倶楽部メモ(157)
平成14年 8月15日〜 8月18日


投稿者 ナハネフ23
投稿日 8月15日(木)21時22分29秒
タイトル 上野口の推進運転について
管理人様、皆様こんばんは。
上野〜尾久間では古くから推進運転がなされていますが、あの運転はどのような
しくみで運転がなされているのでしょうか?
先頭の乗務員と後方の機関士が無線で連絡を取りながら2人3脚の様な感じで
運転がなされているのか?あるいは先頭の乗務員が1人で担っているのか?
小さな箱を付けているのは分かるのですが、それが何かは不明です。
また客車にはタイフォンなどは装備しているのでしょうか?夜間は小さいライトは
付けているようですが。どなたかお分かりになる方のご教示お願い致します。
電源車などはいいですが、それ以外の車両は貫通扉を開けての推進運転、
雨や雪の時などはさぞやご苦労されるのではと感じております。



投稿者 青列車
投稿日 8月15日(木)23時40分55秒
タイトル 推進回送

今晩は(^^)/ナハネフ23さま

さて、お尋ねの推進回送ですが、生憎私も詳細は存じませんが、基本的には、二人三脚モードと思われます。
客車の先頭に陣取る推進運転士は、簡単な制動弁と、可搬式の警笛装置をもって乗務し、
進路の進行確認(信号現示)をして、最後尾のカマにいる運転士に警笛で合図を送ります。
その合図を元に、カマの運転士がノッチを入れ、列車を進めます。
ただ、本務の運転士は列車の最後尾−それも列車単位の大きい幹線の東北本線ですから、軒並み10両以上、
となれば200メートルから300メートルも後ろ−にいるため、前方の確認が不可能で、
万が一の進路上の危険があっても対処できません。
そのため、推進運転士が一旦火急の際には簡易制動弁で列車を停める訳です。
雨の日も風の日も、吹きさらしでの業務ですので、推進運転士氏のご苦労はいかばかりかと察します。



投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 8月16日(金)00時17分43秒
タイトル 推進運転について:補足
推進運転についてですが、大筋は青列車様の書き込みのとおりで、二人三脚モードです。
先頭となる客車に乗務する推進運転士(車掌等ではなく本当の運転士です)と、
機関車を運転する本務運転士との連絡は列車無線を使用します。
推進運転士はこの列車無線のほか、ブレーキ弁(特殊制御弁)・圧力計と警笛ボタンの収まった箱を持って乗務します。
この箱を車両のブレーキパイプにつないで非常時の制動及び警笛操作が出来る事によって、
本来25km/hを最高速度とされる推進運転を、最高45km/hまで引き上げる事が可能になります。
またタイフォンですが、カニ24等の電源車には警笛が装備されているようですが、緩急車には装備されておらず、
上記の箱の中にある汽笛にブレーキ用アエを通して鳴らしているようです。
小さいライトは標識灯で、夜間以外も付いていると思います。
ちなみにカシオペア用のE26系は、最初から上野口での推進運転を前提に設計されているので、
推進運転時のヘッドライトや制御弁・警笛等が、両端の車両に装備されていたと思います。




投稿者 大キト
投稿日 8月16日(金)05時47分57秒
タイトル 推進運転について
まいど!車掌殿!皆様!ナハネフ23殿!
上野〜尾久間の推進運転については、
鉄道ピクトリアル361号1979.5月号のプッシュプルトレインの特集号に4ページに亘って記事がありますよ、
交通博物館などで観覧できますが、無理なら当方にてコピー送付しましょうか。
投稿者のホームページ


投稿者 車掌@仙コリ  
投稿日 8月16日(金)08時37分20秒
タイトル Re:推進運転について

大キト様、ご無沙汰しております。
鉄道ピクトリアル誌に特集があったのですね。
推進運転についてはあまり詳しくはわからず、他の鉄道誌に記載されていた内容を元に書き込みしたのですが、
ピク誌なら詳しく解説してありそうですね。お言葉に甘えてコピーをお願いできるでしょうか。
また、私の書き込んだ内容に誤りがありましたら補足していただけると助かります。

画像掲示板拝見しました。
やはり画像付ですと説得力が違いますね、私も導入を検討したいと思います。

ナハネフ23様
私が書き込んだ内容については、鉄道ジャーナル366号(1997年4月号)に
「北斗星の折り返し整備を見る」という記事で詳細に記載されています。
まだそれほど古くはありませんので、鉄道古書を扱っている古書店等で入手可能なのではないかと思います。



