倶楽部メモ(155)
平成14年 8月 7日〜 8月12日

投稿者 まろねふ
投稿日 8月 7日(水)09時31分15秒
タイトル 何と…!?

みなさま、おはようございます。

>横山@車両名鑑さま
はじめまして、こちらこそ宜しくお願いします。
マイフ971の台車はOK台車ではなく、三菱MD台車ですか。
鉄道史料の記述をそのまま鵜呑みにしていたのでここまで悩んでしまったわけですね。
三菱MD台車の名はどこかで聞いた記憶があります。ご教示ありがとうございました。

ところで、横山様は鉄道史料の写真をご覧になられたのでしょうか?
もしそうでしたらお尋ねしますが、台車の位置が前後で違って見えませんか? 
展望室側台車が車端に寄っていませんか。これが事の発端でもあります。
横山さまの御考察をお聞かせ下さい。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 8月 7日(水)10時12分41秒
タイトル マイフの台車

まろねふ様、横山@車両名鑑様
マイフ97の台車について、いろいろな情報ありがとうございます。
私もいろいろ資料をあたってみましたが、やはり試作台車?についてはわかりませんでした。
横山@車両名鑑様のMD台車ではないかという情報で、ますます謎が深まるばかりですね。

マイフ97 1の車歴ですが、なかなか複雑でかつ諸説があるようなのですが、
もとは昭和21年の二宮事故で大破したオハフ33 49で、昭和25年に特別職用車スヤ51 1に改造されています。
その後、昭和27年の日米講和条約発効にともなう特別職用車の廃止から昭和28年の形式改正の約1年の間が複雑で、
スヤ51 1 → スヤ46 1 → スイ46 1 → マイフ97 1
というのが正しいようなのですが、文献によってはスイ46とマイフ97の間にさらにスイフ46という記載があるものもあります。

横山@車両名鑑様
14日に郡山工場の公開があるというのはどちらからの情報でしょうか?
こちらで把握している一般公開(JRフェスティバルin郡山工場2002)は24日のようなのですが、
それとは別に工場公開が存在するのでしょうか?
この工場公開(JRフェスティバル)はここ数年8月下旬に行われているのですが、
残念ながら私その時期は毎年忙しく土日も出勤という状態でして、4年前の10月に行われた際に訪れたのが最後です。
今回も仕事で行けません、地元なのに・・・・14日であれば休めるのですが・・・
今回の展示車両についてはまったくわかりませんが、4年前(1998年)の展示車両(客車しか憶えていませんが)は
工場保存のオハフ61 3055と仙台電車区のオヤ31 13 ・ スヤ50 5001の3両でした。


投稿者 横山@車両名鑑
投稿日 8月 7日(水)23時07分43秒
タイトル マイフ他

>まろねふ様
>台車の位置が前後で違って見えませんか? 展望室側台車が車端に寄っていませんか。

そう言われて見るとそんな気がしなくも無いですね。VC図や他の写真で見るとそうでも
ないんですが・・・。また何か気が付きましたら書き込みさせていただきます。

>車掌@仙コリ様
>こちらで把握している一般公開(JRフェスティバルin郡山工場2002)は24日
>のようなのですが、・・・

失礼いたしました。とある掲示板での情報だったのですが、どうやら24日の間違えだ
ったようです。謹んでお詫び申し上げます。これで残念ながら私も行けなくなってしま
いました。


投稿者 岡升奈保古
投稿日 8月 7日(水)23時24分01秒
タイトル マイフ971の最期
車掌@仙コリ様、まろねふ様
 私のマイフ971の質問から皆様にいろいろ教えていただき恐縮いたします。
とりわけTR57への履き替え時期や廃車年月が特定でき感謝いたします。
廃車後は中央鉄道学園(東京都国分寺)にC56などといっしょに保存されていましたが、昭和49年に解体されました。
解体された場所は隅田川客貨車区に隣接した資材センター(通称、南千住の用品庫)の最も常磐線に近い側線で、
営団日比谷線の高架線の横でした。
当時はそんな車両の存在さえ知りませんでしたが、何か展望車めいた古い車両が用品庫の奥に留置されているなあと思っていました。
ところがある日それが日比谷線の真下に引き出され、間近に見ることとなりただならぬ車両にびっくりしました。
早速見学したい旨守衛さんにお願いしたところ、わざわざ係りの方(たぶん助役さん)が案内してくれました。
車内に入ってもよいとのことでしたので、車内に入ると「こんな車両が存在したとは...」ただただ驚くばかりでした。
係りの方がおっしゃるには200万円で競売したが、買い手がつかなかったので解体となるとのことでした。
見学からまもなくそこで解体が始まり、一週間でスクラップとなってしまいました。返す返すも惜しいことです。
 何せ30年近く前のことですので記憶もあいまいなのですが、
実家にはその時の内部のスケッチや写真があるはずなので、近々探しに行くつもりです。
お目にかけられるようなものがあればこの場をお借りしたいと思います。 ありがとうございました。


