倶楽部メモ(135)
平成14年 5月 2日〜 5月 6日


投稿者 おっちゃん
投稿日 5月 2日(木)09時05分53秒
タイトル 12系レス
本文

直接の契機は万博でしたか。然しブルトレのサロン車の種車に使われたとは
何度か利用して居るのに初耳でした。東北線での各停運用、白帯無し車両は
某かの近郊型化改良を行ったそうですが。

烏山駅の引上線ですが「生活道路の中の線路」は、直ぐ脇のスーパー建設と
前後して撤去され、件の金井町踏切の直前に車止の無骨なコンクリート壁が
設置されました。踏切も晩年は一旦停止すら無い状態だった様です。

10数km南方の真岡鉄道茂木駅は、SL列車が入線する関係で、機回し側線も
綺麗に整備されて居ますね。それにしても、転車台の稼動時に掛かる音楽が
「乙女の祈り」とは。烏山と云い茂木と云い、引上線が割と長目に取られた
終着駅には情緒を感じます。そう云う意味では、根室、様似、小坂、男鹿、
日光、間藤、三峰口、片上、境港、大社、大嶺、西戸崎、長崎等は雰囲気が
有りましたね。今では大分変わってしまったのでしょうけれど。


投稿者 103列車機関士
投稿日 5月 2日(木)19時43分55秒
タイトル となると
本文 皆様こんにちは!
スハフ42などで疑問に思う事があります。
トイレ、洗面所の窓を中折にしてサッシにするのが近代化で
Hゴムにしたものが体質改善車なのかな?と思っていいのでしょうか?
私もその違いについて悩んでいます。
大井川にいるスハフ43は2はトイレ、洗面所は中折タイプの白で
3はHゴム(洗面所が長細い奴)の白でしたよこれも
体質改善と近代化のちがいか?

投稿者 オハ47 2006
投稿日 5月 3日(金)00時49分48秒
タイトル クモイさんありがとうございます。
本文 近代化や更新修繕や体質改善は奥深いことがよくわかりました。
特にオハ35 オハフ33は、昭和28年頃と34年頃2度更新修繕行った車両もありますし、
それに近代化や体質改善でもしたらプレ−トが付ける場所がなくなりますね、
まあ更新修繕しかついていない103系みたいに年をごまかすよりいいんですけど。笑

投稿者 おっちゃん
投稿日 5月 3日(金)20時30分03秒
タイトル 本日見た光景
本文 本日、東北新幹線を利用したのですが、尾久を遠望した処、留置されて居た14系は、
居並ぶ寝台車に比べて妙に青色が褪せており、少々寂しい印象を受けました。さて
一緒に居た国鉄色ボンネット型485系らしきは一体何でしょう? 「能登」489系が
国鉄色に戻されたらしいとの話も聞きますが?

投稿者 D52 468
投稿日 5月 3日(金)21時04分56秒
タイトル ひとりごと
本文 おっちゃん様
尾久の国鉄特急色の車輛は“能登”に使われている489系だと思います。
今日お昼にチキンラーメンを作っている時にふと思った。
「チキンラーメンと20系客車は同じ昭和33年生まれなんだよな…。」


投稿者 C63
投稿日 5月 3日(金)21時11分44秒
タイトル 足尾の12系
本文 わたらせ渓谷鐵道足尾駅構内に12系4両が留置されています。
オハ12が1両 オロ12が3両でオロは854利根 855吾妻 他1両でした。
ほかにキハ35とキハ30がありました。
これらの車両が足尾にある理由や今後の展望について、
ご存じの方がいらっしゃいましたら、教えてください。


投稿者 おっちゃん
投稿日 5月 4日(土)16時44分42秒
タイトル 足尾駅の事
本文

C63さんがおっしゃる12系とは旧「やすらぎ」の中間車の事ですね。先頭車を
塗装変更の上で大間々に配置、取り敢えず利用予定の無い車両を留置して居る
感じですね。昨秋見た時は、確か原色12系も連結されて居たけど、これは?

