倶楽部メモ(128)
平成14年 3月 9日〜 3月20日

投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 3月 9日(土)13時10分28秒
タイトル 水タンクの場所
本文

HTさま。車掌@仙コリさま。

私もイニシャルはHTですが・・・

水槽の件、楽しく拝見しています。
私も詳しくはありませんが、床下の水タンクはブレーキの空気圧を利用して便・洗に水を供給
していますので、真空ブレーキの時代には屋根裏設置だったと思われます。
空気ブレーキへの切替え後ですが、オハ31系までの17m級魚腹台枠の車体に大型蓄電池箱
の組み合わせでは、床下がかなり狭いことも理由の一つではないでしょうか?

スハ32以降の20m級では基本的に床下水槽のようですが、マユ33は新製時は天井水槽で
図面にも屋根上のハッチが描かれています。「電化の進展により屋根上での給水は危険なので
床下に移した」とどこかで読んだ記憶がありますが、他の車両が床下水槽なのにマユ33が天
井水槽を採用した理由はわかりません。

最近、鉄道資料保存会から出版された客車図面集には天井水槽の図面が収録されていたように
思います。(値段が高くて買っていないので記憶モードですが)

曖昧な記憶と推測ばかりで、あまりフォローになっていませんでした。

投稿者のホームページ


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 3月 9日(土)23時35分04秒
タイトル RE:川崎留置
本文

急行越前様、川崎留置車の情報ありがとうございます。
北オク車がいたというのは意外な情報ですね。
そこで、当時の南シナ・北オクの状況を調べてみますと、
1982年12月8日時点で車籍のあるスハ43系列の車両は
オハ46  南シナ 4両  北オク 16両
スハフ42 南シナ 2両  北オク  6両

となっていまして、すでに南シナ車は6両という状態だったようです。
ちなみに急行越前様の記録にあります3両は翌年の1月から2月にかけて
廃車となっていますので、考えられるのは大船工場などでの廃車解体待ち
の状態であったのか・・・
(残りの車両もほとんどが翌年の3月までに廃車となっています。)
となると川崎留置線?は南シナ車両の置き場ではなく、解体待ち車両置き場
であったのかという疑問もわいてきます。

引き続き、皆様からの情報をお待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 3月10日(日)08時29分54秒
タイトル RE2:川崎留置
本文 川崎の留置車についてその後いろいろと調べてみましたが、やはり川崎駅の
側線(留置線?)は、少なくても1980年代には、主に廃車前提の車両置き場
として使われていたようです。
旧型客車に限らず廃車される電車等も、川崎駅の側線にしばらく留置された
後に、大船工場などへ廃車回送されていたようです。
皆様がしばらく旧型客車が留置してあったのを見たというのは、南シナ・
北オクの廃車予定車両が、次々と玉突きで留置されていたという可能性も
あるのではないかと思います。
ただし本格的に大量に廃車されたのは1982年ですので、これ以前に留置
されていた車両に関してはさだかではありません。
引き続き、皆様からの情報をお待ちしておりますので、よろしくお願い
いたします。


投稿者 熊トカゲ
投稿日 3月11日(月)07時01分23秒
タイトル 川崎留置
本文 急行越前様。 情報有難う御座います。
私も南シナと記憶してたんですが、意外でした。
車掌様の次々にの件ですが、昭和55年の前には8両で55年後期4両、写っておりました。
やはり玉突きなのでしょうか。
ところで横浜SLなんですが、水ミト配置でした。
このミト車もあそこに留置、大船工場行きの運命かな。
失礼致します。