投稿者 ノーブルジョーカー@竹中
投稿日 8月 8日(木)23時56分45秒
タイトル マイフ97のお値段

みなさま、こんばんは。

マイフ97が解体される直前に「おまえ買えば?」と冗談半分で言われたことがあります(200万円という値段は知りませんでしたが)。
当時、鉄道友の会でも検討されたのでは? 
ただ、マイフ97は改造車で、客車の歴史的価値という点では少々弱かったようで残念ながら引き取り手が出なかったのですね。

車掌@仙コリ様
ご挨拶が遅くなりましたが、相互リンクありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。

投稿者のホームページ


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 8月 9日(金)21時51分00秒
タイトル 郡山工場のオハフ61

先日も私が書き込みしたJR郡山工場に保存されていたオハフ61 3055ですが、残念ながら先日解体されてしまったようです。
先月末に郡山工場の解体線に移され、数日後には解体されてしまったとの事です。
解体直前や解体中の現場は見ていないのですが、昨日現場を見に行くとそれらしき残骸が・・・
現存していた唯一?のオハ61改造のオハフ61であったので、とても残念です。

24日の工場公開ですが、これで客車関連の展示があるかどうかが微妙になってしまいましたが、
実は職場から郡山工場まで自転車で飛ばせば10分位なので、天気がよければ昼休みにのぞいてこようと思います。
なにか収穫がありましたら、またご報告いたします。


投稿者 高速貨A
投稿日 8月10日(土)00時09分01秒
タイトル 10系座席車の乗り心地等について
10系座席車(ナハ10等)についての質問です。
旧客(オハ35、スハ43等々)と比較して、見た目は近代的でかっこいいが
軽すぎるのか、ふわふわした感じで乗り心地がさほど良くないとか、窓が大きくて明るいのだが
すきま風が入りやすかった等という話を聞きました。
私は、旧客、12系・14系座席車、50系等、かなり乗車しましたが
何故か10系座席車に乗車する機会に恵まれず、やっと乗車したのは横川の保存車両です。
(乗車したとは言いませんよね)
よって、10系座席車の乗り心地等は、どのような物なのか知りません。
どなたか、乗車した際の感想などをお聞かせ下さい。よろしくお願いします。


投稿者 今泉
投稿日 8月10日(土)01時12分21秒
タイトル Re: 10系座席車の乗り心地等について
こんばんは。
10系客車の乗り心地についてですが、揺れ等については特に他の客車との違いは
記憶に残っていません。ただし、高速貨Aさんが書かれているように、すきま風は
結構ありました。たまたま冬に夜行で10系客車に乗った時は、すきま風が寒くて
寝ていられず、とうとう窓枠と桟の間に細長く折りたたんだ新聞紙を詰め込んで
目貼りをしてしまいました(^^;;;)。もっとも他の客車でも多かれ少なかれすきま風は
入ってきましたが... 1978年頃のことです。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 8月10日(土)09時06分29秒
タイトル Re:マイフ97のお値段
マイフ97は改造車とはいえ、元特別職用車のトップナンバーという歴史的にも貴重な車両でしたので、
廃車解体されてしまったのは本当に残念です。
競売価格が200万円ですか。
当時の物価をよく覚えていないものの(当時私は小学生)べらぼうな金額ではないような気がしますが、
車両だけは購入できても、その車両の保存には場所(土地代)とそこまでの運送費もばかになりませんものね。


投稿者 オハ47 2006
投稿日 8月10日(土)23時10分13秒
タイトル 急行八甲田の10系座席車
70年代急行八甲田の10系座席車は特に冬季青森よりで、
隙間風や雪がモケットに積もるなどの問題による苦情が多かったようです。
宇都宮以南では過密ダイアによる保線作業の不足が乗り心地にも影響があったようですね。
12系化置き換え前は先輩の43系が頑張ってました。
当時は101系や153系電車にも同様の問題があり、延命工事せず廃車された車両も多かったですね。


