倶楽部メモ(134)
平成14年 4月22日〜 5月 2日

投稿者 EF58 29
投稿日 4月22日(月)08時26分13秒
タイトル Re:14系入り瀬戸編成
本文

 >14系寝台車のことです。昭和46年に10両ほど先行試作されて、
1年ほど急行瀬戸に使われていましたが、
そのときの編成(車両番号も)を記録された方はいらっしゃらないでしょうか。

 RF77年6月号(VOL194号)によると次の編成記録があります。
 72ー3ー5
 下り 瀬戸2号
 EF58 26(浜)
 マニ  36 28
 オロネ 10 36
 スロ  54 2045
 スハネフ14 1
 オハネ 14 4
 オハネ 14 1
 オハネ 14 6
 オシ  17 7
 スハ  43 2433
 スハ  43 580
 スハ  43 2279 
 スハフ 42 2404 
 以上 南シナ
 スハ  43 493
 スハフ 42 98
 以上岡オカ(岡山止)

投稿者のホームページ


投稿者 松ちゃん
投稿日 4月22日(月)19時54分16秒
タイトル 瀬戸の編成記録、どーもです
本文  EF58 29様、ありがとうございます。番号から所属、牽引機の番号所属まで、ばっちりです。
手持ちのRF、70年代はとびとび状態で、194号はしっかり持っていませんでした。
3両の「ネ」、1・4・6と不揃いですね。テスト・検査等で入れ替わっていったんでしょうかねぇ。
ゴハチが浜松の所属というのも、なんか意外です。
何となく、東京か宮原あたりだと思っていたんで・・・。
 いずれにしても、本当にありがとうございます。


投稿者 クモイ103
投稿日 4月23日(火)09時04分30秒
タイトル 浜松のゴハチ・客車の床下
本文

 1ヶ月(くらい?)のご無沙汰です。最近浮気が多いクモイ103です(蹴)。

 松ちゃんさん、東海道のゴハチ基地としては、浜松はメジャーでしたよ。
お召し予備の60号機も浜松に居ましたし。
私の場合、個人的には、浜松のゴハチと言えばニモレ牽引機という印象が強いですが。
(EF58 29さんのHP↓もご参照下さい。そういえばここのリンク集にはまだ入っていませんね。)
http://reingold.hoops.livedoor.com

 D52 468さん、客車のうち、戦後、KM型空気調和装置(冷房装置)が取り付けられた車両の
基本的な床下機器配置が、7号車リンク集のトップにある「客車空気調和装置資料室」にあります。
該当する車両は、マイテ各形式、マシ29・38・49、マイネ38→マロネ49(1・4・5のみ)などです。
 ちなみに、今月発売のRP誌(43系客車特集1)に、上記HP主宰の大キトさんが冷房化の話を
執筆されていますね。

 大宮工房さん、こちらにいらしたのですね。これからもよろしくお願いします。


投稿者 おっちゃん
投稿日 4月23日(火)09時17分29秒
タイトル さくらエクスプレス
本文 「はまなす」の気動車化予想談義に関連した所感です。或いは桜の開花時期との整合性が
案じられるJR北海道リゾート気動車使用と思しき「さくら EXP.」が近々函館−弘前で
運転されます。列車番号からして青森以北は電機牽引の様ですが、函館で 4分先発となる
「はつかり」とは青森到着で実に50分余の差が開き、改めて長大隧道と非電化区間に跨る
運用の難しさを感じさせられます。


投稿者 あっくんパパ
投稿日 4月24日(水)21時55分13秒
タイトル ちくま号の思い出
本文 このサイトを見つけてカキコしました。
5年ほど前のゴールデンウィークに、結婚する前で独身最後の一人旅で、長野まで行きました。
大阪から急行ちくまに乗りました。
すでに、新幹線の中(私は福岡在住です)と大阪市内で酒を飲み、かなり酔っ払っていましたが、
それに懲りず、大阪駅でビールを2本買って乗り込みました。
ビールはすぐに無くなり、タバコで間をつぶし、名古屋で、またまたビールを2本買いました。
名古屋からは、結婚式帰りという新潟県の松代までのおじさんと一緒のボックスに座り、
お互いに買ったビールを飲みながら、私が松本で降りるまで世間話をしました。
客車列車には、知らない人同士が気軽に話せる雰囲気がありましたよね。
列車も高速化が進み、本当に客車列車は少なくなりました。
小学生のころは鹿児島線に鳥栖〜西鹿児島までの鈍行の客車列車があり、
それに乗るのが好きでした。
そういえば、東京に行くにしても、小学生のころは飛行機に乗せてやると言っても、ブルートレインに
あこがれましたが、今では、東京出張で新幹線を含めて列車を使うことはないですよね。
私には2歳の息子が居ますが、できるなら、窓が開く客車列車に乗せたいなと思うのは
贅沢でしょうか。