投稿者 H
投稿日 3月11日(月)16時47分15秒
タイトル 水槽について
本文 客車「水槽」について、HTさま(ごめんなさい。私はHbノ変更いたします。)、
車掌@仙コリさま ご教示有難うございました。
実は、製作した「マニ32」の屋根に、給水口らしきものがついているので、質問させていただきました。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 3月11日(月)17時23分50秒
タイトル 横浜港SLの客車
本文 昭和55年の横浜港開港120周年記念SL列車の客車についてですが、南シナ車説と
水ミト車説があるのですよね。
どちらかが間違っているのか、両区の車両が混結されていたのか?
私もいろいろと調べたのですが、唯一番号がわかったのがスハフ42 2224だけでした。
このスハフ42 2224は、当時南シナ配置で昭和57年に水ミトに転属になっています。
熊トカゲ様の乗車された車両が水ミト車であったそうなので、やはり混結だったのでは
ないでしょうか。
となると、横浜港SLの車両と当時の川崎留置車は別であったのか、当時の川崎留置車は
廃車待ちではなかったのか?
横浜港SLについては、約1年程前にこの列車の写真が多数掲載された書籍を見たことが
あるのですが、どなたかご存知ないでしょうか?
横浜港SL及び川崎留置車の車番をおわかりの方がいらっしゃいましたら、ぜひ書き込み
いただけるようお願いいたします。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 3月11日(月)18時32分33秒
タイトル RE:水槽について
本文 HT改めH様、竹中@ノーブルジョーカー様
水タンクの件につきまして、間違った情報を書いてしまったようで申し訳ありません。
給水については車体下部からと書いてしまったのですが、屋根上のハッチから給水する
車両もあったようですね。
図面を調べてみると、マユ33・マユ34・マユ35・マユニ31・マニ31・マニ32の図面に
同様のハッチらしきものが書かれているようです。
2重屋根車については、図面からはわからないのですが、写真を見るとマユ31にも
あるような・・・
いずれにしても郵便車・荷物車ばかりなので、座席車等は床下給水、荷物車等は屋根
給水等というきまりがあったのでしょうか?


投稿者 クモイ103
投稿日 3月11日(月)19時29分12秒
タイトル 屋上給水ハッチ
本文

 客車の屋根上の給水ハッチ、詳しいことは私もわかりませんが、
マシ29(旧スシ37)などの食堂車にもありましたね(でも弁天町のスシ28 301にはなし)。
このパーツは、Nゲージでは市販されておらず、モデラーとしては腕の見せ所です。
とは言っても、正確な形状がわからないので、
「だいたいこんな雰囲気だろう」で済ませていますが(^^ゞ。
 形状のわかる資料を、どなたかご存知ありませんか?

 なお、マニ31は便所のある最終グループが昭和28年にマニ32へ改番編入されたので、
結果的に水タンクのある車両は存在しなくなったと思います。


投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 3月13日(水)01時24分08秒
タイトル 横浜臨港線を走ったイベント列車
本文

鉄道ピクトリアルの今年の3月号は「鉄道と港ー臨港線回顧」特集ですが、
この中の「横浜臨港線の歴史と現状」でここを走ったイベント列車が紹介されています。
記事によればSLのイベント列車は過去4回あるそうです。

1)鉄道70周年
   昭和27年10月17日 東横浜〜汐留
   5500形とオハ35系4両
2)高島線SLさよなら列車
   昭和45年9月15日 東京(品川)〜横浜港
   D51791とスハ32系6両
3)鉄道100年
   昭和47年10月14・15日 汐留〜東横浜
   C577とスハ32系6両
4)横浜開港120年/横浜商工会議所創立100年
   昭和55年6月13〜15日 東横浜〜山下埠頭
   C581とスハ43系4両

鉄道ピクトリアルには4の写真も1枚掲載されていますが、さすがに番号までは読めません。
あまりお役に立てませんが・・・

●川崎駅留置車
私の調査記録では、
昭和54年5月18日
ナハフ10 35+スハ43 2431+スハ43 119+スハ43 571+ナハ11 2049+スロ62 2019
+スロ62 2023+スロ62 2018+スロ62 2022+スロ62 2047+スロフ62 2033

昭和55年4月16日
スハ43 2279+スハ43 119+オハ46 2625+オハ46 2619+オハ46 2623+ナハフ11 14

昭和56年2月14日
スハフ42 2223+スハ43 2433+スハ43 119+オハ46 2625+オハ46 2619+オハ46 2623

いずれの車輌も品川の車です。
10系の2両はこのあとすぐに廃車になっていますが、常連もいたようですね。
以上のことから、ここは必ずしも廃車前提の解体待ちではなく、品川客車区の
疎開場所として使用されていたように思います。
尾久には東大宮という置き場所がありましたが、品川の車は川崎のほか
藤沢や大磯・二宮にも留置されていたことがあります。