投稿者 大宮工房
投稿日 8月11日(日)17時40分46秒
タイトル コンパートメント座席での人間性
管理者様、この間は失礼しました。
 ただいま出雲で往復してきました。帰省の季節なので満席で、往年のように活気がありました。
寝台車が初めてらしい人も多かったです。開放B寝台で気になったことが一つ、挨拶です。
行きも帰りも女の親子二人旅と一緒だったのですが、行きはお互い挨拶とごく簡単なおしゃべりがあって、
その親子も「たまには寝台車もいいねぇ」などといっていたのですが、
帰りの便では、挨拶しても無反応ですごく居づらいでした。
(夜が更けていればともかく)長時間一緒の場所にいるのに嫌な雰囲気です。
自分の居場所の上段にはいると外は見えないし、つらい。
私は人見知りしがちで、おしゃべりは下手ですが、長時間近くにいて無視しあうってのはつらいですね。
最近凶悪事件が多いのも人間関係の希薄化だとか何とか新聞に書かれていますが、
挨拶も出来ないのも似たようなものでしょうか。
蛇足ですが、昔ユースに泊まったとき、(部屋にはいるとまず挨拶をするものですが)部屋に入って挨拶をすると、
無視して漫画に夢中な若者がいたことがありました。そんな旅面白いんじゃろか?
ここの皆さんは大丈夫でしょうけど、楽しい旅のためには挨拶が大事、ということを感じました。
 それから、B寝台の話題でもう一つ。
昔から寝台車利用する人なら分かるのでしょうが、
最近の人はコンパートメント座席に上段の人も座ることを知らないようですね。
夜中発ならまだしも、帰りの便で同じコンパートメントの人は、
日が暮れていないうちから、知らない人と目線を会わすのがイヤなのかなんだか、カーテンを閉めてしまいました。
やはり人間関係が希薄化する(もしくは個人の尊重とでも言うのか)現代ではこのような座席は嫌われるのでしょうね。
そう批判的な視点で見なくても、妻も解放寝台はイヤだと言いますし、自分も安けりゃ個室がいいと思いますけど。
 あと、この嫌な雰囲気の中でも、上段から外が見えると、安心なのですが。
昔B寝台でも中段や上段から小窓から、または窓の上端がもっと高くて外がのぞけたと思うのですが。
25系って上段から外は見えないのですか?ちなみに子供の頃乗っていたのは20系や14系です。
25系も乗ったことはあるのですが外は見えたはずなのですが。
あと、米子市内で偶然見つけた「米子れいるろおど館」は入場無料で鉄道関係のものや雑誌がおいてあり休憩も出来ます。
山陰を旅行して時間が余ったら、寄るとよいですよ。(駅より徒歩10分ほど)
また、そのそばには英国製の2軸客車がありました。昭和42年まで使われていたようで驚きです。
 客車には関係ないですが、少し前の時刻表で山陰線を乗ったので大変なことになりました。
数年前に行ったときはそこそこ列車はあったのに、本数はないは直通列車はなくなっているはで。
餘部から米子まで特急か何かあるだろうと思ったら全然ありません。
鈍行も数ヶ月前にかなり削減されたようで、かなり待たされた上、18きっぷの旅みたいで疲れました。
山陰各都市は関西と新幹線や中国山脈を越えるろっ骨ローカル線で強く結ばれているようで、
山陰線は本線から支線へ格落ちしてしまっていました。
ろっ骨線の方が本線になっています。それにしても、山陰各都市間を結ぶ需要はないのでしょうか。
ちなみに、米子から綾部まで寝台券で乗る人がいました。
この人も少し前までは寝台券なしで特急券で帰られたでしょうに。マジで山陰特急はなくなっています。
 長々とくだらぬ事を失礼しました。
投稿者のホームページ


投稿者 まろねふ
投稿日 8月11日(日)21時48分20秒
タイトル 山陰は…

みなさま、こんばんわ。

島根県出身の私としまして、大宮工房様のおなげきよく判りますが、
昨今の山陰では、関西及び関東方面には肋骨部分から山陽方面へ抜け、
新幹線等に接続を取る移動方法が一般化しております。
山陰沿線の人の流れは益田〜浜田〜出雲〜松江〜米子〜鳥取の都市間輸送以外には人の流れは少なくなっております。
故に山陰を走破する優等列車は細切れとなり、往年の“まつかぜ”のような長距離列車は無くなってしまいました。

最近、島根県内の山陰線高速化事業を行った結果、これらの都市間輸送は輸送率が上昇していると聞きます。
また地元報道では島根県内高速化事業の成功により鳥取県内でも高速化事業を前向きに検討しているとのことです。
これらの事業が完成すると山陰はもっと変わってくるのではないのでしょうか。
また、普通列車は削減されたというよりも国鉄時代に戻ったといった感じではないでしょうか。
山陰西部に限って言えば、JR化後に利便性向上のため増発された列車が軒並み削減されています。
不便になった面は否定できませんが沿線人口も減り利用者が減っているのも事実です。
もう、昔のイメージではないのですよ。

米子の古典2軸客車とは日の丸自動車法勝寺線の客車フハ50(…だったかな?)ですね。
荒れ放題であったのを移転を期に補修したとか。
数少ない明治の面影の客車、これからも大切に保存して欲しい物です。


投稿者 彦阪
投稿日 8月12日(月)07時53分13秒
タイトル ゆうゆうサロン、今年冬に引退!
山陽新聞で発表していました。


投稿者 まろねふ
投稿日 8月12日(月)09時24分56秒
タイトル Re.10系客車の乗り心地…
みなさま、こんにちわ。
山陰で旧客に沢山乗った私も一度だけ10系客車に乗りました。
昭和57年改正で米子区から出雲区に転属したナハ1145に831列車(豊岡発門司行)で15分程乗車しました。
それまではナハは限定運用されていたのか山陰西部には全く顔を見せていませんでしたが、
この改正から急行“さんべ”以来の九州乗入れを果たしました。
また当時、島根県内を走る10系は福知山区の福3(後に福12)運用の835列車(京都発浜田行)、
その折返し544列車(浜田発東舞鶴行)のみでした。
さて乗り心地は、さほど良いとは言えませんでした。
一番耳についたのはジョイント音が車体に妙に反響して揺れが多かった感じがしました。
やはり43系(但しオハ47除く…笑)が乗り心地よかったですね。


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