投稿者 おっちゃん
投稿日 4月25日(木)09時09分53秒
タイトル ちくま
本文

5年程前の「ちくま」は12系でしたっけ? そう云えば腰掛けだけ特急型に変更したとか
聞いた事はありますが。確か「だいせん」も、同様の状況ではなかったかと記憶します。
現在の「ムーンライト高知」に近い乗りですかね。

>できるなら、窓が開く客車列車に乗せたいなと思うのは贅沢でしょうか。
気動車ですが、以前「風っこ」に乗せたら見事に風邪っ子になって女房に怒られました。
取り敢えず、子供の活用法は展望席カブリ付きの為の大義名分?(酷い父親だな)


投稿者 やまだ
投稿日 4月27日(土)02時10分18秒
タイトル 43系客車・・
本文 皆様こんばんは。
RP誌の今月の特集、もうご覧になられた方は多いと思いますが、いかがでしょう?
43系の製造時期による室内や機器関連の違い、製造のいきさつがよくまとめ上げられていて
私は大変興味深く読むことが出来ました。
ただ、資料写真が登場当時のものが多く、旧客の奥の深さを感じる後年の改造後の姿が
ちょっと少ないかな?・・という気がしないでもないのですが・・・
まあその辺は続編が出るそうなのでそちらへ期待しましょう。
扉の件や、窓の改造などといった近代化改造や、体質改善工事など
43系の興味は尽きる事は無いので少しでも謎が解明できれば良いですね。
また、RP誌の特集も10系、61系、43系と来たら今後は35系・・32系でしょうか?


投稿者 もと
投稿日 4月27日(土)22時08分44秒
タイトル ピクトリアル買いました。
本文  私も「ピクトリアル」の43系特集、早速購入し読ませていただきました。
 文や車歴、写真など、たいへんよくまとまっており、私のような旧客をあまり知らない世代
(ながらも客車は好きです)にとってはたいへん嬉しく思っています。
それ以前にも客車を特集したピクトリアル誌もちろん買うようにしています。
10系の寝台車編だけ買いそびれたのが悔やまれます。35系も特集してほしいですね〜。
 私、ひとつ気になったのが今も残る旧客の実態です。
私も実際に見たことのある鞍手町のスハフ42(掲載されている写真の20日後に見ました)
もそうですが、放置され荒れ果てているのが多くて心がいたみます。
SLだったらまだ大事にされているところが多いですけれど・・・。
 JRが各地でSL列車を走らせているのは、私好きではあることに違いないんですが、
ジョイトレ的客車がどうも気になってしまいます。
大井川に初めて行った時はSL以上に旧客に乗れたことに感動してしまいました。
 保守が大変なんでしょうけど、どうも旧客は粗末に扱われているような気がします。
 北海道でC62ニセコが運転を終了した時も、ブルーのスハフ44が廃車になってしまったのが
悔やまれます。
 また、廃車後保存・利用されている客車たちも、これ以上廃棄処分されないことを祈っています。


投稿者 103列車機関士
投稿日 4月29日(月)21時16分20秒
タイトル 蒸気機関車の魔法
本文 皆様こんにちは!ピクトリアル私も買いました!以前川俣線のスハニ35の話題が
話題になりましたが、あのスハニ35、日中線にも来ていたのですね、
さて、本題に、わたくし昨日、大井川に行ってきました!蒸気機関車の列車に乗車
したのは初めてでした、馬鹿みたいに泣いてしまいました。
不思議ですね、乗車している大人まで皆、手を振りはしゃいでいました、
茶摘のおばちゃんまで手を振り返してきました。正直あんなに盛り上がっている
所だとは思いませんでした。デッキに立ったり、スチームを顔に当てたり、
TR23とTR47の乗り心地を確かめたり、トンネルの中ではあのころの
夜行列車を想像したり、本当に楽しい旅になりました。
そして、保存客車のドア、トイレの記録すべて成功しました!車掌様後で宜しくお願い致します。
清水港線三保駅の跡地も散歩しました。近くの国道150号でスハフ422105を
発見!収穫は沢山ありました。


投稿者 おっちゃん
投稿日 5月 1日(水)15時41分02秒
タイトル 12系の現況は?
本文

先頃のJR東日本に於ける14系全廃を受けて思ったのですが「ユーロライナー」等
イベント仕様は別にして、12系は今でも有るのですか? 廃止の話は聞きませんが。
「ヨンサントオ」を契機に配備され、その延長線上の14系が1972年の登場ですから、
もう何が有っても不思議ではないですが。