投稿者 EF5841
投稿日 8月16日(金)18時53分54秒
タイトル ラッパ屋さん
 推進運転の運転手(誘導員といった方が相応しいかも。)のことを「ラッパ屋さん」と言ってましたよね。
 ウンチング/スタイルでデッキにしゃがんで



投稿者 車掌@仙コリ  
投稿日 8月16日(金)19時48分58秒
タイトル Re:ラッパ屋さん

先日書き込んだ推進運転用の特殊制御弁・警笛の箱に内蔵されている汽笛の音が
ラッパのような音である事から通称「ラッパ屋さん」と呼ばれているそうです。

また、列車から振り落とされないように、ドアノブに手をかけて、しゃがみこむ
あのスタイルをしているそうです。



投稿者 ナハネフ23
投稿日 8月16日(金)21時11分15秒
タイトル ありがとうございます!

「青列車」様「車掌@仙コリ」様
さっそくのご教示ありがとうございます。
普段なにげなく見る風景ですが、ふと疑問に思い書き込ませて頂きました。
「箱」の中身まで解説して頂きありがとうございます。
先頭の推進運転士と後方の機関士とが息を合わせての推進運転は見ごたえがあります。
上野口名物の推進運転も最近は数が減ってしまい、さみしく思っています。

大キト様
お心遣い恐縮です。
私は埼玉在住ですので、休みの時にでも交博で勉強してこようかと思います。


投稿者 北の大地
投稿日 8月17日(土)00時45分16秒
タイトル 教えて下さい
超初心者の鉄道マニア?です
20年ほど前にナローの鉄道模型はしていましたが 最近80/1を始めました
そこで 蒸気機関車の時代の”宗谷””利尻””まりも””大雪”などの編成を再現したく
皆様の中で編成をご存知の方がいらっしゃれば ぜひ教えて戴ければと思い
こちらの掲示板に書き込みました 何とぞよろしくお願いします
実際 本命は”利尻”です C55が頭で走る姿を我が家で再現したいものです



投稿者 菊之介@夜行急行八甲田
投稿日 8月17日(土)01時03分57秒
タイトル 残暑お見舞い申し上げます。
御乗車の皆様、御無沙汰致しております。
推進運転の話題を拝読致しておりまして、昔の上野駅の思い出が脳裏に蘇りまして、我慢ならず書き込みました。
菊之介が古き良き列車[八甲田]と旅をしたのが丁度この今頃の季節です。
八甲田に上野まで案内をしてもらい、山手線で池袋へ戻ろうとすると、
よく車窓から推進運転の客車編成が尾久客車区に帰って行くのを見ましたよ。
そんな彼らに菊之介は心の中で手を振っては、お休み、有り難う、と声をかけていたものです。
独り言をお聞きいただき有り難うございました。


投稿者 クモイ103
投稿日 8月17日(土)19時53分12秒
タイトル Re:”利尻”の編成

北の大地さん、ご乗車のみなさん、こんにちは。

 鉄道ピクトリアル659号(<特集>寝台列車と寝台車)P.30に、C55 30が牽引する下り”利尻”の写真があります。
昭和45年8月撮影となっており、普通車6両のあとに冷房改造されたスロ54(62?)、オロハネ10、
さらに10系ハネ、荷物車?(あとは不明)と続いています。

 ”利尻”は、昭和33年10月1日改正で、札幌−稚内間の夜行準急列車に命名されて以来の伝統ある愛称名です。
列車自体として無名時代を含めれば、さらに古い歴史を持ちます。
 私の手元にある昭和35年7月1日現在の資料(主要客車列車編成順序表)では、
下り307列車の編成は、札幌発車時点で先頭から、6号車スハフ、5〜3号車スハ、2号車ナハネ11、1号車マロネロ38、
その後にマニが1両つきます。
途中の旭川で、先頭にオハが1両(号車番号無し)、最後部にマユニ+オハユニが増結され、
最後のオハユニは音威子府で開放されます。牽引機は全区間C55です。
 翌昭和36年10月1日改正では、ナハネ11がナハネ10に代わっている事、
号車番号の順序が逆になって旭川増結のオハが1号車、マロネロが7号車になっている事、
札幌−旭川間の牽引機がC57に代わっている事くらいの変化です。
 編成中、「スハ」は45、「スハフ」は44に決まっていますが、「オハ」は35でしょうか?
「マニ」は上野からの航送運用で、32、60、74などの可能性があります。
「マユニ」という形式は、31と78しかありません。「オハユニ」は64の可能性が高いです。
ただ、郵便車・荷物車に関しては頻繁に使用車両が変わっていたと思われますので、あまりこだわらなくて良いでしょう。
 ユニークな合造車マロネロ38は、昭和39年10月1日改正で、この”利尻”に残るのみとなります。
昭和41年2月、オロハネ10+スロ52に置き換えられて姿を消しました。
 昭和42年10月1日改正時点での編成(RM誌1995-11)は、
スハ(旭川増結)+スハフ+スハ×3+スロ+オロハネ10+ナハネ11+スユニ+マニ+スハニ(下りのみ・旭川−音威子府間)と、
基本的には大して変わっていなかった様です。
後ろ3両の荷物車以外は、この頃にはブルーに塗り変わっていたと思われます。
なお、マロネロ38も、その末期にブルーになっていたという情報があります(本BBS過去ログ参照)。