投稿者 Satokawa
投稿日 3月13日(水)09時38分28秒
タイトル 川崎留置線の客車
本文

みなさま、こんにちは。

川崎留置の客車について盛り上がっていますが、私が確認したことあるのは
品川区にオハ46、スハフ42が配置されていた最末期である1982年頃の話です。
いずれもそのまま廃車にはならず疎開扱いで、運用のある時期のちょっと前に
品川区へ取り込まれていました。
取り込み時の客車回送列車を2度程撮影したことがあります。
ダイヤは品川〜川崎(入換)〜小田原(折返)〜貨物線経由〜品川で、大船工場入場用の
試6961〜6962レを一寸いじった回9961〜回9962レというスジが用いられていました。
留置車に緩急車が無いときは品川から伴車(私が見たときはスユ13)もお供していました。
ここでわざわざ小田原まで回送するのは、川崎留置線に上り線に転線する渡り線
および信号設備が無いことが原因のようです。
ちなみに当時の試6961レは浜松区のEF58が担当していましたが、この客車回送は
東京区のEF58が担当で、私が見た時はお召し機EF5861でした。(客車車番は未確認)

尚、竹中@ノーブルジョーカー様の書き込みに品川区の疎開先に大磯・二宮が
上げられていましたが、1980年当時に既に両駅の留置線も無くなっており、
代替として中央線猿橋駅が用いられていた模様です。
その他、私は確認したことはないのですが、西寒川駅なども用いられていた模様です。

ではでは。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 3月14日(木)00時34分35秒
タイトル RE:川崎留置線の客車
本文

竹中@ノーブルジョーカー様、Satokawa様
川崎留置線の客車についての情報ありがとうございました。
私が書き込んだ廃車前提という話は、川崎留置車について調べるている上で、
あるページ(電車系のページですが)に、川崎に留置されると廃車が近い、
とあったものですから・・・申し訳ありませんでした。
客車に関しては必ずしもあてはまらず疎開留置されていたようで、1年以上
留置されていた車両もあったようですし、実際に使用するための回送列車も
あったのですね。小田原折り返しというダイヤ、とても勉強になりました。

ただ時期的な問題(すでに次々と廃車になっていた時期)もあり、各車両に
ついて調べてみると、ほとんどの車両が最後に確認されてから1年以内には
廃車になっていたようでして、川崎留置=廃車前提ではなかったのですが、
昭和55年前後に限れば、川崎留置=廃車が近いというのも、当たらずとも
遠からずといったところでしょうか?

また、昭和55年の横浜港SLイベント列車用の客車は、やはり川崎に留置
されていた客車ではなかったようですね?


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 3月14日(木)19時22分52秒
タイトル RE:横浜港SLの客車
本文

昭和55年の横浜港SLイベント列車の客車についてですが、ある書籍(下記)によると
もともと同区間を走っていたボート・トレイン(国際航路連絡用に東京−横浜港間で運転)
によく使われた車両が使用されたとのことです。
このボート・トレインは昭和35年まで船の出港日に合わせて臨時運転されていたようで、
当時の車両は、すべて品川(当時は東シナ)配置の車両が当てられていたようです。

そこで昭和55年に南シナまたは水ミトに配置され、昭和33年時点で東シナに配置されて
いた車両を調べてみると(前述のように南シナ車説と水ミト説があるので)

南シナ車
スハフ42 2223・2224・2259・2403

水ミト車
スハ43  2476・2478
オハ47  2212
スハフ42 2175・2306・2307・2308・2328・2329・2330
オハフ46 2013・2016

となっていまして、南シナに該当車が緩急車しか残っていなかったため、中間車を水ミトから
もってきたと考えられます。

参考資料:昭和を走った列車物語(JTBキャンブックス)


投稿者 熊トカゲ
投稿日 3月15日(金)01時27分53秒
タイトル 横浜SL
本文

車掌様
大変有難う御座いました。 長年の霧が晴れた思いです。
結局、南シナと水ミトの混血だったんですね。

改めて御礼申し上げます。


投稿者 Satokawa
投稿日 3月20日(水)08時14分20秒
タイトル 横浜港120年の客車
本文

みなさま、こんにちは。

1980年6月の横浜開港120年記念列車の客車の件について、偶然車番の解る写真を見つけました。
山口雅人氏著『東京1980’s』という鉄チャン写真集です。
ここに件の写真が数枚掲載されていましたので、私の推定も含めて報告いたします。

客車の部分アップ、主に職員や乗客の表情、風景にとけ込む列車のカットのため、
全ての車番までは解明できませんが、緩急車の車端部の写真より所属が南シナであることが
解りました。
これにより4両編成の両端部は品川区のスハフ42であることが推定できます。
中間車についてはオハ462620の標記がサボと共にバッチリ映っております。
これにより、中間車についても品川区の車両であることが明解です。

と、云うことで全車の車番までは明解に解りませんが、
4両とも南シナの車両で構成された編成であることが推定できます。

引き続き、調査してみます。


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