのサイト「客車空気調和装置資料室」のBBSに連載中の「イネ格下げロネ 配置と運用の変遷」
に必要なデータとして、あわてて調べたのでした(さりげなく宣伝モード)。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 9月 8日(日)21時51分34秒
タイトル Re:再び「廣」→「広」→「中」

クモイ103様
広島鉄道管理局の所属標記文字の変遷についての詳細な書き込みありがとうございます。
昭和36年頃というまではつかんでいたのですが、詳細な日時及び理由がわかり本当に
助かります。
実は前回この話題になった際に、所属標記一覧および所属標記の変遷を当サイトに掲載
しようと思い作成してあるのですが、詳細についてまだまだ不明な点が多かったので
掲載をためらってしまっていたのですが、このように皆様から情報をお寄せ頂ける事も
多いので(期待して・・・)近日中に見直しの上、掲載させていただきたいと思います。
その際には皆様に見ていただき、新たな情報や間違いの指摘など頂けると助かります。

交通博物館図書室の情報もありがとうございました。
日曜日限定ということを除けば、非常に利用しやすい場所だったのですが、少しだけ
敷居が高くなってしまったようですね。
コピーサービスが廃止というのはコピーは不可ということでしょうか?


投稿者 広トマ
投稿日 9月 8日(日)22時58分05秒
タイトル 家庭用です
 仙コリ様そんな高価な物はとても、昭和57年当時業務用ビデオカメラを持っていればもっと柔らかなものを撮っていたでしょう??
ただしハンディカムではなく家庭用もセパレートタイプなので一般の人から見ればそう見えたかもしれません。
「ビデオとってるよ」とお子様の歓声。
一式25万以上したはずです、買ったその日は「買ってよかったのだろうかと自己嫌悪になりました。
カメラ、デッキ、バッテリーそれに一眼レフ2台、まるで「八甲田山死の行軍」状態でした(若かったのね)
テープが一本5000円の時代、もっと撮っておけばと後悔していますが仕事が忙しくなったよりは「重い」がすべてです。
このたびDVDレコーダーを買ったらDVDが作れるらしいので涼しくなったら編集しましょう。
カメラブレで見終わると船酔いがしそうです。当時三脚までかついでいたら死んでます。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 9月 8日(日)23時10分43秒
タイトル Re:家庭用です
広トマ様
失礼いたしました、よく読み返すと「業務用の小さいサイズのよう」と書いてありましたね。
確かに当時は現在のハンディカムのような物はなくセパレートタイプで、デッキは別である
にもかかわらず、カメラ本体もかなり大きな物でしたよね。(金額も・・・)
当時の列車(特に客車列車)の動いている画像というのは本当に貴重であると思いますので
ぜひ早期のDVD作成を期待いたします。(ビデオテープでもいいので見たいところですが)


投稿者 クモイ103
投稿日 9月 8日(日)23時46分28秒
タイトル 「中」→「広」/交博図書室コピー廃止

 ふと思い立って、以前コピーした資料をひっくり返したら、出てきました。
せっかく入手した資料をちゃんと活かさないとダメですね(反省)。
 鉄道公報号外(その12)(昭和45年8月20日(木))工達第3号「車両塗色及び標記基準規程の一部改正」の中に、
「中国支社」を「広島鉄道管理局」に、「中」を「広」に、などの改正が記載されています。
「新潟支社」は「新潟鉄道管理局」に、「四国支社」も「四国総局」になっており、
その他の達を見ても、どうやら「支社」という制度が無くなったようです。
ちなみに「札幌鉄道管理局」は「北海道総局本局」になったのに、略号は「札」で変わっていません。
「北」が東京北鉄道管理局に使われていたためでしょうか。
 なお、書き替えに関しては、「附則」で全般検査まで猶予されているので、
「中」の標記は結構長く残っていたのだろうと思われます。

 交博図書室のコピーは、不可となるようです。本日配られていた案内ビラには、次のように書かれています。
「著作権法第31条(図書館における複製)の定めにより、当館図書室所蔵図書及び雑誌のコピーサービスを全面的に廃止いたします。
カメラやデジタルカメラ、ハンディスキャナ、カメラ付携帯端末等での撮影・複写もできません。」

# 著作権法第31条ってどんな内容なんだろう?


投稿者 EF5841
投稿日 9月 9日(月)13時45分56秒
タイトル 著作権法

著作権法第31条の条文は、以下のとおりです。

第31条(図書館等における複製)
図書、記録その他の資料を公衆の利用に供することを目的とする図書館その他の施設で政令で定めるもの
(以下この条において「図書館等」という。)においては、次に掲げる場合には、その営利を目的としない事業として、
図書館等の図書、記録その他の資料(以下この条において「図書館資料」という。)を用いて著作物を複製することができる。
一 図書館等の利用者の求めに応じ、その調査研究の用に供するために、
公表された著作物の一部分(発行後相当期間を経過した定期刊行物に掲載された個個の著作物にあつては、その全部)
の複製物を一人につき一部提供する場合
二 図書館資料の保存のため必要がある場合
三 他の図書館等の求めに応じ、絶版その他これに準ずる理由により一般に入手することが困難な図書館資料の複製物を提供する場合