 ”宗谷”は、昭和35年7月1日に旭川−稚内間の準急列車として登場した当初から気動車列車で、蒸機時代はありません。


投稿者 やまだ
投稿日 8月17日(土)22時52分57秒
タイトル 「ゆとり」は検査入場でしょうか?
皆様こんばんわ、御無沙汰しております。
昨日、16日は早朝から大宮駅で「はくつる82号」、「能登」、「北陸」、「はくつる2号」
そして「あけぼの」と久しぶりに夜行列車三昧して参りました。
それにしても夜行がこれだけになるとは・・・更に客レとなるとたったの3本までに減ってしまったのですね。
今更ながら、驚きと残念な思いがしました。
大宮での撮影後、10時ごろ北浦和駅近くの跨線橋で消え行く115系を撮影していると
下り貨物線をEF65-1118牽引のマニ50+「ゆとり」(両端展望車の3両編成)の配給列車がやってきました。
余りにも突然の出来事でしたのでカメラの構図やピント合わせが間に合わず撮影出来なかったのですが、
たしか時間的にはこの配給は大宮駅で工場入出場車両を入れ換えの後、
高崎にお昼にごろ到着して1時間程度、機回し、休憩の後に大宮へ15時ごろ戻り、
15時20分ごろ尾久へ向かうスジだったと思うのですが・・・
10日に尾久で編成をバラされた「ゆとり」を見ているので検査入場かなあ?と見ているのですがどうでしょうか。
何か御存知の方がいらっしゃいましたら御教示下さい。




投稿者 大宮工房
投稿日 8月18日(日)01時53分15秒
タイトル 参考にならないかも知れませんが・・・・
 参考にはならないかも知れませんが、昔ゴハチを撮っていた頃、
10時頃上野方面からゴハチがマニ36一両を牽いて東大宮基地にやってきて、14時頃に帰っていく列車がありました。
(時間的にも撮影しやすい列車だったので良く撮っていました)
その後EF651000+マニ50に変わりました。
最近でもEF651000が24系を1・2両牽いていくのを見ましたが、それが東大宮に行くのか大宮工場に行くのかは分かりません。
昔EF65100がナハフ11、一両を牽いているのを見たことがありますが、ナハフ11はいつも大宮工場の端にありましたので、
大宮工場に行く仕業もあったのかも知れません。
 過去の不確かな記憶なので、どなたか別の方教えてあげてください。


投稿者 北の大地
投稿日 8月18日(日)02時11分25秒
タイトル Re:”利尻”の編成

クモイ103様 大変詳しいご説明ありがとうございます

C55を手に入れてからずっと考えて探していた編成がお陰様で知ることが出来ました
若い頃 ”利尻”に数回 ”大雪”にも数回”宗谷”にも二度ほど乗っているはずなのに ほとんど覚えていない 情けない! 
”宗谷”がディーゼルでしか走っていないとは....反省 (超初心者なので許して!)
やはり昭和三十年代を再現しようとすると北海道型は自作になってしまいそうです
記憶では車両の色はそろっていないでバラバラだった時も有ったと思います 
そんな時期も有ったのではないでしょうか?(また 記憶違いで無いと良いけど!)
模型の世界でも色々再現したいと考えています
”利尻”の編成が揃ったら 次は”大雪”頑張るぞ〜!

クモイ103さまにはご健勝で、またご教示下さいます様 よろしくお願いいたします



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