定期仕業としては一昨年に豊肥線部分電化で捻出された気動車配備に伴う久大線の
各停が最後でしたか。私は「八甲田」「ちくま」「だいせん」「日南」「かいもん」
及び東北線盛岡以北の各停で利用しましたが、最も印象に残って居るのは 1979年夏
烏山線を一躍有名にしたミステリー列車「999号」での運転です。

当時の烏山駅は、現在よりも車止め迄の引上線が長目に取られ、途中に警報機付きの
踏切が在りました。然し戦前に気動車が導入される等、同線の無煙化は早かった様で、
若しかすると、この警報機が作動したのは「999号」の機回し位か、等と勘ぐります。
現在の引上線は件の踏切直前で途切れて居ますが、構内は今も対向式二面二線構造で、
延長構想の名残を感じさせます。


投稿者 クモイ103
投稿日 5月 1日(水)19時00分08秒
タイトル Re:12系
本文

 12系客車は、私もお気に入りの系列です。
客車版165系という雰囲気のボックスシートが、学生時代を思い出しますね。
JR東日本の現状は私もよくわかりませんが、SL列車などの需要がまだあるのではないでしょうか。

 さて、おっちゃんさんの揚げ足をとるようで恐縮ですが、12系の登場は昭和44年で、
ヨンサントオ時点で計画はあったかも知れませんが、直接の契機は、翌年に控えた大阪万博の
観客輸送用に臨時列車を大量に増発しなければならない事情があったためと伝えられています。
 また、定期仕業の最後は、厳密には、昨年の春から秋にかけて筑豊本線の50系に
「黄害対策」のトイレ車(!)として連結されたものでしょう。

 烏山駅先端の引き上げ線(?)は、国鉄時代に訪れてたいへん印象に残っています。
生活道路の真ん中に堂々と線路があって、もしも子供の頃あの道に面した家に住んでいたら
面白かったろうなあなどと思ってしまいました。今はもうないのですね。


投稿者 キサハ34
投稿日 5月 1日(水)20時13分59秒
タイトル 12系のこと。
本文

12系は汎用的なアコモが幸いして各地で改造車として生き残っていますね。
クモイ103様もおっしゃるとおり、現在のSL列車には欠かせない存在と思います。
窓が開くところがいいですね。冷房もありますし。
また、私がHNにしている、大好きなキサハ34型気動車も
実質的には12系客車鈍行そのものでしたね。

私は晩年の東北線でオハフの連結面を外側にしてつないだ普通列車が印象に残っております。

さて、姿は変われど、特急の定期運用が存在しますよ(^^)
「あさかぜ」のサロンカー、スハ25 300はれっきとした12系です。
何気ないクルマかも知れませんが、乗車の際は12系時代はどんなところを走ったのだろう?
と想像して見るのも乙なものかもしれません。
#ちなみに、私は「瀬戸」のこのクルマで瀬戸大橋を渡ったのが思い出になっています。


投稿者 オハ47 2006
投稿日 5月 2日(木)00時49分37秒
タイトル 体質改善
本文 戦前のオハフ33がブル−で体質改善を施工して紀勢本線などで活躍していたり
戦後製のスハ43がブドウ色で残っていたり矛盾を感じたりもしたのですが、
バラエテイさでは今ではくらべものにならないですね。
ところで日中線のスハニ35は体質改善うけていたのでしょうか?
私が日中線に乗りに行った時は仙ワカのオハフ61 2528でしたら、まさしく矛盾といえますね。


投稿者 クモイ103
投稿日 5月 2日(木)08時50分55秒
タイトル 体質改善?近代化改造?
本文

 オハ47 2006さんのおっしゃる「体質改善」とは、昭和30年代に行われた「近代化改造」
の事のようですね。
「体質改善工事」は、あいまいな記憶ですが、昭和50年前後に行われた全く別物では
なかったでしょうか?
 例えば、先月発売のRP誌(スハ43系特集1)P.52に、1982年に四国のローカル用で
余生を送っていたスハフ43 2の写真があります。
この車両は昭和51年頃に四国入りした後、アルミサッシ化改造を受けていますが、
これがたしか「体質改善工事」ではなかったかな(?)と思います。
同車はそれよりはるか昔、昭和36年に近代化改造を受けていますが、その時は木枠のままでした。
 RP誌の写真の説明には「近代化改造施工後の姿を示す」とありますが、
これは間違いではないものの、誤解を招く表現であり、もう少し配慮して欲しいものです。

 ご質問の日中線のスハニ35ですが、近代化改造は受けていなかったはずです。
過去ログにもあるように、スハニ35で近代化改造を受けたのは4〜6の3両のみで、
これらは引き続き優等列車に使用されました。

 私もあいまいで申し訳ありません。詳しい方のフォローをお願いしますm(_ _)m。
 ひとの揚げ足とりばっかりで、なんだかなあ・・・


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