 これを読む限り、個人の研究用の場合には、1部に限り複製物を作ることができるとしております。
 全面的に禁止になるということは、個人利用よりも営利利用が大半を占め、個人利用と営利利用の区別がつかなくなった結果ではないでしょうか。
 とともに、モラールの面から行きすぎがあったことも否定できません。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 9月 9日(月)23時00分48秒
タイトル 所属標記について掲載/Re:交博図書室コピー廃止

クモイ103様
再度の広島鉄道管理局の所属標記文字の変遷についての情報ありがとうございました。
昨日もお書きしました所属標記一覧および所属標記の変遷について、未完成ながら当サイトの客車資料館に掲載してみました。
クモイ103様の情報等を元に大部分は解明しましたが、まだ詳細が不明な部分が存在するので、
より正確な資料とするために、詳しい事情をお知りの皆様の書き込みをお願いします。

交通博物館図書室でのコピーは、やはり全面的に廃止なのですね。
もともと図書館でのコピーサービス自体がなかなか実施しているところが少ないものと思いますが、
利用していた方が多数いるものと思われる(特にここの利用者・・・)ので、本当に残念ですね。


投稿者 クモイ103
投稿日 9月11日(水)21時36分29秒
タイトル 昭和32年の所属標記変更

 EF5841様、著作権法の条文ありがとうございます。勉強になります。

 車掌@仙コリ様、またまた追加情報ですが、以前のカキコ
(倶楽部メモ140・5月29日(水)22時56分40秒)で「RP誌71号(1957年6月号)車両の動き(昭和32年4月分)より」
としてご紹介した所属標記の変更は、昭和32年1月16日付けの規程改正によるものと判明しました。
同月4日の鉄道公報に、総裁達が掲載されています。
 ただし、総裁達は改正後のみの記載で、新旧対照にはなっていないので、公報とRP誌との整合性を完全には検証できませんが、
少なくとも改正後の略号は間違いありませんでした。
 その頃の所属標記は、車番の上に堂々と大書きされていたので、模型でも目立って手抜きができませんね(^^;。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 9月12日(木)07時08分45秒
タイトル Re:昭和32年の所属標記変更
クモイ103様
再度の所属標記変更の情報ありがとうございました。
規定上は1月が正しいようですね。
実は今から北東北方面に出かけるので、帰宅してから一覧表を訂正したいと思います。
撮影等がメインではないのですが、津軽鉄道等の保存客車を見てきたいと考えています。
少し留守にしますが、所属標記変更の情報等について、皆様の更なる書き込み期待しております。


投稿者 Nao
投稿日 9月15日(日)22時39分28秒
タイトル 旧客あさかぜについて

はじめまして、Naoと申します。
私は今、20系になる直前の「あさかぜ」編成を模型で再現したいと考えています。

そこでお尋ねしたいのですが、当時の塗色は全車ブドウ色1号だったのでしょうか。
マロネ(フ)29やナロ10、マロネ40には2等車を示す青1号の帯が入っていたと思います。
様々な雑誌で調べても、なかなか色までは記載されていないので困っています。

また、晩年の旧客あさかぜ編成の車号などをご存じありませんでしょうか。
(もちろん特集ページの編成表(S33.8.1)はきちんと記録してあります)

よろしくお願い致します。


投稿者 EF5841
投稿日 9月16日(月)11時15分19秒
タイトル ナロ10の色
 小生の知人が、神様、仏様、星 晃 様にお会いして、直接、軽量客車の塗装について、お伺いしたところ、・・・・。
 軽量客車は従来車と異なり、ぶどう2号にしたとのことです。
 試作車のときは光沢としたが、量産車の場合、光沢だと平滑処理をきっちりしないと凹凸が目立ち、
見ばが悪いので、ごまかすために艶を落としたとのことでした。


投稿者 EF5841
投稿日 9月16日(月)11時26分13秒
タイトル あさかぜ編成

昭和33年8月1日 7列車

EF58114  オハニ364 マロネ405 マロネ407 マロネ29112 スロ5411 オシ178
 ナハネ1114 ナハネ1111 ナハネ1122 ナハ1147 ナハフ111

昭和33年8月29日 8列車

オハニ365 マロネ407 マロネ407 マロネ29113 スロ5412 オシ178 ナハネ1114
 ナハネ1111 ナハネ1122 ナハ1147 ナハフ1112  EF5831


投稿者 Satokawa
投稿日 9月20日(金)17時02分35秒
タイトル 旧客運行計画

本日、横浜駅のポスターで見たのですが、10月14/15日に鉄道開業130周記念号というのが、JREで走ります。
10/14 横浜→小田原:EF5861+旧客47系(オハ47のことか?)3両
      乗り継ぎで小田原→伊東:E257系
10/15 伊東→小田原:N’EX
      乗り継ぎ小田原→横浜:上記旧客編成

乗車にはパックツアー申し込みが必要のようです。

ちらっと見ただけなので、とりあえず情報のみ。主催は横浜支社のようです。


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