間藤−足尾本山の線路は相変わらず健在。観光路線への転用案は、景気後退で
尻窄みの様ですが、二箇所の鉄橋も朽廃が進む以上、放置しっ放しとの訳にも
行かないし。肝心の本山駅は部外者の立入が出来ませんが、外側から垣間見る
構内は非常に「怪しい」感じで、是非一般公開して頂きたい次第。


投稿者 やまだ
投稿日 5月 4日(土)23時25分17秒
タイトル 近代化と体質改善工事
本文 皆様こんばんは。
「近代化工事」と「体質改善工事」はの違いは悩みどころですね・・・
「近代化」はS30年代から40年代にかけて行われた工事で、内容は室内灯の蛍光灯化、
室内のペイント塗り程度ではないでしょうか?
洗面所・トイレ窓のHゴム化や窓のアルミサッシ改造はS46年あたりからの体質改善工事で
行われたのでは?と私も推測しているのですが、
車両ごとに施工内容がまちまちでイマイチその違いや、内容が把握できませんねえ〜・・
出来たらJRが形式ごとの詳細な整備台帳を頒布してくれたら良いのですが・・


投稿者 JUNJUN
投稿日 5月 5日(日)00時11分56秒
タイトル 烏山駅の引上線
本文 烏山駅の引上線の話が出ておりますので少し書かせて下さい。
昔、烏山線には貨物列車が走っていました。
烏山駅の貨物ホームは旅客駅の北側(現在駅の駐車場になっているところ)にありました。
その為の引上線であったと思います。
貨物列車廃止後も夜到着した列車(キハ40×3)×2本を引上げ線を利用して2番線に転線して、
翌朝、キハ40×6の編成(烏山ではホームから2両程はみ出し)で宇都宮に戻って行きました。
現在でもマヤ検時はDE10が引上げ線を利用して機回しをしております。


投稿者 オハ47 2006
投稿日 5月 5日(日)06時50分33秒
タイトル 1983年出版の国鉄客車配置表のはなし
本文 1983年版の記録には、旧客の塗装または体質改善のT印が記入されていました。
盛岡に配置されていた、スハ43 2155はT印が記入されていましたが、
実際はブル−塗装の車内はニス塗りでした。    
モケットが張られたオハ62などは準近代かなんですかね?


投稿者 とび色3号
投稿日 5月 5日(日)11時45分05秒
タイトル 足尾の車両
本文

こんにちは。

〜おっちゃん様・C63様〜
足尾の一般色12系はトロッコ列車改造時にJR東日本から来た車両ではないでしょうか。
部品取り用だと思います。
キハ30・35は「旧足尾線にゆかりのある車両」とかで置いてあると雑誌で読んだ記憶があります。


投稿者 クモイ103
投稿日 5月 5日(日)15時03分32秒
タイトル アルミサッシと近代化
本文

 私も「近代化」「更新」「体質改善」についてはっきりとした知識はないのですが、
「近代化改造」と同時にアルミサッシ化された車両も多数存在したのは間違いありません。
スロ60や53などの「特ロ」や、「近代化改造形式」とも言えるオハ36、
そして、青大将「つばめ」「はと」引退後のスハ44系が有名な例です。
ただ、同じスハ44系でも、数ヶ月遅れて置き換えられた元「はつかり」組は木枠のままだった模様で、
スハフ43 1〜3はこのグループに属します。
スハ44から改造のスハフ43 10番台は、すべて元「つばめ」「はと」組であり、
全車両アルミサッシです。
 いずれにしても、アルミサッシ化は近代化改造の必須項目でなかったのは間違いありません。

※オハ47 2006さんへ
 老婆心ながら、半角のカタカナは、インターネットの掲示板上では御法度ですよ。
文字化けなどのトラブルの原因になります。


投稿者 おっちゃん
投稿日 5月 5日(日)17時39分35秒
タイトル JUNJUN様
本文 そうか、マヤ検と云う用途が在りましたか。溜飲の下がる思いです。
言われて見れば確かに貨物ホームが在りましたね。駅舎正面左手の
頭端式のヤツですね。


投稿者 C63
投稿日 5月 6日(月)15時51分29秒
タイトル お返事ありがとうございます
本文 早速のご回答ありがとうございます。
加悦鉄道のような発展を期待したのですが、残念です。



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